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2007.08.01
今後の計画確認に奔走の日
ナミビア:ウィントフック |
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今朝4時半にウィントフックに到着。バスの中は快適だったとはいえ、ベッドで寝たのと違って夜行バスでの移動明けは体が重い。
しかし、私たちは明日から始まる忙しくも楽しい予定の確認作業、およびまだ手配されていない交通の調査やら手配など、やるべきことがいくつかあった。これをやらずに明日からのツアーにでかけるわけにはいかない。
ということで、ありがたくも出してもらえた宿の朝食で心身ともに目を覚まし、今日やるべきことを書き出したのだった。
明日からの予定は、もう半月分目白押しで途中まで予定を入れている。ナミビアとボツワナは宿がバカ高い。どうでもいいような中級の宿でもボツワナなどは平気で一泊US$50くらいするのだ。しかも今はハイシーズンで人気のある宿はすぐに予約で埋まってしまう。予定の詰めが甘いとすぐに予算が膨らむ原因になるので、慎重に迅速に観光を済ませてザンビアに抜けるというのが、計画の大前提にある。
1.8月2日から4日まで2泊3日、ナミブ砂漠のソススフレイツアー
2.8月5日は宿をThe Cardboard boxからCameleonに移動
3.8月6日から8日まで2泊3日、エトーシャ国立公園のツアー
4.8月10日にウィントフックからボツワナのマウンに移動
5.8月12日から14日まで2泊3日オカヴァンゴデルタでサファリ
6.8月16日ボツワナのマウンからカサネに移動
7.8月17日、チョベ国立公園の1日ツアーに参加
8.8月18日ザンビアのリビングストーンに移動
9.ザンビアのリビングストーンで滞在
1と3のソススフレイツアーとエトーシャツアー、2のウィントフックでの2軒目の宿Cameleonにはケープタウンから電話して既に全て予約済みだが、再度その確認作業を行う必要があった。
また、4の移動については、どうやって行けばいいのか皆目検討がつかないので調べる必要がある。
5のマウンから行くオカヴァンゴ・デルタのツアーについては既にメールで手配済みだ。これはちょっとややこしかった。ツアーを主催しているAudi
Campにケープタウンから連絡した所、テントと食事がセットになったツアーと、何もつかないツアーとどちらにするかと聞かれていた。判断のために、全てのレンタルコストが書かれた表をメールしてもらい、試算した結果、テント、椅子、テーブル、クーラーボックス、調理器具など全てをレンタルした方が安いということが判明。
そこでレンタルが必要な物の名称と個数と値段と、それら全ての合計金額を書き出して、メールで注文しておいた。
あとは、デルタに行く前後のマウンでの宿泊についてAudi Campに宿泊の予約をすること、カサネの宿、リビングストーンの宿については予約の連絡をすることが残っている。うう、忙しい。
まずはソススフレイツアーとエトーシャツアーを申し込んだWild dog & Crazy Kudu という旅行会社への確認だ。宿The Cardboard boxもこのツアー会社の窓口になっているのだが、私たちは予約をする際に宿を通じずに直接旅行会社に電話をして申し込んだので、宿としては私たちはお客さんではない。「予約の確認をしたいのだが」と相談を持ちかけると、Crazy
Kuduの事務所にいったらどうかとツレナイ返事だった。まぁ、仕方ない。
宿から旅行代理店までは地図で見ると1.5kmくらいで行けそうだったので、朝8時前に宿を出て旅行代理店に向かって歩き始めた。
宿からJohn Meinert通りを真っ直ぐに下ると、メインストリートのIndependence
Aveに出る。この通りには高いビルも立ち並び、ここだけ見るとウィントフックも大変な都会に見える。
しかし、ここを左折してIndependence Aveを北上すると10分も歩かないうちにビルもまばらな風景になってきた。本当にこんな所にあるんかい?といぶかりながらも尚も歩くと、Erosという看板の書かれた通りがあり、そこを右折して200mくらい先の右手に会社の看板が見えてきた。
私たちが送った予約フォームのファックスは届いているらしかったが、そのファックスを見てケープタウンの宿に支払いについてどうするかの問い合わせを行った所、私たちはもうチェックアウトしたということで、話がストップしていたということだった。確認に来て良かった。このままだとツアーに行けなくなっていたかもしれない。また、私たちが希望している4日間のエトーシャツアーというのはなくて、3日間のツアーしかないことも、ここに来てわかった。ふー、危ない、危ない。
ということで、ツアーの確定とクレジットカードでの支払い、明日はThe Cardboard
boxに迎えに来てもらうこと、6日は宿が変わってCameleonに迎えに来てもらうことを確認して、Crazy
Kuduとの話は終了。話を終えて「では、明日」とお別れの挨拶に入ろうとしている担当女性に、もう一つ用事があった。
私たちはエトーシャのツアーは4日間だと思い込んでいたので、1日早く戻ってくるとウィントフックでのベッドを確保していないのだ。担当女性は、私たちが支払いを済ませたばかりということもあってか、お客様については宿の手配も請け負ってくれるというので、Cameleonにエトーシャから戻ってきた時の宿をもう1泊増やしてもらうようにお願いした。
「わかりました、やっておきます」と担当女性。いやいや、今、目の前ですぐに電話をかけてやってもらいたいのですが。アフリカに入ってから何度も感じているのだが、アフリカ人はすぐには仕事をしない。「やっておきますから」「後で連絡しますから」とすぐ言うのだ。そういうことをされると、私たちのチェックリストに終了のマークがつかなくって困るのだ。
「あのー」と丁重に腰を低くしながら私は言ってみた。「今、ここで目の前で、すぐ電話してもらえないでしょうか?」
一瞬、とまどいの沈黙が流れたのだが、「じゃぁ、やりましょう」と担当女性はその場で電話をかけてくれた。
この女性には言っていないのだが、Cameleonに対しては予約の日付を変更する電話をもう2回入れている。一度は日程を変更し、2度目は日にちを減らしたのだ。この際、ナミビア人同士で話をしてもらって、最終の確認もあわせてしてもらいたかったのだ。「Crazy
Kuduという旅行代理店の者ですが、今お客様から宿の手配を依頼されて電話をしています。OKADAというお客様なのですが・・・」と話してくれているようだった。ところが、相手の女性は話が込み入っている(そんなに込み入ってはいないのだが)のか、全く理解できなくって、こちらの担当女性は電話口で私に向かって「何じゃ、この女は?」と受話器を指差して眉をひそめた。
そんな一幕もあったのだが、とにかく予定通りに予約は取れて、ツアーとナミビアにいる間の宿の確認が一度に終了してしまった。
次は、ウィントフックからマウンまでの移動方法についてだ。ボツワナのマウンという町にあるAudi
Campという宿泊施設がウィントフックから自分の宿泊施設までのシャトルサービスを行っているということがロンリープラネットに書かれていたので、それを頼りにAudiに電話した所、もうそのサービスはやっていないと言われて私たちは焦った。じゃぁ、一体どうやって行けばいいのだ。ロンリープラネットのナミビアのコーナーにはボツワナにくには、レンタカーをするかヒッチハイクみたいなことしか書かれておらず、公共の交通機関についての記載なし。ど、どーしよー。
宿の壁には「7月30日、マウン行きのシャトルバスあり。希望の人は下記まで連絡を」という張り紙があった。宿の人にお願いして、次の便はいつなのかを聞いてもらうと、次の便は8月17日。私たちの予定よりも全く先の話だ。しかし、8月10日に行きたいのなら私たち2人のために車を出すことも可能だと言われて、一瞬喜んだのだが、金額を聞いて即お断り。車1台の金額はN$4500(=US$628.49、2007年7月29日の換算レートUS$1=R7.16を使用。Rは南ア・ランドなのだが、ナミビア・ドルと同価値で流通している)。とても考えられない選択肢だった。
困った時は観光案内所に行ってみよう。ということで、今度は観光案内所を探した。ロンリープラネットに書かれている場所にはなく、人に聞きながら歩くうちにNamibia
Tourism Boardという場所にたどり着いた。
中にはお洒落でちゃらちゃらした感じの黒人男性が座っていて相手をしてくれたのだが、この人いわく「シャトルサービスってのは聞いたことがないなぁ」。彼の持っている情報は、ここからマウンに行くには、ウィントフックからボツワナのハボロネGaborone行きのバスに乗り、途中下車するという所までだった。「で?途中下車した後はどうやって行くんですか?」と聞くと、「それはボツワナのことだから、僕にはわからないなー」と言う。「あー、そーですか。隣の国のことだからしょーがないですよねー。」と私も気力なく相槌を打った。アフリカでは、こういう所はもう怒っても仕方ないという諦めの境地に達している。
少なくとも、ハボロネ行きのバスはボツワナのバス会社で金曜日と日曜日の週2本あるということは調べてくれた。金曜日は朝6時発、日曜日は朝7時発。ともにウィントフックのIndependence Ave沿いにあるThuringenhof Hotelの前(実際には、ホテルから見て右方向に走っていくので、ホテルの向かいから出発)から出発する。このバスに乗るには、直接バスの所に行って、チケットを買うしかないということだった。
なーんか、釈然としない。観光案内所なのに案内不足な気がして、更に周囲の旅行代理店などに首をつっこんで聞いたところ、私たちが訪ねたNamibia
Tourism Boardは観光案内所ではなく、旅行代理店と一緒にナミビアをプロモーションするような広告代理店的事業を行っている所だということだった。
本当の観光案内所は、このNamibia Tourism BoardのオフィスのあるFidel Castro
Ruz StreetをIndependence Aveに向かって歩いて行き、Fidel Castro Ruz StreetとIndependence
Aveの交差点を渡った右側にあった。
ここで、再びマウンに行くにはどうしたらいいのかを相談した。
対応してくれた男性は、ハボロネ行きのバスに乗ってハンツィGhanziで途中下車して、そこからマウン行きのバスに乗るという方法があることはあるが、あまり勧められないというのだった。
というのも、ハボロネ行きバスは途中下車する人を嫌うために予約は受け付けないので、当日バスに直接行って空き席があるか聞くしかない。しかし、そこで空き席がなかった場合は、その日は移動ができなくなってしまうだろう。そういう危険性を考えると、料金はちょっと高くなるかもしれないが、チャーター車を使った方がいいだろう。
というのが、彼の考えだった。彼はその場ですぐにJamesという知り合いに電話をかけてくれた。Jamesは8月10日だったら一人N$650(=US$90.78)で連れて行ってあげられるということだった。先日聞いた二人でN$4500に比べると二人でN$1300は安い。ハボロネ行きで途中下車するところまででもバス代金はUS$20弱かかる。その先、もう倍かかるとして一人US$40かかるとすると、チャーター車では公共の交通機関の倍額かかることになる。それにしても、ややこしい交通手段でいくくらいなら倍額で宿まで直行できるならリーズナブルだと判断して、早速Jamesに10日のチャーターをお願いすることになった。結果としては、私たちはこのJamesに裏切られて、ハボロネ行きのバスに乗る羽目になるのだが、その話はまた、後日。この時は、素晴らしくリーズナブルな価格でチャーター便が見つかって大喜びの私たちだった。
ここまでで、もう午後4時。あとは夕飯の買い物などをして帰ろう。今日はここまでだ。
Independence Ave.沿いには大型スーパーのSHOPRITEがある。ここで今晩の夕食や明日からのツアーに必要な水やスナック(基本的に食事は付いている)などを購入して宿に戻ることにした。
途中、非常に変わった服装の大柄な女性に遭遇。あまりの不思議な服装に思わず声をかけて写真を撮らせてもらった。
この衣装は、ナミビアの伝統的な衣装だそうで、帽子がフランスのバゲットのように横に長くて幅が狭い。高いウエストからギャザースカートになって長く足元まで垂れているのが、より背を高く見せていた。
今日一日ウィントフックの町を色々と探して歩き回ったお陰で、大体の町の印象がつかめた。幅の広い美しい舗装道路が縦横に走る町で、観光案内所のある付近がメインストリートになっていて、再開発されたような美しいショッピングモールやシャレたショッピング区域もあって、なかなかの都会ぶりだった。で、こういう女性も歩いているし、なかなか面白かった。
夜は夜で、宿から各方面に電話。ブルームフォンテンで購入したプリペイド式の電話が少し残っていたので使おうと思ったら、宿にある電話は別のプリペイド会社の専用回線で使えない。別のプリペイドカードを購入して電話をすることになった。方式は似ているが、ピンナンバーが購入したカードに記載されていて、コインの裏で削ると出てくるというしくみだった。
ここからボツワナのマウンにある宿Audi Campに電話。私たちが行こうとしている日は既に満室ということでダメ。次にCrokodil
Campという宿に電話すると、担当者が既に帰ってしまったので明朝かけ直してほしいということだった。ああ、討ち死に・・・。
しばらく考えていたのだが、私たちはマウンに到着してAudi Campからテントを借りてオカヴァンゴ・デルタに2泊3日のサファリにでかける。そこで利用するテントを使って前後の日にAudi
Campに宿泊させてもらえないだろうか。その路線で、もう一度Audi Campに電話をかけてみると、ああ、そういう方法ならオッケーですとあっさりと了解が出た。やれやれ。
あとはカサネだ。カサネにあるSedudu Guest Houseに電話すると一部屋P260(=US$40.75、2007年8月13日現在の換算レートUS$1=P6.38を採用、Pはボツワナ・プーラ)ということで、部屋は押さえることができた。これでもカサネで一番安いと思われるホテルである。高いなぁ。それで、チョベ国立公園へのツアーの窓口をやっているかどうかを聞くと、アレンジするというものの、返答が不確かな様子だった。今いる宿の電話番号を伝えて、できるのかどうか、できるなら一人いくらでできるのかを、私たちがツアーにいっている間に返答してメッセージを残してほしいとお願いした。
ふー、今日はここまで。朝から晩まで仕事のようにバリバリと手配をこなしたが、まだ完全ではない。この続きは明日からのツアーから戻ってきてからやることにしよう。
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