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2007.11.30 Vol.1
バラナシ3度目にしてガンガーに乗り出す
インド:バラナシ |
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アフリカからバラナシに入り、ポカラでトレッキングしてバラナシに戻り、アーグラーとカジュラーホーを巡って三度バラナシに戻ってきた。今回の旅でのバラナシ訪問はこれでお終い。
ということで、3度目の訪問で出会った小池さん(ラーメン好きなのでそういうニックネームだそうです)夫妻と共に朝のガンガークルーズに出ることにしたのだった。
「ガンジス川を船で対岸に行く」というのはここでのポピュラーな観光メニューらしい。大手の観光会社の団体ツアー客から私たちのような個人旅行者までバラナシを訪れたら一度はガンジス川に船で繰り出すみたいだ。夜行列車続きの小旅行で風邪を引いて体調は絶不調だったが、ここは一つ頑張ってやっておこうと気力を振り絞って参加することにしたのだった。
宿のフレンズゲストハウスのお父さんにお願いすると、知り合いの船頭さんに話をつけてくれて朝6時半に宿に向かえにきてくれることになっている。値段は船一艘で1時間Rs100(=US$2.52、US$1=Rs39.71)、出発地点のメインガードを出て火葬場を見て、対岸に行って、火葬場と反対方向に行ってというのをやると1時間半くらいかかるのでRs150(=US$3.78)予算で行くことにした。昨日、メインガードをふらついて値段調査をしたのだが、こういう明瞭会計ではなくてとにかくRs200だとかRs400だとか言ってくる船頭さんが多い。お父さん経由は明瞭会計だし、お父さんという代理人をかましているので問題があってもお父さんに相談できるのでいい。
朝6時半に玄関に下りて行くと、すでに船頭さんが待っていた。基本的な英単語しか話せないが問題はないだろう。最初にお父さんも交えて値段の確認だけ行って、昨日の話通りだったので早速出発することにした。
出発するのはメインガートやその右隣にあるガードではなく、もう一つ右隣のやや閑散とした場所。メインガートやその右隣は観光客目当てに客引きする他の船頭さんがたくさんいるので、お父さんが客を流しているのを知ったら問題が起こるのかもしれないなぁ。
インドの朝は早い。まだ6時半頃というのに、メインガートからはシャンシャンと鐘のような物を打ち鳴らす音が聞こえて、閑散としているとはいえ、このガートでも沐浴を行っている人が10人くらいいた。
私たちの船は4人も客が乗るとほぼいっぱいになるような小船で、エンジンなんてもちろんついていない。船頭さんの人力で動く船だった。ガンジス川に漕ぎ出でてみると、近くではチャポーン、チャポーンと櫂を水に入れる音しかしない。何もかもが霧の中におぼろげに見え、シャンシャンとメインガードの鐘の音も霧をはさんでおぼろになって聞こえる。
メインガードを過ぎてから船は川の中州方向へと入って行くので岸の景色がどんどんと霧に隠れて行き、周囲に多く見えていた他の船も大半は霧の中に包まれ、やがて私たちは真っ白な霧の中のガンガーを進むことになった。
右手には中洲があるのだが、その岸さえもおぼろげで見えない中で日の出を迎える。水に赤く映る太陽の道が途中で途切れているから、そこから先が中州の大地になっているのだと知れるが、全てが曖昧とした色合いの中に溶け込んでいる。
バラナシに対して誇大な妄想を抱いていない私でさえも、この川に投げ込まれた骨の魂を感じてしまうような、そんな風景だった。
船はやがて再度左側の岸に寄って、色のある世界が戻ってきた。
それにしても脈々と続くガートでは、あちらでもこちらでも沐浴の嵐だった。あるガートでは遠くから親類縁者グループで来ているらしいインド人が沐浴を始めようとしている所だった。お父さんがちょっと足先を水につけて、お母さんに「こりゃ、随分冷たいぞ!」と言ったようで、お母さんも恐る恐る足先をつけている風景は、「厳粛で神聖な沐浴」というよりも海水浴に来た家族のようで、家族旅行の楽しいイベントの一場面に他ならなかった。
もう少し先にはヒンドゥー教のお寺が陥没しているような場所もあった。「猿の惑星」という映画、あの最後の場面で砂漠の中に半ば埋もれている自由の女神の像が出てくるのだが、なぜかそれを思い出してしまった。
この先に火葬場のガートがある。ここは撮影禁止なので写真はない。ヒンドゥー教徒が亡くなると、ここに遺体を運んで野焼きして骨をガンガーに投げ入れると言われている。生々しい焼き場を目撃することはなかったが、階段状になったあちこちには黒い野焼きの跡の小山が白い煙をくすぶらせているのは見えた。船頭さんが船を下りて見物したいかと聞いてくれたが、この火葬場には見物する観光客に「遺族を焼くための薪代をくれ」といってくる輩が大勢いる。体調の悪い時にそういう人を相手にする気力がなかったので、岸に下りるのはお断りした。
船から見ていたら黒い小山に近づいていく男あり。小山から何やら拾い上げて川にポーンと放るではないか。それは確かに人間の骨盤の部分に思えたのだがどうだっただろうか。
火葬場の見学を終えて、船は元来た方向に引き返すことにした。今度は左手になる中洲に寄っていく。
中洲に上陸して対岸を振り返ると、霧で川の水が足元くらいしか見えない。向こうには人々が暮らすバラナシの町が見えているのだが、そこに向かう道が霧に閉ざされてしまっているのだ。
彼岸・・・
彼岸に来てしまった気分だった。三途の河を渡ってきたら現世はこんな風に見えるのだろうか。この風景がガンガークルーズの中では一番印象に残った。
中洲は岸からぐっと盛り上がった砂場で、上がってみるとかなり広い。遥か彼方の方を誰かが散策しているみたいで小さく人影が見えていた。中洲を少し歩いてから、私たちは現世に戻ることにした。
夜が明けて明るくなったメインガードにはますます観光の船が多く出ていて、大きな船で専属のガイドさんが付いているようなグループには物売りが群がって土産物を売ろうとしていた。
私たちの船は見向きもされない。こんな船に乗っている客が何も買わないことを彼らは知っているのだ。この時だけではないが、インド人は無駄な商売活動はしない人たちだなぁと感じる。
メインガードを通り過ぎてもっと先に行くと、様々な色合いの建物が川沿いにびっしりと立ち並んでいる風景を楽しめる。相変わらず沐浴している人の姿も多く、拝みながら沐浴している人もいるが、シャンプーや石鹸を持ってきて本気でお風呂に入っている人もいて、沐浴ってのはインド人にとって何ぞや?と思わせる場面も見えて楽しかった。
こうして8時頃に出発地点に戻ってきてクルーズ終了。1時間半なのでRs150なのだが、船頭さんの手漕ぎの労働に経緯を評してRs160を支払った。微妙な笑顔だったが文句は言われなかった。
クルーズを終えて宿に戻ろうとすると町はすっかり朝の風景になっていた。
霧もすっかり晴れて、路上で売られている野菜の緑がまぶしいばかり。さっきの幽玄な体験が吹き飛ぶ喧騒の町バラナシになっていた。
朝食を摂るために歩いていると、路上で炊き出しをやっている。大きな釜でカレー味の雑炊を作っている前に男達が座り込んでいた。男達の前にはバナナの葉の皿が敷かれていて、できあがった雑炊が大きなヒシャクで皿にバーン、バーンと落とされていくと、男達は手で一心不乱に雑炊を食べ始めたのだった。
色々な国で最下層の人々に対して施しの炊き出しというのはあるが、テーブルも椅子もなしに路上に皿を敷いて与えるというのは初めて見た。バラナシは神様の牛がそこら中を徘徊して落し物を落としていくので、それが乾いて粉末化して空中に舞ってる町だ。食事をもらう身としては、これはなかなか辛いもらい方だ。
食事を終えて宿に戻る途中、昨日値段を尋ねた船頭が私たちを見つけて「どうして今朝は来なかったのだ」となじる。「いや、約束はしていない。値段を聞いただけだから」というと「今度船に乗る時は俺を使ってくれ、約束だぞ」と言ってきた。「それは約束できない」というと、怒って立ち去っていった。フレンドリーかどうかはさておき、人懐っこいというか人に介入してくる町だ。
体調は悪いが、今夜はバラナシ最後の夜。小池夫妻が面白そうなコンサートに誘ってくれているので、宿で休養して体調を整えるとしよう。
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