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2005.11.04
二夜連続のペーニャ通い |
ボリビア:ラ・パス |
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アンデス音楽というと、新宿西口で民族衣装に身を包んでパフォーマンスしている人々のイメージが強かった。ペルー以降、レストランで、街角で、列車の中でと、アンデス音楽の生演奏を見聞きする機会も多かったが、正直新宿西口に高レベルが集まってきちゃってるのかと思うようなレベルで、面白さはあってもうまいとは思わなかった。
クスコでもペーニャと呼ばれるフォルクローレを聞かせるレストラン・バーはあったが、ガイドブックによると、アンデスのフォルクローレはボリビアこそが本場であると書かれている。その熱い文章に興味を魅かれて、ラ・パスではペーニャに行ってみることにした。
宿のご主人に相談したら、ラ・パスにはウアリとマルカ・タンボという2軒のペーニャが有名だとのこと。ウアリは毎日夜8時から2時間半ほど演奏し、衣装も華やかな民俗ダンスのBGMとして、またダンスの幕間にフォルクローレの演奏が行われ、どちらかというとツーリスティックなペーニャだと聞いた。一方のマルカ・タンボは、フォルクローレを音楽として純粋に楽しみたい人向きで、開始は夜22時頃、木・金・土の週3日のみで、客が集まらないと中止もあり得るということだった。
ま、折角ラ・パスにいるのだから両方行ってみよう。
○ウアリ 11月3日(木) チャージUS$12+飲み物(食事つきもあり)
サガルナガ通りという旧市街にあるウアリ。日が暮れてから、この辺りを徒歩でうろうろしたくない私達は、夜8時に到着するようにタクシーで向かった。
サガルナガ通りに面したビルを入って右手に進むと店に上がる螺旋階段がある。上がりきったフロアでは既に音楽が聞こえていた。飲み物だけというと、チャージがUS$12かかることを英語で説明した紙を渡された。夫はコーヒー、私はチュフライという飲み物を注文。チュフライはぶどうで作った蒸留酒をスプライトやジンジャーエールで割った飲み物。今回はスプライトが付いてきた。結構強い。
ステージでは、2人のチャランゴ(ウクレレのような弦楽器)演奏者が雰囲気を盛り上げていた。客は10人程度の白人団体客が3組と、少数の客が数組いて、店内はほぼ満席だった。いい夜にあたったようだ。店内は、HUARIという店の名前がステージ端に下がった梁に張られており、くしくも昼間見たティクワナ遺跡のモチーフである、人間とコンドルが合体したチャチャコンドルなど想像上の生き物が遺跡に掘られたのと同じように絵で描かれて、壁といわず天井といわず、一面にはられている。なるほど、ツーリスティックな雰囲気満載だ。
2人チャランゴが引っ込むと、いよいよステージは本番に入った。ステージとはちょっと離れた後方に、楽団用の狭いステージがあり、そちらに照明があたって演奏が始まった。ツーリスティックとはいえ、その楽曲は今まで耳にしたアンデス音楽の中で最高のレベルだった。さすが、本場の演奏はうまい。
ひとしきり演奏が済むと、本ステージのようにダンス部隊が現れてショーが始まる。コパカバーナで学生による民俗舞踏パレードを全部見てきたが、同じような衣装と踊りだった。コパカバーナの学生達も伝統に忠実にパレードをしていたことがわかった。
最初は、チチカカ湖のアマンタニ島にホームステイ1泊した時に、村人とのダンスパーティーで我々も着せてもらった衣装と同じだったので、その地方のダンスだろう。女性は頭に黒っぽい布をかぶり、刺繍のついた白いブラウス、厚手のペチコートの上に厚手のフレアスカートをはく。男性は、耳あてのついたアルパカのニット帽にポンチョといういでたちだ。このダンスでは、女性が腰を振ってフレアスカートをきれいに広げるのがポイント。衣装が重いので見た目よりも大変だった。
次も定番らしい。とても派手な衣装で、私はこれを見ると、いつもサーカス一座を思い出してしまう。たぶん、女性が座長のような帽子を被って、白い長手袋をしているからかもしれないし、男性がピエロのように見えるからかもしれない。音楽もちょっとコミカルで悲しげなのだ。
お次は、コパカバーナの学生パレードでは北ポトシの衣装とダンスだと説明されていたと思う。腰に巻いたチェックの帯を長くたらし、女性は、帽子の上に花が生花のように高く立っていて、顔の前には色とりどりのヒモを垂らしている。この衣装が一番可愛いといつも思う。腰を低めにかがめて、前かがみになって踊るのが面白い。
次は、本来はプーマの皮で作っていただろうヒョウガラの衣装。これはどこの地方かわらかないが、コパカバーナでも見た。コパカバーナは全員が高校生だったし公道でのパレードだったので、もっと飛んだり跳ねたり元気いっぱいだったなぁ。こっちは重い面をつけた男性が、少々苦しそうだった。
出たー! 岡田家ではパンチラ踊りとして有名なこの踊りと衣装はモレナーダと紹介されるが意味は良くわからない。コパカバーナでは、おじいさんの頭のついた杖を持った男性は面を被っていたと思う。また、面を被って箱のような物を肩に乗せている男性は、今回もズボンに竜のモチーフだ。コパカバーナでは箱にも竜が描かれていて、東洋のイメージが強い。そして、超フレアミニスカートでブーツを履き、帽子をかぶったパンチラガールズもお馴染みだ。へ〜んなの、というしかない。何度みても不思議な衣装だ。伝統芸能というと、日本では枯れ切った渋みのあるイメージだが、ここではキャバレーダンサーやサーカスを見ているようなのだ。BGMで流れている音楽は、渓谷を吹きすさぶ風のような音がするポーニャや縦笛などかなり渋いのに、その音楽にのって踊る踊りと衣装がきらびやか過ぎて、そのギャップが何とも面白い。
そして、オルーロという街で行われるカーニバルで踊られる一つの、悪魔の踊りLa
Diabladaも定番の踊りのようだ。おじいさんのような怖い面を被った男性がムチを持っていて、民衆をしばきたおして、最後に連れていってしまう、という踊り。「悪魔の姿で踊ることによって、心の悪魔を追い払うのだという。」(『地球の歩き方 ペルー'04〜'05』より)という解釈が一般的なのだろうか。しかし、この踊りを見ていると、悪魔の面は常に色白、つまり白人の面であり、今回はムチ打たれる方は猿の面を被っている。もしかしたら、悪魔が支配者で、猿の面がインディヘナで、過去の白人支配の横暴振りを伝統芸能という形の中に織り込んで、祭りの時に民衆がうっぷんを晴らしていたのではないかと想像してしまう。
こうして、次々に有名な伝統芸能を堪能できるのがウアリである。初めてこうしたダンスを見るのであれば面白いだろう。ダンスのレベルはあまり高いとは思えないが、様々なステップや衣装が一覧して見られる。また、音楽もこうした伝統芸能で使われる定番の音楽で、気づくとよく聞くものである。お客さんは、ほぼ観光客だと思われる。だから観光客のノリで、はしゃいで写真を撮ったり、大喜びするので、そういう盛り上がり方である。私たちは、それはそれで嫌いではない。今回はチャージだけ払って、飲み物を頼んだが、チャージとお食事がいっしょになったタイプもある。お食事は、アパタイザーがビュッフェ形式で、メインはリャマのステーキやチキンなどから選べるようだが、ここのリャマは良い肉を使っているのでおいしいという話を聞いた。こうしたツーリスティックな場所での食事は避けている我々だが、今回は食べてもよかったと思った。
途中で観客もステージに参加する場面もある。私も1回、夫は2回も誘われて参加して、ダンスを楽しんだ。高地なので、高地慣れしていないと、高山病になる恐れもあるので、注意は必要。高地に20日間滞在している我々も、ちょっと踊ったら心臓がバクバクした。ショーは10時半過ぎに終了。まだまだ盛り上がっている団体観光客を後に、タクシーをつかまえて宿に戻った。
○マルカ・タンボ 11月4日(金) チャージBs30(=US$3.70)+飲み物
今日は、演奏が主体のマルカ・タンボに行く。客が少ないと演奏しないこともある、という情報と、金曜日は盛り上がるので、早めにいかないと満席で補助椅子に座らされる場合もある、という情報があり、いずれにせよ、夜10時からの開演頃には行っておいた方がいいだろうと判断して、マルカ・タンボに10時半頃到着した。
10時開演ということで、1組が終わったところという雰囲気だった。60人くらい入れるレストラン内部は、8割方が埋まっていたが、うまくステージ正面の4人掛けに座ることができた。今日は、同じ宿に宿泊している女性も誘って3人で見ることになった。
最初は女性だけのバンド。初めて見た。昨日のウアリも演奏がうまいと思ったが、この女性達もなかなかよかった。しかし、長い。このバンドだけで1時間くらい演奏していた。長く感じた理由の一つはスペイン語が良くわからないというのがある。
各客席ごとに、どこから来たのかリーダーの女性が聞いていったのだが、半数がボリビア各地、うち半数が地元ラ・パスの客で、半数が外国人だがエクアドルやメキシコ、スペインなどスペイン語圏が多かった。ツーリストとはいえ、昨日のウアリとは違って、子供の頃からこの音楽や踊りに親しみ、大人になった今でも楽しみたいという人が多い。こっちのお客さんの方が、侮れない客層だということがわかった。女性バンドは、お客さんとスペイン語で会話しながら進める場面や、お客さんの一人の出身を歌詞に入れて替え歌風にして歌う場合があった。お客さんのウォーミングアップという目的を、このバンドは持たされているのだろう。言葉がわかったらもっと楽しめただろうが、純粋に楽曲としてこのバンドを1時間聞くのは長かった。
マルカ・タンボは楽曲中心だと聞いていたが、このバンドの後は、昨日も見た民俗舞踊の出し物が続いた。オルーロの悪魔の踊りやモレアーダは今回で3回目になる。また、男性も女性もきらびやかな衣装で、男性のブーツに鈴のような物がついている民俗舞踊がある。コパカバーナでも思ったのだが、この衣装といい、踊りといい、昔のジャニーズ事務所の若手アイドルの踊りを彷彿とさせるのだ。同席のマキさんに言うと、「本当だぁ、面白いですねぇ」と同感してくれた。このジャニーズ系のダンスは観客も参加。夫も女性ダンサーに誘われて、ジャニーズ系と一緒にステージで踊っているのを見るのが、面白かった。
最初に女性バンドが会話と音楽でウォーミングアップして、ダンスでなごやかになった会場では、お酒の注文が行きかい、会話がはずみ、とても盛り上がった雰囲気になっていった。そして、ベテランのぺぺ・ムリリョの登場だ。登場した時、このニコヤカで人生大満足みたいなおじさんが、ガイドブックに掲載の長寿バンドのリーダー、ぺぺ・ムリリョ氏とは知らなかった。しかし、彼のチャランゴを聞いてすぐに、かなりの高レベルのバンドだと思った。更に彼が歌い始めてビックリ。その伸びやかな声と声量は、今までのどのバンドでも聞かれなかったものだった。ここに至って、やっと満足の行くバンドを聞けたという喜びで我々は大興奮した。「すごいねぇ、うまいねぇ」と口々に褒めあい、ずっと聞いていても飽きない気がした。
ムリリョ氏は演奏だけでなく、MCもうまい。各地から来た観客のご当地ソングを演奏して、会場は沸きに沸いた。そして、我々の番。「日本から来たアミーゴとは、この曲を一緒に歌いたいのですが、いかがでしょうか?」とさわりの部分を演奏したその曲は、海外では「スキヤキソング」として知られる「上を向いて歩こう」だった。マキさんもノリのいい人なので、「ね、ね、折角だから行こうよ」と誘うまでもなく、2人でステージに上がっていった。因みに、それまでステージには誰もあがっていない。日本人だけ特別扱いで「スキヤキ」を歌わされるかもしれない、とは事前に宿の主人から聞いていたので、驚きというよりは「お、やっぱり来たね」という感じだった。
ところで私は歌がうまくない。今回マキさんがいてくれて本当に助かった。ムリリョ氏に「日本語、英語、スペイン語のいずれで歌いますか?」と英語で聞かれたので、2人で日本語で、とお願いした。
こんなに張りのある声のムリリョ氏とステージに立てたことが本当に楽しかった。マキさんもうまいし、何だか自分までうまくなったような気がした。加えて、他のお客さんが非常に温かく応援してくれたのが、嬉しかった。私たちとしては、この夜のクライマックスを向かえ、後はムリリョ氏の演奏を心ゆくまで楽しんで帰ろうと思った。ムリリョ氏の演奏もアンコールに入ってきたので、お会計して帰る用意をしていた。
すると司会がスペイン語で「さぁ、お次は、はるばる日本からアミーゴが来て、我々の音楽を勉強してステージに立ちます」みたいな事をいっている。これは、もしかしてガイドブックにある秋元広行さんが出演するのではないか?帰ろうと身支度して立ち上がりかけていた私たちだったが、もう一度座りなおして状況を見守ることにした。時刻は夜中の1時半。この旅始まって以来の夜遊びになりそうだ。
すると、日本人の男性でガイドブックに掲載されている人が登場。やはり秋元さんだ。秋元さんのいるバンドのリーダーが太いいい声で歌う。縦笛の音もとてもいいバンドだった。すると、リーダーが秋元さんを振り返り、「今度は彼が歌います」というようなことをアナウンスして、秋元さんがギターを弾きながら歌い始めた。秋元さんは色白で細い人なのが、その歌声は良く喉が開いて、声の流れがドドーッとこちらに流れてくる。繊細なギターの指の動きから、シャープな音が響き、とにかくカッコイイ。へー、こんな所に来て、一生懸命勉強してステージにあがっている日本人がいるんだという驚きとともに、彼の演奏を聞いて、この人はフォルクローレの世界できっと成功するに違いないと思った。
彼らの音楽に夜中の観客はフロアで踊り始めた。マキさんも私も、隣の席に座っていたボリビア人青年に誘われて踊った。私は彼からオルーロの踊りだよ、と教えられて踊っていたが、これはあのジャニーズ系とパンチラガールのステップに違いない。隣で踊るボリビア人の地元の若い女性のステップを見よう見真似で踊ってみた。しかし、高度3650m。富士山の頂上でダンスを踊っていることになる。一曲フルで踊ったら、心臓がバクバクして、喉がカラカラになった。
席に戻ると2時半になっていた。マキさんは、明日、というか今日朝6時半出発で日本に帰国だ。もう帰らなくっちゃ。こうしてタクシーで宿に帰宅した。今夜は本当にマルカ・タンボを目一杯楽しんだ
さて、こうして二夜連続で有名どころを訪れたが、どちらもそれぞれに楽しみがある。しかし、ムリリョ氏の卓越した演奏、秋元さんの活躍、そして地元の人が楽しんでいる姿を見て、現代に息づくフォルクローレを体験できるという意味においては、マルカ・タンボの方が深く楽しめた。ただ、時間が遅いのがねぇ。翌日、我々は使い物にならない人間になってしまった。
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