|
|
|
|
2007.10.26
ABCへのトレッキング第六日目
ネパール:ポカラ |
|
今朝も6時にアンナプルナサウスの頂上がオレンジに染まって夜が明けるのを見ることができた。
昨日は静かだったが、今日は宿の裏手に朝日見物で張り込んでいた集団がいて、朝日が当たると「ヒューヒュー!」と口笛を鳴らして歓声があがった。今日のこういう賑やかさも楽しい。
顔を洗おうとトイレ脇のバケツを見ると、氷が3cmくらい張っている。夜は氷点下になる寒さだったのだ。長袖を着て5度まで対応の寝袋に入ってブランケットをかけて丁度いいくらい。寝袋だけで済ませたいならマイナス対応の寝袋が必要だ。
さて、今日から3日間でポカラに戻る予定だ。チョムロンまで行きたい所だが、チョムロン手前で川岸まで降りてから再び山の上のチョムロン村まで上がることを考えると、今日はその手前でやめておくべきだと判断してバンブーまで行くのを目標にした。
出発は朝8時。まばゆい朝の光で気温は低いが気分はすがすがしい。
ABCの立っている場所から階段を降りると、あとは大きな原っぱが斜面になった中の一本道をずーっと下っていく。
せっかくここまで登ってきたのに下るというのは寂しい気持ちがして、何度も何度も振り返りながら歩くのだった。
でも一方では、これからABCに行こうというトレッカーとすれ違う時に「上の天気は?」とか「どうでしたか?」と聞かれる度に、誇らしいようなくすぐったような気分を味わえるというのも下りならではの醍醐味だった。
行く先にはマチャプチャレがそびえている。辺りはすっかり夜が明けているというものの、実際にマチャプチャレの後ろから太陽が姿を現したのは8時46分だった。頂上の尖った部分からぴったりと太陽が出てくるのが面白い。こんなにぴったりと先っちょから出てくるなんて。
しばらく、なだらかな下りだと思っていたが、マチャプチャレから太陽が現れた9時前から、再び猛烈な下りになった。上ってくる時は夢中だったし、暗くてよくわかっていなかったが、かなり急な所をあがっていたということになる。
この下りに夫の右膝がきしんだ。「いたたた、いたたた」と木の枝をステッキにしながら下りるのだが、今までのように交互に足を出すのは難しくなってきた。
午前9時頃にマチャプチャレ・ベース・キャンプに到着。足を休めるべく15分間の休憩。最後のアンナプルナサウスやマチャプチャレの姿を楽しんだのだった。
ここから先は見覚えがある道だ。斜めの地層でできた大きな岩山を左に見ながら川沿いの道を歩く。「朝日がまぶしく降り注ぐ」というのはこういう時の表現なんだなぁと実感するように、きらきらした光の風景を見ながら歩いた。
振り返るとグレーシャードームだっけかな?雪山が再び見えていて、火照って暑くなってきた体に川のせせらぎも心地よい。休憩には最適のポイントだと、多くの人がこの風景を眺めつつ、川原に座っておしゃべりと楽しんだりしていた。
デオラリ手前の大きな岩が川の中にゴロゴロしているあたりは、階段の上り下りが激しい。
ちょっとつまづきそうになったら、パッサンはリュックを持ってくれた上にすかさず手をとってくれて、パッサンに手を引かれて階段を歩いた。むむむ。何だかとても年寄りになった気分だ。
10時40分にデオラリ到着。下りでマチャプチャレから1時間半だ。上って来た時にはあまり印象のなかったデオラリだが、裏手に面白い形の岩山があった。
私たちと同じように下ってきている白人の若者グループがいたが、みんな足に激しくテーピングしている。ある人は膝、ある人は足首などにぐるぐる巻きだ。私たちだけでなく、この辺りまでくるとこれまでの疲労が蓄積して体にガタがくるようだった。
デオラリを出て、モディ・コーラ沿いに歩いて行く。
ところで各村の宿ではトレッキングマップの看板があり、村の名前や標高とともに各村間への通常のトレッキング時間が記載されている。デオラリからヒマラヤホテルまでなら何時間という具合だ。
時間的な目標を立てて歩くのは必要なことだが、ここに書かれている時間はあくまでも目安なので
、自分達の状況も含めながら考えるべきだったのだが、私たちはここに書かれている時間に案外とらわれてしまった。
デオラリからヒマラヤホテルまでは1時間半と書かれてあったのに1時間で到着してしまった。
ものすごいスピードで歩いたものだから、膝などをカバーしようとしてか歩き方が今までとは違うものになってしまい、結果として靴の踵が足にあたるようになってしまったのだった。
このトレッキングシューズには踵の部分にプラスチックのカップが入っているそうなのだが、そのカップの縁が右足のくるぶしの上あたりを歩くたびにあたってくる。一歩歩くたびに打撲状態になるのだった。
予定時間よりも30分早くヒマラヤホテルに到着したものの、くるぶしの上が腫上がってきてとても痛くなってしまった。靴下を重ね履きしたり、幹部に靴下をぐるぐる巻きにしてクッションにしたのだがあまり効果はないようだった。宿のおやじさんが「あ、俺もそれと全く同じ事になったんだよねぇ。プラスチックのカップが入った靴は買っちゃまずいんだよなぁ」と言っていたので、よくある問題らしい。
午後1時近くにドヴァンに到着。目的地のバンブーはここから1時間先になるので、ここで昼食を摂ることになった。
痛い、足が痛い。夫も膝が痛い。昼食を摂ってから再び1時間歩かなくては行けないという事実が二人をブルーにしていた。
午後1時から歩き始めて午後2時近くに目的地のバンブーに到着。今日はきつかった。やりすぎ。1日に7時間(昼食他多くの休憩を含めてだが)も歩いてはいけない。
バンブーは標高が2190mなので大分気温が上がってきているのがちょっと救いだった。しかも電気もあるのでお湯が出る。靴を脱いで、熱いとまではいかないがお湯のシャワーを浴びて洗濯をすると、大分気分が回復してきた。
この宿もダイニングのテーブルに毛布が吊り下げられてコタツになっているのだが、この気温だとヒーターが欲しい人と別にいらないという人にわかれる。気温が下がってきた夕方、宿の主人がダイニングにいた皆に「ヒーターはいりますか?」と尋ねた。問題は全員が必要だといわないとヒーターは入らないことだ。年寄りのオランダ人夫妻の旦那は「絶対に欲しいね」と答え、陽気な中年アメリカ人のカップルは「まぁ私は必要ないけど、欲しい人がいればヒーター代金を支払うのに依存はない」と答えた。
うちの夫は「別にいらねぇよ」と日本語でつぶやいていた。
で、残るイスラエル人の若い4人組の女性に宿の人が必要かどうか聞くと、はっきりと「いらない」と答えた。これにむっとしたのがオランダ人の旦那だ。「今はいいかもしれんが、これから夜になったら寒くなるぞ。ヒーターは必要なんじゃないか」というと、スキンヘッドにした背の高い細い女性は「私はむしろ暑いくらいだ、いらない」と言う。オランダ旦那は「暑いって君、君は上から降りてきたのか、それとも下からあがってきたのか?」というと、スキンヘッドは下から来たという。下といっても一つ手前よりもバンブーは標高が低いので気温は少し上昇しているはずなのである。
これを聞いてオランダ旦那はようやく引き下がったがどうも腹の虫が収まらない。周囲の人に「どーかねぇ、協調性がないというか、非常識だと思わんかね?」などと言っている。それを聞いてスキンヘッドは「そんなに寒いんなら、ヒーター入れればいいじゃない。私は必要ないけど払ってもいい」というと、オランダ旦那は「いや、いい」とへそを曲げてしまった。しかし、とても寒いらしく部屋から寝袋を持ってきて寝袋に足を突っ込んでいた。
色々な国民性や個性や年代による発言があって、私にとってはちょっと面白いできごとだった。
多数決なんだから宿の人は個別に意見を聞くのではなく挙手させればよかったのに。多い方の意見に従えば誰からも文句はでなかったはずである。オランダ旦那もそんなに寒いんだったら「イスラエル人女性4人分は私が払うから入れてくれ」と言ってもいいだろうと思う。たいした金額じゃないしね。お陰でダイニングの空気が硬直して、妙な雰囲気になってしまったことを思うと、「誰が一番非常識なんだ?」と旦那に言うウィットと勇気を持ち合わせているフランス人あたりにいて欲しかった。
|
共同のシャワー・トイレ。階段左には洗濯洗い場。
|
宿は一泊NRS200(=US$3.03)、ヒーターを使うと別途NRS40(=US$0.6)だったかな、そのくらいかかる。
|
この日の食事については「本日の献立2007年10月26日」をご覧ください。
|
|
|
|