夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2005.08.18 アティトラン湖をぐるっと周る
グアテマラ:パナハッチェル 
 パナハッチェルは、アティトランという湖の湖畔にある町だが、大きな湖、アティトラン湖には、他にも湖畔に村が点在している。今日は、その主な村を訪ねて、アティトラン湖を回ってみることにした。


A:パナハッチェル、B:サン・ルーカス・トリマン、
C:サンティアゴ・アティトラン、D:サン・ペドロ・ラグーナ
A-Bチキンバスで約1時間。B-Cピックアップで30分。
C-Dボートで40分。D-Aボートで30分。
 我々が滞在しているのは、Aのパナハッチェル。ここからまず、チキンバス(ローカルバスで、バスの屋根に荷台があり、チキンでも野菜でも何でも載せることから、こう呼ばれている)でCに向かって行けるところまで、行ってみよう。CからDまでと、DからAまではボートが出ていることがわかっていたので、そうやってぐるっと周ってAまで帰って来られるだろう、とざっと予定を立てた。

 なにしろ、グアテマラに来て初めてのチキンバスである。宿泊しているところから徒歩3分くらいのところで、よくチキンバスを見かけていたので、とりあえずそこに行った。今まで、宿に宿泊している人の情報から、チキンバスの行き先は、運転手を信じず、バスのフロントグラスの上に表示された看板で判断すること、というアドバイスを受けていた。

 チキンバスの運転手の賃金は歩合制らしく、より多くの人を乗せた方が運転手にとっては都合が良い。従って、自分のバスが観光客の最終目的地の途中までしか行かなくても、「行く、行く、このバスは、そこに行くよ」と言って客を引き込むらしい。そして、分岐点まで来ると「はい、ここで乗り換えて〜」とバスをおろされる。こうして、最終目的地まで2度、3度とバスを乗り換えさせられたという人が何人もいたのだ。どの人も、運転手に「このバスは○○まで行きますか?」と聞いて「シィー、シィー、(はい、はい)」と言われている。全くの嘘ではない、ただ途中までしかいかないだけなのだ。

 こうしたアドバイスを聞いていたので、Cのサンティアゴ・アティトランと表示されたバスが出る場所を人に聞いて、待ち続けた。しかし、他のバスは来てもサンティアゴ・アティトラン行きはなかなか来ない。そこで、ガイドマップを更にじっくりと見ると、サンティアゴ・アティトランに一気に行くよりも、Bのサン・ルーカス・トリマンに行くバスの方が、頻繁に出ているらしきことが書いてあった。そこで、サン・ルーカス・トリマンを探すと、あった、あった。

 バスの表示には、出発地が左端に、目的地が左端に、その間に経由地の地名が何行か書かれている。見つけたバスは、出発地チチカステナンゴ(CHICHI)と最終目的地のMAZATE?読めないし、聞いたことがないし、地図にも載っていない場所の間に、上からソロラSOLOLA、パナハッチェルPANA、サン・ルーカス・トリマンSt.L.TORIMAN、コカレスCOCALESと書かれている。今、自分達がいるところがPANAなので、これからサン・ルーカス・トリマンに向かうということがわかる。

 バスの運転手をみつけ、サン・ルーカス・トリマンまで行きたいと告げると、一人運賃Q6(US$0.79)だという。2人分としてQ20を渡したら、どこかに両替に行ってつり銭Q6を渡してきた。いやいや、つり銭はQ8だろうというと、「いや何、細かいのがなくて、あっちで両替したけど、足りなくて、これで勘弁してくれ」みたいなことをごちゃごちゃ言っているらしい。もういい、もういい、とバスに乗ることにした。

 バスは、アメリカのスクールバスを払い下げ、まず中のシートをとりはずす。そして、今までの2人掛けシートよりも若干長いシートにつけかえる。通路は人一人通るのがやっとな狭さになり、しかも付け替えたシートは大人3人なんてとても座れない狭さのチキンバスができあがる。バスの後ろの全面扉をガバッと開いて、運転手は我々をバスに入れた。ある人は、この後ろの扉がゆるくて、走行中にうわーんと開いてしまい、ずっと押さえながらバスに乗ってきたと話していたのを思い出し、かなり不安な気持になった。

 バスは、サン・ルーカス・トリマンまでの途中途中で人を拾って、だんだんいっぱいになってきた。本当に3人掛けしているシートもでてきた。脇のカップルは彼氏が彼女の肩に腕をかけ身を寄せ合い、3人目のおっさんはハンケツ状態で座っている。やはり3人はきつそうだ。

 パナハッチェルから道はどんどんと山道を登った。右に左にとカーブを揺さぶられながら、常にバスは斜め10度くらい上を向いて走っていく。だんだんと眼下に湖が開けて見えてきて、私達は夢中でカメラのシャッターを押し続けていた。地図を広げて現在地を確認していると、夫の隣に座っている青年と、私の隣に座っている青年が興味津々で地図をみている視線に気づいた。二人にどこで降りるのか聞くと、地図上の場所を指差した。マヤの人は、初めはこちらに良い感情を持っていないのかと思っていたが、そうではなく、とてもシャイだったのだ。それから、手振り身振りで、この先にもっと良い写真スポットがあると教えてくれて、近くになると窓を開けて写真を撮りやすくしてくれるなど、本当に親切にしてくれた。外気は冷たく、窓を開けると寒いのにもかかわらずだ。

 彼の教えてくれたポイントで撮った写真がこれだ。あいにくの曇天で、写真としてはどうか?と思う光景だが、我々外国人が、自分の地元の湖に感嘆して写真をたくさん撮る姿を、誇らしげに眺め、伏し目がちにも、ビューポイントを教えてくれたり、寒いのに窓を開けてくれた彼を思い出す一枚となった。

 こうして、何となく和やかな気分でバスは進んでいった。途中、運転手と助手が警官にバスを停められ、免許書あるいは営業許可書のコピーらしき紙をはさんで、一同が難しい顔になってしまったことがあった。これは、もしかして違法バスで、全員乗り換えになるのか?と思ったが、10分ほどで、バスは再出発した。ほどなく、山を下り、街中に入り、広場に到着。ここがサン・ルーカス・トリマンだということだった。

 中央広場からだらだらと下る石畳が湖に向かっているらしかった。バスを降りたあたりは屋台などが出て多少活気があるが、そのブロックを離れた途端に人気がなくなった。左右の家からは、テレビの音などが聞こえているので、危ない感じはない。ただ外に人がいないだけなのである。そう、昼間の東京郊外のベッドタウンみたい。湖まで行っても、パナハッチェル行きのボートの呼び込みが数人いるだけで、物売りすらいなかった。

 湖畔のホテル併設のレストランで喉を潤し、ついでにトイレを借りる際、ホテルの客室をのぞいてみた。村の石畳と同じようなゴツゴツした石の壁と床に、木製のベッド。石でアーチになった窓からは、湖が見える。作家さんが部屋にこもって仕事するとか、サスペンス劇場で殺人が行われるシーンのロケにぴったり、というのが正直な感想。

 見るべきものもあまりないので、次の目的地Cのサンティアゴ・アティトランに向かうことにした。バスを降りた広場に戻ると、呼び込みの男性が寄ってきた。「サンティアゴ・アティトラン?」と聞くので「シィー、シィー」というと、車に案内してくれた。車って、ピックアップトラックのことだ。この辺りでは、ピックアップは立派な交通手段だ。遂に我々もピックアップデビューを果たすことになった。うかれて、代わりばんこに記念撮影するアホアホ夫婦を、みんなは物珍しそうに見ていた。


 サンティアゴ・アティトランまでの道のりは、カーブとアップダウンの連続で、まるでジェットコースターに乗っているかのようだった。高原の気持ちよい空気を全身に受け、視界を遮るものがない。気持いい。我々はすっかりピックアップが気に入ってしまった。今までの鬱蒼とした林の風景ではなく、地面から岩がゴツゴツと飛び出したり、サボテンが生えていたり、ちょっと異質な風景を通り過ぎ、やがて両脇は畑となっていった。丁度、昼前、午前中の作業を終えた農家の人が、鍬やとれたてのじゃがいも袋を持って、次々とピックアップに乗り込んできた。

 やがて、車の後ろのバンパーに人がつかまり立ちするほど満載になったピックアップは、町中に入り、降ろされたところが、サンティアゴ・アティトランだった。トリマンに比べると、明らかに大きな町だった。少し歩くと、民族衣装を着た女性が道端に座り、野菜や民芸品の店を広げた市場があり、その奥に教会があった。我々は、この町で信仰されているマシモン様を探しているのだった。ガイドブックには、マシモン様が教会にいると書かれていたが、教会にはいらっしゃらなかった。教会の外は、学校の運動場にもなっていて、民族衣装を着たちびっこが球技を楽しむ姿が可愛らしかった。教会付近には、物乞いの子供もたくさんいて、「1ケツァールおくれよ」と手を出して近寄ってくる。学校の校庭を走って逃げる夫をおいかける子供、その姿が面白くて私が写真を撮ると、「あ、写真とってるわよ」と誰かが大きな声を出し、今度は私が追いかけれるはめになった。こうして、子供の攻撃をかわして逃げ、次の目的地Dのサン・ペドロ・ラグーナへのボートが出る船着場に到着。ここで昼食を摂って、ボートに乗ることにした。

 ボートはなかなか出発しない。ボートの呼び込みの兄ちゃんに「ところで、マシモンって知っている?」と話しかけると、Q20で連れて行ってあげるという。うーん、Q8でどうか?と切り返すと、じゃぁQ10でいいよと話がついた。マシモン様を見て帰ってきても、ボートはまだ出ないことを請合うという条件もつけて、マシモン様のところに連れて行ってもらうことにした。後から宿に帰って、マシモン様への案内料金Q10(US$1.32)というと、皆に口々に高いと言われた。大抵自力で探すか、せいぜい高くてもQ5が相場らしい。「でもQ10って、たった150円じゃん」と切り返すと、皆苦笑いして、「そうなんですけど、こっちにいると何だか高いような気がして」と言っていた。貨幣価値がグアテマラ化してしまうらしい。

 さて、少年はすたすたと前を歩いていく。彼は、「マシモン様は1時間に1度場所を移すので、探すのが難しいのだ」と語った。本当は数週間に一度場所を移動する、ということを知ったのは後日だった。

 やがて、ある民家の左手入口に入っていく。ここ?ちょっと紙で作った飾りで屋根を飾っているだけで、確かに見つけづらい。薄暗い土間の室内にロウソクが灯されているのが見え、入ろうとしたら、入場料一人Q2を要求された。


 中には、マシモン様、その脇に神妙な顔をした現地の男。マシモン様の前には壁にそってL字型にベンチがあり、白人観光客4〜5人と、恐らくこの白人を案内してきたストリートチルドレン4人くらいが、これまた神妙な顔をして座っていた。何ともおかしな光景である。写真を撮りたいというと、マシモン様の脇の男性が、「Q10です」という。彼に札を渡すと、うやうやしくマシモン様のネクタイに札を挟んだ。マシモン様は、時々おめしかえされるということで、今日は洒落た帽子にネクタイを締め、エルメス風のスカーフをいくつも首からかけていた。この土着の神様は、酒と女とタバコが大好きだそうで、口には葉巻をくわえていた。ようは、現地の男性がマシモン様を盾に、昼間っから酒を飲む口実にしているらしいのだ。我々のお布施も酒代となって消えることは必須である。こうした予備知識を持って、この光景をみていると、滑稽でしかたない。笑いをこらえられなくなってきたので、早々に退散することにした。

 それから程なく、ボートはサン・ペドロ・ラグーナに向けて出発。湖を横断するのでなく、岸沿いに移動するので、波もなく穏やかに進んだ。ボートの中では、我々が最初に訪れたサン・ルーカス・トリマンでプレスクール(6歳児担当)の先生をしている男性と知り合った。私のデジカメがいくらするのかと聞かれ「だいたいQ1600(US$211)くらいだった」と答えると、高いなぁとうなっていた。パナハッチェルの銀行で働く女性の月給がQ1000(US$132)くらいであると聞いたことがある。先生といえども、Q2000がいいところだろう。給料の1ヶ月分は、確かに高い買い物となるだろう。先生にマシモン様のことを聞くと、「あれはサンティアゴの人だけが信仰している。私のようなサン・ペドロの人間は、山、湖の神を信じ、よく働き、健康で、休みの日にはゆったりすること、これを願うばかりだ」と語った。しごく真っ当な答えにホッとした。サンティアゴはちょっと異質な文化の町だったようだ。途中のサン・ペドロ山の麓では、コーヒーを栽培していることを教えてもらったり、日本語ってのはいくつ文字があるのか?という先生らしい質問もあって、あっという間にサン・ペドロに到着した。

 先生の勧めで、ボートを降りてからピックアップでサン・ペドロの中心まで行くことにした。中心といっても、土産物屋が並んでいるところで、のんびりしている。パナハッチェルにボートで戻るには、別の桟橋に行かなければならないので、そちらの方向に向かった歩いた。

 桟橋に近い通りに、カフェやホテルやレストランが集まっており、そこを散策していたら、パナハッチェルの宿に同宿していた2人の日本人が、のんびりとお茶をしているのに出くわした。聞いてみると「ここは、特に見るものもないですねぇ。語学学校が安いので学校に通ったり、とにかくのんびりするところですねぇ。」ということだった。せっかちな我々としては、一応見所は押さえようと、彼らがお茶しているカフェから右手にある眺めのよい丘に行くことにした。「じゃ」と挨拶して歩くこと7分ほど。目的の土地は「私有地につき立ち入り禁止」の看板があり、入れなかった。

 先ほどのカフェに戻ると、2人はもう話すこともないらしく、無言でお茶を飲んでいた。本当にのんびりするところらしい。「いやぁ、入れなかったので、今後は反対側の眺めの良いポイントに行ってきますね」と、今後はカフェを左方向に進んだ。こちらは坂を上って、湖を一望できるところがあり、なかなか眺めがよかった。

 カフェに戻ると、2人はちょっと姿勢を変えて、また無言で茶をすすっていた。後でこの内の1人がパナハッチェルに戻ってきたので、感想を聞いたら「何もしないっていうのも、疲れます」と言っていた。なかなかできない経験ではある。

 もう、見るべきところもないらしいので、我々は2人に別れを告げて、パナハッチェルに戻ることにした。湖の横断は、なかなか波が荒く、パンパンとボートが湖面をたたき、水しぶきがあがった。同じ湖でも、さきほどとは大分違う。パナハッチェルまでの航路の左手にも、いくつかの村があり、こちらはお金持ちの別荘があったり、サン・マルコスという現役ヒッピーのたまり場だったりするらしい。今回は時間がなく、こちらは行かなかった。

 今日は、チキンバス、ピックアップ、ランチャー(ボート)とアティトラン湖周辺の乗り物を制覇し、様々な村を見ることができ、満足、満足な1日となった。