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2007.12.04
コルカタスナップ
インド:コルカタ |
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コルカタには3泊を充てていたのだが、本当に具合が悪くなって発熱がおさまらず何も観光できなかった。
北インドの小旅行で体調を崩しつつあったのだが、発熱に至った原因は、左の写真に並ぶ屋台で食べた朝御飯だったと思う。
オムレツサンドを食べたのだが、これを食べてから体調が急降下。夫の目撃証言によれば、おぞましいまな板の上でオムレツを切っていたらしい。以来、発熱が止まらない体質になってしまったのだった。健康だった夫は何ともなかったのだが、体調を崩していた私は完全ノックアウト。巷の食堂で何かを食べると必ず発熱し、安全なのはバナナだけという3日間が続いたのだった。
そんな体調ながらも、発熱の合間を縫って周辺を散策した時の写真をコルカタスナップとしてあげておきたい。
宿を出るとサダル・ストリートにつながる小道になっているのだが、目の前には常に大量の洗濯物が干されていて、とても裏道な感じ。向かいのホテルのランドリーなのだろうか。
この小道の端にふと目をやると男性が背を向けてしゃがんで用をたしているのを何回か目撃した。バラナシのように牛様が落し物をしながら闊歩してはいないが、コルカタにおいてさえ人間様がこんなことをしているのは、かなり驚き。はー、これがIT大国インドの庶民の生活なのかぁ。
近隣で一番安い食堂の風景。ここではターリーと呼ばれる野菜カレーと豆カレーとご飯のセットが驚きのRs12(=US$0.3)だった。量は少ないが、味もなかなか良いので地元の人で混んでいる店だった。
この時の私には耐えられない雑菌度らしく、この店の後も発熱したが。
都会とはいえ、屋台文化は華やか。大通りの近代的なショップの前にも行列のできる屋台が出ていた。
これはカレーとプーリーのセット。プーリーはチャパティーを油で揚げたもので揚げたてはぷっくらとふくれておいしい。かなり興味をそそられたが、これ以上熱が高くなっても困るので断念。
サダル・ストリートから数本通りを離れた場所にはマーケットがある。マーケットの周辺には華やかな衣料品店が多く並んでいた。
中でも多くの衣料品点がテナントとして入っているコンプレックスは、華やかなサリーやパンジャビースーツの専門店。レディーメイドのものもあるが、多くは布地を選んで仕立ててもらうテーラーメイドの方式の店。高いものはシルク素材に多くのスパンコールや刺繍が散りばめられた布で、安いものはポリエステルにプリントしてあるもの。この建物をぐるーっと見てまわるだけで、サリーの布地に対する目が養われる。
それにしても華やかで美しく思わず欲しくなってしまうサリー。私の知り合いもインド訪問時についついサリーを仕立ててしまったのだが、まだ一度も着る機会がないと嘆いていた。そう。サリーは着る機会がないというのが難点なのよね。
そして市場。ニューマーケットという名前の市場だ。
市場の右側半分は生鮮品を扱ったいわゆる普通の市場になっている。バラナシとは違って、ここの果物は整然と美しく並べられていて、そこにコルカタの都会を感じた。野菜売り場で中国人のような人を見かけたので、近くにおいしい中華料理店はないか聞こうと話しかけてみると、タイ人。これからタイ料理の店をオープンする予定だそうで、市場に食材の下見に来ているということだった。タイ人ではあるが、料理人としてのマーケティングもばっちりしていて、近隣のおいしい中華料理店の情報を事細かに教えてくれたのだが、どれもパーク・ストリート沿いにあり、1kmくらい離れているので今回は行けそうもなかった。因みにこのタイ人シェフのお勧めの中華店はパーク・ストリート沿いのGolden
Dragonという中華店の向かいにあるTong Fungという店だそうだ。
ニューマーケットの左半分は食品以外の物を扱っている小さな店が碁盤の目状に並んでいる。宝石、衣類、土産物、CD、家電などあらゆる店が脈絡なく並んでいるので、後で同じ店を探そうと思うなら店の番号と通路の名前を覚えておく必要がある。私たちはインド映画のDVDを買いたかったので、そうした店を数軒見つけて値段の比較などを行いたかったのだが、DVDを置いている店が見つからない。
すると白くて長い衣をまとった老人が近寄ってきて「何を探しているんだい?」と聞いてきた。おー、来た来た。無視して歩いていると、老人は首から提げた顔写真付きのIDカードをグイと私たちの目の前に持ち上げて、自分は政府公認のニューマーケットの案内人なので恐れなくていい、どこにでも案内してあげるからと言う。ますます、怪しいではないか。「いや、別にぶらぶらしているだけだからいい」と言っても、何が欲しい、何が見たい、それならシルクはどうか、土産物の工芸品もあるぞとずーーーーっと付いてくる。
いいから、放っておいてくれ!!!
と大きな声ではっきり言ったらやっと放免してくれた。ふー。
こうして2軒目のDVD店を探し出して無事に買い物を済ませて、店の外をふと見ると、例の老人がいて、「DVDが欲しかったんだな。さぁ、次は何が欲しい?」
ひえーーー、やめてーーー。
「大丈夫、大丈夫。もう欲しいものはないですから。もう、帰りますから。」と、老人をおいてすたこらサッサとニューマーケットをあとにしたのだった。本当は手頃で着やすい衣類があったら買いたいと思っていたのだが、あの老人につきまとわれたらうるさくてかなわない。本当にインド政府、いやコルカタ市の行政のサービスだとしたら、逆効果なんですけど。
他には、日本人宿として有名な「パラゴン」を見学もした。
コルカタには「マザーテレサの家」というのがあり、日本人が多くボランティア活動をするために訪れており、そうしたボランティアがよく使うのがパラゴンだそうだ。パラゴンに向かおうと思っていたら、「ああ、良かった。日本人の方ですよね。ちょっと困ってしまって」と50代と思しき女性が声をかけてきた。後ろには20代のインド人男性が立っている。
彼女はマザー・テレサの家を見学しようとして道に迷った所、この青年が「親切に」声をかけてきてくれて、マザー・テレサの家を一緒に探してくれることになったのだが、なかなか見つからない。じゃぁ、ちょっと青年の店に寄ってお茶でも飲みましょうと言われたあたりから、怪しいと思い始めたのだそうだ。何とかお茶は断って店を出たものの、尚も青年はついてくるしマザー・テレサの家は見つからないしで困っているということだった。
私たちは即座に、この青年と一緒にいては今日一日マザー・テレサの家は見つからないと判断した。青年の目的は自分の店に彼女を連れて行って何かを買わせることに違いなかったからだ。青年にはとても丁寧に私たちの同胞の日本人に親切にして頂いたお礼を言って、「彼女の面倒は私たちが見るので、とっとと帰ってください」とお願いした。「いや、しかし・・・」とまだ何かいいたそうな青年に「何か?」と質問すると、青年は日本人女性に「マザー・テレサの家を見学したら、絶対に店に寄ってくださいね」と懇願して去っていったのだった。
親切にしたのに信用されなくて悲しいという表情だったので、この日本人女性は非常に気の毒がっていたが、私たちから見れば、知りもしないマザー・テレサの家を一緒に探そうと長時間歩き回っていること事態が、もう不親切。「最後に気の毒がらせる表情まで作るとは、なんてぇ奴だ!」という印象だ。
彼女を連れてパラゴンに行くと、丁度マザーテレサの家でボランティア活動している日本人女性が今から行くということなので、この女性に連れて行ってもらうことにして無事任務終了。インドの旅はなかなか危険に満ちていることがわかったのだった。ま、私たちには来ないけどね。
こんなコルカタの数日間だった。
バラナシで出会って、後にバンコクで再会した小池夫妻はコルカタで大きな公園に行ったのだそうだ。そこにはカップルが集まるベンチというのがあり、男女交際がおおっぴらではないインドにして、ここでだけはカップルが公衆の面前でいちゃついてもいいことになっているという貴重な場所なのだそうだ。雨も降っていないのに皆大きな傘を開いて、「中で何やってるんでしょうねぇ」と小池夫人。ああ、この公園は見に行くべきだったかもしれない。
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