夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.01.28 
華麗なるショーからミロンガまでタンゴ尽くしの夜
アルゼンチン:ブエノス・アイレス
 昨日見た老舗カフェ「トルトーニ」でのタンゴショーは、重厚でレトロな内装のカフェ、ベテランの黒服ウェイター、そこに集うお客さんの話し声や笑い声など、ステージ以外にも雰囲気を盛り上げてくれる要素がたくさんあって、これはこれで行って満足できる所だった。でも、ステージを見ているうちに、もっとダンサーのステップを近くでじっくりと見られる所に行けないものかと思い始めてきた。

 ブエノス・アイレスにはタンゲリアと呼ばれる、ダンスショーを見ながら食事ができるレストランが数多くある。タンゲリアでなら、もっとじっくりタンゴを見られるのではないかと、宿のコンシェルジュ(と私たちが勝手に思っている)というか、フロント係のホセに相談してみた。

 ホセは、「観光客が多く集まるタンゲリアに行きたいというなら、それはそれでいいでしょう。タンゲリアではお酒を飲んだり食事をしながらショーが見られるので、それも楽しいと思います。しかし、既にトルトーニに行ったのなら、それと似たようなタンゲリアに行くのはどうでしょうか。それよりも地元の人に人気のタンゴショーで、今お薦めのがあるんですけどねぇ」と言ってきた。そのショーは劇場で行われるので、飲み物も食べ物もない。ただし、同じ金額を支払って見るのなら、ホセは絶対こちらを選ぶというのだ。ショーのチケットはA$40程度だということだった。観光客が集まるタンゲリアの中で、この宿に宿泊している日本人に人気のA$60(=US$18.75)ピザ付きという所から、老舗といわれる有名どころになるとUS$100以上する場合もあるらしい。それらと比べてもリーズナブルだし、中途半端な食事を出されるよりは、ショーだけに集中した所の方も私の好みに合致している。

 そう言えば、バリローチェで出会ったブエノス・アイレス在住のアルゼンチン人におすすめのタンゲリアを聞いた時「ここは観光客に大変人気の所です」とは言っていたが、自分で行くとは言っていなかったなぁということも思い出した。タンゲリアというのは、ツーリスティックな所なのかもしれない。

 ホセがそこまで言うのなら、なかなか面白いに違いないと、劇場の名前と場所を聞いて、午前中にチケットを買いに行くことにした。

 ホセは他にも、ミロンガと呼ばれるダンスホール見学に行くことも提案してくれた。タンゴといってもショーで行われるアクロバット的なダンスもあれば、地元の人が楽しむダンスもあり、両方ともタンゴなのだ。折角ブエノス・アイレスにいるのだから、様々なタンゴを見たらどうかというのだ。これももっともな意見だ。ミロンガは、大抵夜の12時から始まり、明け方まで続くということだった。夜の12時にミロンガ見学に出かける、というのは早寝の私たちには非常に辛い時間帯だ。しかし、今夜ショーを見て、それからミロンガをはしごするのならあまり苦にならないだろう。よし、今日はショーを見て、ミロンガに行くことに決定した。

 ホセ曰く、ブエノス・アイレス名物のオベリスクが立っているコリエンテス通りは、ブエノス・アイレスのブロードウェイなのだそうだ。劇場は、このコリエンテス通り沿いある。行ってみると周りには劇場らしい建物があり、大きな看板がかかっていた。ホセは「劇場の名前というよりも"TANGO×2"あるいは"ZOTTO"と書いて、タンゴダンサーが描かれた大きな看板があるので、すぐにわかると思いますよ」と言っていたが、行ってみるとその通りだった。


 土曜日の午前11時だったが、劇場に向って右手のチケット販売窓口が開いていて、今夜のショーのチケットを買うことができた。座席は一番高いチケットでA$45(=US$14.06)、これは劇場の1階席の前半分の所、次はA$35で1階席の後半分、そしてA$25は2階席となっているようだった。チケット販売の女性の後ろには、劇場の座席表が貼ってあり、値段ごとの色分けがされているのでわかりやすい。

 我々はとにかく前の方で見たかったので、A$45のチケットで一番前の方の空き席を聞いてみた。前から5列目と8列目が空いているということだった。5列目は左脇通路から2番目と3番目、8列目は中央の席だった。どっちにしようか。チケット販売の姉さんに「あなたならどっちを買う?」と聞いてみると、「私なら5列目を買いますね。ま、これは好みの問題ですが」と答えた。私も5列目を買いたいと思っていたので、彼女の意見で太鼓判を押された気分になり、こちらの2席を買った。

 最近、パタゴニア地方を周っていて、こうした文化的なイベントからは遠のいていたので、久しぶりに都会の楽しみを味わえるのが嬉しくってたまらなかった。それに、この看板を見る限り、どうみたって凄そうじゃないですか。

 裸にバンドネオンでタンゴ踊っちゃってるんですから。これ、見ないでどーするの?ってくらいインパクトが強い看板。いやー、今夜が楽しみになってきた。

 ショーは午後9時半に開幕する。9時頃に開場すると聞いていたので、バスに乗って歩いて劇場に向った。夜のコリエンテス通りは、華やかにライトアップされた看板が並び、各劇場の前に人々が集い、本物のブロードウェイよりは、かなりおとなしい目ではあるが、ブエノス・アイレスのブロードウェイと呼ぶにふさわしい所になっていた。


 我々の劇場もライトアップされて、華やかな雰囲気を醸し出していた。手前のCD屋は、ここが売り時とばかりに大音響でタンゴミュージックを流しており、それにつられて我々もCDを手にとってみたりして開場を待った。9時を過ぎる頃になると、劇場の前には大勢の人が集まり始め、中には奇抜なドレスを着た女性もいたが、そんなに着飾った人が多い印象はなかった。しかし、我が夫のように短パンとサンダルの人はいなかった。人の視線が気になる人は、せめて長いズボンを履いていった方がいいかもしれない。

 9時10分くらいに開場され、人々は劇場にどやどやと入っていった。ホールの左手に売店兼ストゥールの置いてある小さなカフェがあり、その先の両側に2階席への階段、1階席は正面のドアから入るようになったいた。

 2階席は両側が桟敷席になっているが、ここに座っている人はほとんどおらず、大半は1階席と2階正面の席におさまっていた。会場に入ると係員にチケットを見せて、席まで案内してもらうことになっている。座席には番号が振られていないので、こうしないとどこが自分の席かわからないのだ。しばらして我々の右側にちょっとはすっぱな感じの白髪の老女が座った。ちょっと話しかけてみると、弾丸のように彼女は話始めた。どれほどタンゴが素晴らしいか、自分がどんなにタンゴが好きかを語っているようだったが、スペイン語でまくしたてるのでほとんどわからなく、「はい、はい」とうなずくしかなかった。相手がわかっていようとわかっていまいと、彼女にはあまり関係ないようで、とにかく今の興奮状態を誰かに伝えたいようだった。

 そんな時、係りの人が品の良さそうな年配の夫婦を連れてやってきた。白髪の女性が座っている席はその夫婦の席なので、白髪の女性に確認のためチケットを見せてほしいと言っているようだ。しかし、白髪の女性は、「私も係りの人にこの席だと言われたわよ!チケット?そんなの係りの人が持っていっちゃって持ってないわよ」と粘った。もしかすると、この劇場に何度か足を運んでいるらしいこの女性は、最安値のチケットで入って、まんまと前の方の席に座っていたのかもしれない。

 文句を言いながらも、渋々と今度は我々の左の席に移動した。品の良さそうな夫婦が、白髪の女性の前を通って自分たちの席に入ろうとした時、白髪の女性は夫婦に向って、「一体どんな手を使って私の席をぶんどったんだろうね、このイタリアン・マフィアめ!」と吐き捨てるように言った。「イタリアン・マフィア」としか聞き取れなかったのだが、恐らくそんな内容のことを言ったのだと思う。夫婦のご夫人の方は、「まぁ、何て下品な」というように目を吊り上げて、白髪の女性を一瞥しながら自分の席についた。

 いやー、やばい人に声かけちゃったなー。「んもう、ちゃんと人を見て話しかけないとやばいよー」と夫が非難めいた視線をこちらに送る。しかし、白髪の女性は、今度は夫の側に座っている。夫が白髪の女性の話し相手になることになった。す、すみません。

 こんな一幕があった後、いよいよショーが始まった。M.A.ZOTTO(ソットー)氏が率いるダンスカンパニー"TANGO×2"は、数年に1回という頻度で新しいショーを行っている。今回のショーは"Su Historia(ス・イストリア)"というタイトルのショーだった。司会の人が出てきて、ステージに下ろされたスクリーンに昔の写真が映し出され、往年のダンサーやタンゴ作曲家の写真を説明してからさりげなく音楽が始まり、スクリーンが上がって裏に座っていた楽団に照明があたり、ダンサーが出てきて踊りが始まるという演出だった。Historia=イストリア=ヒストリーというタイトルのショーなので、タンゴの歴史をたどりながらショーを行う内容らしい。

 いい声の歌手が出てきて歌った時、彼の後ろのスクリーンに父親と少年の写真が映し出された。夫の隣の白髪の女性によれば、少年が歌手でいっしょに映っているのはその父親だということで、親子で有名な歌手らしい。こうして、歌手、楽曲、ダンスがくり返し催された。

 とにかく一つ、一つのダンスの振り付けが凄い。群舞の時もあれば、ソットー氏と女性の1組だけが踊る場合もあるが、ソットー氏は他の若手ダンサーと群舞で踊るとその素晴らしさが際立って見える。足の動きだけでなく、全体から醸し出される雰囲気というかオーラが違うのだった。

 前から5番目の席というのは、本当にステージがよく見える。ダンサーの眉間の皺まで見える。足の動きだけでなく、息遣いまで伝わってくるこの席は大当たりだった。

 9時半から始まったショーは10時45分くらいに休憩が入った。ロビーに出ると、これまでのZOTTO氏の公演の映像DVDと音楽CDが販売されていて、飛ぶように売れていた。1つは2年前のショー、もう1つは4年前のショーらしいので、2年に1回の割で新しい企画を出しているのだろう。この人気ぶりを見ても、彼が今のりの乗っているダンサーであることがわかった。

 午後11時、後半が始まった。前半でスイッチが入っている観客の興奮は、後半に入ってメラメラと盛り上がる一方だった。特に夫の左の白髪の女性は、後半に入ってからは、真っ先に拍手はするは、「ブラボォゥォー」と叫ぶわで、もうめちゃくちゃ盛り上がり始めた。この彼女の熱いエネルギーが会場を沸かしているといっても過言ではないくらい、拍手もスタンディングオベーションもここから始まっていて、そういう意味では会場のマグマ的な所にいたことになる。

 後半は寸劇形式が多く、人買いのような形でブエノス・アイレスに連れてこられた女性たちが体を売って生計を立てる中で、タンゴが始まったような場面から、北アルゼンチンの牛追いであるガウチョのスタイルとタンゴをミックスさせた歌や踊りがあったり、物語風にタンゴの時代の流れを追っていく構成になっていた。その中には、宿のフロントのホセが言っていたように、そもそもブエノス・アイレスで発生したタンゴ(ミロンガスタイル)がヨーロッパに行ってサロンスタイルになっていったことを踏まえて、社交の場でミロンガ派とサロン派が踊りで対決するのだが、最後には和解するという場面などもあった。タンゴに対する予備知識があるとより楽しめるのだろう。

 しかし、そういう知識や理論などは二の次で、とにかく見た人全員が興奮せずにいられない、じっとしていられない程の迫力と華やかさと楽しさがあった。パリでは、リドやムーランルージュといった老舗のキャバレーも行ったことがあるが、あの華やかな雰囲気や洗練されたステージと共通するものを感じた。ただしこちらは、途中に小話や手品も入らない。全部タンゴつくしなのが凄い。写真撮影はフラッシュなしなら行ってもいいというアナウンスあったので、数枚撮影していたら、係りの人が来て「撮らないでください」と言われてしまったので、ショーの写真はほとんどない。私たちが見た映像をお見せできないのが非常に残念である。

 9時半から15分の休憩をはさんで12時まで、あっという間に感じられた公演だった。いやー、本当に凄い、本当に凄いと何度も何度も口に出して言っても気がすまないくらいに素晴らしいショーだった。隣の品の良い夫婦に「こんな素晴らしいショーは、生まれて初めてみました」と言うと、「世界中どこを探しても他では見られませんからね。」と誇らしげな答えが返ってきた。全くその通りかもしれない。タンゴを見るならブエノス・アイレスで見なくっちゃ。

 時刻は12時過ぎ。今からミロンガに行こうか、どうしようか。正直、私は今夜のショーの興奮で疲れてしまったし、詳しい住所もわからないミロンガに行くのは賛成ではなかった。どうせまた、近くまで連れて行ってもらうようにタクシーの運転手と交渉するのは私の役目なのだ。こんな夜中のタクシーはガラが悪いかもしれないし、住所がわからないと乗車拒否されるかもしれないし、ああ、面倒くさいなぁ、行きたくないなぁと駄々をこねた。しかし、夫は「折角のチャンスをふいにするなんて、後で後悔するんだからな。きっと。行ったほうがいいに決まっているじゃないか」という。「だから行くのだったら、私はついていきますから、早くタクシーを拾って、タクシーの運転手に説明したらどうですか?」というと、夫は逆切れして「何でそんなにやる気がないんだ!簡単なことじゃないか、ガイドブックを見せてここだと指し示せばいいだけではないか」と怒り始めた。「だから簡単なんだったら、自分でやればいいでしょ。」と、折角いいショーを見たのに喧嘩モードになってきてしまった。

 無言でにらみ合っていても仕方ない。ちょっと休憩を入れて、気分を取り直してやはりミロンガに行くことにした。案の定、場所はよくわからなかったので、ホセに教えてもらった通りでタクシーを降りて探すことになった。

 こんな真夜中で、人通りもあまりなく、恐ろしいなぁと思いながら1ブロックほど歩くと、学校のような建物があり、照明が灯って扉が開け放たれている玄関の前にまともそうな人々が3人ほど立ち話していたので、聞いてみることにした。「ミロンガを探しているのですが」。すると、3人はこの建物を指差して、この2階だと教えてくれた。こんな所にあったのか。それにしても1階にはこの3人以外に人はおらず、閑散としている。

 恐る恐る階段を上っていくと、タンゴの音楽が聞こえ始めてきた。階段の壁には確かに「El Cachafaz La Mironga」という文字とタンゴを踊る男女のイラストが描かれた黒い垂れ幕が下がっていた。ここがミロンガであることは確かだった。

 階段を上がりきった所にある長テーブルに座った男性に入場料1人A$10(=US$3.13)を支払って右手の会場に入った。中はバスケットボールができるくらいの体育館のような所だった。周囲にテーブルと椅子が置いてあり、中央がダンスホールになっていた。そうだよねぇ。タンゴと言えばダンスホールなんだよねぇ。何となくディスコのような所を想像していた私たちは、あまりに正統派ダンスホール的なこの光景に唖然としてしまった。ディスコなら薄暗くて、短パンにサンダル履きでもいいしねぇというノリで着ていたのだが、明るいホールにはそんなカジュアルな雰囲気は無く、女性は大きく背中の開いた衣装にハイヒール、男性はシャツに長ズボンで、ダンスシューズに履き替えていて踊る気まんまんなのであった。

 あんなに閑散としている1階に比べると、驚くほど大勢の人がいて、曲が始まると、わらわらとステージに繰り出してきて踊り始めた。私の簡単な認識としては、ミロンガは男性と女性が胸を合わせて踊る形で、2人でAという文字になる。サロンスタイルは、男性と女性の体の距離は上から下まで均一なのでUという形で踊る。ここではほとんどがAになって踊っており、まさにミロンガスタイルである。そしてまた、1時間前に見てまだ網膜に焼き付いている華麗なダンスと比べて、これが同じタンゴなのかというほどまーったりと動きが無く踊る、これもミロンガの特徴らしかった。


 ホセが言っていた、「タンゴと一口にいっても様々な形態があるので、色々と見た方が楽しいでしょう」というのは本当だった。プロと一般人の技術の違いというよりは、全く異なるものなのだ。そうだなぁ、日本舞踊といっても何とか流の藤娘と地元の盆踊りくらい違う。同じ日本の踊りといっても全く種類が違うし、見せる踊りと自らが楽しむ踊りという違いがあるのだ。面倒くさがらずに来てよかった。夜中の1時を回り、もう帰ろうかと会場を出た所で、支配人みたいな人に「これからプロの歌と踊りのショーがあるから、それを是非見て行ってください」と言われて、再び座りなおした。ZOTTO氏のショーに比べてしまうと、ダンサーのスタイルや顔の美醜や衣装の豪華さも含めて、素人目には質が劣っているように見えた。

 しかし、ここで見ている人たちは、自らステップを学んでいる人たちなので、その感心の仕方が先ほどのショーとは違っている。「見て、あのステップ、あそこでこーなって、あーなって」と皆真剣に分析して、その上で納得して盛大な拍手を送っている。そういう意味では、ここに招待されて踊っているこのプロダンサーも相当の腕前に違いない。楽しむ、学ぶ、見せるという様々なステップを踏んで、今日見たようなショーができていることを思うと、タンゴの層の厚さを思い知らされて、その意味でもここに来たことで、よりショーの価値に感心することができた。

 午前2時。もうかなりフラフラな2人は、今夜のタンゴ三昧に酔いながらタクシーで宿に戻るなり、シャワーを浴びる気力も無くベッドにつっぷした。いやー、まことにブエノスな夜だった。