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2007.11.10
スワナンブヤート、ダルバール広場
ネパール:カトマンドゥ |
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カトマンドゥのタメル地区から西側2km離れたスワナンブヤートと宿から1.5km南に下ったダルバール広場へは両方をあわせて徒歩でまわると丁度いい散歩コースになりそうだ。
タメル地区の日本風カレーライスで有名な店ロータスなどに行くと、タメル地区を中心に周辺まで含めた見所や店の紹介を書き込んだ地図をくれる。これが結構役に立つのだ。
ということで10日の朝9時頃、地図を片手にまずは西方のスワナンブヤートをめざして歩き始めたのだった。観光地区であるタメルを一歩出ると、すぐにひなびたネパールの庶民の生活が漂う町中を歩くようになった。ティハールという日本の盆と正月をあわせたような祭りの季節。そのイベントの一つなのか、小さな寺院に地元の人が集まって、願い事を書いた紙を風船につけて飛ばしているのを見かけた。
25分くらいも歩くと丘の上に白いお碗をかぶせたようなストゥーパが見えてきて、それを頼りに坂道を上がっていくと、土産物屋や茶屋が並ぶ参道のような場所に出て、スワヤンブナートの入り口にたどり着くのだった。
長い階段が上まで続いていて、これをのぼりきるとストゥーパの目の前に出るのだが、バスや観光大型車の走る道はこの入り口の裏手になるので、ここからスワヤンブナートに入る外国人観光客の姿は皆無といってよかった。
階段の途中には派手な色使いの仏像が並んでいたり、乳飲み子を抱えてサリーを着た女性が物乞いで手を出してきたり、
バリ島のお面のような奇妙な想像上の生き物の彫刻が配置されていたり、ヒンドゥ教で見られるような飾りをつけた白い像の置物もある。あ、ついでに猿も多くいる。
日本で想像する仏教というイメージからは随分と離れていて、華やかで、ごちゃまぜで、賑やかな場所だった。
階段を上りきる20段くらい手前を通り過ぎようとすると、左手の小屋から男に呼び止められる。ここで入場券を買わなくてはいけないのだそうだ。一人NRS100(=US$1.52、2007年11月05日の換算レートUS$1=NRS65.7を使用)。とても安い拝観料金なのだが、外食でご飯をNRS30と40で食べているのですっかりそういう感覚になってしまって、高く感じられる。よく考えると全く高くないのだが、不思議なものだ。
入場料金を支払って先に進むと、ドーンと目の前に聳え立つストゥーパ。狭い敷地にいっぱいいっぱい建てられているので、とても威圧感がある。真っ白いマシュマロみたいな胴体の上に目玉のマーク。うーむ、どうしてもフフッと片頬をあげて笑い出したくなるなぁ。
ストゥーパの足元にはお経を書いた金属製の円柱がいくつもぶら下がっていて、これをクルクルとまわしながら歩いている人もいる。円柱と円柱の間にはお賽銭をいれる場所もあり、クルクルと回しながらストゥーパの周りを歩いてお賽銭の前で拝んでいる。んん?
よく見ていると、拝んでいる振りをして中のお賽銭をかっぱらっているじゃないか。信心深い人が多いなぁと思っていたのだが、お賽銭をあさる人が3分の1くらいいて呆れてしまった。
ここまで来ると日本人を含めて観光客の姿がたくさん見られる。日本人は60代以上と見られる人々が圧倒的に多く、大抵は日本語の上手なネパール人ガイドさんがついてきていた。
ストゥーパのまわりを歩いていると、何やら上から白い液体が降ってきて、パパッと洋服やカバンにかかってしまった。何だ、何だと上を見上げるとストゥーパの上に2人の男性が乗っていて小麦粉を水で溶かしたような液体をモップでストゥーパに塗りつけているのだった。
下を観光客が歩いているなんて関係ないもんね、僕達は神様の仕事をしてるんだもーん!ってわけじゃないだろうが、何のお知らせもなく白い液体が降ってくるのがネパールである。気をつけて歩かなくっちゃいけない。
ストゥーパの裏手の左側は昔ながらの建物を使った土産物店が並んでいて、ここの雰囲気はとてもいい感じだ。2階、3階にある木のよろい戸の彫刻とレンガの壁がマッチして、とても美しい一角になっていた。
ストゥーパの裏手の右側からは細く道がつながっていて、更に先の寺院に行ける様になっているようだ。この辺りに大型バスの駐車場があり、車で訪れる観光客はこちらから上がってくる。確かにここからの方が階段ののぼりが少ないので楽。物乞いも気付くとこちらに場所を移してきていた。何事にもマーケティングは必要な時代よね。
ここから先にはストゥーパほど感動する建物はなく、ちょっとした寺院のような建物があるばかりだった。
しかし、市街地が見下ろせる景観を楽しんだり、野生のサル達が闘争したり小猿が追いかけっこをして自由に野山のツルを伝って遊んでいる姿を見るのはかなり面白い。
食べ物などを持っているとひったくられるらしいので、ここには持っていかない方がいいだろう。彼らはかなり凶暴凶悪な性格の持ち主に見受けられた。
ゆっくり見て周って45分。10時15分にのぼってきた階段を降りて今度はダルバール広場へと向かった。
地図はあるものの、実際の道とは少し違っている所もあり、周囲の人に聞きながら進んだ。こんな小さな国だけれど、外国から大勢の観光客が訪れているせいか、人々は全く物怖じせずに、親切に道を教えてくれて、しかも間違っていない。そいういう意味ではいい国なんだなぁ、ここは。
道沿いのちょっとした空き地に祠があって神様が祭ってあるのもネパールの特徴らしい。注目は祠の前に置かれている、日本で言うと狛犬にあたる彫刻。玉の首飾りをつけて、片手に蓮の花を乗せた豚?お祭りの赤い粉をかけられて、このキッチュな狛犬がとても可愛らしかった。
ヴィシュヌマティ川を渡ると、再び賑やかな地区に近づく。この川が臭い。生ゴミ、汚水、ペットボトル他ゴミがどんどんと投げ捨てられてドブ川と化しているのだ。すがすがしいヒマラヤ山脈の凛とした山々を抱く国とはかけ離れた町の実情で、こりゃぁまずい事になっていると思った。
下水浄化の設備ができていないのもあるし、道々には定期的に生ゴミがうず高く積み上げられている。ゴミ集積所として決められている場所のようなのだが、それが人通りの多い道の途中で、しかも入れ物もなく近所の人が無造作にゴミを放っていく。しばらく日がたつとごみ収集車が来てさらっていくことになっているのだが、それまでは悪臭を放っているのだ。ネパールの政治に興味があるわけでは決してないが、登山やトレッキングを行って素晴らしい印象を持っただけに、この町の汚い現状が悲しかった。
中心地に入ってくると、ますます道が複雑になってわかりにくくなってくるので、本当は最短距離で行こうと思っていたのに、いつのまにかインドラチョークという交差点からまわりこんでダルバール広場に入ることになった。お陰で、途中の道には幾重にも木枠が重なった窓のある場所も通ることができた。思わぬ寄り道も旅においては楽しいものだ。
ダルバール広場のダルバールはネパール語で「宮廷」の意味だそうで、広場には旧宮廷や寺院が密集して立ち並んでいる。この区域に入ろうとすると、またまた呼び止められて小屋で入場料を支払うことになった。一人NRS200(=US$3.04)。インドラチョークから入る入り口が取りたてが厳しいようで、広場から一度出て別の入り口から入る時には何も言われなかった。なかなかいい加減だ。
ダルバール広場にも祭りの雰囲気が漂っていて、地元民と観光客でごった返して賑やかななことこの上ない。ここは小さな寺院がいくつもポーンと建っていて、それを取り囲むように大きな寺院がいくつか立っていた。
寺院と寺院の間は車も走る道路になっているのだが、道すれすれに寺院の麓に露天の果物や野菜売りやお祈り用の生花売りなどが出ていて、車と露天を縫うようにバイクと自転車が走り、その隙間を縫って観光客が徘徊している。
こんな風に世界遺産に指定された場所が町中の生活と一緒くたになっていて、寺院も日本の境内のように静寂な敷地に囲まれているのではなく、喧騒の中にあるというのが今朝も思ったのだが賑やかな宗教だなぁと言う印象につながった。
この一角にはクマリの家もある。クマリというのは、生き神様として選ばれた少女のことで、この家で神としてのふるまいを教え込まれながら暮らしているのだそうだ。クマリの顔を見てみたいものではないか。
クマリの家の門をくぐると、中庭を囲んで四方に同じような窓のついた壁がある。このどこかにクマリがいるはずなのだ。
ガイドブックにはクマリの世話人の女性にしかるべき拝観料を支払うとつまらなそうにクマリが顔を出してくれると書かれていた。しかし、それらしき女性もいないし、いくら請求されるかも恐怖だったので、団体観光客が来て便乗して見られないかなぁと期待して待っていた。
近寄ってきたのは自称ガイドの男。ガイドの斡旋だとは言わずに、雑談から話に入る。そしてネパールの歴史やクマリの話などを勝手に行うのだ。エジプトでの体験から、ここで耳を傾けるとたとえガイドを断ったとしても、「これだけ話をしたのだからちょっと頂戴」という流れになると予想がついたので、男の話の途中に、そんなに話をしてくれるのはありがたいが、私はガイドを雇う気がないのでお断りするときっぱりと申し出た。すると男は明らかに不満げな顔になり、ガイドなしで説明も聞かずに一体何を観光するのか、一体何を見に来たというのだと説教モードになり始めた。ええい、うるさい。私にはこのガイドブックがあるのだと「地球の歩き方」を差し出すと、そんな物よりは私の説明の方が詳しくてためになるとまたしゃべりだす。やれやれ。ここにいる限り、黙ってクマリ待ちをさせてもらえそうもなくなったので、私たちは退散することにした。
今度は広場の真ん中に立っている寺院の階段に登って、高い場所から広場を見物してみよう。
寺院の階段の下でミカンを売る露天のオレンジ色、レンガ色の寺院、その手前にティハールを祝うために道に生花で作られた飾りなどがパーッと色鮮やかに日に照らされて美しかった。
しばらくすると、賑やかな音楽を演奏する音が鳴り響き、トラックの荷台に伝統的な衣装を身にまとって太鼓を叩き、ラッパを吹き鳴らす一段がやってきた。パレードっちゃぁパレードだ。この様子をカメラにおさめようとシャッターを切るプロらしい白人や、何と本格的なテレビカメラを持ち込んでいる白人女性もいた。どんなニュースで流れるのだろうか。私たちアジア人よりも西洋人にとって、この光景はより珍しく映っているに違いなかった。
このパレードがおさまってきた頃に寺院の階段を降りて、パレードが走ってきた方向に向かって歩いてみた。
こちらにも別の寺院が立っている。寺院の奥には、赤い布をかぶせられた猿神ハマヌンの像があり、そこが旧王宮が寺院への入り口なのだそうだ。警備の人が立っていて、別途入場料を支払って入るようになっている。
団体観光客はグイグイと引きこまれるように入っていくが、ガイドブックに詳細な説明もないし、私たちはまぁ、この中はいいだろうと割愛した。
道端には祭りの飾りをつけた子牛がのんびりと座りこんでいたりして、ダルバート広場の喧騒と比べると、ここは大分静かな雰囲気になっていた。この一角には派手な彫刻の場所もあり、これはシヴァ神の化身なのだそうだ。ヒンドゥ教徒だろうか、花をささげていた。
ここでお昼ご飯の時間。ガイドブックで注目していた店は既になくなっていて、タメル地区が観光のメッカとなる以前はヒッピーも集まって栄えていたというジョッチェン通りJhochhen
Toleに行ってみた。宿が数軒といくつかのレストランはあるのだが、あまり素敵なレストランに見えないのに価格がタメル地区と比べて安くもない。メニューも西洋人向けにスパゲッティーやピザなどと出ている。
むむむとうなる中、英語の看板もなくネパール語しか出していない超地元民御用達の食堂を発見。皆が食べている定番のダルバート(カレー、豆のスープ、ご飯のセット)を注文してみると、お代わり自由だし、おいしいし、安いし。やっぱり庶民の味方の食堂に行くに限ると納得したのだった。
さぁ、今日見るべきものは見たし宿に帰ろう。
ダルバール広場からインドラチョーク、タメルチョークと歩いて行くと、タメル地区とは違って庶民のための日用品のお店がたくさん並んでいる。
女性用の衣料品店は中国製と思われるあまり興味のわかない衣料品店か、素敵な布地を扱っている店は全てオーダーメイドのお店だった。ネパールの女性は衣類をオーダーメードするのが一般的なのかなぁ。たくさんの布地店がみつかった。
盆と正月をあわせた時期とあって、普段は国の外に出稼ぎに行っているネパール人が帰郷している。そういう人がわんさと町に繰り出していると思えるほど、年末の浅草のアメ横みたいな状態になっていた。こんなに大量のネパール人に揉まれながら歩くことになるとは思わなかったので、これもまた珍しく面白い経験だった。
ということで、午後1時半にタメル地区に戻ってきた。見所を駆け足でまわるツアーバスに乗ってしまえば効率はいいかもしれないが、現代を生きるネパール人のライブの生活を垣間見る機会は少なくなるだろう。私たちの好みとしては、自分の足で寄り道しながら肌でネパールを感じる旅。今日もそういう意味では思いっきりネパールな一日だった。
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