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2007.11.26
東群の寺院巡り
インド:カジュラーホー |
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カジュラーホーは村の東側にも更に寺院がある。東側の寺院は一箇所に3つの寺院が集まっている一角があるものの、他の寺院は離れた場所にある。
しかし、地図を見る限り、離れているとはいえ徒歩で回れそうな範囲に散らばっている。冬の時期なので歩いてもそんなに苦痛ではなさそうだし、今日はブラブラと東側の寺院を巡ってみることにした。
頼りにしているのは「地球の歩き方」の地図とホテルでもらった地図。2つの地図には大分違う道が書いてあって、歩いて行くとそのどちらにもあてはまらない道があったりして、あれあれ?たどり着けるのだろうかと不安にもなってきたが、牛が「こんにちはー」とのんびり歩いている道には時折自転車の地元民も通り、道をききながら歩を進めることができた。
途中から、中途半端に日本語とかなり流暢に英語が話せる少年2人がついてきた。地元の大学生なのだそうだ。しかし、田舎とはいえ観光ルートになっているカジュラーホーの若者には気が抜けない。ペラペラとこの辺りの寺院の歴史をそれらしく話してくるので、「あらかじめ言っておくけど、ガイド料金とかは払わないからね」とビシッと言っておいた。彼らは驚いたように目を丸くして、自分は全くそんなつもりはないから大丈夫だというのだが、その反応がもう既に怪しい。いや、私が特に懐疑的なのではなくって、これまでの客引きの対応を見ていると自然とこいつらも予備軍だというのがピンとくるのだ。でもまだ予備軍なので、遊び心も半分らしく、彼らはぺちゃくちゃとしゃべりながらとうとう寺院まで一緒に歩いてきたのだった。
小さいとはいえ、ちゃんと寺院のサインは英語ででている。少年たちはここから先に入ると怒られることになっているのか、ここから先の寺院内にはぴたりと入ってこなかった。面白い。
ここの寺院は完全に修復されているのか白っぽく妙に新しい感じで、昨日みた寺院と違って時間の風化を感じないために新しく作ったテーマパークのようにつまらなく見えた。
しかし、敷地内に足を踏み入れると、クリーム色の豪華な寺院があり、ここの寺院もまた多くの人間の彫刻に固められたゴージャスぶりを発揮していた。ここには60代、70代という日本人の団体観光客が1組きていて、甲高い声で流暢な日本語を話すガイドさんの説明付きだった。あの甲高い声を聞いただけで、別に冗談をいっているわけでもないのに面白さがこみあげてくるので、ガイドとしては得な声だ。
ガイドさんが甲高い声で「はい、ここには昨日のようなエロチックな彫刻はあまりありませんが、それだけがカジュラーホーのメインというわけではございません。これから説明する彫刻は素晴らしい技術とエピソードがあるので順番に巡っていきましょう!」と解説を始めた。なかなか魅力的なので一緒について回りたい衝動に駆られたが、それは叱られるだろうと部分部分で耳をそばだてて、少し聞かせてもらうに留めた。
日本のガイドさんのみならず、他の国の団体客についているガイドさんも皆足を止めて説明していたのが、パールシュヴァナータ寺院の壁面にあるこの彫刻だった。
石でできているにもかかわらず柔らかさを感じさせる曲線の素晴らしさや、衣服のドレープの表現の技術の素晴らしさなどが秀逸なのだそうだ(すみません、やっぱり聞こえてしまいました)。
やっぱりガイドさんがついていると色々と面白いよねー。
この彫刻はガイドさんが足を止めたかどうかは知らないけれど、この2日間でよく目にしたポーズで面白かったもの。ひょいと片足を上げた足元に小さな子供の彫刻がある。いずれも女性の像だが、体系や顔立ちは色々なので同じ人によるものではなさそうだ。
隣の敷地はシャーンティナータ寺院とアーディナータ寺院が一緒になっているようで、回廊式の建物に入るには靴を脱ぐ。タイルを張った中庭があり、廊下の様々な部分から入って色々な彫刻や絵画を閲覧できるようになっていた。
ある部屋に入る前の床に飾りタイルがあったのだが、それが美しいのが印象的だった。
また別の部屋には裸体の男性3人の像、その左隣に写実的な裸体の男性の絵画が飾られていて、何の説明も書いていないので(まぁ美術館じゃないから仕方ないが)意味不明。どーして裸?不思議な場所だった。
ここにはジャイナ教の博物館もあったが、これは割愛。
さて、お次は少し離れた寺院を目指そう。すると、さっき一緒に来ていた少年たちがまたしても寄ってきた。「今度は何?」というと、自分は英語の勉強がしたいので観光客を見ると話しかけて英語の勉強をさせてもらっているなどと殊勝なことを言い始めた。まぁ、そういう気持ちは私もあったのでわからなくもない。大学では歴史を学んでいるのだというから、それじゃぁ、昨日私たちが訪れた寺院の中で一番大きな寺院の名前は?建立時期は?と聞くと、寺院の名前は忘れたが建立は10世紀だろうと答える。まぁまぁ当たり。
いつまでもついてくるので、英語の勉強相手をさせられているのだから、私に授業料を払わないといけないというと、「そろそろこの辺りで戻ろうっかなぁー」とか何とかいいながらスーッと去っていった。インド人の客引きもそうだが、理詰めで相手を落とそうとする傾向があり、逆に理詰めで攻められるのに弱い。「あ、俺もそう思うな」と納得するとスーッと引いていく傾向があるから面白い。
そうして歩いているうちに、民家が途切れて原っぱの野草の中にぽっかりと寺院が現れた。
ジャヴァーリー寺院だそうだ。ここには簡単な歴史も書いてあったりして、ガイドブックがなくとも楽しめる。全部こういう風になっているといいんだけどなぁ。
周囲はほったらかしの野原なのだけれど、寺院の周りはとてもきれいに芝生が手入れされて、美しい花をつけた植物も植わっていて、庭の手入れの係員がホースで水をまいていた。こんな人がこないような場所に、意外に人を使っているのがちょっと不思議。
ここは誰も観光客が来ていないし、のどかで、それでいて美しくて気に入った。
ここから5分ほど歩いた先にはヴァーマナ寺院があり、こちらの方がやや大きめだったかなぁ?
階段の下から見上げると家のような形なのだが、後ろにまわるとやはり今まで見たのとおなじような立派な塔がついている。規模が小さい分、塔の先の部分の装飾を身近に見ることができて面白い。
ガイドブックにはもう一つ寺院が紹介されていた。おそらくこれだと思うが、崩壊が進んでいてよくわからない。
ここはもう目の前に民家があり、人々の生活の中に寺院が存在しているという場所で、私たちの前にはアルミの水亀を頭に乗せた魅惑的なインド人の若い女性が歩いていて、ふとタイムスリップしたような感覚に陥る。
こうして東群の寺院を見てまわって村に戻ってくるまで2時間くらい。午前中の丁度いい散歩コースになったのだった。
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