|
|
|
|
2007.08.23
ザンベジ川でラフティングはこわ〜い!の巻き
ザンビア:リビングストーン |
|
宿では様々なアクティビティーを申し込むことができる。ザンベジ川のラフティング、ヴィクトリアの滝を簡易な2人乗りの飛行機で上空から見ることができるマイクロフライト、ザンベジ川をキャンプしながら下るカヤックツアー、ザンベジ川に向かってジャーンプ!するバンジージャンプ、サンセットクルーズ。。川にまつわるアクティビティーだけでもかなりの種類がある。
興味を持ったのはラフティングとマイクロフライトだった。23個ある波を超える1日ツアーは一人US$135。半分の波だけ体験する半日ツアーは一人US$115だったかなぁ。とにかく1日に参加した方が圧倒的にお得な値段だった。マイクロフライトは15分間のフライトで一人US$95。20日にヴィクトリアフォールを見に行った感じでは、この滝は上から地球がパックリと落ち込んでいる姿を見るのが醍醐味だと思った。だから上空、しかも近い位置から滝が見られるマイクロフライトは魅力的。でも、金額が金額だけに、どれか一つだなぁ。
悩んだ末に1日楽しめるならとフルデイのラフティングツアーを選んで申し込んだのが昨日のことだった。
ピックアップは朝7時半。朝・昼・夕飯がついているので朝ご飯を食べないでピックアップを待つことができる。他の宿からの客も乗せたバスに乗り込んで、向かった先は先日訪れたヴィクトリアの滝の入り口と同じ方向。ほぼ滝の入り口に近い場所にラフティング、カヤック、クルージングなどのツアーの基地に到着した。ここは高級ホテルで、ホテル内に事務所があるようだった。
まずはお支払いから。行列を作ってどんどんと支払っていく。一人US$135も支払うのだから、机の上にはザンビアン・クワチャとドル札とユーロ札がどんどんと積み重なっていき、これを見るだけでもザンベジ川がザンビアにとってどれだけドル箱の観光資源なのかが知れる。
支払いの後は朝食。屋外グリルで作られた朝食は高級ホテルらしく豪華な感じで、バックパッカー宿から集められた若者や私達は「豪華だねぇ、いいねぇ」と朝食を楽しんだ。
昼食、夕食はこの朝食に比べたらお腹が満たされるだけという感じの食事。このツアーは朝食が一番良かった。
お腹が満たされた午前8時半、朝食を摂った場所の近くにある大きな草葺屋根の建物に案内された。内部は後ろ半分が階段状の席になった講義室のようになっていて、ここでラフティングに関する諸注意を受けることになった。
ラフティングは立派なスポーツなので、一人一人が漕ぎ手であることを認識して、同乗するガイドの指示に従うこと。万が一ボートから振り落とされた時は、カヤックが助けに来るので慌てずに待つこと。
カヤックが到着したらカヤックの先頭につかまって救助されること。カヤックに乗っている人につかまろうとしたり、カヤックの人が納まっている所に手をかけたりせず、必ず先頭につかまろう。
こんな説明だった。案外ややこしい。説明の中で「大体、日本人はこの注意を無視してカヤックを転倒させたりするので、日本人みたいにならないようにしよう!」とか、日本人を揶揄するジョークが何回か飛ばされた。お金持ち日本人だから、アジアのどの国よりも大人数が参加しているだろうし、それなのに英語の理解力が特に乏しいという点では、このジョークは当たっている。やれやれ、日本人はこんな風にザンビア人に思われているのか。私のがっかりした表情が舞台からも見てとれたのか、後で解説をしていた人が「ジョークで、盛り上げるために言ったことなので、気分を害していたら申し訳ない」とわざわざ謝りにきた。そ、そんなに不機嫌な顔してましたか、私。
この後、ヘルメットと救命胴衣とオールを渡されたらバスに分譲してラフティングの出発地点に向かった。この時点でめがねとカメラを貴重品ボックスに預けてしまったので、ここから先に自分達で撮影した写真がない。
ラフティングの出発地点は20日に私達が訪れたボイリング・スポットだった。おお、こんな逆巻く波から始めるのか・・・。先日、ボイリング・スポットを目の前で見た時の、あの時の引きこまれそうな恐怖がよみがえってきた。
ボートは6人〜7人の客に1人のガイドを乗せて、全部で8台もいただろうか。もう少し上流のジンバブエ側からもどんどんとボートが出ている。ジンバブエ側からのボートが出尽くすと、今度は私達の番だった。何と一番に川に乗り出したのが私達。あんなに逆巻く波に見えるのだが、滝つぼから流れ出した川の流れの左端にくると全く穏やかでどこにも流されない領域がある。とても不思議だ。
この湖のようなおだやかな領域を使って、ガイドの指示とその際の動作の練習を行うのが最初のステップだった。前に漕ぐ、後ろに漕ぐ、ボートの縁の綱をつかんで伏せる。この3つの動作の練習を行ってスタートだ。
今までの穏やかな領域から、両脇から波が迫ってぶつかっている部分に乗り込んだ。あっという間にスピードが乗り、先日私が立っていた岩に向かって突進していく!「はい、漕いでー、漕いでー、全力で濃いでー!」という掛け声とともに私達6人のメンバーで必死に漕ぐのだが、力が足りない。力不足だと左側の穏やかな領域に流されて元の位置に戻ってきてしまうのだ。後から行ったボートが一発で成功して、渦巻く波の向こう側でガッツポーズをしているのが見える。私達も早くあそこに行きたい。
さぁ、2回目に挑戦。今回も皆で必死に漕ぐのだが、またしても元の位置に戻されてしまった。成功しているボートを見ると屈強な男達が多く、しかも7人乗っている。私達は男性が3人と女性が3人で、男性は華奢な人が多い。大丈夫だろうか。
最初に出発したのに最後になってしまった。3度目の正直だ。
3回目、今まで以上に漕いで岩に突進した。
とその時、岩にぶち当たったボートの先がフワッと持ち上がってスローモーションのようにゆっくりとボートが回転して左側が持ち上がっていく。えええ?こんな所で転倒?怖い、怖すぎる。そう思って最後まで綱にしがみついていたのだが、物凄い水の勢いで手と綱がはがされてしまった。転倒だ。
ナンバー1の波に入った途端もみくちゃに |
どんどんと岩が迫ってくる |
岩を目前にして右にターンしなきゃいけないが
もはや前の二人は漕ぐどころではない |
とうとう波に巻き込まれる |
岩にぶつかってバランスを崩し、転倒! |
最後までしつこく綱を持ち続けている左側の
二人。それはガイドと私。 |
ガイドはボートにしがみついている |
完全転覆の図。 |
ガイドだけがボートの綱を持ち続けて
即座に生還したのだった。 |
洗濯機につっこまれたらこんな気分になるだろう。もがいても泳いでも中は真っ暗な水の中で、どちらが天地か全くわからない。とにかく泳ごうと手を動かしているのだが埒が明かない。それどころか、水流に巻き込まれて中で体がくるくると回ってしまった。うわわわー、前転してるー、水中で!
息をとめていようと思ってもパニックになってしまっているので、思わず息を吸い込んで水を大量に飲み込んでしまった。息を止めよう、止めようと思えば思うほど呼吸をしてしまっている自分がいた。もう駄目だ。何がなんだかわからなくなって、このまま死んじゃうんじゃないかと本気で考えて力が抜けてしまった。
と、その瞬間、何かに引き上げられるように体が一方向に引っ張られて上が明るくなってきた。「ああ、死ぬってこんな気分なんだろうか」とぼんやりと考えていたら、ザッバーッと水面に顔が出て急に酸素が吸えるようになってきた。と、同時に咳き込んで大量の水を吐く。おお、私、まだ生きている。
すぐにサーッとカヤックのレスキュー隊員が近寄ってきてくれたので、カヤックの先につかまって一番近くのボートまで運ばれると、ボートの中にいた男性達が私の両腕をつかんで引き上げてくれた。私は何もすることができず、されるがままに陸にあげられた魚のようにズルズルーッとボートの中になだれ込んだのだった。しばらく咳がとまらず、咳き込む度に大量の水を吐く。周りの人が恐々とこちらを観察しているのも視界に入ったが、他の人の眼を気にしているどころではなかった。
ようやく正気に戻ってきて、夫はどうなったのだろうと辺りを見回した。他のボートに一人、また一人と救出されているのに夫の姿が見えない。やばい。逝ってしまったのか。ハードボイルドな想像が浮かんだ瞬間、夫が救出される姿が見えてガクガクと力が抜けた。救出された人を乗せたボートが互いに近寄ってきた。その中に、先頭にいたイギリス人の若いカップルがいたのだが、その女性の方が完全にパニックに陥っていた。私は本当にパニックに陥った人というのを生まれて初めて見たことになる。
先頭の二人は岩に激突した時に両足を打撲して打ち身と擦り傷ができていた。その痛みもさることながら、彼女がパニックに陥ったのは水から愛しい彼氏が救出された時、咳き込むと同時に鼻から血がドバーッと出てきたことが原因なようだ。
「もう、行きたくない。もうこれ以上は無理。早くボートから降ろして!おーろーしーてー!!!!」とワナワナ震えながら泣き叫んでいた。
私達メンバー6人は全員が振り落とされて、これまた全員が水中から20秒〜30秒上がってこなかった。現在地はザンビアとジンバブエ国境の橋の下だ。かなり長い距離を流されてきたことになる。彼女ならずとも全員が蒼白の面持ちで同じ気分だった。しかし、一度ボートを出してしまうと、ナンバー4の波が終わるまではジンバブエ側しか上陸することができない。パスポートもビザもなく緊急とはいえジンバブエ側に上陸することは法律上できないのだとガイドが説明しても、彼女は聞き入れようとしなかった。
「ナンバー4はだめー。ナンバー4だけは絶対に行けない。ナンバー1 よりもナンバー4の方が激しいって、あなた、言ったじゃない、言ったわよねー。絶対無理ーーーー!」
そうだったのだ。運の悪いことにガイドは1番目の波を乗り越えられない私達を鼓舞しようと「ナンバー1なんてナンバー4に比べたら軽いもんだ。ナンバー1を乗り越えなけりゃ4は無理だぞー!」と叫んでいたのだった。ガイドは「いや、ナンバー4は難しい場所と易しい場所があるので、易しい場所を通るから大丈夫だ」と説明しても信じてもらえない。別のもう少し年上のガイドが来て、彼女の説得にかかった。
それと同時に、同じボートに乗っていたイナという若い女性がこのイギリス人の女性の肩をしっかりと抱きかかえて、「ね、頑張りましょう。あなたも辛かったけど、私達もみんな辛かった。あと3つだけ。あと3つだけ波を超えたら降りられる。それまで頑張りましょう」と耳元で励まし続けたのだった。
転倒してから既に30分が経過しようとしていた。イナの説得が功を奏してようやく先に進む踏ん切りがついたイギリス人女性を乗せて、我々は恐怖心と戦いながら2、3、4の波を乗り越えていったのだった。
1つの波を乗り越える度に、イナはイギリス人女性に「よくやったわ。これで1つ減った。あと2つ、あと2つよ」と声をかけ続けた。
ナンバー4はガイドのいう通り、ナンバー4は易しい場所があって全く問題を感じなかった。しかし、後からビデオで確認してみると思いっきりに波の中に埋もれていてしかも逆走して抜けている。記憶というのはあやふやなもので、しかもこの時にもう一人助っ人の漕ぎ手が入っていることすら全く記憶にない。
ナンバー4は横向きに波に入っていく |
オールを引いて全員伏せの体制に入る |
沈む、波の中に沈む |
両脇は波に囲まれているが全く覚えていない。 |
波から上がってきた時は逆走。 |
逆向きのまま岩壁すれすれに走る。 |
こうして4つの波を終えると、私達のボートは岸に近づいて行った。
イギリス人カップルに対しては救急車を呼んできてある。他のメンバーはこのまま続行する気があるのかどうかを問われた。私達カップル、そしてイナ、もう一人白人の40代の男性。白人の男性は「今日はもう楽しめない。こんな状況になってしまったらボートを降りるしかないだろう」と蒼白の面持ちのまま答え、夫は「いや、せっかくだからこのまま行こう」と答えた。イナと私は相談した。こんな状態で進んでも、この先ナンバー7という難関が待っている。パニックを思い出してナンバー7を乗り越えることができないのではないだろうか、というのが私とイナの共通の意見だった。
しかし、確かにここで断念するのはもったいない。
23の波のうち午前中の1、4、7が厳しい波だと聞いている。それならば、みんなが昼食を摂る場所から合流して後半を楽しむことはできないだろうか。ガイドに聞いてみると、ガイドは早速、本部と連絡を取り、ここで一旦中止して午後から再参加できると決断を下してくれた。白人男性も、話の成り行きを見守って、そういう形なら自分も参加したいと言い、結局4人は午後から参加することになった。
ボートを降りてみると、そこは発電所だった。階段を上がって岩の中にできた秘密基地のような建物に入ると、発電の装置が並んでいる光景。こんなことでもなければ絶対に目にすることができない社会科見学だった。発電所のつき当たりにエレベーターがあり、そこから上に上がると救急車が待機していた。イギリス人カップルは医者の諮問を受けて、大分落ち着いた雰囲気を取り戻していたが、用心のために病院に行くことになった。先の説明で「救急車を出す費用は会社が持つが、病院で医療に関わる部分は皆さんの自己負担となります。保険請求の手配などについてはお手伝いします。」という説明を受けていた私達は、「あなたたちも病院でチェックしますか?」という質問に即座に首を横に降った。
救急車が走り去って、私達をピックアップする車が来るまでの間、イナは冗談交じりにガイドに向かって「こんな大変な思いをした後だからビールを出してよ」と言った。ガイドは「いやいや、まだビールを飲むには時間が早いだろう」と笑いながら言い返してきたのだが、イナは今度は真面目な顔をして、「私だって震えが止まらなかったのよ。怖くて、怖くて。でも彼女を励まさなきゃいけないから、私が怖がっていたら駄目だと思っていたの。ああ、怖かったわ。本当は気付けにウィスキーかブランデーでも持ってきてほしいのよ」と言った。気丈にイギリス人女性を励ましていたイナだが、彼女が感じた恐怖心をガイドは本当に心から受け止めてくれただろうか。
やがて到着した車に乗って、私達は午後からのポイントに向かった。午後からのポイントは、山の急斜面に70cmくらいの木の枝を梯子状に並べた坂道を降りていく。この急斜面を降りていくのがなかなかきつかった。午前の部で終わりにした人は、逆にこの急斜面をよじ登るように上がって来なければならないから大変だろう。
川岸に着くと、他のメンバーはお昼ご飯として配られたサンドイッチを食べている所だった。私達もサンドイッチをもらおうとすると、いつもは食欲旺盛な夫が食べられないと言うではないか。これは一大事だ。彼が食事を摂らないなんて!さっき水を飲みすぎたのに完全に吐ききっていないのが原因なのか、その状態で急斜面を降りるという運動をしたせいか、高くなった太陽の光が強すぎるのか。ムカムカとして食欲がないと言う。顔色も悪い。
さっき一人で続行すると息巻いていた元気はどこへやら。石の影の涼しい場所でぐったりと寝転んだ。
午後1時に午後の部が開始。私達のグループは夫と私、イナ、白人男性と3つに分解されて別のグループに混ぜてもらうことになった。今度のガイドは夫の顔を見るなり「大丈夫か?」と心配してくれて、午前中のアクシデントの事も聞いているらしく、7人グループのボートの先頭に夫を据えて「何もしないでつかまっているだけでいいから」と言ってくれた。
午前中の1、4、7の波はグレード5だが、午後からはグレード4がマックス。とはいえ、大きな波になると目の前に立ち上がって全視界が川に飲み込まれた中に突っ込んでいくような印象があり、思わず腰が引けてしまう。
「ほらAKIKO、もっと漕いで!」って言われたってですねぇ、午前中がトラウマになって波が深くなると体がひけちゃうんですよ。
それでもやっぱり午後は楽しかった。最後は緩やかな流れを景観を楽しみながらクルーズを楽しむようになっていて、設置されたカメラにも余裕でポーズ。
いやー、午前中は本当に恐ろしかったが、勇気を出して午後から再参加してよかった。イギリス人のカップルは本当にかわいそうだった。彼らも午後から参加できるくらいのダメージだったら、ラフティングの面白さも味わえただろうに。
ボートから上がると、知らないうちに腕や腰にかなり力を込めていたことを感じてどっと疲労感が押し寄せてきた。それでもオールを持って斜面を登って行かなければならないのが最後の辛い所。午後の部から参加する時に下ってきたのよりは若干階段の部分もあって楽だったろうか。疲労困憊して中腹まで上ったら、後は登山電車のような乗り物があってそれで上げてくれた。
迎えのバスの中ではビール、ジュースなどが飲み放題。緊張が解けたこともありビールがバスの中をどんどん行き交う。この後、ホテルでビデオを見ながら夕食となるのだが、夕食の時にはビールは有料になってしまうので、このバスでしこたま飲むというのがお得コースらしい。
出発地点に戻ってきたのは夕方6時近かった。宿で経験者に話を聞いた時は、宿に戻ってきたのが午後6時前だったというから、やはり私達のアクシデントのせいで時間が押してしまったようだ。最初に説明を受けた建物の片隅にビュッフェ形式で夕食が用意されていて、食べながらビデオ鑑賞会だ。
これは同時にビデオDVDの販促でもある。DVDは午前の部だけ収録されていて一本ZMK150000(=US$35.7、2007年8月20日の換算レートUS$1=ZMK4202を使用)、写真集は午後の部だけ収録されていて一本ZMK120000(=US$28.56)。写真は全部セットで購入する必要があって、1枚だけ欲しいという若者参加者をはねのける高飛車な販売方法だった。私達はDVDの全10波のうち4までしか参加していないが、やはり欲しくて両方買ってしまった。
10の波の中で1つだけナンバー9だけはグレード6である。ここでは参加者はボートを降りて陸を歩いて移動し、ボートにはガイドだけが乗って先に進むことになっている。
ビデオでそのすさまじさも収録されていたので見たが、これも凄い迫力だ。ボートが90度になっても重心を移動して何とか転覆を免れるガイドの姿はかなりかっこいい。
それにしても、今日の転覆は本当に恐怖だった。ザンベジ川のラフティングはアメリカのコロラド川に続いて世界2位の難易度という話も聞いた(その後、ウガンダのホワイトナイルのラフティングを体験した人の話では、ザンベジの1、4、7級ばかりで恐怖だったというから、この難易度もあてにはならないが)。あまり水に馴染みのない人は午後の部だけを行うと楽しめるだろう。
この後、二人とも激しく筋肉痛の数日間を過ごし、夫は耳があまり聞こえない症状に1週間ほど悩まされたが、病院に行くこともなく治ったようだ。また、美しくもないザンベジ川の水を大量に飲んでしまったことで、住血吸虫症(Bilharziasis、淡水湖などに住む寄生虫で皮膚を通して感染)が心配されたのだが、後でザンビアの首都ルサカの宿でオーストラリア人のお医者さんに出会って相談した所、「ザンベジ川の急流のように流れの速い所だったら大丈夫ですよ」という説明だったので安心。潜伏期間が4〜6週間ということで、とりあえずこれを記述しているのが11月だから大丈夫だったみたいだ。
ラフティングって激しいスポーツだったんですねぇ。
|
|
|
|