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2007.11.25
お寺でエロチック彫刻、これもインド也。
インド:カジュラーホー |
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昨日1日ホテルでゆっくり休んで疲れを癒し、今日は西群のお寺見学。
ホテルがメインロードに面しているので、徒歩5分くらいで西群の入り口に到着する。
入り口でチケット代金Rs250(=US$6.35)を支払って中に入ると、入り口入って左手でオーディオガイドの貸し出しを行っていた。説明があった方が面白いかなぁと思って1つレンタル。レンタル料金はRs50(=US$1.27)だった。これ何とカセットテープなんですねぇ。だから、聞きそびれたり順序を違えて回ってしまったら、自分で巻き戻さなければならない、むむむな代物だった。
中は気持ちの良い公園みたいに緑の芝生が広がり、その間に通路があって所々に寺院がある。最初は左手の寺院群から回ることになっているようなので、そちらから。
色とりどりのサリーをまとったご婦人が大勢訪れていたのが最初の寺院。寺院というよりはちょっとした神様を祭っている祠という感じの場所だ。冬でウィンドブレーカーを来て丁度いいという朝の気温だったが、それでもインドは日差しが強い気がする。
月日を経てひなびた風合いになっているインド寺院の前に強い日差しで明るく光るサリーがとても美しかった。
この祠のお隣にあるのもそんなに大きくない建物なのだが、この屋根の下にはイノシシ様が鎮座していた。
イノシシはヴィシュヌ神の化身なのだそうで、偉そうなイノシシ様が牙を剥く全身には、神様の彫刻が施されてあって、その偉そうな姿がなかなかユーモラスだった。
これら2つの寺院の前にあるのがラクシュマナ寺院というヴィシュヌ神を祭る寺院で、10世紀半ばに建立されたのだそうだ。この正面からの姿がいかにもヒンドゥー教寺院という感じでカジュラーホーに来たという実感が沸いてくるのだった。細かい積み重ねの建物がきれいだ。
ここで「なーんかオーディオガイドの調子が悪いなぁ」ということに気付く。ゆっくりの英語なのはありがたいのだが、こんなにゆっくりじゃぁ日が暮れる。しかも声がどんどんと小さな音量になっていくのだ。そうだそうだ、オーディオガイドを受け取った時に予備の電池をもらっていたので、換えてみよう。するとどうだろうか。外国人向けにゆっくりと語っていたと思っていた解説は電池切れでテープが遅く回っていただけで、新しい電池にしたら普通のスピードで解説が始まった。音量も戻って聞きやすくなった。
気持ち新たに解説を聞いていると、ラクシュマナ寺院の左手に回り込めと言っている。
戦いの神様なのか勇ましい軍隊と象の彫刻などが彫られていて、そうした彫刻の多くは無名の彫刻家によって彫られたのだと解説され、「それでは彫刻をお楽しみください」で終わっている。
しかし左へ左へと目を移していくと、いつしか戦いの彫刻がエロチック彫刻に変わっていき、あっという間にエロチックな世界オンリーになっていってしまった。おお、初っ端からこんなに飛ばして大丈夫なのか?(何が大丈夫なのかよくわからないけど)
と思いながら見ていると、フランス人女性観光客が寄ってきて「ノーン、ノーン、ここじゃなくってこっちを見なくっちゃだめだめ」と手を引く。言われるままにもっと左に行くと、人間とではなく馬との結合彫刻もあるではないか。私たちが驚く顔を見て、フランス人女性はしてやったりと言うようにニンマリと笑っていた。何かもう、わけがわかりませんね。
地球の歩き方'04〜'05によると、「・・・女性に内在する性力(シャクティ)や性的結合そのものが神聖視され、寺院を飾るにふさわしい、あるいは飾られなければならぬものにさえなっていく・・・」ということらしい。
怒涛のエロチック彫刻には驚くばかりなのだが、それにしてもこの遺跡群の環境はとても素敵だ。丁度ピンク色の花が満開の時期で、青々と茂る緑とピンクの花が咲く中で遺跡を見ることができた。
今度は階段を上がって本堂の周囲を歩いてみると、遠くから見てデコボコと模様がついて見えていたのが、これまた一つ一つ人間の、あるいは神の形をした彫刻でできているのが圧巻だった。
見上げると、うわーーーー、ごっちゃりと人間の彫刻があり、どれもこれもクネクネと腰を曲げているような官能的なポーズを取っているから、細かく見ていると目がクラクラしてくるのだった。それにしても、このオーディオガイドは説明が少なすぎる。観光ガイドさん連れで来ている人は、もっとたくさん立ち止まって色々と説明を受けているのだが、私の解説は寺院全体に関する解説で終了してしまっている。確かに、このたくさんある彫刻の中から1つを取り出してオーディオガイドされても、どの彫刻を指しているかを説明するだけで、時間の半分が終わってしまうだろうから、これはオーディオガイドの限界ってことになる。
外見の賑やかさは寺院の中まで続いており、中は薄暗くて広くはないのだが、ほの暗い中に浮かび上がる彫刻は外の物と同じモチーフでクネクネと薄暗いだけにより艶かしい感じがした。
こうして入り口から見ると左手にある寺院の見学が終了。ところがオーディオガイドの次の寺院がどこかわからん。
次にガイドされるはずの寺院の番号がみつからないのだ。
で、まっすぐに進むと一番奥にあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院という一番大きな寺院に行き着いてしまったのだが、ここの番号は大きく5つくらいも飛ばしてしまっている。ってことは、左手の寺院が終わったら右手の寺院に移って反時計周りに歩いて行かなければならなかったようだ。
ええい、面倒だ。このまま巻き戻しなどしていたらまた電池がなくなってくるかもしれないし、全部聞いてしまえ!とその場で全部聞いてしまった。で、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院の所から寺院を見ながら普通にガイドを聞くことにした。でも、個別の彫刻などの説明はあまりないし、結局あんあまり面白くない。オーディオガイドは失敗だったなぁ。
近寄ってみるとカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院は先ほどの寺院よりも随分大きくて、彫刻のサイズも大きくなってより迫力のある寺院になっていた。足元からずーっとごちゃごちゃごちゃごちゃーーーーーっと物凄い装飾。かつ立体的にいくつもの塔が重なって一つの塔をなしている。
これを見て、私はインド人客引きのしつこさってのはこういう所に端を発しているんじゃないかと思ったのだった。だとしたら、あのしつこさは昨日今日始まったものじゃない。10世紀から芸術としてやっていることなんだからこれはもうDNAものレベルなわけで、寺院をみながら「しょーがないんだなぁ、これは」としみじみ納得したのだった。
お隣の寺院に目を移すと階段の壁面がぼろぼろとしていて、おそらくこれが当時のまま、オリジナルの寺院の姿ではないかと思われる部分があった。今立っている大きな寺院には足場がかけられて、どんどんと修復が進んでいる。ここが終わったらお隣もきれいになってしまうのだろう。部分的に風化しているのも趣があっていいと、私は思うのだが。
これら一番奥の寺院群を巡って、時計回りに回って入り口右手の寺院群の中で一番大きな寺院が、ヴィシュワナータ寺院だ。
両脇に象を配しているのがいかにもインドのイメージにぴったりな寺院だ。一番奥のカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院に比べると迫力はずっと劣るが、恋に焦がれる女性の彫刻が多いことで知られているというガイドブックの解説にもあるように、若い女性の彫刻が他よりも若干多いかもしれない。くねっっくねなのは相変わらずだ。「焦がれている」って感じは出ている。
こうして全部の寺院に首を突っ込んで、ああでもない、こうでもないと夫婦漫才しながら天気のいい公園のような場所を歩くのはなかなか面白かった。オーディオガイドはいらなかったけどね。
それにしても、聞きしに勝るエロチック彫刻に仰天の一日だった。
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