夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
ベリーズ
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ブラジル
ヨーロッパ
スペイン
フランス
イギリス
オーストリア
ハンガリー
ブルガリア
中近東
トルコ
シリア
ヨルダン
北・東アフリカ
エジプト
ケニア
インド洋
モーリシャス
北・東アフリカ
マダガスカル
タンザニア
南アフリカ
マラウィ
モザンビーク
スワジランド
南アフリカ
レソト
ナミビア
ボツワナ
ザンビア
アジア
インド
ネパール
タイ
オセアニア
オーストラリア
 
2007.11.19
2度目のバラナシの風景

インド:バラナシ

 ネパールに1ヶ月ぶりにバラナシに戻ってきた。前回は霞のように曇って湿度も高かったのに、11月後半のバラナシは曇ってはいるものの湿度が低くてとても過ごしやすくなっていた。

 これから10日間かけてバラナシ→アーグラー→カジュラーホー→(サトナー経由)→バラナシという周遊旅行をした後にバラナシからコルカタに移動しようと考えていた私たちは、宿の情報ノートで行きかたをだいたい決めると、さっそく列車チケットの手配にとりかかったのだった。

 チケットの手配先は旅先で知り合った日本人旅行者が使ったという旅行代理店。自分で駅まででかけてチケットを買ってもよかったが、駅までのリクシャーの往復代金がRs50(=US$1.27、2007年11月19日の換算レートUS$1=Rs39.34を使用)に対して、この代理店ではチケット1枚につき手数料Rs50という料金体系にしている。私たちは、バラナシからアーグラーとこの旅から戻ってきてから使うバラナシからコルカタの2枚のチケットの手配を依頼したかったので手数料は2人で2枚ずつなので合計Rs200(=US$5.08)。駅まで行く時間と労力をこの金額で削減したと思えば、まぁまぁ見合うと思われた。

 ちなみにインドの列車はインターネット上でも購入することができる。私たちも名前などを登録して会員になってみたものの、インドの列車の座席の区別がよくわからなくて自分で判断できなかった。1等、2等などの等級と、エアコン付きとなしと、寝台か椅子かと、座席指定か自由席かというのが組み合わせでいろいろあって悩ましいのだ。

 代理店の名前はIndica Tourist。ベンガリ・トラ通りの食堂モナリザの斜め手前にあると聞いた。

 知り合いの旅行者が絶賛するように、無駄な話や売り込みは一切なく、無愛想かと思えるほど冷静な態度でこちらの要求を聞きだして商売してくれる店だった。

 コンピュータの端末で空き席状況を調べて、即座に回答を出してくれるのもいい。

 たくさんある座席の種類の中から、外国人旅行者に向いている順に紹介してくれるのも悩ましくなくてよかった。

 手数料がチケット1枚につきRs50と決まっているので、高い座席を売ったところでこの代理店の得にはならないとわかっているから、「2等席が満席で1等ならあるけれどどうするか?」という話も全て信用できるのだった。

 ということで話はとてもスムーズに進んで、チケット代金の一部を支払って、夜9時以降あるいは翌日にチケットと引き換えに残金を支払うことが決まり、店を出るまでに15分とかからなかった。私たちの後にはすでに2組の客が待っていた。

 この代理店があるベンガリ・トラという通り沿いには外国人観光客相手の宿、食堂、土産物屋が2mにも満たない道をはさんでぎっしりと並んでいる。1ヶ月前に初めてベンガリ・トラを訪れた時は、これぞまさしくバラナシという気がしたものだった。

 細い路地にひしめくように小さな商店が並び、店で焚かれたお香から上がる煙と甘い香り、店の前の茶屋でくつろいでいる国籍不明、年齢不明の外国人旅行者たち。時折、道いっぱいを埋め尽くして野良牛が通り、その生き神様の落し物がぼったりと落ちている。そうかと思うと野良犬も日向を求めて、あるいは日陰を求めてたくさんいる。目にも耳にも喧騒すぎて、逆に静寂に思えると芭蕉の句を借りて思うのだった。

 でも2回目ともなると、通っている食堂のおじさんとも顔見知りになり、曲がり角の商店のおばあちゃんも一度水を買ったら顔を覚えて目が合うとニッコリ。全体としてしか見えていなかったベンガル・トラに少しずつ火を灯すように見知った顔ができてくる。ああ、こうして旅行者はベンガルに沈んでいくのかもしれないと、ちょっとわかる気もしてきたのだった。

 前回来た時からインド音楽のCDとインド映画のDVDを買おうと思っていた。ベンガル・トラ通りに数多くあるCD屋をのぞいて見て回ったのだが今一つ何がよいのかよくわからない。そんな中で一軒、音楽に対して熱心な思いを持っている店に出会った。

 今までの店は売ることに熱心だったのだが、この人は音楽に熱心だということが伝わってくる。自分のセンスで選んだ数曲を聞かせてくれて、私たちの好みを引き出し、これはというCDを選んでみてくれて結局3枚を購入したのだった。買ってから聞いたのだが、彼自身もインド伝統の太鼓であるタブラーを演奏するそうで、アマチュアながらかなり真剣に練習しているし、お兄さんはプロの奏者だということがわかった。こういうCD屋さんはいい。

 さて、車が入れないベンガル・トラ通りからダーシャシュワメード・ロードというメインガート(沐浴場)につながる道に出てみると、一応車両は入ってはいけない歩行者天国らしいのだが、こっそりと入ってきたリクシャーが走り、自転車の荷台に荷物を乗せた人、地面に野菜を並べて売る人から始まり、洋服店で布を品定めするサリーのご婦人たちが見える場所にくると、リクシャー乗りが客引きを始めてくる地点になる。

 電線を小猿が伝ってバチバチと感電して驚く姿は1度ならずと見た。これが停電の原因なのだろうか?

 人垣ができている所に首を突っ込んでみると、違法で露店を開いている人が警察の強制立ち退きにあって抗議している所だった。周囲は違法露店ばかりなのに、どうして家だけ立ち退きなのかと言っているのかもしれない。しかし権力には勝てずにとうとう荷物を片付け始めるという結果になっていた。

 この賑やかなダーシャシュワメード・ロードからゴードリヤー交差点に向かう途中の右手に、ヴィシュワナート寺院に向かう小道への入り口がある。立派な門が目印だ。

 この小道はバラナシの特産であるシルクの布地屋が多く集まっていることでも有名らしく、小道から一段あがった座敷に靴を脱いであがって、きらびやかな布地を広げて店の主人と布選びをしているサリーの女性の姿が見られる。

 結婚式の衣装の布地を買いに遠くからやってくる人もいるそうだ。日本の江戸時代の呉服屋もこういうのだったのかなぁというような、そういう感じがした。

 寺院への道は再びベンガル・トラ通りのように車の入れない狭い通りに土産物屋がひしめいている。寺院の前にはなぜかいかめしい警官が5人くらいも座っていて、入ろうとするとカメラなどの入ったカバンは持ち込めないのでどこかに預けて戻るようにと指示するのだった。

 で、振り返ると店の片隅におそらく日本の中古品と思われるコインロッカーを備えた店が並んでいる。用意周到だ。むむむむむ。何か全てはめられているような気分がして、寺院に入るのは却下。

 それよりも、ダーシャシュワメード・ロードから寺院までの道のりの真ん中あたりに看板の出ているメグカフェMEGU CAFEの存在が気になった。確か日本人の奥さんとインド人の旦那さんが経営しているレストランだ。他のレストランの日本語情報ノートにおいしいと(他のレストランのノートにですよ!)書かれていたのだ。

 MEGU CAFEは寺院に続く小道の途中で、見上げると看板のある場所の右手の階段を4段くらいあがった小道沿いにある。調理師だったか栄養士だったかの免許をもっている奥さんが作る和食は、馴染みのある本当の和食で、ベンガル・トラ通りの食堂で出している、ちょっと日本人旅行者から聞きかじって想像で作った和食とは違ってちゃんとおいしい。私たちは、後に体調を崩してからはここに通いつめることになるのだった。

 お昼ご飯を食べてからは再びベンガル・トラ通りを散策。今度は通りのずーっと奥の方まで行ってみた。途中、ガンガー(ガンジス川)に出られる場所がある。

 メインガードの喧騒もなく、ここでは牛が沐浴というか水に浸かっていた。これ、みんな野良牛なのだろうか。

 ベンガル・トラ通りの奥の方には日本人宿として世界屈指といわれている「久美子の家」もある。

 ネパールで知り合った男性を訪ねて行ってみると、ベンガル・トラ通りから近い方に2号館があって、こちらは新しい感じ。この家の右手の小道のつき当たりに1号館があった。

 インド人のおじいちゃんがニコニコと出てきてくれて、日本人の知り合いを訪ねてきたのですがと告げると、その彼がたまたまロビーにいて顔を出してくれた。「あがって中を見ていきます?」と誘ってくれたのだが、その場にいた久美子さんの許可が得られなくて玄関口で挨拶だけして帰ってきたのだった。久美子さんはサリーをまとってすっかりインド婦人に見えた。ちゃんと宿泊している人には頼りになるインドの母として慕われているようだ。私は興味本位の一元さんでさえない人間なので、断られても仕方あるまい。

 夜はベンガル・トラから脇道に入った所にある「しゃん亭」という和食レストランに行った。

 ここも奥さんが日本人で旦那さんがインド人。メグカフェと違うのは旦那さんが京都にいたことがあって料理を担当しているという点だった。

 こんなに小さな区域で、日本人妻が3人もいる。そして、私たちが滞在している宿フレンズ・ゲストハウスにも日本人の妻がやってくる。

 2度目のバラナシは、だんだんとこの町に住む人の顔が見えてきて、最初の時よりもずっと人間味を帯びた町に思えたのだった。


このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved