夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
目次Today's imagesTravel sketch食の楽しみPeopleAccommo旅行費用
Excursion移動の記録旅先で住むとしたら更新履歴日誌問合せAbout usENGLISH
北米
アメリカ合衆国
メキシコ
中米
ベリーズ
グアテマラ
コスタリカ
南米
ペルー
ボリビア
アルゼンチン
チリ
ブラジル
ヨーロッパ
スペイン
フランス
イギリス
オーストリア
ハンガリー
ブルガリア
中近東
トルコ
シリア
ヨルダン
北・東アフリカ
エジプト
ケニア
インド洋
モーリシャス
北・東アフリカ
マダガスカル
タンザニア
南アフリカ
マラウィ
モザンビーク
スワジランド
南アフリカ
レソト
ナミビア
ボツワナ
ザンビア
アジア
インド
ネパール
タイ
オセアニア
オーストラリア
 
2007.11.21 Vol.2
アーグラー城見学

インド:アーグラー

 午前中2時間ほどタージ・マハルを見学した後で昼食を摂ると、急に睡魔が襲ってきた。夜行列車で到着してすぐ観光なんて、普通はやらないものだから、疲れと満腹で眠くなってしまったのだ。

 そうきたら寝る。

 タージ・マハルから徒歩5分くらいの宿なので、部屋に戻って1時間くらい眠ってすっきりしてからアーグラー城の見学にでかけることにした。

 タージ・マハルからアーグラー城までは2.5kmくらいある。あまり体力も使いたくなかったので、オートリクシャーに乗っていくことにした。オートリクシャーにはタクシーメーターなんてもちろんない。おやじと交渉してRs50(=US$1.27、2007年11月19日の換算レートUS$1=Rs39.34を使用)で行くことになった。アーグラー城までは10分ちょっとで到着。運転手のおやじは「帰りも同じ値段でどうだい?」と言ってくる。でも1時間くらい見るだろうから、その間に「無料で」待っててもらうのは悪いしと言うと、1時間くらいなら「無料で」待っていてあげようという話になり、更に料金は宿に送った時に往復代金を支払えば言いと言い出す。

 非常に親切な申し出だが、ここは泣く子も黙る世界的有名な観光地アーグラー。ここのインド人はデリーのインド人同様、決して気を抜いてはいけないというのが、これまでインドで出会った旅人からの助言だった。そこで、今まで乗って来た片道運賃Rs50を支払って、私の手帳の今日の日付の所に支払った金額を書いて、運転手のおやじにサインしてもらうことにした。これで、帰りの運賃をRs50以上で言う事もできないし、待ち時間を含めてもう少し料金を上乗せしてほしいという交渉もしづらいだろう。運転手のおやじは名前をアショーと言った。ついでにオートバイのナンバーも控えておいてくれと言われて、ナンバーも控えた。アショーとしては、1時間待って私たちがあらわれなかったら待ち損になる。彼もリスクを背負って商売しているので、そのあたりは必死だ。

 アショーが降ろしてくれた交差点の道路を渡って向かい側の橋を渡った先に砂岩の赤い壁の建物あり、それがアーグラー城だった。

 お壕にかかる橋を渡って城壁の内部に入った所にチケット販売所があり、その先にある門でチケットを見せて中に入る。タージ・マハルでADAを買っていたので、同じ日に入ったここではADAを追加で購入する必要がなかった。

 英語ではAgra Fort(アーグラー要塞)というように、アーグラー城は王様の宮殿もあって居住空間だったのだろうが、この物々しい赤壁に囲まれた様子がとても軍事的なイメージをもたらす場所で、午前中に見てきたタージ・マハルが夢の世界のような優美さをかもし出していたのとは対照的だった。アーグラー城はムガル帝国が始まったばかりにできた城で戦国時代の面影を残しているのに対して、それから70年くらい経過してムガル帝国の5代目の皇帝が妃のためにたてた墓は平安な時代を象徴しているのかもしれないと、ガイドブックのインドの歴史年表を見ながら思った。

 アーグラー城は夕方になるほど、赤い砂岩が夕日に映えて美しいと言われているためか、午後3時前というのにこれから城に入ろうという人で入り口はちょっとした行列になっていた。

 中に入って建物の間をしばらく歩くと緑の芝生を囲むように正面に赤い砂岩の建物、右手に白い建物があった。

 正面の建物の両脇には、今朝タージ・マハルの門で見たUFO型の飾り屋根がついている。ってことは、これがタージ・マハルを作った皇帝シャー・ジャハーンによって建てられたディーワーネ・アームDiwan-i Am(一般謁見の間)だろうか。

 右手に見えている建物とは全く素材が違うし、建築の様式も違うので異なる時代に建てられたような感じだった。

 右手の建物は、柱の並ぶ廊下だけでできているような建物で、廊下の端に立って見渡すと幾何学的な様子がとても美しい。その無機質な中にカラフルなサリーがここでも映える。



 この廊下だけの建物を抜けて向こう側に行くと、またもや美しい芝生が広がって四角形に取り囲むように建物が建っている。インドなんだけど、スペインの城に来たような雰囲気の場所だった。


 芝生を取り囲む建物の中で、正面が城の城壁でもあり左右にずーっとつながっている。外は下に深く掘り込まれていて、ヤムナー河が眼下に広がり、その遠く向こうにタージ・マハルが見える。

 タージ・マハルを建立したシャー・ジャハーン皇帝は晩年に息子に幽閉される。上の写真の右側にシャー・ジャハーンが幽閉されていた部屋があり、皇帝はそこから妃の眠るタージ・マハルを眺めながら余生をすごしたのだそうだ。優美で優雅に見えるタージ・マハルではあるが、それが建立された皇帝の時代が決して平穏無事だったわけではないというエピソードだ。

 中廊下を伝って向こう側に行くと、幽閉されていた塔から見えるタージ・マハルが美しかった。

 この中廊下の辺りにある建物は石を透かし彫りにしている装飾が多く見られてそれがお見事。

 子供連れで観光に来ていたインド人の若いお母さんも自分のストールを広げて王妃の気分で透かし彫りの撮影を行っていた。なかなか素敵な写真だったので、私も横から撮影させてもらったら、大喜びではしゃいでいるのが可愛らしかった。

 ここに観光に来ているインド人はバラナシの宿周辺で見る人とは違って、豊かに生活を楽しんでいるんだなぁと再びバラナシの路上で苦味つぶしたような顔で野菜を売っているおばちゃんの顔が思い出されたのだった。



 建物から建物が廊下で脈々と続く中を歩いていると、自分が一体どの場所にいるのかよくわからなくなってくる。

 再び赤い砂岩でできた建物が取り囲む中庭に出て、その柱と柱の間の下に立って見上げると、壁が幾重にも重なったように装飾が施されていて、とても手が込んでいるという感想を持つと同時に、バラナシやアーグラーでひっきりなしに声をかけてくる客引きのインド人を思い出させた。

 この暑苦しさが似ている・・・。

 建築の様式と国民性は絶対に関係があると確信した一瞬だった。

 こうしてブラブラと城内を見学して1時間経過した。主要な建物は全部見尽くしたし、アショーとの約束の時間もあるので、帰ることにしたのだった。

 アショー、待っているかしら?

 そう思って城から出て道路を渡っていくと、「おお、帰ってきた、帰ってきた」とアショーが迎え出てくれた。そこから10分くらい走って宿に到着しRs50を渡すとアショーはさして嬉しくもなさそうに金を受け取って走り去っていった。よしよし。なかなかいい取引をしたようだ。

 今日は夜行列車で到着してから、午前中にタージ・マハル、午後にアーグラー城とよく頑張って観光した。宿の屋上レストランに行ってお茶を飲みながら休憩。夕方のタージ・マハルに期待をしたのだが、全体的に霞がかかったようなぼんやりとした天気で、夕日がタージ・マハルまで届かずにオレンジに染まらずに徐々に暗くなるだけだった。ま、明日に期待するか。

 ということで、今日は終了。


このサイトを友人に知らせる
目次About Us免責事項著作権とリンク
(c)2005-2006 海外生活実践研究会 All rights reserved