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2005.10.14〜15
マチュピチュ第一日目 |
ペルー:マチュピチュ |
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午後2時、7時間かけてマチュピチュの麓の村、アグアス・カリエンテスに到着。
まず、我々がしなければならないのは、ホテルの部屋確保。クスコで滞在している日本人宿で出会った青年から教えてもらったホテルを人に聞きながら探した。ホテルは、温泉に近いメインストリート沿いにあり、やや古めかしい建物。1階の土産物屋の奥が、ホテルカウンターだった。とにかく、急いでいるので、部屋をざっと見せてもらい、広そうな部屋を選んで決定。お湯がでるかどうかは確認していなかったが、紹介してくれた青年が出た、といっていたから、この際いいだろう。
荷物を置いて鍵をかけて部屋を出ると、宿の主人に「宿帳に記入してください」やら「お金は先に払ってください」やら言う暇も与えず、「マチュピチュまでのバス乗り場はどこですか?」と質問した。この時間に到着するということが、どのような状況か理解しているご主人は、余計なことは一言も言わずに、バス乗り場を教えてくれて「いってらっしゃい」と見送ってくれた。
宿からバス乗り場まで、5〜6分歩くと、大型バスと人の列が見えた。列に並んで待っていて、いざ乗ろうとしたら事前にバスチケットの購入が必要だという。んもう。それぐらいバスの中で払わせてくれればいいのに。と思いつつ、大型バスが並んでいる付近にあるバスチケット販売ブースでマチュピチュまでの往復チケットUS$12を購入した(ソルだと往復S40/人)。しかし、焦ることもなかった。大型バスは次々にやってきて、たちまち大勢の人を飲み込んで走り去っていく。アグアス・カリエンテスに14時に到着して、ホテルを決めて、バスに乗り込んだのは14時半だった。この分だと15時に到着して、2時間は見られるだろう。
バスはアグアス・カリエンテスの村を出て、一旦、川に向かって少し降下する。しかし、川を渡ると、あとは九十九折の坂道をずっと登るばかりだ。たちまちアグアス・カリエンテスのホテルやレストランが、眼下に小さくなって見える。と共に、車窓には山水画のような縦に細長い岩山が迫って見える。30分近くずっと登り続けて行くと、前方右端にマチュピチュらしき遺跡がチラッと見えてすぐに隠れる。それからすぐにバスはマチュピチュに到着した。
バスを降りて、階段を上り、さらに上り坂になっているところを数メートル上がると、左側に小屋のあるチェックポイントが見えてくる。小屋に立ち寄って、マチュピチュの入場チケットを買いたいというと、窓口で売ってくれた(一人US$20)。ここでは、パスポート番号も必要なのでコピーなどを持参していくことが必要だ。更に、この窓口のちょっと手前には事務所に入る入口がある。ここでは手荷物を預かってくれるカウンターがあるのだが、そのカウンターの左手の小さなカウンターでは、パスポートにマチュピチュの記念スタンプと日付スタンプを押してくれる(無料)。これがほしい人は、パスポートないし何か記念用のノートを持っていった方がいい。
この地点からマチュピチュは見えない。この小屋を通過して、購入したチケットにはさみを入れる所を通過し、石畳の道を山沿いに左手に回りこんで進んでいくと、ついにマチュピチュはその姿を現す。もし、列車が通常通りに走っていて、すんなりとバスでここに到達してしまったら、この物凄い風景に、こんなに簡単にアクセスできるようになっていることに、感動するかもしれない。我々は7時間半かけてここまで来たので、やっと着いたーという喜びとともにマチュピチュと巡り合うことができた。
入口から入ってきて右前方にマチュピチュが広がり、その奥にはワイナピチュがそびえている。絵葉書などで見る風景は、もっと左手上方から見た風景だと記憶していたので、その風景が見える所をめざして、左上方に登っていった。そこから見たマチュピチュの風景が、下の写真である。
標高2280mにある都市は、周りをより高い山に囲まれているので、この写真からは平地にあるように見える。しかし、広くない都市のすぐ脇は、断崖絶壁になっているのである。正に、空中に浮かぶ要塞という様相を呈していた。この写真を90度反時計回りに回転すると、後ろにそびえる峰の一番左が顎、真ん中が鼻、右の方が額に見えて、インカ帝国を育んできたケチュア人の顔に見えるといわれている。
今日は、この高さで水平移動して、いろいろな所からマチュピチュの全貌を楽しむことにした。真っ先に列車を飛び出していった、同じ宿の3人組みの女の子たちも、ここに来ていた。「来られて、本当によかったです」と、今日が最後のチャンスだった彼女たちは、この空間にいる人たちの中で、誰よりも嬉しそうだった。よかった、よかった。
ひとしきり上からの風景を楽しんでから、まだ時間があったので、今度は遺跡の中に降りてみることにした。
思ったよりも大きくない、という感想を持つ人もいるかもしれないが、実際に遺跡に降り立って、住民の食料を育てた段々畑を見て、住民が住んでいた住居跡の横に立ち、こうした石の加工を行ったとされる作業所を見てみると、一体、誰がどうやって、こんな大きな石を加工してこの街を作ったのかと、圧倒される。
マチュピチュの真ん中には大広間と呼ばれる芝生の広い空間がある。入口から、まっすぐに大広間を進んだ一番奥の右手に、ワイナピチュへの入口がある。明日はワイナピチュへ登る予定なので、入口だけ確認しておくことにした。
大広間から右手に少し上がったところには、放し飼いにされているリャマがいる。自由に草を食んだり、寝っころがって背中をかいたりしている。記念撮影をしようと、リャマに背を向けたとたん、一同が立ち上がって背後からどどどっ、どどどっと走り寄ってくる足音がしたのでやや恐怖の中で写真を撮った。
この辺りから見るワイナピチュの頂上(マチュピチュの後ろにそびえる顔の鼻のてっぺん)は、頭をぐっと後ろに傾けなければ見えないような角度にある。
ええ?あんな所に登るの?麓から見上げるワイナピチュは、頂上付近に、遺跡のように石が積み上げられているので、たぶんあそこに登るのだろう。それにしても、途方のない話で、絶対無理って気がしてきた。「ええ?本当にあれなの?ねぇねぇ、本当にあれだと思う?」と何度も2人で首をかしげた。いやー、無理でしょう。
もう、ワイナピチュのことは考えないようにして、残りの時間は、太陽の神殿と17の水汲み場を見て帰ることにした。少しみつけづらくて、探していると、英語ガイドで白人を引き連れたガイドさんが、突然、流暢な日本語で「何を探しているのですか?」と訪ねていた。その人の日本語のお陰で、目的の場所にたどり着くことができた。
太陽の神殿は、石組みが見事だということだったのだが、周囲から立ち入り禁止になっていて、近くで見ることができなかった。水汲み場は、1ヵ所にあるのでなく、マチュピチュを縦に水路が貫かれていて、所々で水が汲める水道のようになっており、それを受けた流しから、また下へと水が流れているようになっていた。綿密に設計されていないと、この水路はできない。この都市が、いきあたりばったりで増設されたのでなく、最初からきちんと設計されていたという、わかりやすい証となるだろう。
こうして、初日は、駆け足で俯瞰図を眺め、ワイナピチュの入口を確認し、遺跡内を散策して、夕方5時頃のバスでアグアス・カリエンテスに降りてきた。アグアスとマチュピチュ間のバスは頻繁に走っているので、時間はあまり気にしなくていいと思うが、マチュピチュから下山する最終バスの時間だけを確認しないと、暗い中、徒歩で下山しなければならなくなるので、注意が必要だと思った。
アグアスに到着してから、まず、しなければならなかったのは、明日の帰りの列車の時刻確認だった。しかし、駅に向かうと、鉄格子には大きな鎖がかけられて南京錠で止められていた。鉄格子の中には、列車を待つ観光客の姿はあるものの、係員の姿が見えなかったので、後で又くることにした。
アグアス・カリエンテスは、スペイン語で「熱い水」つまり温泉という意味である。その名の通り温泉もあるので、どんな所か見にいった。入場料はS10(=US$2.97)で、水着とタオルも別途料金で借りられるようだった。水着はあるけど、タオルはどうしようか?と考えながら宿に戻ると、部屋にタオルが用意されている。これを持っていきゃ、いいじゃん。と水着とタオルを持って、夕食前にひとっ風呂浴びることにした。因みに、行った日本人の感想では、「ぬるい」「どろ水のようだった」とあまりよろしくないようだが、ぬるい温泉はよく聞く話だ。汚いというところが、ちょっとひっかかったが、宿のおばちゃんが、シャワーがあってシャンプーと石鹸も使えるというので、そちらできれいになって帰ってくればいいと、行くことにした。
さっき下見した時にいたおっちゃんが、嬉しそうな顔で「おお、来たね」と迎えてくれた。ここでチケットを購入して、薄暗い川沿いの道を100mくらい進むと、右手に橋があって、川を渡る。渡ってから、左手に川沿いに歩いていくと、向こうの方に、オレンジ色の明かりがちらほらと見えてきて、どうやらそこが温泉のようだった。
近づくと、結構な人数が、いくつかあるプールの1つに集まっている。あそこが一番温度が高いのだろう。
そのまま真っ直ぐ進んで、左手のレストランも過ぎたところに、荷物預けカウンターがある。カウンターの前を通って、レストランの反対側を下っていくと、着替えのできる男女別の場所があり、その先がプールになっている。
着替え所にロッカーはなく、プールへの手荷物は持ち込み禁止なので、先ほどのカウンターに預けるしかなかった。
女子脱衣所の入口。中はわりと清潔。
ロッカーがないのが残念。 |
お湯は、37度か38度といった所だろうか。つかってすぐにあがると寒いというくらいである。そこに20分ほど入ってから、シャワーで頭と体を洗った。プールの底は玉石が敷いてあるが、その下は泥のようだった。水も、言われていたように茶色っぽくて顔をつける気にはならなかったが、匂いはあまりなく、とりあえず温かいので温泉の気分だ。しかも、暗くなってしまったので、よく見えないが、周りにそびえる峰がある風景は、露天風呂の醍醐味である。幸い、シャワーのお湯は熱く、湯量も豊富で、透明なきれいなお湯だった。ここでさっぱりしてから、再度温泉に浸かった。30分も入っていると、温いとはいえ温泉効果なのか、体が温まってきた。中には10人以上が入っていて、白人と中南米人グループとペルー人の親戚一同という2グループだった。白人と中南米人グループでは、中南米のどこかの国からきたカップルの男性が、「中米、南米とひとくくりにして言わないで欲しいんだ。俺達だって、それぞれの国の特徴があるんだから、まとめて言われるというのは、人格を無視されているようで非常に嫌なんだよね」と大演説をして、白人はウンウンとうなずいていた。その彼女は、「あー、マッサージ、気持良かったわ」とザブンと勢い良くプールにつかった拍子に、ビキニから片方の乳が出たままだったが、私が指摘することでもなく、彼氏は演説に夢中なので、出しっぱなしという状況だった。一方の親戚は、子供が大はしゃぎで、飛び込むわ、水面をたたき合うわ、水を掛け合うわで、こちらにも泥水が飛んでくる。日本の温泉とは大分雰囲気が違うのだった。そろそろ体も温まってきたので、再度シャワーを浴びることにした。
シャワーは、ペルー人一家が総出で、シャンプーやら石鹸を使って入浴中(水着は着ていますが)だった。我々は、彼らの次に浴びようと列を作って並んでいた。そこへ、先ほど演説していた彼氏が彼女を引き連れて、シャワーを浴びにやってきた。スペイン語が話せるのをいいことに、家族に「もうそろそろ、終わるだろ、使わせてくれよ」と、ペルー一家を切り上げさせて使おうとした。ちょっと待ったー!「私達、並んでいるんですけど」と、私が言うと、男性は「こんなのはね、並ぶとかいう問題じゃなくって、空いたところから、サッと入るもんなんだよ。だいたい、3つあるんだから、後の2つのどちらかが、そのうちに空くだろう。」と言う。なんちゅう言い草じゃ。すると、もやは乳をビキニにおさめた彼女が彼に向かって行った。「あなた、それはおかしいわ。この人たちが待っていたのだから、この人たちが先よ」。お、片乳の彼女、いいこと言ってくれるじゃないですか。そうよ、そうよ。というわけで、私達に順番が回ってきた。「確かに、あんたみたいな礼儀知らずと、ちゃんと社会常識のルールにのっとっている彼女を一緒くたにして、中南米人と一括りにするのは失礼だわよね。」と本人に言えたら、どんなにスッキリするだろうと思ったが、彼の背骨にナイフでえぐった様な傷跡があったのでやめた。君子危うきに近寄らずである。
お風呂にも入ってさっぱりし、夕食は近所のツーリスティックなところでセットメニュー。夕食を終えてから、もう一度駅に行ってみた。明日の列車はどうなっているのだろうか?相変わらず鉄格子は閉まっているが、外側に何人か人がいる。そのうち、係員がそろっと鉄格子を開けて、明日の状況を説明しているようだった。私も教えてくれー!というわけで、英語で説明してもらえた。私達の列車15:55発は、明日は午後7時に出る、もしもっと早く帰りたいなら、朝10:30のクスコ行きに乗るか、13:15で途中のオリャンタイタンボまで行き、そこからご自由にクスコまで帰ってもらうしかない、という情報だった。むむむ。ダイヤは乱れっぱなしのようだった。13:15に乗って、オリャンタイからバスというのが、妥当な選択肢だと思われた。ということは、朝一番でワイナピチュに行って、昼には下山しなきゃならないだろう。
明日に備えて、さっさと就寝することにした。
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