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2007.12.22
チェンマイトレッキング第2日目
タイ:チェンマイ |
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朝6時半。まだ皆眠っている中、朝日を見ようとテラスに出てみると、東の空が素敵に染まってきた。色んな場所で朝日を見てきたが、この日の朝日はとても美しかった。
ここからの朝日が特別に美しいというよりは、この日の雲の状態がとてもよかったのだ。東の空にうっすら雲が広がっていて地平線がオレンジに、それを写して雲がピンク色に染まって、明けていく空がだんだんと夜の黒い青から水色に変わっていく。日が頭を除かせるほんの2分前まで楽しめる貴重な時間だった。
8時からの朝食まではまだ時間があるので、村の近所を散策してみることにした。
村のはずれには門がある。ここからこの村が始まることを知らせているようだ。
村人が通りかかって英語で少し会話をした。この人は、昨日挨拶してもし返してこなかった村人とは違って、「ようこそわが村にいらっしゃいました。ごゆるりとお過ごしください」とホスピタリティーたっぷりで、写真も撮影してくれた。昨日は何てドライな村なんだろうと思ったが、みんながドライなわけではない。こういう人もいるんだなぁ。
宿の裏手は少し丘になっていて、あがってみるとまた別の観光客宿があった。この村には一体何軒こういう宿があるのだろう。この宿の向こう側が谷になっていて景色が見渡せる。朝日を浴びて谷間には雲が発生し山間は雲に埋め尽くされて雲の川が流れているように見える。これはなかなか幻想的な風景だった。
朝食もテラスにゴザを敷いて摂る。しかし、何とトーストとスクランブルエッグ。2泊3日という短いツアーにもかかわらず洋食を入れてくるあたり、なかなか観光客に配慮しているなぁ。実際、タイに入ってきて数日間経過しているというイギリス人は「タイ料理は嫌いではないけど、今、一番食べたいのは正直パンピザ(※1)なんだよねぇ」と言っていた。世界中のどこを旅行していてもパンピザが食べたくなるなんて私たちにはあり得ない。というか、この世の中でパンピザを好んで食べたい人がいるってのが驚きだったんだけど、とにかくこういうイギリス人なんかの意図を汲んでいるのがこのツアーの心憎いサービスだ。
※1生地が2cmくらいあるパンのピザ。ピザハットなどピザチェーン店においてある。パンピザは空腹を紛らわすために仕方なく食べるものだと思っていた。
ここに宿泊したグループのうち半数くらいは1泊2日の日程。先に1泊2日グループが出発して、2泊3日コースのメンバーは10時までここに待機することになった。
なんだか間延びしたツアーだ。
今日は宿泊した村のある山を下りて、再び別の山に上がり別の少数民族の村を訪ねるた。昨日に比べるとそんなにアップダウンも激しくなく、40分ほど歩くと自分達が宿泊していた村が向かい側に見えてくる地点まで到達。
この村は中国人の村だと聞いてびっくり。どういう理由かわからないが中国人がタイのチェンマイの山奥にやってきて村を形成しているというのだ。
おじいさんは中国語で孫悟空を読んでいたのでこの地に入ってきたのはそう遠い昔のことではないようだ。
みんな顔立ちが日本人に似ていて、子供達は昔の日本の子供のようにおかっぱにしていたりしてタイムスリップして昔の日本にきたような感覚になる。ここで20分くらい休憩することになった。休憩、長い。
この村を抜けて丈の高い草の生えた野原や白い花の咲く野原を過ぎて、11時半に昼食休憩の滝のある民家までやってきた。
歩く道はそんなに厳しくないのだが、日差しがとにかく強くて汗だくになる。大きく屋根のかかった席に座るってホッと一息。ここで昼食が出るまでの1時間ほどを近くの滝や川で過ごしてくれと言われて、みんなでどやどやと出かけたのだった。
滝は2段になって落ちているもので、大きな規模ではないがそれなりに水量もある。滝壺に入って滝に打たれる人も少なくなかったが、水が流れていく方向から滝壺に近づこうとすると押し流されるのと同時に、岩に何かシャープなものが張り付いていて足に刺さるようなのだ。うちにグループのクロアチア人と今日のガイド(昨日シェフ兼ミュージシャンやってくれた人)が足を少し切ってしまっていた。
因みにこのクロアチア人は資本主義になってから自分で商売を始めて、1年に2回は会社を休みにして旅行することにしているんだそうだ。
私は滝から少し離れたプールのようになった場所で水浴びして楽しんだ。ここなら安全。でもまぁ、下の泥があまり美しくないし浅すぎるってのが難点だけどね。
お昼ご飯はインスタントラーメン。ちょっとだけ野菜入り。
そりゃぁ日本人もインスタントラーメンで軽くお昼を終わらせるってこともあるだろうが、ツアーの昼食でインスタントラーメンってのには驚く。せめてインスタントじゃない麺にしてくれたらよかったのになぁ。私たちよりもブーイングしていたのは他の国の人々。クロアチア人、イギリス人、イスラエル人という面々は「で?メインはいつ出てくるの?」とジョークにしながらも、全く満足していないようだった。
食事は乏しかったが、農家のような庭先で犬と遊んだり、鶏の親子が歩いて行くのを見るのは心が和む風景だ。特に忙しい都会で仕事に追われる生活を抜けてここに来た人にとっては、癒される風景だろうなぁ。
午後2時に出発。村を出てしばらくは森の中の川沿いの道を歩いた。せせらぎを耳にしながら歩くのは気持ちがいいし、森の中なので涼しい。足元はゴロゴロとした岩がありあまり歩きやすい道ではなかったが、その分ゆっくり歩くことになるので疲れない。
川から一旦離れたもののアップダウンをこなしてもう一度川沿いの滝のある場所に出てきた。昼食時に水着を着替えてしまっていたので、ここではサンダルで川に入る程度。この後も炎天下を歩くことになったので、水着を着ておいて濡れたまま歩くのが気持ちよかったかもね。
昼食後からはいくつかのグループが着かず離れず歩くようになり、こういう休憩の場所も2グループぐらいが集まるので賑やかな雰囲気だった。どーせ大した景色じゃないんだから、いっぱい集まって楽しくやったほうがいい。
滝の休憩を終えてからは日向の道を1時間。汗が水のように体を流れ落ちながら歩く。歩きながらサウナしているみたいだ。こういうのは嫌いじゃない。
午後4時15分くらいに今夜の宿泊所に到着。ここは村ではなく、明日のラフティングの出発地でボートやらの機材置き場兼宿泊所のある場所だった。
宿泊所の作りは昨日とたいして変わらず、竹の壁と床でできたやや高床の家だった。しかし、今日は標高が低いし川が近くにあるために夜もそんなに気温が低くならない。
今日は到着時にビールを飲むことにした。ここにも冷たく冷やしたビールがおいてあるので助かる。
敷地内の別の建物がシャワーとトイレになっていてシャワーは相変わらず水がめに汲んだ水だった。昨日は川から流れている水をためているようだったが、今日の水は雨水を溜めているのだろうか、下の方に泥がたまっている水だ。宿の人は水が少なくなると水がめに水を補給してくれるのだが、使えるようになるには泥の沈殿をまたなければならないようだった。私が入ろうとした時に水が少なくて補給してもらったのだが、すぐに使ったのでじゃりじゃりしてしまった。やれやれ。これもアドベンチャーの一つだと思おう。
今日の夕飯は屋根のかかったテーブルと椅子のおいてある場所で午後6時前から。豆腐とインゲンの炒め物が出て、これがなかなかおいしかった。
午後6時半にしてもう夜更けのように思える雰囲気。今日のガイド氏はギターの上手な人なので、今宵も彼のギターをBGMにおしゃべり。
今回のツアーには3人のイスラエル人が参加していた。
私たちがこれまでに出会ったイスラエル人は主に南米に旅行している兵役を終えたばかりの若者ばかりだった。まだ社会的な常識も身につけていない、兵役で貯めたお金をより長く使って旅行したいという10代後半が20歳そこそこの若者ばかりで、宿代金をねぎる、踏み倒す、キッチンを汚すなどよくない噂ばかりを聞いたし、実際に一緒の宿になると遠慮をしない彼らにうんざりすることがしばしばで、イスラエル人に対して決して良い印象を持っていなかった。
ところが今回一緒になったイスラエル人のうち、一人で旅行している男性は空軍に勤めている青年で二人組みの女性は大学生でこれから兵役に行こうかという人たちだった。つまり、今まで出会ったイスラエル人よりも年齢が少し高いし、全員大学に行っている。イスラエルの大学で何を教えるのか知らないが、3人ともしごく普通、というかむしろ普通よりも感じがいいし品もいい人たちだった。今回出会った3人によってイスラエル人に対する印象がガラっと変わったのは確かた。女性達の一人にイスラエル人というのは日常生活でもユダヤ教の戒律を厳しく守って生活しているのかと聞いた所、自分の周囲では宗教的な生活をしている人はほとんどいないという答えが返ってきた。
「アメリカの映画とかでよく見るじゃない?」というと、恐らくあれはイスラエルという国を離れている人々がばらばらにならないように宗教でつながるために戒律を厳しくしているのであって、国にいる人は普通に宗教色もあまり強くなく暮らしているのだということだった。じゃぁ、シルクハットに長髪で黒い衣装の人はいるのかと聞くと、いることはいるが国の中でも少数派で、彼らは彼女のように肌を露出した洋服の女性を見てもいけないことになっていて、通りすがりに見ないように手で目を覆いながらすれ違うのだそうだ。そういう光景は現代っ子イスラエル人から見てもとても奇妙でカルト的な行為に見えると言っていた。
いやー、始めてイスラエル人とまともな会話が成立しているってのが、この日の一番の嬉しい驚きだった。って本人たちには正直には言い辛かったけど言ってみた。空軍に勤める彼は「ああ、彼らの噂は知っている。彼らは10代がほとんどで全く世の中がまだわかってないからねぇ」と、これも普通の反応。いや、イスラエル人って普通じゃーん!というか、あの10代の子たちは、たった数年でこんなに大人になるものなんだろうか。いや、違うな。あの10代の子たちは兵役で貯めたお金を使い果たしたら2度と国の外に出られず、こうして出てこられるのは一部のお金持ちや高所得者だけになってしまうから、大人で旅しているイスラエル人は感じがいいんじゃないだろうか。私たちはある国の人に対する印象を自分のわずかな経験から作り出しているけど、それは往々にして偏見に満ちている場合あるんだなぁ。
ところで空軍に勤めている彼は、今回タイに来るのに大変苦労している。というのも軍人なのでアラブ諸国上空を飛ぶ飛行機に乗ることができず、超迂回しながらイスラエル航空を使ってくるしかないからだそうだ。万が一飛行機事故でアラブ諸国に不時着陸でもしようものなら国際的な問題になりかねないので禁止されているんだそうだ。もちろんより高くかかる費用は全て自己負担。ややこしい立場の国にいる公務員ってのは大変なんだなぁ。管制官として神経をすり減らす仕事に就いている彼は、今年の4月にストレスで記憶の一部が飛んでしまって以来、45歳になったら絶対に引退すると心に決めているので、私たちの生き方にとても興味津々だった。国や人種を超えてこういう話ができるのはとても楽しい。愉快な夜になった。
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