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2006.01.09
氷河の上を歩き氷壁を登る、アイス・トレッキング |
アルゼンチン:エル・チャルテン |
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エル・チャルテンにずっと前、バリローチェで「Patagonia Guru」という季刊のフリーペーパーを入手した。パタゴニアを旅する人への情報誌なのだが、その中で「エル・チャルテンで人気のアイス・トレッキング」という記事があってちょっと気になっていた。
しかし、その内容はエル・カラファテからバスで出発し、エル・チャルテンからトレッキングでトーレ湖畔のキャンプ場まで行って1泊、翌日トーレ湖の向こうのグランデ氷河をトレッキングして、再びエル・チャルテンまでトレッキングで戻り、その日のうちにバスでエル・カラファテまで戻るというものだった。かなり強行軍だし、途中でロープで川を渡る場面や、氷河の氷壁をアイゼンとピッケルで登るという内容も含まれていて、アドベンチャラス過ぎる、それにアイス・トレッキングだけしにエル・チャルテンに行って戻ってくるツアーなので、他のトレッキングはできない、など数々の難点を含んでいたので、無理だなぁと判断した。
ところが、エル・カラファテに滞在している時、このアイス・トレッキングは現地で日帰りツアーとして申し込めるということがわかった。氷河トレッキングはガイドなしで行ってはいけないことになっているので、現地からのツアーがあるというのは、嬉しい情報だった。
更に数日後、エル・チャルテンからアイス・トレッキングをしてきたという知り合いの森君が宿泊していた藤旅館に戻ってきた。森君は、健康そうに日焼けして、疲れているけれど幸せ一杯の赤く火照った頬をしていた。そして、ちょっとイってしまったようなとろんとした表情で「いやー、楽しかったっすよ、アイス・トレッキング」と繰り返し語った。その彼の表情を見て、よっぽど楽しかったに違いないと確信して、何だかやる気になってしまったのである。聞けば、アイゼンとピッケルを使ったアイス・クライミングも無理そうなら見ていればいい、ということだったので、後はロープでの川渡りさえできれば、何とかなるじゃぁないかと思い始めてしまった。森君の火照った顔は喜びで上気したいたのではなく、どうやら風邪をひいて熱があった為で、トロンとしていたのもそのせいだったらしいとわかったのは、ずっと後になってからだった。森君は、帰ってきた翌日の早朝別の所に発ってしまったので、そんな状況を知る由もなく、このまま私たちは突っ走ることになった。
エル・チャルテンの2日目のトレッキングで雨にたたられて、散々な思いをした我々は、翌日、インターネットカフェでエル・チャルテンの天候を仔細に検討し(といってもウェザー・ヤフーを丹念に見たにすぎないが。http://weather.yahoo.com)、アイス・トレッキング決行を2日後の1月9日とした。宿の人は、「天気予報を見て決めても山の天気は変わりやすいので、明日にしても同じことだと思いますが」と助言してくれたが、実際に予約を入れようとしたら、明日は既に定員が一杯で、結局明後日に予約を入れることになった。
アイス・トレッキングの2日前の7日、天気の調査が終わってツアーの予約を入れると、今度は持ち物の確認をした。アイス・トレッキングに必要な物は、氷の上を歩いても寒くない衣類、氷の反射に目が耐えられるようにサングラス、日焼け止めクリーム、氷壁を登る際と川を渡る際に使う手袋、長時間のトレッキングに耐えられるシューズ、1日のトレッキングに必要な食料だそうだ。2日目の経験から、我々はスニーカーではなく、トレッキングシューズをレンタルした方が良さそうだと、シューズレンタル屋さんに行って聞くと、レンタル料金は1日A$10(=US$3.3くらい)ということなので、そんなに高くない。「明日の午後5時以降に受け取れば、明日分はカウントされないので1日のレンタル料金でいいですよ」と受付の若い女性が言ってくれたので、明日の夕方取りにくることにして、この日はサイズだけ確認して帰った。
アイス・トレッキング1日前の8日は、明日用の食料、サンドイッチに必要な材料やら卵やら、チョコ、クッキーなどを購入。水は途中の小川の水が飲めるというので、1人1本500ml入りのペットボトルの水を購入して、水がなくなったらそれを水筒がわりに使うことにした。手袋は、軍手を持っているので、それを使うことにした。因みに軍手は調理用に持ってきていたのだった。よくデパートの実演販売なんかで見る、キャベツスライサーってありますよね。あれを持ってきているんだけど、私はあれを使うと十中八九自分の手もスライスしてしまう。ということで、キャベツスライサーは必ず軍手着用というのが、岡田家の決まりであった。で、最後に集合場所のホテルを下見。宿から徒歩10分くらいの四つ星ホテルで、広い庭では観賞用のリャマが2頭、のんびりと草を食んでいた。
夕方5時過ぎに、昨日サイズを見に行ったレンタルシューズ屋(アウトドアショップEoliaエオリア)にシューズを取りに行った。昨日の若い女性店員はおらずに、かわりに30代半ばのやり手の女性がいた。女主人なのだろうか?エル・チャルテンだというのにちょっと派手目の化粧、東洋人を見下しているかのような高圧的な対応に、ちらと嫌な予感が走った。それで、というわけではないが、「レンタル料金を確認したいのですが」というと、「夕方5時が1日の区切りで、1日A$10となります」という。おやおや?「ということは、我々の場合は、明日の5時過ぎに返却することになるので、2日分で1人A$20ということになるのですか?」と確認すると、「だから、何日使おうとお客様の自由ですが、夕方5時以降に持ってきたら、その日のうちでも、もう1日チャージされることになるんです」と、こちらの質問にストレートに答えない。むかついてきた。「あーたねぇ。私の質問わかってらっしゃる?」ともう一度同じ質問を繰り返すと、「そうですね、その場合は1人A$20になります」とやっと答えた。この意地悪ばばぁめ。昨日の女性と言っていることが違うじゃないか。いや、もしかしたら言っていることは違わないかもしれない。昨日の時点では、何時までに返却しないと翌日扱いになるか、ということまでは確認していなかったからだ。それにしても、きっちり確認しなかった自分たちのふがいなさと、このおばはん(ま、私より若いだろうけど、その態度がおばはんなのである)の対応に、キーッと怒りがこみ上げてきたが、もう時間もないため、「ふん、こっちは金持ち日本人じゃ、それくらいで負けないモンねー!払ってやるワイ!」という態度で店を出た。つまり、何も交渉していないし、負けているわけなんだが、あはは。
っつーことで、ひと悶着あったが、準備完了。
みんな人のホテルなのに遠慮がちに立っている中
我が物顔でソファーで寛ぐ私たち。
いやー、いいホテルはいいねぇ。 |
出発の9日は天気予報通り、朝から晴れていた。集合場所のホテルは7時になると、ロビーに大勢の人が集まり始めた。このホテルに宿泊している人で参加する人はいないようで、皆外から入ってきた。
ここで気になるのが参加者の年齢。むむむ、どう見ても我々が一番年寄りに見える。本当に大丈夫か、このツアー。ついて行けるのか。と不安になったが、我々より年配の男性も入ってきて、やや安心した。そうはいっても、山登りなどが趣味の年寄りの体力は侮れない。まだまあ不安ではあった。
やがて、2人の若い女性が皆に声をかけた。この女性2人と若い男性1人がアシスタントとしてついて、3人がキャンプ場までのトレッキングガイドを行ってくれる。女性のうち、よりベテランの方がスペイン語、もう1人は英語ガイドを担ってくれるそうだ。英語圏の人?と聞かれて挙手したのは、我々と他1組のカップルのみ。総勢14名ほどの参加者のほとんどがスペイン語圏、あるいはスペイン語を解する人たちという比率だった。これを見て、エル・チャルテンがまだまだ新しいトレッキングポイントなんだということを感じた。
7時半、ホテル・プーマの裏手からトレッキングがスタート。昨日とは違う色のリャマ(あれ?もしかするとアルパカかもしれない)が我々の出発を見送ってくれる他には、誰も人気のない早朝のエル・チャルテンだった。
2日目のトレッキングの時も書いたが、エル・チャルテンは背後に大きな岩山があり、フィッツ・ロイ周辺に行くには、必ずこの岩山越えがある。この日も登山入り口にたどり着くと、目の前に登るべき岩山がどーんと構えていた。
ことろでこの登山口は、案内所でもらった地図には掲載されていない。中を歩いているとわかるのだが、時々こういう掲載されていないマイナーな道が存在する。ガイドと一緒でないと、よくわからなくて遠回りをすることになるのだ。
岩山を5分くらい登った所で、ガイドさんが歩を止めて「さぁ、体が温まってきた頃でしょう。余分な衣類は脱いで軽装になってください」を指示した。この後も、もう一度こういう場面があった。ガイド付きのトレッキングツアーが初めてだった私は、こんなことにも感激。なるほど、こうやって服を脱いで調整していくのかと、勉強になった。考えてみれば当たり前のことなのだが、目的地にむかって一心不乱に歩いていると、こうした体温調節まで気が回らないのが初心者である。気付いた頃には無駄な体力を消耗してしまっている。ガイドさんの気の利いた助言があるとなしでは、今後の体力に差が出るのだろうとしきりに感心し、この人たちが一緒なら、きっとやれる!と思えてきた。
ほぼ上り坂を30分歩いた所で、今日の最初のビューポイントに到着した。ここから右手には、2日前に麓まで行っても見えなかったフィッツ・ロイ山がはっきりと見え、前方には美しく雪化粧したセロ・ソロの姿が見えた。今日はいい、よく晴れている。
しばらくここで休憩。歩いていると熱いけれど、立ち止まって10分もするとだんだん体が冷えてくる。晴れているけれど、夏のエル・チャルテンはこんな感じだった。体が冷え始めてきた10分後、再び登り始めた。
それからの30分は、やや下りもあるものの全体としては登っている。ずっと登っているので小刻みに2回ほど休憩を取った8時半ちょっと前、キャンプ場までの2時間の道のりの中で、一番標高が高い地点に到着。フィッツ・ロイ山はもう先端しか見えなくなってきており、その代りセロ・ソロがだんだん大きく見えてきた。ガイドさんが「ここからキャンプ場までは、徐々に下っていきまーす」というのを聞いて、みんなホッとした表情になった。
山を下って平らな道が湿原の脇に続いていく所になると、セロ・ソロはますます大きな姿になってきた。
パタゴニア特有の低木の間のトレッキング道を通りながら、目の前には雄大なセロ・ソロと青空が広がる。道はやや下っているし、気分のいい道だった。
こうして出発から2時間後の9時半、予定通りにトーレ湖に近いキャンプ場に到着して、休憩のお茶がふるまわれた。キャンプ場にはキャンパー達がいて、何か楽しそうに大きな声で話をしていた。中には70歳に近いと思われる女性4人組みなどが元気一杯にストレッチなどをして、見るからに初心者である我々グループを、ひよっこを見る母鳥のようなたくましさと温かさで見つめていた。
お茶を飲んで一息つくと、ここから更に加わるいかにも山男風に髭を伸ばした男性ガイドが立ち上がり、それを合図にこれからの準備が始まった。まずは、川を渡るときに、川にはったロープ上の滑車と自分をつなぎとめる為の安全帯を装着。
これはコスタリカでキャノピーをやった時と同じものだったので、これから何をしようとするのかの想像がついた。しかし、キャノピーの場合は、出発点から到着点は常に1方向で下り坂だ。しかし、川は両方だ。ということは、ロープは下りではないので、途中から自力でロープをたぐっていくことになるだろう。キャノピーの場合、万が一途中で停まってしまった場合は、到着点からスタッフがレスキューにきてくれていた。しかし、今回はどうなんだろう。恐ろしや、恐ろしや。
こうして全員の装着が終わると、今度はアイゼンの調整だ。アイゼンはここではクランポンという。宮沢賢治の詩に「蟹のクラムポン」ってのがあったような気がする、と全然関係ないことを思い出した。でも、雪の上を歩くために足の裏がかぎになっているクランポンは、雪深い宮城県ではかんじきとしても機能しそうだ。もしかして、宮沢賢治はかんじきのことをスペイン語で調べてクランポンという言葉を知り、詩に使ったのかもしれないなぁと、何て思った。
クランポンは、大きくいくつかのサイズがあり、後はつま先と中央と踵の3部にわかれているつなぎの部分を調節して、個人の足のサイズに合わせていく。
サイズ調整されたクランポンはここから各自が持っていくことになった。
お茶と安全帯装着とクランポンのサイズ調整で1時間かかりかなり休憩になった。10時半、キャンプ場を再び出発。キャンプ場からトーレ湖が見える所までは10分くらいだった。湖を囲むように左手からセロ・ソロ、セロ・トーレがくっきりと見えていた。湖沿いの道を更に10分進むといよいよ問題の川に到着。おおお、ここを渡るのか。だくだくとミルキーな緑色の水が勢いよく流れる川の上に、ワイヤーロープが渡してある。両端は5トンもありそうな巨石に括られているものの、これにぶら下がって川を渡るのかと思うと、ドキドキした。
こういうことは早くやっつけちゃいたい私の方が先に出発した。
スタッフは先に2人が渡っていて、出発地点で滑車を装着するため2人が残っている。ロープは2本あって、1本は我々グループが占領しているが、後の1本は一般の人が渡っている。もちろん、この人たちは一般の人といってもこうしたロープ川渡りに慣れているので、この人達人を見て、自分なりに作戦を立てた。両端の岩はほぼ同じ高さになっているのだが、人間の重さですこしたわむ。その人の重さにも寄るのだが、半分以上はこのたわみのお陰で下り坂になっている。腕に力のある人は、下りになっている時に、両腕で思いっきりロープをたぐって、スピードを増し、その余力で最後の上りもこなしていた。しかし、これはちょっと高度。私の場合は、せいぜい下りのスピードを落とさない程度にすばやく腕を動かして、上りになった時に少しでも楽ができるようにするしかない。よしっ。と覚悟を決めて出発。思ったとおり、下りはスピードが乗っているので、何の苦労もない。しかし、川を渡りきって、川原の上を岩まで行く途中で突然重くなった。到着点のスタッフが「もう少し、もう少し」と励ましてくれる中、一歩一歩というか一腕一腕進んでいった。最後はスタッフに引っ張ってもらって到着。普段こんなに強く腕を使うことなんてないので、到着した時には、腕が痙攣してプルプルしてしまった。しかし、何とかなるもんだ。で、写真を撮ってくれていた夫は、最後の方。待ち受ける到着点で撮った夫の雄姿がこれ。
いや、まさにアドベンチャーの第一歩と言う感じでした。
あー、やれやれ、川も渡ったことだしこれでやっと氷河だ!と思ったのだが、実はここから氷河までが遠かった。湖にそった砂利道を歩くこと30分、湖と同じ高さのところからずっと登って行って、氷河は道の端の目の下にちらちらと見えてはいるものの一向にたどり着かないし、高さとしては氷河から離れるばかりだった。やがて、森が途切れて滝になっている所でしばし休憩。ペットボトルにすくって飲んだ滝の水のおいしいこと。
ここからは、右手の遥か眼下に氷河を見ながら氷河を遡っていく形で、更に上り坂が続いた。一応道らしきものはあるのだが、ここまで来るともう獣道のように細くて、途中両手をついてよじ登らなければならないような段差などもあって、かなりの大変だった。
川を渡ってから50分歩いて、ようやく氷河へ降りるという道に到達してここでしばし休憩。10分後に25分かけて、岩がゴロゴロしている斜面を一気に降りるてから、黒い台地のような所を少し登った。黒い台地のように見える足元を、ちろちろと水が流れているのを見ると、水が流れているその下が半透明になっている。この黒い台地こそが、もう氷河の上だったのだった。最初の辺りは山からの砂利が被っているためか、氷といっても黒く覆われていて、アイゼンは必要なかったのだ。
12時45分、ここでようやくアイゼンを装着してもらった。ここからが氷河トレッキングの始まりだ。
まず、歩き方の指導から。斜面をまっすぐ登る時には、足先を開いて腰を落として登る。つまりがに股で。斜面にそって歩くときは、斜面の下側になっている足のつま先を、斜面下方向に向けて、斜面の上側になっている足のつま先はは進行方向、つまり斜面に平行に向けて歩く。斜面を下る時には、腰を落として、後ろに体重を置くように歩く。全ての場合において、足は開き気味にして歩くように注意された。
この後、この忠告が正しいことがわかった。ふと忘れて足を開かずに歩くと、左と右のアイゼンが絡まってしまうのだ。しかし、慣れてくるとそんなに難しくない。アイゼンはしっかりと氷をつかんで、なかなか頼もしい履物だった。午後1時、全員の装着が終わり、いよいよ氷河を歩き始めた。
でこぼことした氷河の峰を注意深く歩いて行くと、赤茶色の瓦礫がちらばった所にやって来た。ここには、清らかな小川が流れていて、小川のせせらぎがクレバスを作っているのを見学。氷河の上の小川は、下の水色の氷が透けて見えて、何とも美しい。
氷河の切れ目は、どこまでも深く、奥に行くに従って氷りは蒼さを増して、やがてうんと奥は真っ暗で何も見えない闇になっていた。スタッフに体を支えてもらって、1人ずつこのクレバスをのぞきこませてもらった。しかし私は、クレバスよりもこちらの小川が大変気に入った。この先にも至る所に水色の小川があり、目にするたびに、その水をすくって飲んでみたい衝動に駆られた。
クレバス見学の後は、アイス・クライミングが待っている。セロ・トーレに向かってトレッキングを進めるに従って、氷河のでこぼこは更に高低差を増し、両脇の氷壁はだんだん見上げるような高さになってきた。歩いている時は夢中で気がつかなかったが、かなりの勾配を登っていたのだった。
やがてクライミングにふさわしい氷壁が見つかった辺りで昼食休憩を取ることになった。どうやら、今日は天気が良いので皆が途中で立ち止まっては写真を撮るため、時間がかなり押しているらしかった。私たちが食べている間も、スタッフはクライミングの準備を行ってくれていた。登る氷壁は、どうやら昼食を摂っている所から2コブくらい離れたところに決定したらしい。スタッフが杭を打ち込んで準備をしているのが見えた。
14時半、いよいよアイス・クライミングだ。全員が2コブ先の氷壁まで移動し終わると、アイス・クライミングの模範演技を見せてもらった。
「ピッケルはあまり強く差し込むと抜けづらいので、そこそこ強めに刺すこと。左手上方を刺し、右手上方を刺し、左足上方を蹴り、右足上方を蹴るという順番で、登っていきます。」と説明しながら、山男ガイド氏はいとも簡単に数メートルの氷の壁を登りきってしまった。なーんだ、簡単そうじゃないか。
でも、とりあえず早く済ませちゃおうと、2本あるロープの1本の1番目に名乗りをあげた。
しかしこれ、見るとやるとでは大違いだった。まずアイゼンが氷に入らない。アイゼンのつま先は、前に尖ったナイフのようなものが2本付いている。強く蹴って、この2本を氷に食い込ませて足の支えにするのだが、かなり強く蹴らないと、ずりずりずりと落ちてしまうのだ。今回の場合、下でスタッフの人がロープを引っ張っていてくれるので、ずりずりしても完全に落ちることはない。やっと慣れてきたと思ったころには、もう頂上だった。あとは、手を後ろに組んで、思い切って後方に倒れ、壁に垂直に後ろ向きに歩くように壁を降りてくる。これは問題なかった。
夫はスタッフが「本当に初めて?」と私に聞いてくるくらいに上手かった。思いっきりアイゼンを食い込ませて、安全帯とヘルメットで氷壁を登っていく姿は、かつての職場の工事現場での写真で見たような姿でもあり、妙に似合っていた。
頂上までたどり着くと「俺の雄姿を撮ってくれー!」と振り返って、シャッターを押すゼスチャーまでできるほど余裕をかましていた。
後は高みの見物。甘えん坊の彼女も、シティー派のフランス人男性もみんなずりずりと楽しみながら登った。最後まで拒否していた女性も、みんなの応援でやり遂げることができた。
15時45分。今日のメインのイベントも終わって、来た時とはちょっと違う経路で戻ることになった。
最終的に右手の山に登ることになるのだが、その手前の氷河にポツポツときれいな水色の池のような物が見える。何だろう。近づいてみると、氷の小山に切れ込みが入ったようになっている所だった。切れ込み部分が太陽の光線の青を反射して、水色に見えていたのだった。これも初めて見る氷河の現象で大変美しかった。
やがて、氷河と山の境目の辺りに、氷河の大きな切れ込みに水がたまっているのが見えた。これは川の水だそうで、やはり氷河の圧密された氷の水色と、川に含まれる緑色の鉱物の色が入り混じって、こんなエメラルドグリーンになっているという説明だった。ここも非常に美しいところだった。
ここを過ぎる頃から後ろを振り返ると、氷河を前にセロ・トーレ他の山々が、夢の世界のように広がっていた。あの氷河の上に、さっきまで自分がいたんだと思うと、名残惜しくて、何度も何度も振り返りながら歩いた。
この光景を惜しみつつ、アイゼンをはずして各々の荷物に背負い、ここから本当の帰途だ。まず、見上げるような岩岩の斜面を登り、ちょっと休憩。獣道的なサバイバルのトレッキングルートをたどって、滝を渡る所で、みんな勝手にしゃがみこんで休憩に入ってしまった。しかし、ここで休憩の予定はない。「時間がないので、早く行きますよー」とガイドに急かされて、みんなのろのろと立ち上がって、再び歩き始めた。
ここから先は、山の中の急な斜面を降り、湖沿いの砂利道をたどってようやく川まで到着。こういうアドベンチャーツアーのことだから、行きはロープで川を渡るにしても、帰りは橋があるのかもしれないなー、何て薄く期待していたのだが、そんな甘い話ではなかった。帰りもきちんとロープで川を渡ったのだ。そして、ようようキャンプ場に戻ってきたのが、18時半だった。お茶を飲んで、お疲れサマーって記念撮影して、ここで終われるのなら何と幸せなことだろう。しかし、このキャンプ場からエル・チャルテンまでは更に2時間のトレッキングが待っていた。しかも、私たちはレストランに20時半に予約を入れてしまっていたのだった。
ここからエル・チャルテンに到着するまで、2人の間にほぼ会話はなくなった。村まであと1時間という頃くらいから、夫は疲労のためにちょっと壊れてきた。
まず、歩き方が変だ。やや上方に顔を上げて(つまり顎が出ちゃってる)、だだをこねた子供が歩くようにペタンペタンとやる気なく歩いている。当然、私との歩調が合わなくて、私はしばしば振り返っては待つ羽目になった。「少し休もうか?」と聞くと、「休むんでも疲れがとれない、休むともっと疲れるから嫌だ!」と逆切れ気味になってしまった。仕方がないので、互いの速度で勝手に歩くことにした。
20時半、ようやく登山口に到着。帰りはガイドさんがいないので、本当ならホテル・プーマの裏手に出るはずなのに、もっと北側の遠い方に出てしまった。なかなか難しい。
あともう少しだと思っても、もう頑張る気力がしない。2人で這うような速度で、とぼとぼと宿まで歩いた10分は1時間にも感じられた。
シューズはどうせ夕方5時を過ぎたら1日カウントされるんだから、明日返却すればいいや、宿で靴だけ履き替えてレストランに行くことにした。予約の時間を20分オーバーしたけれど、レストランは席を空けて待っていてくれた。その他は、満席。いやー、ありがたかった。
我々の丁度後ろの席には、宿で同室の背の高くてハンサムと美人のカップルがロマンチックにデザートを食べているところだった。そこに、焦点も定まらぬ目つきの中年日本人が入ってきたので、彼らは可笑しくてしょうがないらしかった。「あのね、今日ね、アイス・トレッキングしてきたの。で、13時間半かけて今戻ってきたの、もう疲れて疲れて」というと、いたく同情してくれた。レストランの雰囲気は楽しげで、美男美女に優しく同情されると更に嬉しくなった。いやー、よくやったよね、良く帰ってきたよね、でも私たちの限界だったよねー、とボロボロになりながらも満足感に浸りきって食事をした。
そうそうレンタルシューズのこと。翌朝、レンタルシューズを返しに行くと、初日の若い女性店員と、更に朴訥な若い男性店員しかいなかった。「おいくらですか?」と聞くと、「えっとー」とレンタル帳の控えを見て、「あー、1日ですね?」と言ってきた。何が1日かはよくわからないけど、私たちが使用したのは1日だ。だから「ええ、1日です」と答えたら、1人A$10ですということで、最初の思惑通りの金額となった。やったー!エル・チャルテンはやっぱりいい村だった。
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