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2005.11.12
ウユニ塩湖3泊4日ツアー第4日目 |
ボリビア:ウユニ |
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いよいよ今日が最終日、4日目である。同じツアーのイギリス人カップルとオーストラリア人カップルと我々の計6名のドミトリー部屋は、昨晩8時に就寝し、今朝の4時起きに備えていた。
午前4時。誰かの目覚ましアラームがなった。皆ベッドの中で何となく目を覚ましているに違いないが、誰も起きようとしない。どうしようかなぁ?と思っていた15分後、ドライバーのヴィダルが、「アミーゴ、出発の時間だ」とドンドンとドアをノックした。目が覚めていたに違いない6人は、スイッチを入れられたかのように、全員が飛びおきた。
山小屋のような宿は寒く、持ってきた衣類のほとんどを身につけていたので、身支度といっても着替える必要もない。ちょっと髪をとかして、イギリス人チームは大急ぎで歯を磨き、荷物を持って外に出た。
レンズが汚れていて汚い写真になってしまった。
漆黒の夜明け前に出発。 |
おおおおー。外は満天の星。雲ひとつない夜空には、それはそれはたくさんの星が瞬いていた。うっすらと曇った様に流れているのは天の川に違いない。肉眼で天の川を見たのは、生まれてこの方初めてだった。この4日間、空を見上げても、これほどに夜空に星が見えたことはなかった。時間のせいか、場所のせいかわからないが、ボリビアのここまで来てやっと見えたこの星空に、朝から心が震えた。すーっと一つ星が流れるのまで見て、「さ、車に乗ろう」と皆で車に乗り込んだ。
今日の予定は、温泉、そして緑の湖のラグーナ・ベルデを見学した後、イギリス人とオーストラリア人をボリビア・チリ国境までお見送りして、我々は一路ウユニに戻る。
車は真っ暗な道をがたがたと走る。右手にパックリと地面が割れているような所を、やや登り気味に進んで行く。夜がだんだん明けてきてるので、この山を登り切ったところあたりで朝日を見るのではないかと思っていた。と、ドライバーのヴィダルが不意に車を停めて、外に出てタイヤを見ている。どうやら、この旅始まって初めてパンクしたらしい。すぐに車の上に積んであるスペアタイヤを降ろし、客席の下に置いてあった工具を取り出し、車をジャッキアップし始めた。オーストラリア人のジミーは、こうした展開に慣れているらしく、テキパキと補助をして、10分もしないうちにタイヤ交換は終了。何事もなかったように、車は再び走り始めた。
私は写真を撮るために車の外に出ていたし、他の男性も何か手伝えないかと外に出た。しかし、車をジャッキアップする間も他の女性2人は、寒いからと当然のように車の中にいたままだった。レディーファーストの国の男性は大変なんだなぁと、なぜかふとそんなことを思った。
そうこうするうちにも夜はどんどんと明けてくる。目の前の山の端が茜色にそまってきて、空が水色に見えてきた。
刻一刻と変っていく明け方の空を楽しみながら、朝日の方向にどんどんと進んで行くと、やがて、右手に、左手に、白煙があがっている所にやってきた。ここがソル・デ・マニャーナSol
de Mananaといわれる所らしい。車はここで停車し、地獄谷見学となった。右手に白煙をシューッとあげている穴をのぞくと、パイプがささっていて、蒸気を集めて上に吹き上げているようだった。
白煙を触ってみると、ほのかに温かく、硫黄の匂いがした。
ドライバーのヴィダルは足先をしきりにつっこんでいる。靴の汚れを気体の勢いで吹き飛ばそうとしているのか、冷え切った足先を温めようとしているのか定かではないが、何となく靴が硫黄に染まっているように見えたので、私は遠慮した。
車を停めた所の左側には、そこら中に穴が開き、そこから白い蒸気が立ち昇っている風景だった。蒸気に顔を近づけるとむせるような硫黄の匂いがした。
各穴にはグレーの泥が見えて、ボコボコと煮えたぎっては、直径15cmくらいの泡を作っていた。地獄茹で釜のようで、あるいは生きている地球を感じるようで、迫力があった。
またこの頃、上り始めた太陽が真横から山を照らして赤く染め始めていた。自分達がいる薄暗い部分と、赤い山のコントラストを楽しんだり、また、昇っていく白煙が途中から日に照らされてピンク色に見える様を見るのは本当に楽しかった。この異様な景色とご来光を組み合わせるのは、なかなか面白い趣向だった。
こうして地獄谷を充分に楽しんだ後、車は再び走り始めた。木が映えていなくて、石ころがゴロゴロとし、かなたに雪山が見えるような風景。昨日あたりからずっと感じていることだが、ここが地球ではなく、別の惑星、木星や火星といったイメージが頭から離れない。1時間もそんな中を走って、車はある所で停まった。
ヴィダルが言った。「さぁ、ここが温泉です。朝食の準備をするまでの30分、温泉にジャブンとつかるもよし、自由にしていてください。」
やった。ついに温泉だ。3日目の宿にシャワーはないけれど、4日目に温泉に行きますから、とエージェンシーから説明されていた我々は、水着を用意してきていた。イギリス人のナナとオーストラリア人のビアンカはちゃっちゃと靴下を脱いで、足を温泉につけ「うわー、あったかくて気持いい」とはしゃいでいる。私はその横を荷物を持って通り過ぎ、さくっと温泉に手をつけると、やや温いが入れそうな温度である。よっしゃー。
幸い、我々のグループしか到着していない。温泉に向かってドアのない2つの更衣室に入り、人気がないうちに、と水着に着替えた。裸になるとさすがにカチカチと歯の根が合わないくらいに寒い。更衣室を出ると、女性群の相棒のジミーとクリスも靴下を脱いで入っていた。
その横からするっと水着で入ると、一斉に皆がこっちを向いて「うぉー、そういうことするかー」と大反響。男性陣はもう入りたくてうずうずし始めて、羨ましそうにスイーッと泳ぐ私を見ていた。「ねぇねぇ、AKiko、君達が使った後でいいからタオルを貸してくれない?」とジミーが聞いてきた。今日チリへ抜ける彼らにとってはタオルが濡れてしまうのがネックだったらしい。
「いいよー」と返事をするやいなや、ジミーはサッサとパンツ一丁になった。「ええ?どーしようかなぁ」と躊躇していたイギリス人のクリスは、女の子たちに促されて、照れ隠しにヌードダンサー宜しく腰を振りながら衣類を脱いでパンツ一丁になった。といっても、今時の若者のパンツは、我が家の旦那のような純白パンツではなく、黒いボクサーパンツなので、パンツ一丁といっても全く生々しくない。
ここに我が家の旦那様も入ってきて、4人で温泉につかった。あたりはピリッと冷たい朝の空気。青空には雲ひとつなく、かなたに見える雪山までは茶色の地面がザーッと続いていて、何もない。いやー、気持いい。ものすごく開放的な風呂である。こんな所に忽然と風呂があるのが不思議だし、ボリビアの辺境の地でイギリス人とオーストラリア人と風呂に入っている自分が不思議だった。
やがて、後続の車も到着して他の人も入ってきはじめたので、我々はあがって朝食を待つことにした。もう既に東洋人も白人もつかっているので、躊躇する人はいない。水着を持っている人もいない人も続々と風呂に入りだした。水はとても澄んできれいな温泉だった。下は砂地になっていて、所々に盛り上がった岩には鮮やかなグリーンの藻やコケが映えていて、全体的に青緑がかった水の中でゆらり、ゆらりと揺れていた。この温泉自体もよかったし、周りの景色もいい。素晴らしい露天風呂だった。
ここで、スクランブルエッグとパンと温かい飲み物の朝食。こんな所で朝風呂に入って、朝ご飯。もう、今日はこれでいい。朝8時過ぎにして、今日のクライマックス、大満足を味わってしまった。日本人としては、ここで半日過ごしても、誰も文句は言わないだろうと思う。もっといたかったなぁ。
さて、ここからラグーナ・ベルデに行って、その後イギリス人とオーストラリア人とはお別れである。今日のクライマックスの場所で、写真を撮ろうと、皆で集まってドライバーのヴィダルも呼んで記念撮影を行った。
まだ旅は終わっていないが、この写真を見ると、ドライバーを含めてメンバーに恵まれたなぁと思う。明るく楽しく、皆それなりに社会経験した大人で、異国の日本人にも気を使ってくれていたのが有難かった。
朝食も終え、再び車に乗り込んだのは8時42分。そこから5分以内にラグーナ・ベルデがあった。ポスターで見ていた湖はもっと透明感がない緑色だったが、我々が訪れた朝は、透明感の高い緑色で、晴れた青空や目の前の山がくっきりと映って、それは美しかった。緑色は湖に含まれる複数のミネラルによって、作られているそうだ。
ここでの滞在時間は15分くらい。あっという間だったがインパクトは強い場所だった。緑の色は季節や時刻によっても変わっていくものだそうだ。もし次回訪れたら、また違ったラグーナ・ベルデの表情が見られるというのも、楽しみである。
ボリビア側のイミグレ。 |
ここからボリビアとチリの国境まで30分ほど。相変わらず殺伐とした砂漠のような風景の中に、バーを挟んで左側にチリの旗を立てた小屋、右側にボリビアの旗を立てた小屋が見えたら、そこが国境だった。ここで皆さんとお別れ。10時半発という国境バスは既に来ていた。新しそうな車体のバスで、ウユニ塩湖からチリに抜ける場合のトラブルを色々と聞いていたが、問題なく通過できそうに見えた。皆と握手し、今後のお互いの旅の無事を祈り別れた。
さて、ここからは乗客は我々2人だ。今まで一番後ろの座席だったが、中央の列に移ってゆったりと座る。屋根の荷物と4人の人間が降りたので、車も軽くなり、軽快に走る。フロントガラスからの景色もよく見え、これはいいと思った。ところが、1時間半後の11時過ぎ、広大な国立公園を抜ける監視事務所に到着した時に、みつあみ山高帽の女性がドライバーに擦り寄って話を始めた。どうやら一家4人で移動していた車が故障して、ウユニに帰れないで困っているらしい。ドライバーは私たちに、同乗させてよいか聞いてきた。条件としては、私たちは中央の列に座ってよいということだった。まぁ、それならばよいでしょうと、ここで後ろに3人の女性、助手席に1人の男性、屋根に大量の荷物を積んた。束の間の身軽な走行だった。
12時40分、ビジャ・マールという村で昼ご飯のために停車した。前に山、後ろには巨大な岩の壁を背負い、強風から身を守るようにひっそりとある村だった。ご飯が用意できるまでの15分くらい散策した。
村の中は人っ子一人見えない。裏手の岩は間に切れ目があって坂道になっていたので、上まであがってみると、この村の全体が見渡せた。岩の向こうは、溶岩流の波だ。赤くフツフツと穴の開いた岩が、丸くそこここに波のように存在している様は、「風の谷のナウシカ
という映画で見た、オームの大群にも見える。かつて、向こうに見える山が噴火して、ここまで溶岩を流してきたのだろうか。そして、ここでピタッと止まったというのだろうか。一体どうやって、こんな地形になったのか不思議である。
昼食は、コンビーフ、トマト、キュウリなどを使ったオープンサンド。このツアーで出されるトマトとキュウリがとてもフレッシュでおいしく感じられる。今回のツアー、最後の食事だった。
昼食を終える頃に、後続の車が到着。こうして30分刻みくらいで走り、前の車が後ろの車の到着を確認してから出発するというシステムで、安全確認をしているらしい。後ろの車が安全に到着したのを見届け、我々は次の目的地、ビジャ・デ・ロカスへと向かった。30分ほどで到着したその場所は、またしても巨大岩石の集合したところ。
ボリビアの国内には巨大な岩がいくらでも転がっているのかと思うほど、たくさんある。この見所を過ぎても、道路から左手には、巨大岩が屏風状になった所などが多数見られた。
小川を越えて車は進む。水に映った雲が美しい。 |
ビジャ・アロータでトイレ帰りの女性群。 |
ところがそこから20分程東に進んだビジャ・アロータという村に入るころになると、殺伐とした風景から、小川が流れてリャマや羊が水辺で草を食むようなオアシスの風景、そして塩湖の続きのように塩をふいた土地の風景など、くるくると様々な景色になっていった。ビジャ・アロータでは、休憩を兼ねて後続の車を待っていたが、来なかった。携帯電話もなく、後から来た見知らぬ車に情報を聞いているようだった。
その間、女性群はちょっとトイレ。といっても、村から山の方に向かって100mくらい離れた所に、腰よりちょっと高い囲いがコの字型にしてあるだけのトイレ。村に背を向けて山の方は全開である。まぁ、何とも解放的なトイレ。誰か来ないかが気になるが、それさえなければ、かなり気持がいい。
後続の車は結局来なかったが、ドライバーの判断で先に進むことにしたようだ。車の下にもぐって、何やらカンカンと調整していたヴィダルは「バモス(行こう)」と一言宣言した。
ビジャ・アロータから先の道は、かなり整備されていた。所々ではアスファルト舗装さえされており、この分だと日暮れまでにはウユニに到着しそうだった。途中、サン・クリストバルという村に立ち寄った。「写真でも撮りますか?」と言われて車を降りたものの、ちょっとした教会があるくらいで、後は別にこれと言って見所はなさそうだった。もしかしたら、インターネットカフェがあったのだが、ここが見所だったのかもしれない。一応、インターネットカフェの写真を撮って車に戻った。披露する程でないので掲載しない。
さて、この旅で、ヴィダルはずーっとボリビアのフォークロア音楽テープを車の中でかけていた。しかし、プレーヤーのテープを吐き出すボタンが途中から機能しなくなっていた。英・豪チームがいた時は、助手席に座った誰かが、プレーヤー全体を引きずり出して、うまくテープを取り出し反対面にして入れてあげていた。しかし、今日の助手席にはボリビア人のおじさんが座っている。コカの葉をむしゃむしゃやりながら、目を閉じたままで、絶対に助けようとしない。ヴィダルは、気が狂ったようにテープ吐き出しボタン(もうボタンは取れて穴だけになっている)跡に、ボールペンを突っ込んでいるのがおかしかった。3回に1回くらいの割合で、テープがうまく吐き出されてくるので、何度か中断したが、ほぼずっとボリビア音楽が流れていた。
こうして5時半過ぎにウユニの街に入り、ボリビア人一家を降ろしてから、我々をツアーエージェント前まで送り届けてくれた。当然ながら、エージェントには人はいなかった。「お帰りなさい。そろそろ戻る時間だと思っていました。ツアーはいかがでしたか?今日はお疲れでしょう。宿でゆっくりとお休みください」なんて絶対に言うはずがない。ま、期待もしていなかったので、がっかりもしなかった。ただ、あらかじめいないことがわかっていたら、ホテルで降ろしてもらえたのに、とそこだけが残念だった。
本当に最後にヴィダルと記念撮影したいというと、夫の肩に腕を乗せてポーズ。言葉が通じないので、なかなかコミュニケーションできなかったものの、この4日間、我々が信頼をおいていたの、わかってくれていたのかもしれない。本当にこの人のお陰で、無事に旅をすることができた。ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
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