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2005.05.18 グナファト市内観光 |
メキシコ:グナファト |
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宿探しにも書いたが、初日のグアナファトの印象はさんざんだった。何せ重い荷物を抱えて、坂に次ぐ坂。宿の中さえも狭い階段が多く、とにかく疲れきった。そして、街並み。疲れきった精神に、中世の街並みの良さを感じる余裕などない。汚らしい、狭苦しいと不満ばかりが口をついて出てきた。果てには、「この街は長期滞在には向かないのではないか」「さっさと出て行くべきではないか」という家族会議にまで発展した、初日の夜だった。
ところが、一夜明けて充分に睡眠を取り、正常な精神を取り戻した目に映るグアナファトの街は、爽やかな朝日に照らされて、風化した建物が時代という装飾をまとった、味のある風景として映った。商業的に派手な看板が一切許されていない風景というのは、このようになるのかと思った。例えばディズニーランドや他のテーマパークが真似しようとしている風景の原画。例えば、宮崎駿が描こうとしている街の原画がここにはある。それは、作られたものには出せない味わいを感じさせてくれて、昨日の大議論が嘘のように消えて、ここに長期滞在するのが当然に思われてきた。
昨日はイダルゴ市場に行って、食料品を調達。イダルゴというのは1810年に独立戦争の火ぶたを切ったミゲル・イダルゴ神父から取った名前。1910年に独立闘争開始100年を記念して建てられた駅舎が、現在市場として使われているそうだ。メキシコは、歴史的重要人物の名前や出来事から取った市場や道路の名前が多い。この市場も見所の一つとして、ガイドブックに掲載されていたが、我々にとっては、どちらかというと生活の場となる。市場の売り物には、値段が記されていないから、いちいち「これはキロいくら?」と聞かなければならないのがちょっとやっかいだった。でも、今までの経験から照らした感じでは、観光客だからといって、高くふっかけてくる様子はなかった。
と、ふと聞き覚えのある曲が聞こえてきた。そう、グアダラハラのデゴジャード劇場の裏手で行われた、週末のイベントの歌謡ショーでアンコールの2曲目に流された曲だ。近づくと、市場内のCD屋さんが流していたのだった。曲目は、グアダラハラにいる時に宿の人に聞いてメモしてあったのと同じ。早速1枚購入することにした。ちゃんと曲が入っているかを確かめるために、その場で開封して、その曲をかけてもらった。と、隣の八百屋のお兄ちゃんも口ずさむ。サビの部分で、夫が「はい、ちゃんと入っているからもういいでしょう」とCDを止めさせた。八百屋のお兄ちゃんは「オーノー」といい「オートラ、オートラ」と騒ぎ始めた。オートラとはanother別のという意味だが、コンサートなどで使うと「アンコール」の意味になる。お兄ちゃんの「オートラ、オートラ」を背中に受けながら、大笑いで市場の出口に向かった。すぐに、同じ曲がかけられた。
このイダルゴ市場とグアナファト大学の側は、昨日の宿探しの最中で何度も通りかかったので、今日はその他の見所に行くことにする。まずは、フアレス劇場。まるでヨーロピアンな劇場は現在もコンサートに使用されている。入場料は一人N$20(約200円)だが、カメラ撮影する場合は、更にN$20(約200円)、ビデオ撮影する場合は、更にN$50(約500円)を支払う。我々は2人でN$60支払った。内部は、ホワイエと劇場内部の見学になる。赤い絨毯の劇場内は、緞帳も赤で、広くはないが豪華な感じ。階段や廊下のパケットの床には絨毯がひいてあり、傷がつかないように保護されるなど、メンテナンスにも気を配ってある美しい劇場だった。
続いて、お隣のサンディエゴ教会とラパス広場にあるバシリカ教会を見て、メキシコ壁画運動を牽引したディエゴ・リベラの生家に行った。さぁ、お次は、お待ちかねのピピラ記念像へのケーブルカー。ピピラ記念像は、丘の上にあるのでグアナファトの街を一望できそうだ。ケーブルカーの入口はフアレス劇場の裏手。イタリア民謡の「フニクリ、フニクラ」のフニクラはスペイン語でも同じく登山電車を指すようだ。急な斜面をケーブルで登って数分でピピラ記念像に到着。期待していた通りに、ここからの街の眺望は素晴らしかった。こちゃこちゃとした街が、おもちゃの様に見える。至るところに坂があり、また道路も地下道になっている。全体的にとても立体的な街並みが面白い。この街が作ったのが、インフォメーションで渡されたシティーマップは、この立体的な街を魅力的に見せようと、かなり努力していると思われる。見やすさという点からは?もあるが、主張は伝わってくる地図だ。ピピラからは歩いて降りる道もあるということで、それらしき道も見えるが、ガイドブックに「夜間に盗賊がでるようです」と書かれてあったので、日中だったがケーブルで降りることにした。
続いての見所は、ドンキホーテに関する作品を収集した博物館のドンキホーテ肖像博物館。うーん、前まで行ったけど、あまり人も入っていなさそうだし、ドンキホーテという作品に対して思いいれもないし、やーめた。ということで中には入らなかった。
次は、アロンディガ・デ・グラナディータスという所。今は博物館になっているが、1810年に独立戦争が始まった時は要塞として激戦地となった所だそうだ。外見は高い塀が積み上げられて、まさに要塞の構えだが、内部はパティオを囲んだ回廊式の2階建ての建物で見た目にも美しい。ここでは、近辺で出土された古代の焼き物の文様に使う型の展示が面白かった。「わっ、びっくりしちゃった」みたいな表情の素朴なデザインでなかなか可愛い。
独立戦争に貢献した人々の肖像がや、この地域の発展に貢献した人々に由来する展示物があるが、全てスペイン語の説明のみなので、詳しくはよくわからない。それでも、古代の展示と、独立闘争を描いた壁画は見ごたえがあるので、行ってよかったと思えたところだった。
最後は、「ミイラ博物館」。夫は行きたくなかったらしいが、閉館までまだ時間が残ってしまったので、渋々行くのに賛成してくれた。ミイラ博物館はmomias(momiaミイラの複数形)行きのバスで行く。イダルゴ市場近くのバスが多く集まるところで、いろいろな人に聞いて、ここから乗れることがわかった。浮浪者みたいな、汚れたおじいさんがフーっと近づいてきたので、「やばい」と無視していたら、何とmomias行きのバスが来たことを教えてくれていたのだった。すみません。他にも、周りで会話を聞いていたらしい人々が、口々に「このバスに乗れ」と教えてくれた。バスの中で、「オラー」と声をかける人がいる。見ると、今泊まっているホテルのお掃除のおばさん、マリアがいた。マリアはmomiasの途中に住んでいるらしく、降り際に「もう、あそこに見えている、あの建物だからね、じゃ、また明日ー」と教えてくれた。momiasはグアナファトの中心地から山一つ向こうにあった。入場料はN$50と高いのは、アメリカを始め、外国の観光客が見に来るからだろう。中は、一般市民のミイラが、上下2段に展示され、回廊式で続く部屋から部屋へ、これでもかという程続いた。こんなに大量のミイラを見たのは、初めてだった。
変な物が写ると怖いので、写真は撮らなかった。再び、バスに乗って宿に戻ってきた。ミイラは気持の良いものではなかったが、この辺りを走るバスに乗って、隣町に行けた経験は面白かった。
この街は、各見所というよりは、見所を伝って街をグルグル回ることで、街全体が世界遺産と言われる由縁を体感できるのが面白い。
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