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2007.08.03
ソススフレイツアー〜第二日目
ナミビア:ウィントフック |
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昨日の夜の最後に、今日は朝5時半に出発だと聞いていた私たちは、朝5時起床し、着替えて歯を磨いて身支度を整えて準備完了。車に乗り込んだ。
今回のメンバーは、私たちの他に日本人の姉妹が2人。彼女達ももちろん時間通りにきっちりと車に入ってきた。白人チームは20代と思しき若者男女4人と30代の2カップルと一人参加が数人。この20代と30代の関係が白人社会的で面白かった。30代の白人チームは仕事の休みを使って来ているようで、日頃のストレスを解消するべく多いにしゃべり、笑い、はしゃぎまくってエネルギッシュ。一方の20代はこの30代の気迫に押されているかのように、いつも4人で固まって静かに過ごしていた。
ところが、この朝4人はちょっぴり寝坊してしまったのだ。他のメンバーが全員揃っているというのに4人だけが来ない。5時半になってようやくテントからもぞもぞと出てきて、明らかにしまったという顔つきでそのまま車に乗り込んできたのだった。この時の30代白人の対応が厳しかったねぇ。何も言わないんだけど、刺すような視線が4人を取り囲んで、その厳しい視線をかいくぐるように4人は後部座席におさまったのだった。
白人社会は大人が厳しいというが、こりゃ本当らしい。こうして「大人」に鍛えられて、20代は大人になっていくようだ。
こうして10分遅れだったがキャンプ場を5時40分に出発。ソススフレイに入るゲートはキャンプ場のすぐそばにある。ゲートの開門は午前6時だ。開門を待って車が行列を作って待っていて、6時になる15分前の開門と同時に一斉に走り出した。皆の向かう先はデューン45。ナミブ砂漠の砂丘(デューンDune)には番号が付けられていて、このデューン45は朝日を見るスポットとして特に有名な砂丘なのだそうだ。
デューン45までは60kmあるそうだが、30分後の6時18分には到達していた。ということは120kmで飛ばして来たことになる。未舗装だが、固くて薄い砂利が敷かれたような道なので走りにくいということはなく、結構スピードが出るようだった。
東の空が明るくなり始めていた。夜明けはもうすぐだ。朝日はまだ見えないものの、砂丘はすでに明るく赤みを見せて目の前に立っていた。これがデューン45。
ガイドは「上まで行って朝日を堪能してきてください。降りてきたら、ここで朝食ですから」と励ますように私たちを送り出してくれた。というのも、昨日の夜のキャンプファイアーを囲んでの説明で、デューン45は夕日を見るために上った砂丘よりももっと高さがあるという説明に、一同「あへー」とのけぞったからだった。
とはいうものの、デューン45には次々と人が上り始めて人の列がつーっとできている。私たちも遅れまいと上り始めた。
昨日の砂丘は自分たちで思い思いの方向に上っていき、遠い昔に人がのぼった跡しか残っていない場所も多くあったのに比べると、今日は目の前に何十人もの人がのぼっている一本の道を歩いている。いくらフワフワの砂だとはいえ、同じ時間帯にこうも多くの人が踏み固めるとそんなに沈んでいかず、むしろ昨日よりも楽に上れる。コツは、前の人の踏んだ足跡に自分の足を合わせることだ。こうすると沈まない。人の踏んだ跡とずれて上ろうとすると沈む。コツをつかんでしまうと、そんなに苦もなく上へと進むことができた。
朝日は斜面の途中から出始め、頂上に到達する頃に丁度太陽の全体が姿を現すようなタイミングだった。時刻は午前6時37分。頂上は下よりも風があって、体の火照りを気持ちよく冷ましてくれる。体の火照り、冷たい風、そしてシーンとした音を吸い込む砂漠特有の環境の中で、太陽が上がり始めると、周りの景色がより鮮明な色を持ち始め、刻一刻と砂丘が色を変えていく。大勢の人がいるにもかかわらず、静かで雄大なそして孤独な風景だった。
20分弱かかって上ってきた砂丘の頂上は、その先にずっと同じような高さで道が続いている、。デューン45は東側から吹き付けられる砂が堆積した砂丘なのか、南北に長い。太陽の昇ってきている側は、砂丘が終わった所から、掃き清められたように乾いた固い台地がむきだしになっていて、表面の軽い砂が全てここに集められていることを物語っている。
南側の斜面から上ってきた私たちは、頂上の先がこんな風に長く先に伸びているとは予想だにしなかった。もう少し先に進んでみよう。大きく左にカーブを描いて進んで行くと、向こうにあるもっと高い砂丘やとがった砂丘などが次々に見えてくる。デューン45を始めとして、これらの幾多の砂丘は、朝日に照らされた燃えるようなオレンジに染まった部分と、陰になった真っ黒な部分にクッキリと分かれている。このコントラストの美しさは、横から陽のあたる朝だけの楽しみだ。明暗を分けている砂丘の頂上は、今足元にある砂丘と同じく、ちょっと足の先で触れただけで形を変えるもろい存在なのに、こうして遠くから見ると金属のように鋭く冷たく見える。そのギャップが何とも不思議な印象をもたらしていた。
東の方向に目を移すと、すっかり明るくなった台地の両側に赤い砂丘が並んでいるのが見えた。デューン45の前には掃き清められた台地がずーっと続いている。だから、この場所が朝日を見るポイントに選ばれているのだろう。
こうしてデューン45を堪能して、午前7時に降りることにした。
東側の斜面にやや緩やかで降りやすい部分があり、私たちはここから下ったのだが、西側の誰の足跡もついていない急斜面に自分の足跡を思いっきり付けながら、ダダダダダーと軽快に下る人もいる。基本的に砂山なので道はない。好きな所から好きなように降りればいいのだった。
東側の斜面には何と草も生えている。こんなに乾燥した環境なのに。斜面から左側に目をやると、トロリとして見える砂丘の赤い肌が続く景色が見え、これもまた美しく朝日に照らされて、濃い陰影を付けているのだった。
下りは楽しみながら楽々とゆっくりと降りたつもりでも、所要時間は10分だった。
ありがたいことに、スタッフが既に朝食の準備をしていてくれて、下に降りてまもなく朝食タイム。朝の運動の後で、誰もが旺盛な食欲で食事を楽しんだ。
朝食の後はソススフレイに向かう。車で5km手前の地点まで移動。ここから先は4WDのみが入場を許されている地帯である。レンタカーして自分で来る場合も、ここまでは自力で来ることができる。5km先の地点まではソススフレイ側が用意している4WDの送迎サービス(有料。値段は不明)を利用するか徒歩で向かうことになる。私たちは全員徒歩を希望し、みんなで5kmを歩くことにした。
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ここからの5kmは砂が深い道で、確かに4WDでないとタイヤが埋まって動かなくなりそうだった。実際4WDにもかかわらず、スタックしてしまった車を途中で1台見かけた。4WDとはいえ運転技術がないと難しいようだ。
歩くのも砂丘を上るほどではないが、1足ごとにズブズブと足が沈むので労力がいる。砂丘の上で風に吹かれて冷え切っていた体は、こんどはすぐに汗を噴き出した。
半そでのTシャツ、中綿のジャケット、ウィンドブレーカー、スカーフ、アウトドアの夏用パンツの上に中綿のパンツといういでたちだった私は、歩き始めて20分後には、Tシャツと夏用パンツのみまで脱ぎ去った。あー、暑かった。
この日は朝キャンプ地を出てから日中までの気温差が激しい日なので、朝はたくさん着込んで、日中脱いだ服を入れられるリュックを持っていくと便利だ。
この5kmは歩くのはちょっと苦労だが、送迎の車を使って通り過ぎてはもったいない素晴らしい砂丘の景色にめぐり合えたので、価値ありだ。途中の景色を写真で紹介したい。
最初の写真は、乾燥した環境の中でも種を落として生息する樹木と、その乾いた種。
次からは道中の左右に見えてくる砂丘だ。
砂地の道にはタイヤの跡が幾筋もあって、どれを選べばうまくいくというのもわからないようだ。
そして、下の写真が世界で一番標高の高い砂丘なのだそうだ。
1時間10分で5kmを歩いてソススフレイに到着するまでの砂丘の景色は、どれ一つとして同じものがなく、それぞれに砂の作り出す造形美に満ちていた。ソススフレイに到着しても、まだ朝の9時51分。この5kmは朝日に照らされる砂丘の陰影を楽しみながら歩けて、非常に楽しかった。1時間10分かかったが、途中でスタックした車の救出を手助けしていたメンバーを待っていた時間もあるので、実際はもっと短い時間で到達できるだろう。
ここまで歩いてきて、ちょっと休憩がてら、この辺りに植生している鮮やかな黄緑色の植物の前でガイドの説明があった。
この植物は葉にたっぷりと水分を含んでいるので、砂漠に生息する様々な動物が水分を求めてこの葉を食べにくるのだそうだ。私も試しに葉の1枚を手にとって口に含んでみる。ぷっくりと厚みのある葉は、たしかに非常にジューシーで、特別な味はしないが水分補給にはなる。
ここから先にはパンPanと呼ばれる白く乾いた台地が見られるようになる。パンと砂漠を交互に渡り歩きながら、先ほど遠目で見た世界で一番高い砂丘のふもとまで散策を続けた。
パンはかつて川だった部分が干上がってできた固い台地だそうで、この部分には砂が堆積しない。砂丘に取り囲まれて湖のように白く存在しているので、ボリビアのウユニ塩湖を思い出させた。
パンと呼ばれるこうした干上がった台地は、ナミビアのエトーシャ国立公園にもあるし、ボツワナの北東にもあるが、鉄分を多く含む赤い砂とのコントラストで楽しめるここのパンはここでしか見られないだろう。
目的のパンは、円形の白い台地で中には干上がった当時に生えていた樹木がそのまま腐らずに残っている。こうして400年も前に枯渇して、そのまま残っている、まさに時が止まってしまったような風景は、ロンプラにあるように「地の果て」に来た思いがした。
それにしても枯れた黒い樹木と白い台地と赤い砂山は、何と絵になることだろう。私たちはここで自由時間となり、思い思いの木を見つけては様々な角度から、にわかカメラマン気取りで写真を撮った。
この朽ちた黒い樹木にタラリと壁掛け時計を垂らすと、まるでダリの絵のように見える。彼はここに来たのだろうか。あの絵の着想はナミブ砂漠のソススフレイなのだろうか。
この地点から更に20分歩くと、デッドフレイDeadvleiという場所に到着する。先ほどと同じようなパンの台地が見られる。私たちは、もうこれ以上進むことはせずに、木陰で休憩しながらバスを待つことになった。
そう、帰りも5km歩くのかと思っていたのだが、どういうわけか、ここは送迎の4WDを使うことになった。費用は別途支払っていない。
ソススフレイまで5kmの地点まで戻ってきて、自分達のキャンピングカーに乗り換えてキャンプ地に戻ってきたのは、午後1時半のことだった。
当初の予定では、昼食後は夕方まで休憩して、夕方から近くのキャニオン見学にでかけるはずだったのだが、昼食後、「時間が押してしまったので明日に回すということでどうか」とガイドから提案があった。午前中、色々動き回って今日は満足していた私たちは、午後はゆっくりと時間を過ごすことに合意。
洗濯を始める人、キャンプ地のプールサイドで寝転ぶ人、シャワーを浴びる人。それぞれ、思い思いに時間を過ごすことになった。
プールは緑色で、ちょっと入れる状態ではないが水辺は涼しくって気持ちがいいので、割と多くの人が水着で集まっていた。
午後7時前から夕食が始まり、満天の空を楽しみながら2日目の夜が更けていくのだった。
※この日の食事は「本日の献立2007年8月3日」を参照ください。
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