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2005.08.01 マナティーツアー |
ベリーズ:キー・カーカー |
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7月31日の夕方6時、「シュノーケリング専門」と看板を掲げているツアー会社、Seagull
Adventuresに行った。28日にこのツアー会社を知り、ブルーホールへのシュノーケリングツアーを申し込んだのだが、人数が揃わないと催行されない。そこで、毎日、店が閉まる午後6時くらいに訪ねて、人数が集まったかどうかチェックするってことになっていた。
今日訪ねると、まだ人数は揃っていない。ここのツアーはダイバーは連れて行かない。シュノーケリングに特化したポイントだけを巡るからだ。しかし、ダイバーを連れて行かないと儲けが薄くなってしまう。従って、ダイバーと同乗していくツアーよりも割高な価格設定になっている。それが理由なのか、なかなか人数が集まらないようである。「まぁ、まだ滞在日数があるから、待ちますよ」と告げた。
「ところで」と、女主人のルチャーナが言う。「明日はマナティーを見に行くツアーなんですが」。マナティーツアーも、我々のリストにあがっているツアーの一つだ。オフィスに入って、詳しい経路を聞くことにした。
キー・カーカーを9時半に出発し、地図右下のGoff's Cayeに行く。キーの周りのさんご礁をシュノーケリングで楽しんだ後、キーに上陸して1時間ほど昼食の休憩。その後、マングローブに移動して、シュノーケリングの第二スポットを楽しむ。最後は、マナティーが生息する自然保護区公園のスワロー・キーSwallow
Cayeでマナティーを観察して、5時ごろに帰ってくるツアーだという。
他のツアー会社で見た同様のツアーはB$110(US$55)だというが、ここはB$120(US$60)である。しかし、ルチャーナの話しっぷりから、彼女が本当にこの海を気に入ってすみずみまで知り尽くしている情熱が伝わってくるし、シュノーケリング専門なのでポイントも抑えているだろうと思ったので、翌日8月1日のマナティーツアーに参加することにした。
翌8月1日の朝9時にオフィスに到着。他には英語圏の若い白人女性が1人しかいなかった。彼女は友達と2人で今日のツアーに参加する予定だったのだが、友達が先ほど銀行でめまいを起こして倒れてしまい、キャンセルしたいと言いに来たのだった。
「あらあら、可愛そうに」とルチャーナは言い、医者に連絡しようか、薬は持っているのかとケアしてあげていた。12人のツアーで2人キャンセルされたら15%強の売り上げ減だ。傍で見ている私が「いやぁ、それはちょっと痛いなぁ」と感じてしまったが、こうした人数の増減には慣れているだろうルチャーナは、平然としていた。
さて、今度は我々がお世話してもらう番だ。足を見ただけで、フィンのサイズをピタリと言い当て、マスクも顔に当てて息を吸わせ、顔に張り付いて落ちなければ合っているというチェックを行う。今まで参加したツアーでは、「足のサイズいくつ?」と聞かれ、マスクは適当なのを渡されていた。お陰で鼻から水が入ったりして、ちょっと痛い思いをした時もあったのだ。今回は、ぴったりのマスク。これなら水がもれて入ることもないだろう。うーん、ルチャーナはちゃんとしていい感じ。
やがて9時半になろうかというころ、他の客が集まってきた。スペイン人の年配の女性2人組、イタリア人のカップルが3組だ。ルチャーナはイタリア人で、スペイン語と英語が話せるので、おのずとラテン系が集まってくるのだろう。最後に、飛び込みでアメリカ人女性1人が参加することになった。彼女は、昨日ルチャーナのツアーに夫婦で参加し、ルチャーナのガイドが気に入って、今日も参加することを決めたそうだ。
ということで、合計11人の客が揃ったので、ボートに乗り込んで出発。ルチャーナのところは、ボートの操縦をするキャプテンのマイケルと、ルチャーナの息子のヤコポと、ルチャーナのお父さんの4人でやっている。4人ともボートに乗って、ツアーに行くので午後5時半までオフィスはクローズだ。ボートは15人乗ってもまだ数席空いているくらいの大きさで、中もきれいだった。
最初の目的地はゴフ・キーGoff's Caye。途中には、様々なキーがあり、通り過ぎる度にルチャーナが解説してくれる。最初に通り過ぎたキー・チャペルは、アメリカ人の大金持ちが個人所有しているキーで、ロッジ(といっても大きな一軒家だが)が6つとオーナー邸とレストランと滑走路がある。庶民はツアーで訪れることができるが、ロバート・デニーロ様などはご宿泊されているらしい。因みにロッジでのご宿泊は一泊US$1500だそうだ。誰か試してくれないかなぁ。
次に通り過ぎたセント・ジョージズ・キーSt.George's Cayeもシュノーケリングスポットだが、ルチャーナとしては、キーが砂だけしかなく、ヤシの木などの木陰がないので、NGだそうだ。確かに、あそこで昼食休憩するなら、ボートの屋根の下に逃げ込むしかないだろう。
そこから先は、時々マングローブの林を見ながら、鷹の目を持つ男マイケルが、イルカを見つけてはボートを止めて見せてくれた。今回は、ラッキーだったらしく、2回イルカに遭遇した上に、1回は6頭という大群だった。曲芸イルカではないので、飛び上がって回転するなどはなく、、時々背びれがフッと海上に見えるだけなのだが、それだけでも、隆々たる筋肉を持ったイルカの姿が海中に見え、ボートの客は見える度に、大喜びで拍手を送った。大喜びすると拍手したくなってしまうのは、古今東西共通のことなのだ。
さて、そんなイベントもあり、あっという間に1時間が過ぎようとしたころ、前方にキーが見えてきた。キーの上にはヤシの木とヤシの葉の屋根のかかった休憩所が見える。これか?そう、これこれ、これがGoff's
Cayeだった。
近づくごとに、海が浅くなるのでキーの周りの色が白っぽくなってくる。その変化が面白い。キーには桟橋があるのだが、ハリケーンなどの影響で、今は半分砂に埋もれてしまって、ボートを寄せることができない。ボートはキー近くに碇をおろし、そこからシュノーケリングに出発することになった。ルチャーナのシュノーケリングでは、マスクを付ける直前に、毎回曇り止めを塗ってくれる。また顔に日焼け止めが付いていると曇りの原因になるので、海水で洗い落とすようにとも注意してくれた。ふーん、初めて知った。
水深5〜6メートルはあろうかというところだったが、透明度が高い上に、天空から強い日差しが舞い降りて海中を明るく照らすので、サンゴの色がよくわかる。ルチャーナはとてもゆっくり進み、海上でガイドをしてから、素もぐりして、見るべきポイントを海中で指差してくれる。クリアなマスクと、クリアな解説のお陰で、存分楽しめた。全長1mは超えるバラクーダが悠々と泳いでいたり、さんご礁から30匹ほどの鯛のような魚の群生がうぁーっと海上に向けて登っていくのをみたりして、それだけでもう満足だったのだが、更に今日は特別なご褒美があった。何とマナティーに遭遇したのだ。ここで7年間シュノーケリングしているルチャーナでさえ、3回目だそうだ。前回もこのGoff's
Cayeで昨年の7月に見たそうだ。今回のグループには水中カメラを持っている人がいなかったので、記録がないが、お客さんからもらったという前回の写真を譲ってもらったので、掲載する。
全長2mはありそうなマナティーが、数メートル先をゆーっくりと泳いでいく。大きな尾びれを上下に動かしながら進む様子は、マナティーに似たジュゴンが人魚の元になっている説を思い出させる。我々一同は、固まったように、その場に立ち(泳ぎ)つくして、じっとマナティーを見守った。
ルチャーナはスィートな生き物と表現し、他にもナイーブと表現されるマナティーは、つまりちょっとおつむがゆっくりした生き物だそうで、それ故に危険察知能力に乏しく、背中をボートのスクリューでガリガリと削られてしまったりしているらしい。ツアーブースなどには「私達のマナティーを守りましょう」というポスターが貼ってあるのを見たが、あのおっとりとした可愛らしい姿を見てしまったら、誰もが賛成することだろうと思った。
シュノーケリングからあがった後は、砂州の好きな場所でお昼。お昼がついているかどうか、確認していなかったが、夫の本能的な判断でパンを買っていたので、それをかじった。砂州は、360度見渡す限り美しい海に囲まれている。どこを見ても信じられない様な、夢のような光景だ。こんなのは、テレビコマーシャルくらいでしか見たことがなかった。そんな場所に、今自分がいるなんて、本当に不思議な気持だった。砂州にはBBQセットがあり、地元の家族が船で遊びに来てBBQをしているのは、非常にうらやましかった。ゴミは黒いビニール袋にまとめておいてある。ちゃんと回収があるようだ。
ベリーズという国に入ったばかりの時は、「何でこんな国にきちゃったんだろう」などと後悔もした。ビザ代金が高いし、ろくでもない役人は国境にいるし、ベリーズ・シティーは急に大声で叫ぶ人がいたりして怪しい感じだし、キー・カーカーの水道水は硫黄臭くて口にできないからだ。しかし、今日は2人で「ベリーズ最高、ベリーズいいじゃぁないか」と絶賛した。カンクンのコスメル島でもシュノーケリングをしたが、ちょっと格が違うという感じがする。これだけの自然が楽しめるベリーズは、滞在する価値がある。
ベリーズがイギリスの統治からはずれて独立したのは1981年9月だそうだ。それまでにも、スペインに統括され、グアテマラに統括され、英国領ホンジュラスとされ、国としての発展が進む間がなかったのだろう。この21世紀において、これだけ先進国から観光客が訪れているのに、井戸水を汲んで生活しているキー・カーカーの地元民家を見ると、国のインフラが遅れていることを実感する。今、ベリーズにじわじわと勢力を広げているのは、香港や台湾から移住してきた中国人だそうだ。彼らは領土宣言や権利云々は言わずに、もくもくとスーパーやレストランを開店して実質上の力をつけている。キー・カーカーにも中国人がいて、そうした商売を行っている。ベリーズ・シティーのタクシー運転手は「ベリーズは中国人にテイクオーバーされつつある」と歓迎していない様子で語っていたが、毎日新鮮な卵が入荷されてきたり、華僑ルートで安い物資が入ってくるから、生活の質が向上しているという現実があるんじゃないのかなぁと思った。少なくともキー・カーカーにいる中国人は、ベリーズの店よりも早くから開店し、昼休みも閉めず、夜も遅くまでやっている。これに勝とうと思ったら、大変なことだ。私としては、こうした中国人パワーでベリーズのインフラが進んで、もっと快適にすごせる観光地になってくれればいいと思っている。
閑話休題。砂州を存分に楽しんだ後は、マングローブに移動。ここは足が着くくらいの水深だが、砂というより泥に近い細かい土なので、足を着けると水が濁ってしまうため、なるべく泳いでそろそろと進むように言われた。
ルチャーナがこのマングローブを選んだのにはワケがある。このマングローブのすぐ近くの海底には、クラックと呼ばれる裂け目があるのだ。上から見ると、そこだけ水の色が濃くなっている。シュノーケリングマスクを通して海中を見ると、地震で断層がずれたように、海底に深い裂け目ができて、それがずーっと続いている。このクラックは、小さな生き物の恰好の宿になっており、他ではあまり見られないさんごやいそぎんちゃくが見られるのだそうだ。どうしても泥が舞って、透明度はあまりよくないのだが、水深が浅いので、珍しい生き物も楽しむことができた。ルチャーナは、様々な種類のなまこを拾ってきては、みんなに触らせた。「中国人や、日本人はこれを調理して食べるそうです」と説明すると、みんながさっとこちらを向く。しかし、私はなまこを自分で調理して食べたことはないし、最後に食べた記憶すら定かでない。「ええっとぉ、味と言うより食感を楽しむ食べ物ですねぇ」というのが精一杯だった。他にも、大きな貝やヒトデなどを観察することができた。
最後はマナティー保護区のスワロー・キーだ。マングローブの林が近づいてくると、水中に立て看板があって「私達の家を尊重してください」とマナティーからのメッセージと思われるものが書いてある。その先に、マナティーの絵が書いてある小屋があり、黒人の兄ちゃんが保護区の警備員かつ入園料金徴収係として待機している。ルチャーナが皆から集めたツアーフィーの中から、公園入園料金、一人B$20(US$10)を彼に渡した。日がな一日、ここでいつ来るともしれないツアー客を待っているのは、かなり退屈なことだろう。だからといって、保護区水域にタバコの灰を落としながら札を数えるのは、やめたほうがいいんじゃないのかなぁと思って見ていた。
さて、この小屋を過ぎてから、ボートはエンジンをストップし、ドリフトしながら少し進んでからマナティーを待った。先ほども書いたが、マナティーはボートが来ても逃げないので、スクリューで背中をやられてしまう危険性があるからだ。
写真では、これが限界。こんな感じにうっすら
見える |
マナティー待ちの図 |
あたりはさざなみの音、マングローブの林を風が抜けて葉が揺れる音、鳥の声など自然の音だけになった。我々も「やはり、こういう時はささやかないといけないんでしょうね?」などとヒソヒソと話しながら、静かに待った。マナティーは哺乳類なので、海面にプツプツと気泡があがったらお出ましの証拠だ。しばらくするとプツプツが見え、透明度の低い水中に灰色の影が見えた。浮上することなく、その影は遠のいていった。また一頭、また一頭と次々にかすかに見えはするが、先ほど海中で泳ぐマナティーを見たほどの興奮はない。うーむ。これがマナティーツアーか。微妙だ。
かなり昔、アメリカのニューオリンズ近くの湿地帯に、ワニを見に行くツアーというのに参加したことがあった。ワニ博士と一緒に、平らないかだのようなボートに乗ってバイユーと呼ばれる湿地帯を進んでいく。博士は、ワニがどのような生態なのかを、ワニの頭部の骨を使って解説する。頭部の骨は、ボート中のみんなにまわされ、みんなこんな大きな頭を持ったワニを、もうすぐ間近で見られると、ドキドキとして、しーんとしたバイユーの中で待った。しかし、一向にワニは出てこない。しまいには、ワニ博士がボートの先で、ワニの鳴き真似までしてくれたのに、ワニはとうとう出てこなかった。あの時を思い出した。今日は、まだマナティーの姿がうっすら見られるからよい方だ。
こうして数頭のマナティーの影は見られたが、写真に撮ってもよくわからない程だった。この時は、丁度太陽が雲に隠れてしまっていたので、光が少なかったのも原因かもしれないと思ったが、ルチャーナは、「まぁこの程度見られたらいい方だ」と言っていたので、天気にかかわらずこんなものなのかもしれない。
午前中のパラダイス気分に比べると、午後はちょっとしぼんでしまったが、それでも美しい海を風に吹かれてドライブするのは快適だ。帰りは皆でおしゃべりが盛り上がった。このツアーに参加している人は、ベリーズとグアテマラを周る人が多かった。
大抵、フローレスでマヤ文明のティカル遺跡を見て、アンティグア、パナハッチェル、チチカステナンゴを周る、あるいはもう周ってきたという話だった。2週間、長い人で3週間の休みをとってきている。皆目を輝かせて、アンティグアやパナハッチェルは素晴らしいと褒め称える。日本人宿で、アンティグアやパナハッチェルから帰ってきた人に聞いた話では、現地の人々から「チノ、チノ」と冷たく言われて嫌な思いをした話や、土産物屋で必ず割高な料金を請求されて、その都度けんかになった話の方が印象に残っている。
ここキー・カーカーでも、すれ違う度に「ジャポン、ジャパン」という人が数人いる。でも、それは嫌な感じではない。「あ、日本人だ!」ってな感じだ。だからこっちも「いぇす、じゃぱん」と答えている。
さて、グアテマラの実際のところはどうなのか?日本人と欧米人はこんなに違う感想を持つ程、対応が違うのか?
まだ見ぬグアテマラに興味がわく話であった。
こうしてたっぷり楽しませてもらって5時近くに戻ってきた。キー・カーカー内にいると、なかなか見えてこない、ベリーズの魅力がたっぷりつまったツアーだった。
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