夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2005.03.07 ベニスビーチの「ベニス」を探しに・・・
アメリカ合衆国:ロサンゼルス
 ロサンゼルスにあるベニスビーチは、たばこ産業で儲けたAbbot Kinneyによって命名された。Abbot Kinneyはこの地に運河を掘り、イタリアのベニスのようにしたかった。そんな説明をガイドブックでは見ていたが、その後、計画は頓挫し運河の大半は埋められてしまったというくだりで、運河への関心は失っていた。ところが、ホテルのテレビのトラベルチャンネルでベニスビーチを特集しているのを何気なく見ていたら、美しい運河沿いの家々が映し出されているではないか。運河はまだあったのだ。

 早速ベニスビーチの地図を広げると、運河らしき水色の線が4本とそれらをつなぐ2本の運河が縦に走っている地域がある。行ってみようじゃないの。地図に従ってテクテクと歩いていくと道の先がもっこりと盛り上がって、小さな橋になっている。あった、あった。運河がありました。現在は全くの住宅街で、カフェなどもなくただ民家が並んでいるのみ。
しかし、どの家も運河にボート用の小さな船着場を持ち、家や庭も美しく手入れされていて、観光地ではないけれど、歩いていて気持のいい場所だった。4本の運河を渡って海に続く縦の運河に立って見ると、橋の様子や運河に迫った家々の並びが、なるほどベニスに似せてある。ここに至ってやっとベニスビーチがベニスビーチといわれる由縁が納得できた。
宿に戻ってから、Abbot Kinneyについて調べてみた。若いころにヨーロッパ留学していた彼は、イタリアのベニスとリビエラを気に入り、それが後の構想につながっていったらしい。兄弟で始めたタバコ産業は順調に成長し、やがてバイヤーとして赴いたトルコでAbbotはクリスチャンの大虐殺にあい、命からがら逃げて帰る(事件があった地はいまはギリシャらしい)。
 この事件がトラウマとなった彼は、3年間の休養をとることになる。この辺りでいかに彼らのビジネスがうまくいっていたかがうかがえる。日本のビジネスマンは人質になろうと、事件にまきこまれようと、おそらく会社は3年もの休暇をくれないだろう。「私、あの事件がトラウマになっちゃいまして」って言ったって、許してはもらえまい。自分でビジネスを起こして、それがうまくいっているからこそ、このような自由が許されるのだ。

 で、その休暇中に彼は落ち着ける場所を探しながら世界中を旅して周ったとある。ハワイに行く途中で立ち寄ったサンフランシスコで南カリフォルニアに良い療養施設があると聞いた彼は、子供のころからの持病である喘息と不眠症の治療のために、その施設を訪ねた。そこで思わず眠りに落ちた彼が目覚めると、喘息がすっきりとおさまっている。決めた! 彼はカリフォルニアに根を下ろし、シトラス農場を開き、結婚し、土地を買い広げ、避暑地としてやってきたサンタモニカで土地事業に関心を持ち始める。

 ここでも驚くのは、そのアントレプレナーぶり。何が彼をそこまで駆り立てたのかまでは書かれていないが、次々に新しい分野の事業に着手している。1800年代後半のまだあまり開拓されていないサンタモニカで、人と金とビジネスチャンスが渦巻いていたことが推測されて面白い。

 そして彼はついに1905年にVienice of Americaをオープンさせる。1911年にはOcean Parkという名称だったこの地をVenice Beachに変更させるほど市政にも力を持った。当時は観光客がミニ蒸気機関車やゴンドラで行き交い、海で泳ぎ、ラグーンのそばでバンドの演奏に耳を傾けていた。今、わずかに残された運河から当時の繁栄ぶりは想像しがたいが、どんなにか賑わっていたことだろう。
(ここまでの資料http://naid.sppsr.ucla.edu/venice/articles/kinney.htm

その後、運河の大半は車時代の到来によって埋め立てられてしまったが、別の資料によると1994年に6本だけ残った運河をロサンゼルス市がもとの姿に戻したということだ。

 来週、このAbbot Kinneyが建てた家に滞在することになっている。いずれレポートで内容を明らかにしていくつもりである。
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