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2007.10.28
ABCへのトレッキング第八日目
ネパール:ポカラ |
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朝起きると、宿の裏手にアンアンプルナ山塊が美しく晴れ渡って見えていた。私たちがトレッキングを始めた1週間前にはこの辺りは朝から曇って景色が見えなかった。
例年だと10月半ばからすっきりと晴れ渡るということだったが、今年は曇った時期が長引いて今頃になってすっきりと晴れているようだ。もう少し出発を遅らせてもよかったのだろうか。
しかし、そうするとABCでの寒さが一段と厳しくなっていただろう。いずれにせよ、10月中にトレッキングを終わらせるというので丁度良かったのだ。行きに景色が楽しめなかったのは残念だが、帰りに楽しめたのでよしとすることにした。
今日の出発は7時半。温泉につかっても夫の膝の痛みはとれず、今日も厳しい一日になりそうだった。私はくるぶしの上の打ち身も取れてサンダルでトレッキングするので夫ほど辛くはないが、それでも全体的に疲労困憊である。
日本語は挨拶程度しか話さないパッサンだが、「そろそろ行きましょうか」というフレーズはネイティブレベルの発音で、ここ数日はパッサンのこの掛け声でトレッキングを始めることになっていた。
今日もパッサンの「そろそろ行きましょうか」でトレッキング開始。
ジヌーからニューブリッジに行ってからは、川の西側の低い道を歩いてシャウリバザールに向かう。シャウリバザールから、最初の計画では車の幹線道路沿いにあるナヤプルに行き、そこからタクシーに拾ってもらってポカラに帰る予定だったが、マオイスト問題で急遽変更して、シャウリバザールから川を越えて南下してチャンドラコットに行き、そこからルムレに入って車に拾ってもらうことにした。
ジヌーを出てからはずーっと川辺までひたすら下る。ニューブリッジからジヌーに来た道とは違う道を通っていることに夫が気付き、「道が違っているんじゃないか」とパッサンに聞くと、この方が近道だというのだ。
この道は村を出る初っ端から違う道を通ることになり、ガイドなしではなかなかわからないだろう。
端も大きなつり橋ではなくて、途中まで石を積み重ねた端の真ん中だけに板を渡した簡易な橋で、ここに来て私も、ああ、違う道を通っているんだなぁと確実にわかったのだった。
夫は膝が痛いので、今日は最初から手荷物をパッサンに持ってもらっている。私もこの気分を味わわせてもらったが、杖一つで歩いていると大名旅行をしている気分だ。ほんの2キロか3キロの荷物なのだが、持っているといないでは格段に体への負担が違う。
川を渡って小山を上がっていくと視界が開けて向こうに銀色に輝く山々が見えた。私たちは全く見えないで歩いていたから、ニューブリッジの手前からでも晴れていればこんなに山が見えるのかというのは新しい驚きだった。この写真はもちろん望遠してあるのだが、肉眼でもかなりくっきりと大きく見えた。
8時18分、歩き始めて50分でニューブリッジに到着。まだ1時間も歩いていないが、夫の顔にはすでに苦痛の表情が浮かんでいる。うーむ、大変そうだ。
宿の庭には朝顔が咲いていた。日本の花というイメージがあったので、こんな所で朝顔を見ると懐かしい気分になった。
この朝顔の向こうにアンナプルナが見えている。これも来る時には雲に邪魔されてこんなにすっきりとは見えなかった景色だ。
まだ歩き始めて間もないという事もあり、ここではちょっと呼吸を整える程度の休憩にして先に進むことにした。
ニューブリッジから下に下りて行くと途中で道が2つに分かれる場所があり、右に行くと「シャウリバザールSAULI
BAZAR」だという看板が出ている。私たちはここを左に歩いて行くことになった。ここから今まで通っていない道を歩くことになる。
簡単に言うと、ニューブリッジから川の東側を歩いてランドルック、ビチュクを通ってチャランコットに行く道と、私たちのように川の西側を歩いてシャウリバザールを通ってチャランコットに行く道は、地図上では同じような距離に見える。
しかし実際は、東側はかなり高い山の上の方の道を歩き、しかも山中をあるくことになるのでぐるぐると巡って距離が長くなるのだそうだ。一方の西側はあまり高くない場所を歩いて、ぐるぐる回らず割と川にそって歩くので距離が短いんだそうだ。
低い場所を歩くというので視界が悪いのかと思いきや、そんなに低い場所でもなく従って視界が開けた部分もあり、こちらも十分に楽しい道だといえた。景色のいい山の上の方で休憩だ。
次の村のキウミKYUMIに到着したのは9時50分だった。このルートはマイナーであまり人が通らないのかと思いきや、立ち寄った宿にはトレッカーが他にも休憩していてこのルートを通る人も少なからずいるようだった。
ここの休憩所には往年のヒッピーといった様子の30代白人カップルがいた。男性は金髪と髭を長く伸ばして、女性はスパッツを履いて腰に地元のスカーフを巻いて大きなサングラスをかけている。細くて足が長いからそれがとてもカッコいいけど、あまりトレッキングというスタイルじゃないなぁと思っていたら、パッサンがこの二人を今月の初めに見かけたことがあるというのだ。
しかも、場所はアンナプルナ一周のハイライトであるトロン・パスの辺りというから驚き。トロン・パスは標高5416mもあってアンナプルナ山域のトレッキングコースとしては最高度の場所だ。ああ見えてめちゃくちゃアウトドアな人だったのだ。スタイリッシュなアウトドア。これ、カッコいいねぇ。まず足が長くないとだめみたいだから、私たちには無理だけど。
ここからシャウリバザールへの道は、地元民の生活が良く見えるという意味で面白い道だった。
山を巻き込むように巡る道沿いでは、大きな葉っぱの塊が前方を歩いているのを目撃。な、何だ?と思ったら下に足が2本ついている。背中というか全身に葉っぱを背負った女性だったのだ。この葉は家畜の肥料にするらしいが、毎日こんな風に餌を運んでいるのだろうか。
村の中に入ると民家の軒先をかすめて歩く場合もある。人の家の庭をあるいているようで、部屋の先にあるたたきにゴザをしいて寝転がっているお母さんと乳飲み子がいたり、じゃぶじゃぶと水道で洗濯をしている女性がいたりして、生活が見えてくる。
再び山の中に入ると、「コケーッコッコッコ」とけたたましい音が前方から聞こえてくる。背中に4段になったタナを背負った男が転がるように山道を下りてきた。中には鶏がぎっしりつまっていて、どうしたものかバサバサと動かないで大人しいものの、時折鳴いてみたりしているのだった。生きているまま運ぶのが一番新鮮だ。
やがて立派な棚田の中に作られた道を歩く。川の向こう側を歩いている時は、こちらの斜面の棚田を遠くから見て立派だと思っていたが、近くでみても美しい。きっちりとでも曲線を持って作られた棚田の道を歩く。
棚田が終わるとまた少し山の中を歩くということを繰り返しながら進むと、やがてずっと先に光る川が見えてくる。
「あのあたりがシャウリバザールなので、もう見えてきたから近いです。頑張りましょう」とパッサンが言う。見えてきたといってもそうそう先の方にちょびっと見えているだけなので、まだまだ遠い。実際にここから約1時間くらいかかった。
シャウリバザール村に行く最後は長い長い下りの階段道だった。
膝の痛みに耐え切れなくなった夫は、ついに新しい歩行方法を編み出した。いわく、「後ろ向き歩行」だ。この写真は上っているのではない。下っているのである。「おお、感動的に膝が痛くない。早くこうして歩くべきだった」と感動しながら後ろ向きに下りていく姿は、かわいそうとは思いつつもかなり面白い。近所の人も「なんじゃ?」というように見ていた。
もうそこの階段を降りきったら村という地点で、鈴なりの荷物をぶらさげたロバの一行に遭遇。私たちは脇によけてロバが通り過ぎるのを待っていたのだが、階段の下で先頭のロバはピタッととまり、そこから先に頑として行こうとしない。
ここから先がずぅーーーーーーっと上りだということをこのロバは知っているのだ。ロバ飼いに鞭を当てられて叱られて、ようやく歩き出した。ロバの気持ちはよくわかる。
12時半にシャウリバザールに到着。7時半に出発したので5時間が経過している。今までだったら、もうここで今日は終了という時間だ。
この時点でシャウリバザールから先、どのくらいの距離を進むのか、一体ルムレがどこにあるのか私たちはわかっていなかった。本来行こうとしていたナヤプルがシャウリバザールから1時間半だと思っていたので、路線変更したルムレも同じくらいかと思っていた。あと1時間半なら頑張ろう。
そんな気持ちで午後1時半にシャウリバザールを後にした。
シャウリバザールからナヤプルに行く途中チャランコットに分岐する道はガイドがいないとほぼわからないだろう。何の表示もされていなくて、民家の隙間みたいな道を通っていったからだ。
この後すぐに橋を渡って再び川の東側を歩くことになった。
広い車も走る道沿いには馬が待機している場所とロッジがあって多くの白人客がゆっくりと過ごしていた。どこかの国のアーミーの駐屯家族だとパッサンが判定。世話しているガイドとポーターの制服から判断したようだ。何でもよく知っているなぁ。
ここから先は観光客もめっきり減って、トレッキングの道というよりは本当に村のあぜ道というか街道を行くコースになった。上っちゃぁ下り、上っちゃぁ下り。今日はこんな風に激しく歩くとは思っていなかったので、肉体的にも精神的にも疲労困憊だ。夫はもう完全に後ろ向き歩行でなければ階段を降りられない人になっている。
あらあら。私たちいつのまにまたこんな高い所に上ってきてしまったんでしょう。ってくらい川が下に見える。しかし、この先のチャランコット、そしてルムレはもっと高い所にあるというのだから、大変だ。
そ、そこは本当に道なんですか?というような瓦礫が積もって緩やかな滝が枯れたような所を横切ったり、見上げるような雑木林のジグザグ道を上がっていったり、この道は本当に大変で、こんなことならマオイストに支払った方が楽だったのではないかと口をついて出てきてしまうくらいだった。
パッサンは、そんな私たちを勇気付けるように、ポーター時代の苦労話などをしてくれた。日本人客が専門のポーターだったパッサンだが、カメラマンのグループは常に大変だったという。一人につき一人のポーターが担当するのだが、ある日パッサンが担当した日本人の年配の男性はポイントにくると三脚を出せとか、レンズの箱を出せとか、出し方が遅いとか言ってくる。ポーターは荷物を持って歩くのが仕事であって、カメラマンのアシスタントはしなくていいんじゃないのかとパッサンも思っていたのだが、状況としてやらざるをえないのが辛かったそうだ。
しかも、歩いていると「この花は何と言う」とか「あの鳥は何と言う」と聞いてくる。パッサンが「わかりません」と日本語で答えると、「何でわからないんだ。君には一日US$20も支払っているんだぞ、ちゃんと勉強しなさい」と物凄い剣幕で怒られたそうだ。しかしパッサンは実際にはUS$6くらいしかもらっていないし、職種もガイドではなくポーターなので怒られる筋合いはないのである。ガイドとポーターの区別もわかっていないし、通常のポーター料金よりもかなり高い値段を支払っていることにも気付いていないし、中間の旅行代理店が抜いているマージンも把握しないでポーターを怒鳴りつけるなんて、ひどいよなぁ。パッサンは本当に悔しい思いをしたんだろう。結局、このお客はパッサンが気に入らずに担当替えになったので良かったと言っていた。
しかし、一方では同じグループの中にネパールに何度も来て事情がわかっている人もいて、夜になると日本人とはつるまずにパッサンを含めポーターを引き連れて飲み屋に行ってご馳走してくれたので、パッサンの日本人への印象は悪くない。私もその話を聞いてちょっと安心した。その人のやり方がいかにも日本人らしい。
別のカメラマングループについた時は、時間がないからとポーターに荷物を背負わせて朝から晩まで山の中を動き回られたそうだ。荷物を持たされている方は、いくら仕事とはいえお昼休みくらいは欲しい。そこでパッサンは「あのー、お昼ご飯を忘れているようなのですが」と慎み深く言うと「ああ、そうねぇ。」とチョコレートを渡されて引き続き歩かされたそうだ。
やっぱりねぇ、何らかの労働レギュレーションが必要だと思うな。
とまぁ、こんな話をしてくれてようやくチャランコットに到着したのは午後3時45分だった。
チャランコットからルムレまでは勝手に15分くらいかと思っていた私たちは、「あと1時間で終わりですから」という言葉にぎょっとした。まだそんなにあるんですか。
ここからは本当に村の中の石畳を歩く道で、所々に数段の階段はあるものの山道ではない。
ここから先に行くに従って、パッサンは運転手と2時に待ち合わせをしていたことを気に病み始めた。私たちの歩き方が遅いということもあり、2時間くらい遅れている。運転手は待っていてくれるだろうか。すれ違う村人ごとに聞き込み調査を行っていたが、ルムレ近くになってようやくずーっと前から車が待っているという情報を得て安心した。
そして午後4時16分。とうとうルムレに到着。観光客もそしてマオちゃんも一人もいない地点。車の前でやり遂げましたー!と最後の記念撮影を行った。
ここからは車で1時間くらい。帰ったらポカラはすっかり夜の闇の中だった。
パッサンとバラットには本当にお世話になったが、今日はもう疲れて動けない。翌日の夕食の約束をしてそれぞれ家路についたのだった。
この日の食事については「本日の献立2007年10月28日」をご覧ください。
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