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2006.01.31
タンゴレッスンでディープなブエノス・アイレスを体験 |
| アルゼンチン:ブエノス・アイレス |
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ブエノス・アイレスでの滞在も5日目を向かえた1月30日。老舗カフェのトルトーニでのタンゴショーを皮切りに、地元の人が集まるシアターでのタンゴショー、週末のノミの市の路上パフォーマンスとタンゴ尽くしの日々を送った。
「ブエノス・アイレスといえばタンゴ」という感をますます強く持ってきた今日この頃、「そろそろタンゴでも習ってみる?」という気分が高まってきたので、宿の優秀なコンシェルジュ、ホセに、タンゴレッスンについて訊いてみることにした。
宿の質っていうのは、宿泊費、設備、安全性、スタッフの対応など、色々な面から判断できると思うが、この宿においてはホセのお陰でコンシェルジュ機能が突出している。ブエノス・アイレスにおいて知らないことはないんじゃないか、という程、何かを聞くと打てば響く回答がわかりやすくスラスラとでてくる。町の概要、観光のポイント、タンゴショーを見に行くならどこがいいのかなど、今までにも散々色々なことを聞き、どれもが的確で満足の行く情報だった。今回も、彼に聞けば何とかなるだろうと、軽い気持ちでフロントを訪ねた。
案の定、彼のタンゴレッスンに関する情報は豊富なものだった。
「まず、タンゴといっても色々な種類があります。大きくは2種類。1つはアルゼンチンのオリジナルスタイル、タンゴ・ミロンガ。上半身をぴったりとつけて踊るタイプです。そしてもう1つはヨーロッパタイプのタンゴ・サロンいって男女体を離して踊るタイプです。どちらを学びたいかによって、教室が変わってきます。」ふむふむ。
「次に教え方があります。機能的にステップだけを教える所もあれば、タンゴとは何かということをまず音楽を聴きながら歩くだけのレッスンから始める所もあります。」なるほどぉー。「私としては、機能的にステップを教わるのでなく、基礎からミッチリと体に叩き込むタイプの方をお勧めします。何故かと言うと・・・・」と、立て板に水とはこのことで、様々な情報を彼の意見も含めて教えてくれた。
最後に今月ブエノス・アイレスで行われているタンゴレッスンの講師名、場所、時間帯、レッスンレベルが曜日ごとに記された月刊誌の小冊子を持ってきてくれた。その中から、彼が聞いたことのある有名な講師の名前の左側に×印、聞いたことはないがこの宿から近い場所の右側に星印を丹念にマークして、小冊子を手渡してくれた。B.A Tangoという月刊誌のGuia Trimestralというモノクロ方のものだ。同じB.A Tangoという雑誌名でカラー刷りもあるが、そちらはタンゴの専門誌で、タンゴレッスンの情報は全て広告として掲載されており、記事はコンテストの模様やショーの評論などが書かれている。
そして翌日の今日1月31日、もらった小冊子の中から宿から近い1軒を選び出し、「今日、ここに行こうと思うんだけど」と再度相談した。彼は、「私は聞いたことがない先生ですが、行ってみるのはいい事だと思いますよ」と言った。彼曰く、有名なダンサーがいい先生とは限らないし、無名のダンサーでも教え方のうまい先生はたくさんいる。こればかりはレッスンを受けてみないとわからないということだった。「ブエノス・アイレスのタンゴレッスンの問題点は」と、彼は言葉を続けた。「誰もがブエノス・アイレスに愛着を持ち、誰もがブエノス市民として誇りを持ってタンゴを踊っていて、我こそは一番のタンゴ・ティーチャーだと言い張ることなんです。」まぁ、どんなお稽古ごとでも、先生はそれなりに誇りと自身をもってやっているだろうから、同じような傾向にはあるのだろうが、ブエノス・アイレスのタンゴレッスンの場合は、その度合いが極端に強いのかもしれない。良い先生でも教え方が威丈高で教え方が気に入らない場合もあるので、先生との相性という意味でもレッスンは受けてみないと何とも言えないのが本当の所だと経験から語ってくれた。
今日のレッスンは、夜8時から。もらった小冊子を見ても、どの教室も大抵夜8時頃からのレッスンが多い。同じ場所で異なる先生が毎日レッスンを行っている所もあるし、隔日のところもある。ところが今日行くところは週1回しかレッスンがないようなのだ。大丈夫かなぁ?なぜ週1回しかレッスンがないんだろう?とやや不安もありながら、宿を7時半に出た。レッスン会場までは宿を出た最初の角を曲がって3ブロック歩くだけ。本当に近い。角を曲がった所で、前の宿で顔見知りになったアメリカ人のボブに遭遇した。
シアトルから来たというボブは、常に陽気な雰囲気を醸し出し、ちょっと色気もある初老の男性だ。これからタンゴレッスンに向かうというと、「僕も、何回か色んな所のレッスンに行ってみたんだけどね。」とウィンクしながらしゃべりだした。今までのレッスンで彼が学んだ所によると、タンゴとは「夢」なのだそうだ。「夢」、それは実現することのない「思い」であり、タンゴを踊るとその「思い」があたかも実現しているように感じられる。それがタンゴなのだそうだ。ボブには理解不能なことだそうで、従ってよく説明できないんだけどね。と語っていた。その立ち話を何気なく聞いていたアルゼンチンのきれいな白髪の老婦人が、話を聞きながら「そうだ、そうだ」というようにうなずいて、ついでにボブと目を合わせてウィンクしていた。ボブは「ま、楽しんできてね、グッド・ラック!」と言って去っていった。数回のレッスンでタンゴ哲学を熱く語れるボブは、なるほどどの世界でも女性にもてそうである。
さて、3ブロック南に下って右折した通りの右手を見ながら歩いて行くと、該当の住所はすぐに見つかった。てっきり建物の2階かそれより上の階のストゥディオだと思い込んでいた私は、該当の住所がカフェだったのに面食らった。しかし、カフェの入り口のガラス扉には、「火曜日、タンゴレッスン9時から。」と張り紙がしてあるので、間違いないだろう。
カフェは、こざっぱりとした籐の椅子とガラスのテーブルが置かれたシンプルな所だが、照明が落としてあり、客もいないので寂しげな雰囲気だった。ただ1人、客席に座っている店のマダム風の女性に「タンゴのレッスンを受けたいのですが」と呼びかけると、愛想よく顔をあげ、「ああ、あと15分で始まりますから、座って待っていてね」と言った。レッスン料金は一人A$7ということだった。それにしても、この椅子とテーブルは片付けるのだろうか?あのマダムが先生なんだろうか?何も説明がないためよくわからずに10分ほど待った。
やがて、かなり高齢の白髪の男性が入ってきた。そして、マダムに挨拶して、マダムと一緒に店内奥のカウンターの左横をすり抜けて、奥の空間の電気をパチパチと点けはじめた。暗くて見えなかったのだが、店は奥行きが長い構造で、中央のカウンターをはさんで、後ろの空間が小さなダンスホールになっていたのだった。白髪の老人は、こちらに向かって歩いてくると「一人A$10です、いいですね」と言った。ということは、この老人が先生なのだ。「A$10で結構です」というなり、では、こちらへと、奥のスペースに案内された。
我々は本当に始めてタンゴのレッスンを受けるのだということ、そしてスペイン語は本当に少ししかわからないので宜しくお願いします。と言ってみたのだが、老人はわかっているのかどうか定かではなかった。既にかかっているタンゴの曲に合わせて、「はい、それではやってみましょう」と、私の手を取ると、いきなり組になって踊ろうという構えできた。一体どの方向に足を動かせばいいのかわからない。老先生の体の動きを汲み取って、足をだしたり引いたりするのだが、それは先生の思う通りの動きではないようで、「いいや、違う、こちらの足を出して、引いて」と言われるのだが、何を言われているのかもよくわからない。とうとう、先生も、この方法ではだめだということに気付いて、「それでは、まず女性のステップから教えましょう」と私を先生と同じ方向を向いて横に立たせて、ステップの解説を始めてくれたのでホッとした。一応、一つのステップを教わって、今度は夫が男性のステップを習い始めた所で、もう一人老婦人が入ってきた。老先生は「ちょっと失礼」と、その老婦人を話を始めた。
老婦人と我々2人が今日の生徒らしい。一体この先、どーなちゃうんだろう、と思った途端、割と元気のよい声がして、60歳くらいと思われる長身の男性が入ってきた。老先生とこの男性が話をして、老婦人の面倒を老先生が見て、この男性が我々の面倒を見ることになったらしい。後で聞いた所、老先生はロベール、この男性はジョルジョという名前だとわかった。
ジョルジョにも、タンゴが始めてであること、そしてスペイン語もよくわからないので宜しくというと、所々英語の単語を織り交ぜながらゆっくりと説明してくれた。ジョルジョのレッスンは、まず歩くことから始まった。音楽を聴きながら、タンゴ風に歩く練習だ。背筋を伸ばして顎を引き、つま先から踵をつける様に足を出す。足を出すときは、反対の足のくるぶしの横をそっと擦るような感じで出す。エレガントに、エレガントに。小さなダンスホールの周囲に沿って、2人の東洋人がエレガントに歩く練習をし、ホールの中央では老先生と老婦人がくるくるとタンゴを踊る。何やら不思議な光景となった。
ホールの周囲を歩く練習で、ジョルジュ先生の満足行く歩き方を習得した我々は、今度はホールを横切る方向で歩く練習に入った。「今度は音楽を心で感じて歩く」練習。つまり、今までは1拍1歩という歩き方だったのだが、今度は「心で感じる」ままに、1拍が2歩になったり、進むばかりでなく、その場で前後したりする。ジョルジュ先生と一緒にホールを横切って歩くのだが、1歩で行く場合と2歩で行く場合の勘所が全くつかめない。何となく賑やかなリズムになると2歩で行くのかなぁと思い、同じフレーズが来たので2歩で行くかと思いきや、今回は1歩だったりする。むむむ。心で感じるということであれば、一人一人の心のあり様は違うのだから、先生と私が2歩進みたい所が異なっても仕方ないんじゃないかな。と思って、質問してみた。「先生、この同じ音楽を聴いて、皆が同じステップになるもんなんでしょうか?」すると、ジョルジュ先生は答えた。「とんでもない。一つの曲を聴くと、一人のタンゴの先生につき一冊本が書ける程、曲の解釈というのは人様々なのです」という答えが返ってきた。やっぱり。こうして、心で感じて歩く練習を何度か行った後、先生なしで歩く練習になった。先生なしなんだから、自分の思うままに1歩で行ったり2歩で行ったりできる。ここなら2歩だなと思う所で2歩進んだり、ここはちょっと止まって前後してみよう、などと勝手にやっている、先生は「そうそう、その調子、その調子、いいですねぇ」と盛大に褒めてくれた。つまり、思ったように何かするのがいいらしい。何もせずにただ1拍1歩で歩く、主張のないのがだめらしい。ボブの言葉が頭に浮かんだ。「現実では実現しない『思い』を形にできること、それがタンゴらしい」。なるほど、一理あるな。
続いて、今度は初めに老先生が我々に教えようとしたステップに入った。ジョルジュ先生の横に私が立って、女性のステップを習う。先生と組んで踊ってみる。はい、一丁上がり。私が自主練習している間に、今度は夫が男性のステップを習い、先生と組んで踊ってみる。そして最後に2人で組んで踊る練習だ。とてもゆっくりとした、超基本のステップなので、すぐに音楽に合わせて踊れるようになった。
サルサのレッスンを受けていた時もそうだったのだが、夫は小さな声で「はい、行きますよ、ではワン、ツー・・・」などと言ってしまう癖がある。サルサの時も、次にどんなステップに行くのかは口で伝えるのでなく、腕や体の動きで伝えるようにと注意を受けていたのだが、ここでもさっそく注意が飛んだ。ジョルジュ先生が近寄ってきて、夫に人差し指を刺しながら、眉間に皺を寄せて、大変な剣幕で言った。「いいですか、ダンスに言葉はいらないのです。タンゴは曲を耳で聞き、それを心で感じて、そして体を動かすのです。曲、心、体の三位一体のコンビナシオーン(コンビネーション)なのです」。夫は、恐縮して、「はい、はい、わかりました」などと言っていたが、また組むと、小さな声で「はい」と言ってから始めていた。恐らく本人も無意識の内に言葉に出してしまうのだろうと、ジョルジュ先生も今回は許容してくれていた。
このステップは、何もしないと、そのまま男性が前進、女性が後退していくことになる。ホールでは、このステップを基本としながら、反時計回りに周っていくのが基本らしい。ということで、ホールの角に来た時には、ステップを踏みながら進行方向を変更するというのが、次のレッスンだ。男性が組んだ腕に力を入れることで、後方が見えない女性に曲がる所が近づいていることを知らせ、それにより女性が後ろに出すステップを右斜め後方にして周っていくというやり方だ。これは、ちょっと習得するまでには至らなかった。
というのは、ここまでの成り行きを見ていたロベール先生が、そろそろいい頃合なのではないか、と近づいてきて、いきなり超スーパー高級ステップを教え込もうとし始めたからなのだ。この一瞬前に、ジョルジュ先生から、心で感じるといってもなかなか時間もかかるものです。今日は初日なので、そうした考え方を汲み取ってくれればいいのです。ステップは、心で感じる練習とともに一歩一歩少しずつ学んでいくもんなんですよ。という説明があったばかりだったのにもかかわらず。ジョルジュ先生に助けのまなざしを送ると、「ロベール、それはちょっとまだ難しいんじゃないか」と助け舟を出してくれたが、ロベール先生には聞こえていない。「で、ここで女性は後ろに足を交差させて、するるっとこうして、こうして」と忙しく足を動かしながら、スルスルと踊った。あのー、私どうしたらいいんでしょうか?と思っていたら、1時間半のレッスン終了5分前の9時25分となった。
ここに至ってジョルジュ先生は、5分休憩して最後の5分のレッスンで終了としましょうと提案。3人で席にかけ、ロベール先生と9時半からのレッスンにやってきた、50代くらいの女性が踊るのを見ていた。ロベール先生の教え方は、最初に我々に施してくれたのと変わりない。向かい合って、言葉で説明しながら、いきなり組んで踊らせるのだ。違ったステップを踏もうとすると、足で防御して正しい方向に導くというやり方だ。習うより慣れろ、みたいなこの方法は、私にはなかなか難しいなぁと思ってみていた。
ジョルジュ先生によると、ロベール先生は昔かなりのレベルまで到達した優秀なダンサーだったそうだ。特にインプロバザシオーン、英語で言うインプロバイゼーションだから、音楽を聴いたらそれに合わせて即興でステップを生み出すのが得意ということで、今教えているステップもロベール先生のオリジナルだということだった。お年の割には驚くほど足が軽やかに動き、枯れたステップの運びは、男女を超越した中性的な感じがした。ロベール先生のステップを見物していると、今度はジョルジュ先生が古びた大判のアルバムのようなものを持ち出してきた。1910年に発行された楽譜集だということで、すでに茶色に変色している楽譜は、曲ごとに扉のページがあり、今でもCDが発売されている今は亡き作曲家たちの顔写真と、時には直筆のサインが入っていた。おそらくアンティークショップで高価で購入されたものだろう。宝物の楽譜集のページをゆっくりと繰りながら、「ああ、この曲、これがまたいいんですよねぇ」とジョルジュ先生の話は尽きない。夫は「一体、私たちはいつになったら帰れるのだろうか?」と小声でつぶやいた。
ある曲の楽譜に至ったとき、丁度ロベール先生が練習に使ってBGMで流れている曲にぶつかった。へー、面白いと思って、音符どおりにちょっと歌ってみた。その途端、ジョルジュ先生が「楽譜が読めるんですか?」と言いながら、ロベール先生が練習で使っているBGMの音量を小さく落として、「さぁ、歌って、歌って」と言う。困ったなぁ。読めるといってもシャープがいっぱいある音符だしなぁ。でも仕方ないので、適当に「ララララー」と数小節歌ってごまかした。で、小さい頃ピアノを習っていた話になった。いやー、本当に今夜は帰れなくなるかもしれない、と思った頃、「さて、休憩を終わりにして、最後の5分、仕上げのレッスンをしますか」とジョルジュ先生が立ち上がった。
今日のステップを復習して、新しいステップのさわりをさらっとやって、5分が終了した。さーて、今日は終了だなぁと思っていたら、また椅子に座って、今度は我々の旅の話になった。エル・カラファテにも行ってきたというくだりで、ジョルジュ先生の息子さんがエル・カラファテのコンドルという宿で働いているという話、そしてもう一人の息子さんはオーストラリアのメルボルンで銀行に勤めていて、今はMBAを取得中だという話にまで及んだ。
こうしてひとしきり息子さんの話が終わって、本当に今日のレッスンが終了した。ここに至って、ロベール先生、もう一人の先生、ジョルジュ先生がいて、生徒は我々と、最初に来た老婦人と、あとから来た50歳くらいの女性の4人だけ。「今日のレッスン代は?」と切り出すと、ジョルジュ先生は「ロベール、いくらにするの?」と聞き、「1人A$10で」とロベール先生が言う言葉を、ジョルジュ先生はそのまま私たちに繰り返した。代金を支払って、記念に写真を撮らせてもらい、帰途についた。
帰る道すがら、凄かったねぇ、ディープな世界だったねぇと言い合いながら笑いが止まらなかった。もっと普通に生徒さんが大勢いて、集団レッスンでステップを習うと思っていたのに、全然違った。採算度外視で生徒が集まろうと集まらなかろうと、タンゴが好きで好きでしょうがない人がカフェを借りて週1回行っている同好会みたいなレッスンだった。それでもジョルジュ先生は、タンゴっていうのは何なのかを教えてくれようとしたし、ちゃんと基本のステップも習うことができた。教える時は厳しい表情になるが、大きな声で褒めてくれるし、気持ちよく教えてもらえた。何よりもグループレッスンの料金だが人がいないので個人レッスンになってしまうのがいい。タンゴも学べたし、タンゴを愛している人たちに会えて、本当のブエノス・アイレスを垣間見ることができた夜だった。

左から、レッスンに来ていた女性、ロベール先生、私、ジョルジュ先生。 |
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