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2006.01.21
ティエラ・デル・フエゴ国立公園 |
アルゼンチン:ウシュアイア |
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ウシュアイアはアメリカ大陸最南端の町として、また南極ツアーへの発着地として有名な所だ。地元の観光としては、国立公園、南極ツアー、ビーグル水道を渡るクルーズ船からあざらしやペンギンを見るツアー、氷河のある山にケーブルで上ってトレッキングするツアーなどがある。
我々がここに来た目的は、日本人の長期旅行者の間で有名な「上野亭」に宿泊して、ドラム缶風呂に入ることと、御主人が亡くなられてから1人で宿を切り盛りしている奥さんに会うこと、そして最近ネタがたまってしまったサイトの更新作業をすることだったので、特に観光するつもりはなかった。
しかし、アメリカ大陸最南端はウシュアイアよりももっと南の町があることがわかってからは、最南端とは呼べなくなってしまったものの、ここにあるティエラ・デル・フエゴ国立公園には「世界の果て号」という汽車が走っており、公園内には「世界の果て」と書かれた看板があるということで、ここには行ってみようということになった。
まず、ウシュアイアの町のインフォメーションや旅行代理店で情報収集だ。この時期は、世界の果てに近い割には、南極への船に乗る人で街中は案外賑わっている。旅行代理店には、南極へのツアーの最後の安売りチケットの案内の紙がウィンドウーに張られ、行くつもりのなかった人も「ラスト・ミニッツ」と書かれたその案内の金額によっては、ついつい南極に行ってしまうようだ。同じ宿に宿泊している男性は、ここに来ればみつかるだろうということで予約なしでやってきて、まんまとUS$2750のツアーで南極に行ってきた。同じ船で出会ったアジアから来た夫婦は、自分の国でUS$4000で申し込んできたそうだから、彼の値段を聞いたらさぞや悔しい思いをしただろう。
また、我々がこの宿を出た後に入ってきた日本人の長期旅行者たちは、ウシュアイアから南極を経由してブエノス・アイレスに行く豪華客船のツアーがUS$1300で出たので、我も我もと申し込んだという話を聞いた。時間がある人はウシュアイアまで来て、ここで申し込んだ方がお得なのである。ただし、ラスト・ミニッツはいつ出発になるかわからない。翌日かもしれないし、10日後になるかもしれない。時間がある人だけが得られる幸運なのである。
又、豪華客船に乗り込むことになった知り合いのブログには、「行くつもりがなかったのにあまりの安さに申し込んだものの、豪華客船なのでタキシードを用意してくれと主催者から言われ、一生着ることなどないと思っていたタキシードを買うはめになっている。一体俺は何をしているのだろう」ということが書かれていて、安いツアーだからといっても悲喜こもごもなようだ。
さて、話を我々の国立公園に戻そう。町中の観光案内所では、ティエラ・デル・フエゴ行きについて詳しい説明と地図とバスの時刻表をくれるのでとても便利だ。公園に行くバスは数社あり、園内のバス停も数箇所ある。それらの組み合わせで自分の都合のよいバスを利用すればよい。
ただし、バス会社の料金はどの会社も往復運賃の方が、片道だけ購入するよりもかなり割安になっているので、あらかじめ1つの会社に決めて往復チケットを購入する人が多いだろう。
園内をどうやって周るのがいいかを検討する際、我々は「世界の果て号」に乗車してから、園内トレッキングをするという計画を立てた。しかし、これは公園側の意図にそっていないと思う。というのも、汽車の運賃は片道A$50、往復A$55で、いかにも往復した方がお得にできている。汽車の終点から園内の奥地にある魅力的なトレッキングコースまでは海岸沿いのトレッキングコースを8km歩くか、その間を走っているバスを捕まえて乗せてもらうように交渉するか、船でいくしかない。つまり、公園側の意図としては、汽車に乗って公園の見所をちょっと歩きたいならツアーに参加しなさい、さもなくば汽車は汽車だけ楽しみ、トレッキングはトレッキングだけを楽しみなさい、両方楽しみたいならじっくりと時間に余裕を持ってきなさい、という様に受け取れる。
しかし、自力で両方楽しもうと思えばできないことはない。我々の場合は、あまり計画せずに午後からぼやぼやと出かけたので、汽車に乗って海岸沿いを2時間以上歩いて時間切れになってしまった。朝からお弁当を持っていけば、3時間の海沿いトレッキングの後、海を見ながらか、あるいは気持ちのいい公園でお弁当を食べ、午後からはその周辺のトレッキングを楽しめたはずだ。また汽車に乗らないのであれば、朝から園内の奥までバスで行って、1日中森や湖を楽しんで帰ってくるのも面白いだろう。いずれにせよ、半日じゃもったいなかったな。
ツアーで参加している人も見かけたが、バスでスーッと来て、しばらく滞在してまたバスで去っていく。効率はいいかもしれないが、効率よく見て周るほどの大仰な見所があるわけでもないので、自分の足で歩いて森を楽しむ方が向いている公園だと思う。
ウシュアイア発午後2時のバスに乗って公園にでかけることを決めた我々は、余裕を見て1時頃宿を出た。インフォメーションでもらった案内にはバスが出発する通りの名前だけが書いてある。その辺りでキョロキョロしていると、「公園に行くのかい?」と兄さんが寄ってきた。聞くと、我々が乗ろうとしているバスの会社の人だという。彼に案内されて数メートル先に行くと、バス会社の名前と「Here!」と英語で書かれた看板が立っている駐車場があり、一般の車に混じってバスのロゴが腹に書かれた15人乗りくらいのバンが停まっていた。一般駐車場の一角を借りて、発着所としているらしい。ここで、往復チケットを購入してバスの中で待った。
兄さんは通りに出ては、要領よく公園行きの客を連れてきてバスに乗せた。2時には15分もあるという1時45分。もうこれで十分な売り上げが立つからいいや、と思ったのかバスは出発してしまった。我々が乗ったバスは、汽車の駅を経由するバスで、普通の公園直行とは違うバスだ。公園直行は本数が多いので、こんなことはないのかも知れないが、汽車の駅に行くバスに乗ろうと思ったら30分くらい前には行っておいたほうがいいのかもしれない。
ここのところ天気が悪かったウシュアイアも、久しぶりに青空を取り戻し、今日は公園びよりになりそうだった。
20分も走るとバスは汽車の駅に到着。いかにも観光めいた可愛らしい駅舎だったが、そもそもは囚人が暖房や建築用木材の伐採作業に行くトロッコ用の線路だったそうだ。現在は、縞々の囚人服を着て、床にモップをかけたり汽車の窓を掃除するおじさん達がいて、観光客の要望に応じてニコヤカに記念撮影をしたりしている。もちろん、この人たちは囚人ではない。
15時の出発まで40分もあるので、中の売店で飲み物を買って飲んだり、周りの風景を楽しんだ。花々が今を盛りに咲きほこり、南の果ての短い夏を謳歌している様子が美しかった。
やがて、バンドネオンの悲しげな音が響くので駅舎に戻ってみると、黒服に実を包んだ男たちによるタンゴの演奏が始まっていた。アルゼンチンといえばタンゴだが、今まで通ってきた道の中であまりタンゴはお目にかかっていない。こことて、地元の文化なのではなく、世界中から来たお客様の「アルゼンチンと言えばタンゴでしょう」という気持ちを納得させるための観光タンゴなのだろう。余りレベルの高い演奏とはいえなかったが、有名な曲も演奏していてそれなりに楽しめた。それにしても、何と哀愁に満ちた音楽なのだろうか。哀愁のタンゴを背中に受けながら、「世界の果て号」に乗り込むことになった。
「世界の果て号」はおもちゃのように小さくてカラフルで可愛らしい汽車だった。緑と赤と黒という配色もオシャレで、アルゼンチンにはイタリア移民も数多くいるという話が頭をよぎる。ふとした所が洒落ていて楽しい気分になる、それが私のアルゼンチンのイメージになっている。この汽車も、このイメージをますます強くさせてくれた。
誰もがこの機関車の前で写真を撮りたがり、この写真を撮るのにもスペイン語圏のおばちゃん達に打ち勝って、やっと得た1枚でなかなか貴重なのである。
小さいながらもしっかりとした蒸気機関車で、車内もヨーロッパの高級列車のコンパートメント風な作りになっていた。何もかもミニミニなのが面白い。
汽車はここを出発してからいくつかの見所で停車して3つ目の駅が終点である。
1つ目の駅はマカレナ滝駅Estacion Cascada La Macarena。小さなマカレナ滝と、先住民の住居を再現した置物が川のほとりに置いてあるところだった。そんなに大きな滝ではないのだが、都会から来ただろう子供たちは先を争って滝に向かい、川から直接水をすくって飲んでは「うまーい!」と叫んでいる姿が可愛かった。私たちにとっては、エル・チャルテンやパイネ国立公園の壮絶ともいえる自然を体験してしまった直後なので、どうしてもこんな滝じゃ満足できないのが本音だった。先住民の住居跡は、1人しか入れないような円柱形のテント型で、本当にこんな簡素な家でウシュアイアの冬を過していたのか、大いに疑問が残ることろであった。
2つめの駅では2人とも眠りこけて下車もしなかったので、何があったかわからない。こうして50分後、国立公園駅に到着。多くの人は、この次の便で引き返すらしくあまり動こうとはしなかったが、我々はここからが今日の始まり、というくらいの気負いで歩き始めた。
汽車の駅から海辺のトレッキング開始地点までは、園内の車道を2キロ歩く必要がある。園内は未舗装なので、車が通るたびに盛大に砂埃をあげていくのに耐えながら歩くこと30分、海辺に到着した。
時間があれば、ここから船で園内奥まで行くこともできるようだが、既に時刻は4時半。帰りのバスは8km先の地点から7時に出るのが1本だけ。ってことは、2時間半で8kmを歩かなくてはいけない。ここに至って初めて「大丈夫か、私たち?」という疑問がわいてきた。遅いっつーの。
おおおお、やばい。という事に気付いた私たちは、それから海沿いのトレッキングコースを登って下って、とにかく必死で歩き続けた。何と行っても7時のバスを逃したら、もう帰る手段はないのだ。いや、お金さえあればタクシーなどあるかもしれないが、そんな選択肢は頭の中になかった。トレッキングで自然を楽しむというよりは、競歩の修行のような感じで黙々と歩き、時々目配せで合意したら休む。休んで息が整うと、やっと周囲の景色も目に映るという状況だった。
実はここの海はとてもきれいな水だった。天気もいいし、向かいの山もすがすがしい。何でこんな汗だくになって必死に歩かなきゃいけないのか。本当にアホみたいな話だ。もっと時間があれば、他の人みたいに、この浜辺に座って景色を楽しむこともできたのに。やれやれ。
ここのコースは景色は美しいが、動物にはあまり出会えない。唯一見られたのがこの鳥の親子だった。
これを慰めに、また必死で歩く。再び美しい浜辺に出た。所々で浜辺に出るのが特徴だ。この辺りになると、海岸沿いにびっしりとムール貝が生息している。公園内なので採って食べたら怒られるのだろうが、ものすごい密度で生息していて、おいしそうだなぁと思うことしきりであった。
雲の形が面白いので写真を撮ってみようとパチリ。再生して見てみると、逆光気味の写真は既に夕刻の風景。肉眼だとあまり感じないが、時間が刻々と夜に迫っていることをデジタル映像が教えてくれた。や、やばい。出発から1時間経過して、地図上では半分以上来ているので予定通りなのだが、この先どんな上り坂や困難が待ち受けているかわからない。急げ、急げ。
やがて、道は海岸沿いから大きく内陸へとそれる所まで来た。ここからは予想通りの上り坂。「ティエラ・デル・フエゴのトレッキングコースは平坦で楽勝ですよ」という情報だったが、それはこのコースが終わった先のトレッキングコースの話だ。この海沿いのコースは、以外に起伏もあり、時間が無い私たちにとっては「こんなはずじゃぁなかった」と思うような地形の連続だった。
やっと山を登りきって平坦な所に出たら、遠くから元気な歌声が聞こえてこちらに近づいてきた。見ると、行きのバスで一緒だったイスラエル人の若者たちだ。彼らは園内の奥までバスで行って、こちらに向って歩いてくるところだったのだ。青年たちも既に何時間も歩いているだろうに、しかもキャンプ道具も背負っているのに、めちゃくちゃ大きな声で歌を歌いながら元気いっぱいに歩いていた。こうしたイスラエル人の青年の大半は、2年間の兵役を終えたばかりだ。彼らはいつでもどこでも元気いっぱいなのだ。「おおい!」と声をかけると明るく対応してきたので、お互いに通ってきた道の情報交換をしてわかれた。キッチンや部屋をシェアしない時のイスラエル人は、明るくて楽しいから嫌いではない。
彼らの情報から、もうすぐ目的地に着くこともわかったし、多少は気持ちが軽くなった。湿原を抜けて、園内車道に沿って歩き、湖を左手に見ながら歩いてバスの出るキャンプ場に向う。もうすぐ、もうすぐ。この辺りに来ると、宿の皆が言っていたように野うさぎがたくさんいた。今宿にいるメンバーで、ティエゴ・デル・フエラのうさぎの話になった時、「あれ、夜キャンプしていて、食っちゃう人とか絶対にいると思うんですよ。丸々として旨そうだしね」などという話になった。真偽はわからないが、たしかに丸々としていて、可愛いと思うと同時に、どうしてもメンドーサのワイナリーで食べたうさぎのシチューの味を思い出してしまう私は、かなり残酷な人と言われても仕方ない。
丸々うさぎを見ながらキャンプ場に到着。時刻は6時をとうに回っていた。ええっと、バス停はどこだ、どこだ。探していると、バスに使われているバンがスーッと寄ってきた。聞くとバスは、もっと奥から出るそうだ。たまたま我々が使っていたバス会社ということもあり、奥のバス停まで乗せてもらうことができた。キャンプ場の奥にはレストランがあり、へとへとだった我々は「ビール、ビール、しかもロング缶2本頂戴!」と、たちまちのうちにロング缶を飲み干した。いやー、おいしかったこと。7時の出発15分前になっていた。ぎりぎり。
帰りはアルゼンチン人のご夫婦とその娘さんらと上機嫌でおしゃべりしながらウシュアイアまでの道を楽しんだ。娘さんはウシュアイアが気に入ってしまって、薬剤師をしながらウシュアイアの薬局に勤めているということで、観光を兼ねて両親が会いに来たのだそうだ。そんな話をしていたら、あっという間に到着。こうして我々のウシュアイア唯一の観光は無事に終了した。
それにしても皆様、ティエラ・デル・フエゴには時間の余裕を持っていきましょうね。タイムリミットに追われるトレッキングほど辛いことはありませんから。
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