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2007.10.21
ABCへのトレッキング第一日目
ネパール:ポカラ |
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さぁ、いよいよ今日からABC(アンナプルナ・ベース・キャンプ)に向けてのトレッキングが始まる。当初は4130mのABCに行くなんて考えてもいなかったが、知人の助言で気分が高まり行ってみることになったのだった。
出発は朝5時。宿に頼んでおいたタクシーでポカラからカーレKhareまで行き、そこからトレッキング出発だ。
10月18日にポカラに到着した日から出発前まではまずまず晴れてポカラの宿からマチャプチャレの山頂が見えたりしていた。ところが出発当日は朝から小雨がぱらついている。大丈夫なのか?
今回のトレッキングのメンバーは左から宿のオーナーKBの甥っ子であるバラット君(19歳)、タクシー運転手と私、右端がガイドのパッサン(34歳)、そして写真を撮影している夫の4人だ。
バラット君もパッサンも前日からこの宿に宿泊して待機。朝5時にはきっちりと準備ができていた。
宿のオーナーのKBは、私たちがポカラ当日の18日にKBの経営する旅行代理店Unlimited
Trekking Nepal P.Ltd.を使ってトレッキングをすることを決めるや、19日は今回のガイドのパッサンを宿に呼んで顔合わせをしてくれていた。パッサンはシェルパという言葉の語源にもなったエベレストの近くのシェルパ村の出身だそうで、それを聞いただけでも頼もしい感じがした上に、19日にはトレッキングシューズやバックパックのレンタルなどの買い物に付き合ってくれて、そこからもう色々と面倒をみてくれた(もちろんこの日はガイド料金は支払っていない)。その実直な人となりに、私たちは大満足。これから始まるトレッキングもこの人とならやり遂げられそうだと思ったのだった。
薄く夜が明けていく中、5時55分にカーレに到着。メジャーなコースとしては、もっとポカラに近いフェディPhediで車を降りて、そこから歩き始めてダンプスDhampus、ポタナPothanaという順になる。
それだとABCまで行って帰ると9日間かかる。そこを私たちはカーレから出発するという近道コースにして8日間でトレッキングしようという計画だ。
今日の目標はトルカTolkaという標高1650mの所くらいか、場合によってはその1つ先のランドルンLandrung1646mまで行こうということになった。
まだトレッキングの雰囲気に慣れていない私たちは、かなり緊張してトルカまでいくかランドルンまで行くか真剣に話し合おうとしたが、パッサンは「歩いてみた具合を見ながら決めましょう」とサラッと受け流した。
雨は止んだものの雲が言葉通り垂れ込めた道を歩くことになった。
トレッキングの道は時に上り坂になって村が見渡せる場所まで行ったかと思うと、平坦になったりして起伏が多い。
40分も歩くと暑くなってきて、着ていたウィンドブレーカーを脱いで背中のリュックに入れて再び歩き始めた。
7時13分にオーストラリアン・キャンプに到着。えっとー、目の先は真っ白。パッサンがここは本当はとても美しい景色が見られるんだけどねぇと説明してくれた。その説明を補強するように、ここの宿の人が絵葉書を持ってきてくれて、本当はこんな景色が見えるんですと説明してくれるのだが、何の慰めにもならずによけいがっかり。
パッサンは以前、ポーターとして日本会社であるヒマラヤ観光に勤めていた。オーストラリアン・キャンプはヒマラヤ観光がよく利用するスポットの一つだそうで、日本人の年配の観光客は何とポカラからここまでヘリコプターでやってきて、この素晴らしい景色を堪能して、夜は一緒に連れてきたシェフが和食やネパール料理やらを持ち込んだ材料で作って、民族舞踊ショーがあって、それはそれは華やかな一夜を過ごすんだと、パッサンはまるで自分が主催しているかのように得意気に話すのが面白かった。
ここで朝食を摂っていると徐々に雲が晴れて少しだけ山が見えた。
ほんの僅かな時間で、僅かな範囲しか晴れて見えなかったが、それでもポカラで見るよりも大きく見える雪山は、これから向かうABCへの期待を高めてぞくぞくと嬉しさがこみ上げてくる。もっともっと、もっと近づきたい!
しかし、ここからポタナまではちょっと下り坂。山が近づくどころか目線はだんだんと下がって、あまり見るべき景色もない道のりだった。
トレッキングを終えて戻ってくる人の方が上り坂で息が荒い。そう、ABCへの道のりは上る一方ではなく、せっかく上ったのに下ったたりする場面が多いのだ。
休憩を入れながら歩いて、8時49分にポタナPothana1890mに到着。視界はまたもや曇っていた。ここから上り坂になって9時半にデオラリの下村に到着。
ここでは70歳くらいと思しき白人のご夫婦と少しおしゃべり。彼らもABCを目指しているということで、今日は私たちが目指しているランドルックよりも更に1つ先のニューブリッジまで歩くのだと聞いてびっくりした。こんなお年寄りが、そんな先まで歩いてしまえるものだろうか。後にこのご夫婦とは再会することになるのだが、この日はちゃんとニューブリッジまで行ったということだった。トレッキング好きの人は本当に健脚だ。
ネパールのこの辺りの村は山の斜面に沿って形成されていて、下の方に固まった下村から上の方に固まった上村は時には1時間も離れている場合がある。デオラリの場合は、上方に上って10時過ぎにデオラリDeorali上村2149mに到着した。ここで休憩。
今まで曇っていた視界が晴れて向こうにアンナプルナが見えた。また興奮する。これが今日一番の景色だった。この景色を楽しみながら少し休憩。アンナプルナ山域は頻繁に村があってレストランや宿があるのでとても快適だ。
ここから下りになりベリカルカBheri Kharkaで休憩した後、10時50分にトルカに到着した。宿のオーナーKBが立ててくれた初日の目標地点はここなのだが、まだ歩けるし、先ほど出会った老夫妻はもっと先まで行くと聞いて、私たちもやはりもう1つ先のランドルックまで歩くことにした。
トルカからは村人の生活がよく見える景色が楽しい。
民家の見える山腹の道を歩いて行くと、よくできたミニチュアのように細かく段々が作られた棚田が見えてくる。
小川沿いには草葺屋根の可愛らしい小屋が建っていた。小川のちょっとした段差のある場所で、小屋の先から勢いよく水がほとばしり出ていて、水洗トイレみたいだなぁと思ったので、パッサンに「もしかしてトイレ?」と聞くと、大笑いされて、水車小屋だと言われた。パッサンとしては私がどうしてこれをトイレだと連想したか不思議だったようだ。まぁ、ここにトイレを作ったら小川が汚染されるから、そんなことはしないよねぇ。失礼しました。
やがて通りかかった村では、巨大なブランコで遊ぶ子供達の姿があった。ポーターのバラットがここで荷物を降ろしたので休憩するのかと思いきや、突然ブランコに乗って漕ぎ始める。19歳なんだけど、まだまだブランコに乗りたいなんて純朴だなぁ。
勢いよく漕ぐあまり半分お尻が出ているのにもかまわず、バラットは青空に向かって思いっきり漕いだ。気持ち良さそうだ。
今日はネパールの最大の秋祭りであるダサインの始まりにあたるようだ。道行く少女はおでこに赤や白に色づけした米粒を貼り付けたり、髪に黄金の穀物を結び付けていた。カメラで撮影する画像に興味津々のこの女の子は、「撮ってあげるね」というと緊張の面持ちでポーズを取った。自分の写真を見て、恥ずかしそうにはにかんで笑って走り去っていった。
バラットが気の済むまでブランコ漕ぎをして、また出発。
視線の先は曇っていて山の斜面には所々しか日が当たっていないが、それでも棚田の風景は素晴らしく見えた。
12時23分に今日の目的地であるランドルックに到着。宿はパッサンが決めてくれた。
ネパールのトレッキングの宿というと、もっと殺風景な山小屋をイメージしていたのだが、色とりどりの花を植えた中庭があり、なかなか洒落た作りだった。
共同シャワー・トイレの安い部屋は団体が予約してしまって、部屋にシャワー・トイレのついた3ベッドの部屋しか空いていないという。一泊NRS250だと言われたが二人で使うからとパッサンが交渉してくれて、NRS200(=US$3.03)になった。
2階の部屋だし、案外広いし、角部屋なので2面に窓があっていい感じだ。
宿はロッジがある中でも一番高い位置にあると思われて、眼下には他の宿が見え、そのずっと下には棚田が見える風景。中庭の先には山々が覆いかぶさるようになって、晴れていれば先にアンナプルナとマチャプチャレが見えるはずなのだそうだ。到着した夕方は曇って何も見えないので、明日の朝に期待することにした。
とにかく汗だくなのでシャワーを浴びる。これから団体客が来るのでなるべくお湯を節約して使ってくれと宿の人に言われた。ソーラーパネルで湯を作っているので、今日のような曇りの日はお湯ができにくい。ホットシャワーとは書いてあるものの、温い程度のお湯でさっさと浴びないと寒いくらいだ。この先もこんな調子なんだろうなぁ。
ついでに洗濯して干してみたものの、明日の朝までには到底乾かない。さっそく、リュックに洗濯物をつってトレッキングする日々が始まりそうだ。
昼食を食べたらもうやることはなし。久しぶりに運動したので、ベッドに横になるとつい寝入ってしまった。運動してご飯食べて昼寝するっていうのは、何て気持ちのいいことなんだろうか。
予定通り団体客がどやどやとやってきた。この分だと夕飯も早く食べておかないと、ありつけなくなりそうだと午後5時半に食べることにした。ガイドのパッサンは、夕食を注文してから食事ができるまで、今後の計画と今日の体の具合などを心配して聞きに来てくれた。何かと面白い話をしてくれて、食事ができたら「後はごゆっくり」とサッと席を立っていなくなった。こういう心遣いというかマナーは、おそらくヒマラヤ観光で教育されたものだと思うが、久しぶりに日本社会に触れたような気がして不思議だった。
パッサンと話して、明日の目的地はできればチョムロンまで行こう、そのために7時に出発しようということになったので、起床は6時になる。じゃぁ、早いけどもうベッドに入ってユルユルとしようかと思った午後8時になって、外が賑やかになってきた。何だ、何だ?
見ると中庭に椅子が用意されて、地元の若者が楽器を演奏して中で少女たちが踊っている。お、これは面白そうだ。
一人踊りが上手な少女がいて、彼女は踊りまくるのだが、その他の子は恥ずかしがってなかなか踊ろうとしない。彼女が無理やり引きずり込んだ青年も恥ずかしがりで、しばらく踊ると引っ込んでしまった。
宿の人の説明では、この後、モデルダンサーチームが来て余興で踊ることになっているので是非見てほしい、その際チップをいくばくか渡してやってほしいということだった。この子たちは、その前座というわけではないが、村の子達でプロが来るまで自分達で楽しもうとしているらしかった。恥ずかしがりながらも、カメラを意識して踊る少女を見て楽しんでいたが、8時半になってもダンサーチームはあらわれず、私たちは部屋に戻って休むことにした。結局、ダンサーチームは来なかったようだ。
ダサインは最大の秋祭りといっても、家で祝う祭りのようで山車が出たりパレードして村を練り歩くというような類の祭りではないようだ。純朴で素朴なお祭りなので、なかなか旅行者の目には触れないのだが、こうして一端に触れることができたのは良かった。
さぁ、1日目が無事に終了。まだ足も痛くないし元気、元気。後は、もう少し晴れてくれるのをのぞむばかりだ。
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