|
|
|
|
2007.11.21 Vol.1
インド観光ハイライト、タージ・マハル
インド:アーグラー |
|
アーグラーのフォート駅に夜行列車で到着して、オートリクシャーで宿に到着し、一息ついてタージ・マハルを見ながら朝食。
初めてのインドの列車、しかも2等クラスなので、どんな泥棒さんがやってくるか戦々恐々であまり眠れなかったので、ちょっと眠いなぁ。
しかし、フォート駅からタージ・マハルに来るまでにオートリクシャーで町中を流して見てきた印象としては、あまりこの町にぐずぐずしていても面白くなさそうだった。
他の旅行者からもそんな話を聞いていたので、フロント前のアーグラーの地図を見ながら、今日のうちにタージ・マハルとアーグラー城を見て、明日はファティープル・スィークリーという城跡を見に行って明後日にはアーグラーを出ようと、そんな風にパタパタと決めた。
決まってくると不思議な物で目が覚めてくる。
部屋にもどって簡単に準備して、宿から徒歩5分くらいのタージ・マハル東門に到着したのは朝10時6分のことだった。
タージ・マハルには西門と南門と東門の3つの入り口がある。各入り口にチケットブースがあるので基本的にどこからでも入れる。しかし、入り口では一人ずつの持ち物検査が行われるので、団体旅行者が多く利用する西門は時間帯によっていはとても混雑して入場するのに時間がかかるのだそうだ。朝の東門には10人程度の韓国人団体観光客が1組いるだけで、全く時間はかからなかった。正面ゆえに車が入れない南門も同じく空いていたという話を聞いたので、西門を避ければいいってことになる。
この持ち物検査については、事前にガイドブックで「ライター、予備電池、計算機の持ち込み不可。見つかった場合は預けることになるが、預け荷物に直接油性の白いマジックで番号を書かれる」というドッキリ情報が書かれていて、かなり面白そうだった。なぜ計算機がだめなんだろうか?どうして直接油性マジックで書いちゃうんだろうか。インドはやっぱり侮れない。私たちは万が一何かを預ける場合に備えて色つきのビニール袋を一つ持っていくことにした。
チケットは、入場料がRs250プラスADAというインド考古学局に対して支払う金額がRs500で合計一人Rs750(=US$19.06、2007年11月19日の換算レートUR$1=Rs39.34を使用)と、物価の安いインドにしてはバカに高い値段が設定されている。タージ・マハルといえば、インドで一番といってもいいくらい知名度の高い観光名所なので、考古学局の意気込みが感じられるところなのだ。
このADAはタージ・マハル以外の名所でも支払うことになっているが、この後訪れたアーグラー城や翌日訪ねたファティープル・スィークリーはそれぞれRs50と10分の1である。しかも、タージ・マハルでRs500のADAを支払えば、同じ日ならば他の場所のADAが不要ということになっているので、ADAを少しでも削減したいならば1日にできるだけ名所を回ろうという気になってくるだろう。
チケットを購入して持ち物検査の列に並ぶと、私たちは韓国人団体観光客の一部と思われたようで、あまり厳しい検査もなく「かばんの中に違反の物は入っていませんか?」「入っていません」という質疑応答で終了して中に入れてしまった。持ってきた色つきのビニール袋は使わずじまい。
こうしてタージ・マハルの敷地内に入ると、私たちが来た方向からは右手、つまり南門に相対する場所にドーンと大きな門がある。
この門は赤い砂岩でできていて両脇の塔の上に乗っかっているUFOみたいな装飾がちょっと変わっているのだが、この装飾はアーグラー城にも使われていて、皇帝のお気に入りのモチーフだったのだろうかと思わせた。
門はとても厚みがあるので、門の中に入ると外の光がさえぎられて一瞬真っ暗に思われる。
で、向こう側の出口がくっきりと宮殿の形に黒く縁取られて見えて、中には額縁に納まったかのようにタージ・マハルが見える。
この演出効果もなかなか興味深い。
門をくぐると今まで教科書や旅行代理店のパンフレットや、それこそ何度もどこかで目にしてきたタージ・マハルが前庭の向こうに見えるのだった。
青い空をバックに純白に光るシンメトリーのタージ・マハルはその前にもきっちりと刈り込まれたこれまたシンメトリーの西洋庭園風の前庭があり、何から何まできっちりとして見える。
今までインドに入って目にしてきた町、道、人、食べ物、空気。全てが雑然として、混沌として、うなりのような喧騒の中にあって、ここだけはまるっきり違う世界になっていた。これがタージ・マハルの驚きなのかもしれない。美しい部分だけを映像として切り取ったポスターや写真では決して感じられない、その前奏曲としての町の混沌を感じてここに入るからこそ、タージ・マハルはより人々に感銘を与えるのだろう。インドの町が整然とヨーロッパのように美しかったらこの半分も驚かなかっただろうなぁ。
タージ・マハルはムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンが先に逝ってしまった妃ムムターズ・マハルのために建てたお墓なんだそうだ。
真正面の噴水をはさんで両脇に走る遊歩道からまっすぐにタージ・マハルに続く道を歩いて建物に近づくことができる。
噴水の通路はタージ・マハルまでの途中で一旦切れて、一段高い大理石のステージがある。ステージの裏手には水も美しい池があり、ここが格好の写真スポットになっていて大勢の人々が集まっていた。みんな正面から撮りたいものだから、もう順番待ちというか、一人が終わったら「はい、次は私の番ね」ってな具合で次々に人が入れ替わって撮影している様子が面白い。ここには、プロの写真屋さんも出ていて、様々なポーズを取らせてポラロイド写真を撮影する商売を行っていた。今時の外国人観光客はデジカメを持っているので、こういうサービスは誰も使わないと思うのだが、インド人の間では人気があるようで、タージ・マハルを囲んで腕を上げたり、足をあげたり、素直に写真屋さんの言われるままポーズを取って撮影している。
そういえば、エジプトのピラミッドでも同じようなことをしている人がいた。しかし、エジプトの場合は、近所のエジプト人がフラッと散歩にやってきた風をよそおい、観光客に「写真を撮ってあげましょうか?」と観光客のカメラで撮影する。ピラミッドを手に乗せているようなポーズとか、2人でピラミッドを囲んで手でピラミッドを作らせてみたり、さんざん撮影した後に「はい、5ドルね」と後から正体をあらわすので、悪だった。私たちはずーーーっとその様子を観察していたのだが、素直に払う人はあまりいなくて、皆だまされたという後悔と怒りを感じながら5ドルを支払っているようだった。それから比べると、インド人の方がまともな商売をしていると思われた。因みに、そのエジプト人は観察しまくっている私たちには当然言い寄ってこなかった。言い寄ってくれば面白いのにね。
まぁ、ここから見るタージ・マハルが全体像としては一番美しく見えた。
更に更に近寄っていくと、とうとうタージ・マハルの建物の足元までやってくる。階段を上がって建物の目の前に行くのだが、ここから先は土足禁止である。階段の下には靴の預かり場所があり、男達が手招きして「はい、こっちに靴を預けて、預けて」と言っている。男達の足元には靴が乱雑に山積みされていて、正しい人に正しい靴を返しているのかとか、観光客目当てにはいくらという金額をふっかけてくるのだろうかと疑問で頭がいっぱいになった。その時、色つきのビニール袋の存在を思い出し、手招きするインド人おやじに手振り身振りで「ビニール袋に自分の靴を入れて歩くから」というと、おやじは思いっきり「けっ!」という顔をして顔をそむけた。やっぱり危なかったに違いない。
階段をあがってみると、団体観光で来ている人は靴に不織布のカバーをつけて歩いている。後で聞いた話では団体観光客の多い東門ではこのカバーを無料で配っているそうだ。西門では配っておらず、韓国人団体客は添乗員からこのカバーを受け取っていた。
階段から上は全部大理石の世界。何と贅沢な建物だろうか。
遠くから見ていた時は白一色に見えるが、建物自体に凹凸があって変化に富んでいるし、平らな壁になっている部分も色違いの大理石を模様にして埋め込んでいたり、草木や花を刻んだ大理石の彫刻で飾り立てられていて、遠くから見た静寂の姿とは違って賑やかというか華やかな感じがする。
大理石を切り込んではめ込んで模様にする技術ってのはどこから来ているのかわからないが、皇帝の在位が17世紀だったことを考えると、ヨーロッパの影響も受けていたのだろうか。私が今まで見た中で見事だと思っているのは、イタリアのフィレンツェにあるメディチ家の礼拝堂の床のはめ込み細工だが、その精巧さには及んでいないものの、使っている大理石の色が変化に富んで色鮮やかなのにはかなり心が躍った。
また、壁の一部を内側に掘り込んだようにする装飾は中東の建築物でよく見かけたのでそちらの影響を受けているのかもしれない。
そう考えると、異なる文化の技術を駆使している建物だということになる。
そういう意味でも贅沢、贅沢。贅沢な建物だった。
この建物は中にも入れるが、中は中央に棺のような物が配されて装飾された鉄格子で取り囲まれたものがあるだけで、薄暗いしさして面白くない。タージ・マハルは「外側」勝負の建物であるようだ。
建物を一周してみる。高くなってきた日差しの中ではだしにひんやりと大理石が心地いい。ほぼ一周してきた正面の入り口右側のミナレット(塔)の影で座って休憩することにした。タージ・マハルの敷地内には博物館もあるが、行った人の話ではあまりたいした展示物はないので入らなくてもよかったかもという感想だった。結局、入場料金は高いのだが、見るべきものはこの建物一つというのがタージ・マハルである。同じ宿にいた白人の若い男性バックパッカーなどは朝から入って夕日を見るまでここにずーっといたのだそうだ。
タージ・マハルはインド人観光客もとても多く、真っ白な大理石の世界の中を色とりどりのサリーが行き交うのもとても美しいと思った。
今まで滞在していたバラナシでは、宿の周辺は生鮮市場もあるような庶民の生活が見られる場所で、そこで女性達が着ているサリーは普段着で洗いざらしで埃にまみれてすすけた風だったが、ここで見るサリーはパリッと高級な布で折り目もきっちりとついていて、実に美しい。
まぁ、バラナシで目にしていた人々は貧しく、ここに旅行できる人々は生活レベルが高いという理由もあるだろう。とにかく、ここに来てサリーの美しさを再認識したのだった。
午前10時から入って12時少し前に堪能してタージ・マハル見学終了。昼食を食べて午後からアーグラー城に向かうことにした。
|
|
|
|