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2005.09.25
ニコヤ半島〜サマラ、カリージョ、そして帰る決断 |
コスタリカ:サマラ |
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大雨が降るというのに、なかなか満足できる宿がなくて探した、探した6件目。やっと満足できるレベルで、まずまずの価格の宿を発見。サマラは地元民に人気が高いとはいえ、外国からのサーファーも来ており、昨日までいたモンテベルデに比べると、コストパフォーマンスの悪い宿が多かった。
さて、到底期待はできないが、サマラの浜辺に行ってみる。
あーあ、やっぱり。雨は止んだものの、川からの泥水が入り込んだ入り江は、茶色い波をたてている。浜は黒い砂で、鉛色の空が重苦しい。宿に置いてあったパンフレットでは、水はもっと青く澄んでいた。黒砂の浜であっても、ヤシの木などの緑が縁取る湾になっていて、晴れていれば、気持の良い場所だろうという想像は難くない。でも、今日はねぇ。
本当は、今日はサマラのビーチを楽しんで、明日はカリージョに行こうと思っていた。宿の人の情報によると、ここ数日台風のような低気圧、サイクロンが中米を覆いつくし、どこに行っても太平洋側は特に悪天候だったという。それを聞いて、万が一明日が晴れたとしても、カリージョがどうなっているのか、今日中に見ておくべきだという気持が沸々とわいてきた。
カリージョまでは7kmとある。バスで行ったらわずかな距離だ。バスを待って乗り込んだ。サマラの湾を乗り越えて山中を走ってしばらく行くと、次の湾になった。しかし、ここはまだカリージョではないらしい。サマラと同じような黒砂と川から流れ込む茶色い水で、サマラと同じような風景になっていた。カリージョは、もっと白い砂浜のはずだ。ということで、この湾も通り過ぎて、バスに乗り続けた。しかし、この湾を過ぎてから一向にビーチに到着しない。それどころか、バスはどんどんと山中に入っているようだった。そして、ホテルなどは全くなくなり、民家ばかりが建つところまで来て、運転手が振り返って言った。「どこまで行くつもりなの?もう、終点なんだけど」。えええええ?ってことは、あれがカリージョだったってこと?と運転手に確認すると、そうだという。折からの雨で、あんな風だけど、本当は「ムイ、ボニート(とってもきれい)」なのだそうだ。って言われてもねぇ。
「このバスは30分間休憩したら、またサマラに戻るので今度こそカリージョで降ろしてあげる」と言ってくれたが、もうあのカリージョには戻る気がしなかった。しかも、夕方が迫っている。そこで、「今日はもう遅いし、ビーチもボニートじゃないので、サマラまで帰る」と告げた。
運転手さんとその助手は、いきつけのカフェがあるというのでついていった。村のおっさんが大集合(といっても5人くらい)して、テレビのサッカーワールドカップのコスタリカ対メキシコ戦を熱心に見ていた。助手は、メキシコ旅行にでも行って買ったのだろう、「メキシコ、グアダラハラ」と書いたTシャツの刺繍が見えないように、おっさん達に背を向けてこっそりと座った。30分間、コーヒーを飲みながら、テレビの中継を見たり、運転手さんと会話にならない会話を試みたりして、それなりに楽しんだ。
そうそう、写真写真。「ま、これが私達のプラヤ・カリージョってことで」と言いながら運転手さんと助手と夫の写真を撮った。それが運転手さんに哀れみの感情をもたらしてしまったのかもしれない。
「さて、出発するか」と運転手さんが助手をうながして立ち上がった。そして、さりげなく4人分のコーヒー代金を払ってくれた。バスに乗り込んでから、コーヒー代金と帰りのバス代金2人分を支払おうとすると、頑として受け取らない。間違ってここまで来てしまった我々を、大変気の毒に思ってくれているらしい。こういうところ、コスタリカ人は日本人にも通じる繊細さを持っている。ペラペラと「君たちが遠くから来たのに、本当に気の毒だと思っている」なんて、一言も言っていないのに、運転手さんの温かみがグイグイと伝わってくるのだ。
このバスは普通の路線バスだから、サマラへの帰り道にもどんどんお客さんが乗ってくる。それにもかかわらず、カリージョの浜辺にさしかかると、運転手さんは車を止めてしまって、「さぁ、写真を撮れよ」と言う。数枚とってから、お礼を言うと車を走らせたが、バックミラーで我々を観察して、カメラを構えると「ここか?」とスピードを落としてくれた。いやー、他のお客さんに悪いからもういいっす。とスペイン語で言えないので、カメラを構えるのはやめて、「オーケー、オーケー、コンテント(満足しました)、アデランテ(進んでちょーだい)」というのが関の山だった。
サマラに着くと、「またボニート(美しい)な時においで」と言ってくれた。ビーチは残念だったけど、いやー、カリージョなんてもういいや。この運転手さんに会えただけでも、ここまで来た甲斐があったってもんだ。そんな気にすらなった。
左から、メキシコのTシャツを着てきてしまった助手と、運転手さんと夫。
立派なおっさん、3人衆の記念撮影である。 |
そしてホテルに帰ると、宿の人から、サイクロンのせいでマヌエル・アントニオと近郊の村ケポスを結ぶ橋が壊れたという情報を聞いた。橋はすぐにでも修復されるだろうが、天候は、ここより悪いだろう。これを聞き、さきほどのカリージョを思い出し、決断した。明日、晴れでもサン・ホセに帰る。宿の人も仕方ないと納得してくれた。
というわけで、長時間かけてたどり着いたニコヤ半島は、わずか一泊の滞在となってしまった。もっとハイシーズンの時に出直しだ。
この夜、サイクロンのせいか村が停電になった。様子を見ようと、部屋のカーテンを開けた夫は「おおおーっ!」と驚嘆の声をあげた。「何々?」と私が聞くと同時に、電気が回復。夫は、街灯もホテルの明かりも消えてしまった真っ暗なサマラの夜の草むらで、無数に輝く蛍をみたのだった。うわー、見たかったなぁ。停電が回復して、街灯がついてしまった今は、どんなに目をこらしても草むらに光は見えなかった。残念、残念。明日は早いから、もう寝ましょう、と部屋の明かりを消すと、天井の隅っこに、緑色にビカビカーッと強い光が瞬いた。先ほどの停電の時に迷いこんだか、もとから住んでいるのか、部屋の中に1匹だけ蛍がいたのだ。蛍のイメージは水色の光だが、ここのは黄緑色。しかもボワーッとした光でなく、ビカビカーッと強い光。これがたくさんいる光景は、さぞや美しかっただろう。モンテベルデからニコヤへと自然を満喫した最後の夜に蛍。いろいろあったが、悪くない締めくくりとなった。
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