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2005.08.14 チチカステナンゴの市 |
グアテマラ:チチカステナンゴ |
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12日に宿に到着した夜、11日木曜日のチチカステナンゴの市に行ってきた若い女性2人組が、リビングで興奮気味の口調で語った。「チチカステナンゴの市は絶対に行くべきですよぉ。もう、可愛い物いっぱい売っていて、もっと買ってくればよかったって、後悔してますぅ」。
ほほー。荷物が多い我々にとって、これ以上荷物を増やすというのは余りに酷な話で、ショッピングスポットというのは通常興味を魅かれないように努力し、また行かないようにしている。しかし、チチカステナンゴのショッピングはちょっと話が違うようだった。というのも、この市には、近郊の村々から名産品の織物や刺繍を持って女性達が店を出すというのだ。たとえ買い物をしなくても、こうした女性の民族衣装を見たり、雰囲気を楽しむだけでも行く価値がありそうだ。
ということで、14日の日曜日のシャトルバスを予約して、市に行くことにした。
14日、朝8時、お迎えのシャトルバスが宿に到着。パナハッチェルの他のピックアップポイントを周り、町を出るころには満員状態でチチカステナンゴに向かった。チチカステナンゴまで、いくつかの山を越え、谷あいの村を超えていく。
メキシコの広大なサボテン平原の中をバスで行った時、大きな存在からみたら、絨毯のちょっとした起伏を懸命に上り下りしているアリのような、ちっちゃな生き物になった気持がしたが、その感覚がよみがえったきた。
そんな感覚を楽しみながら1時間半後、チチカステナンゴの町に到着した。バスは町外れの駐車場で、午後2時までにここに戻って、バスを自分で探すようにと言われた。まわりには、他のバスが一杯。どんなバスか、どんなドライバーかをしっかり記憶に留めて、いざ市に出発!
バスの駐車場から道を渡って街中に入っていくと、両脇は土産物屋だらけである。こんな風景はパナハッチェルでもお馴染みなので、先住民族の数が多いな、というくらいで、チチカステナンゴも変わりないじゃない、と思いかけた。
しかし、そこから先に進んで、ふと脇の細い道に目をやると、そこには細い路地にびっしりと店が並んでいる光景があった。
店といっても、テントのようなビニールで囲った奥行き2mの幅4mほどの空間である。ここに、並べられるだけ商品を並べ、店主は隅の椅子に座って、人が通ると「アデランテェー(寄ってらっしゃい)、ミラァー(見てらっしゃい)」とけだるく声をかけてくる。アデランテ・ミラ攻撃がずーっと続くのである。そのテント張りの店と店の間の通路の真ん中に、また屋根のない、台だけあるコーヒー屋さんや、ちょっとした野菜屋さんがあったりして、場所によっては、人一人すれ違うのがやっとなくらい、通路が細くなっているところもあった。
こうした路地は、ところどころで十文字に混じっていて、曲がって曲がってしていると、また同じところに戻ってきたりして、迷宮に入り込んだような楽しさがある。
赤・黄色・緑と、商品のみならず、歩いている先住民族の衣装も派手で、目に映るものが賑々しい上に、呼び込みの声、商談の声が響き、目にも耳にも、市場の喧騒が迫ってくる。そんな中で、置物のように全く動かないおばあちゃん店員を発見。喧騒の中で静かに存在しているのだが、その衣装がひと際目を引き、思わず観光客は足を留めてしまう。すると、裏から、娘らしきやり手の中年女性が出てきて、商談を始めるという戦法だ。うーむ、やるなぁ。
そんな迷宮を楽しみつつも、通路はいつしか行き止まりとなる。行き止まりの先には階段があり、見上げると教会になっていた。この教会は、先住民のキチェ族がスペイン軍に征服されて国家が滅亡するまでを綴った「ポボル・ブフー」という聖典が発見さたという場所で、かつてのキチェ族の霊場にスペイン人が教会を建てたという場所でもあるそうだ。
日曜日の今日、教会内はロウソクが灯され、薄暗い教会内は、煙がたかれて、ちょっと喉がいがらっぽくなるほどだった。外の喧騒とはうってかわって、人々は神妙な顔で祈りを捧げている。
教会の階段は、花売りが多く出ている。色とりどりの花と、色とりどりの民族衣装が、曇天の下の陰鬱なグレーの教会の階段を明るく彩って、そこだけ晴れているような印象を与えた。
教会の入口から見下ろすと、今通ってきた市を上から見ることができ、これも面白い光景だった。とにかく人がうんじゃりといる。その上に、きちゃないテントが覆いかぶされている。きちゃなくて、でも活気がある。これがチチカステナンゴの市か!と堪能できる風景が広がっていた。
この花売りから程近いある店で、石をくだいて売っていた。何かと聞くと、スペイン語で説明しながら、手を口に持っていく。何か食べる物と関係があるらしい。帰ってから宿の主人に聞くと、石灰石だという。この辺りのとうもろこしは、2日もたつと石のように硬くなるそうだ。これに石灰石を混ぜると柔らかくなるので、挽いて粉にできる。この石灰石入りの粉を水で溶いて、練って、煎餅のように薄い円形にして焼いたものが、このあたりの人の主食、トルティーヤになっている。
近年、このトルティーヤを食べ、大好きなコーラをがぶ飲みして、胆石や尿道結石になる人が多くいる、という話も主人から聞いた。石灰石とコーラの成分が合わさると、体内で石を作ってしまうということらしいのだ。この話を傍らで聞いていた宿泊者が渋い顔になった。彼は、近郊の地元の家にホームステイしてスペイン語を勉強しているのだが、ステイ先の食事には、ほぼ毎回、コーラとトルティーヤがついてくる。「それって、どのくらい食べ続けるとなるんですかね?」と、恐る恐る聞く彼の質問も耳に入らない様子で、主人は、「それでな、尿道結石になった日には、もう、これが、痛いの痛くないのって、七転八倒するわけだ」と、悶絶するゼスチャー付で、それはリアルに表現する。スペイン語勉強中の彼はもう、ひきつった顔で笑うしかない。それを見て、他の宿泊者一同は、大うけした。
さて、市に話を戻す。市は通路によって観光客用と地元客用にわかれているらしく、メインストリートは観光客用に華やかな織物や刺繍の小物や衣装が売られているが、裏通りに入ると、生きたままの七面鳥を道端で売買したり、牛の肉塊がつるさがっていたり、中古品の運動靴が山積みで売られていたりと、表通りとは違う様相だ。市のある一角から少し離れた場所では、塀に囲われた広場で、子豚を売買しているところもあった。
通りを一つ隔てただけで、違う世界に入り込んだような気持になる。観光客はほとんどおらず、地元の人がこちらをじっと見る視線の中には、必ずしも好意的でないものも混じっている。
その昔、スペイン人が侵攻してきた時、重労働を押し付けられて、やる気を失った先住民に対して、「お前たちよりももっと劣等なチナという民族がいる。お前達は最低ではないのだから、チナよりもましなのだから、もっと頑張れ」と、モーチベーションを上げる引き合いに出されたのが中国人だったそうだ。以来、教育レベルの低い人々の間では、未だに中国人を見下げる傾向にあり、それに似た日本人を見ると、「チナ、チナ」と小ばかにして言うことがあるそうだ。この市では、直接言われなかったが、いくつかそうした視線を感じることはあった。冷静に考えれば、遠くアジアからここに観光に来ているのが、どれほどの経済力かわかると思うのだが、そうした理論的な推論はない。こうしたことは、感情だからね。チナという言葉は、最初の意味から転じて、人を馬鹿にする時の総称としても使われているので、「チナ」と言われたら、相手に「チナ」と言い返してみたという人もいる。言われた先住民は苦汁を飲んだかのような顔をして「ムムム」と黙ってしまったそうだ。それも一つの対策だ。観光客相手にいい顔をしているところは、きれいで愉快だが、やはりグアテマラにきたら、「チナ」とでも言われてみるのもいい。「そんなこと言われても、全然平気」と思える自分を作る、いいチャンスだ。
土産物を見て、地元の人の売り買いを見て、お昼ご飯にしようってことになった。先住民の民族衣装にエプロンをつけた女性5人が、くるくるとよく働く屋台を見つけて、腰を下ろした。この時点では、石灰石入りトルティーヤのこともしらなかったので、トルティーヤをばくばく食べ、コーラをがんがん飲んで、「あー、満腹、満腹」と店を出た。
あんなに見たと思った市の中に、まだ入っていない建物があったので、入ってみると、そこはいわゆるメルカド。大きな体育館のようなところに、野菜の店がたくさん出ていた。どれも新鮮そう。この建物は、2階が回廊になっていて、1階の様子がよく見える。
先住民の農民が描く素朴画といわれる絵画が土産物屋によく売られているが、定番のモチーフに市場を真上から見たのがある。民族衣装とカラフルな野菜を真上から見た図柄で、一面色で埋め尽くされている画なのだが、その風景画ここにあった。これかぁ。なるほど。と一人で感心して、色々な角度から見て楽しんだ。
こうして、集合時間の午後2時、我々以外の人は、あちこちで買い物をしてきたらしく、黒いビニール袋をいくつも抱えてバスに乗り込んだ。
いやぁ、先住民三昧のチチカステナンゴの市、一見の価値アリでした。
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