|
|
|
|
2006.02.09
日帰りでパラグアイのシウダー・デル・エステへ |
アルゼンチン:プエルト・イグアス |
|
ブラジルと国境が近いプエルト・イグアスは、ブラジル行きのバスも出ているし、ブラジルを通過して、そのちょっと先のパラグアイ行きのバスも出ている。パラグアイに入ってすぐの国境の町は、シウダー・デル・エステという町なのだが、免税政策を取っているのでブランド品や家電製品が安いということで有名だそうだ。
ブランド品と家電製品ねぇ。どちらも必要がなさそうなので、シウダーには行かないだろうねぇと思っていた。しかし、8日に初めてイグアスの滝に行った時にカメラの調子が悪くて1枚も写真が撮れず、しかもその原因がメモリーカードらしいことがわかった。さらに9日は朝から天気がすぐれず、今日イグアスの滝に行ったとしても、曇り空の写真ばかりになってしまう。そうだ、こんな時はシウダーに行ってメモリーカードを買おう!と思いつき、急遽、シウダー行きが決まった。
プエルト・イグアスのバスターミナルから直行バスが出ていると聞き、パスポートとお金を持って気軽にバスターミナルに出かけた。バスは出たばかりのようで、40分くらい待ってやってきた。バスのフロントグラスの左下に「PARAGUAY
TERMINAL」と書かれたバスだった。どうやら、シウダー・デル・エステのバスターミナル行きらしい。料金はバスの中で支払うので、事前に購入する必要も無く、市バスの感覚だ。これでブラジルを通過してパラグアイという別の国まで行けてしまうのだが、何とも気軽だ。
アルゼンチン側のプエルト・イグアスを出て、ブラジルを通過して、パラグアイに入るのだが、シウダーに日帰りで行こうと思った時に心配だったのは、パスコントロールのこと、ブラジルのビザのこと、通過のことだった。
「スポンジを踏む」の図。 |
パスコントロールとビザについては、まずアルゼンチン側のイミグレに到着した時にアルゼンチンを出国したスタンプをパスポートに押される。それから、ブラジル側のイミグレでも全員バスを降ろされた。ブラジルのビザは3ヶ月のものを取得していたしパスポートも持っているので問題はないが、ここでブラジル入国してしまうと、ビザが開始されてしまうので、ちょっともったいない気がした。しかし、ブラジルのイミグレでは、ジクジクと濡れたスポンジを踏み絵のように踏んで、またバスに戻るだけでパスポートを見せることもなかった。
このジクジクしたスポンジは足の消毒なのではないかと思う。以前、コスタリカでアメリカ合衆国管轄下のバナナプランテーションを通過する時に、同じように靴を消毒液に浸したことがあるのだ。
そしてブラジルはあっという間に通貨し、「友情の橋」という橋でパラナ川を渡るとパラグアイのシウダー・デル・エステに到着だ。
この「友情の橋」あたりから交通渋滞となり、その先には秋葉原のような家電製品のメーカーの看板が目立つシウダーの町が見えている。人も車も多く、全体がわさわさしているような感じだった。プエルト・イグアスののんびりした風景になじんていた目には、ちょっと物騒な感じがして、少し緊張する町のようだった。
そういえば、アルゼンチンのバリローチェで台湾移民のパラグアイ人に出会った。彼はまだ30歳前後で、子供の頃に親と一緒にパラグアイにやってきたのだった。優秀なのだろう、今はニューヨークの金融の会社で為替取引のプログラムを作っているということだ。その彼にシウダーのことを少し聞いていた。彼いわく、「シウダーなんて麻薬と犯罪の町。まっとうな人は足を踏み入れないよ。用がなければ行かなくてもいい所だと思うよ」。そんな予備知識もあって、肩掛けにしているショルダーバッグにかけた手に力も入る。でもまぁ、例えば日本のエリートサラリーマンがアメ横や歌舞伎町について外国人に聞かれたら、同じように答えるだろう。でも、庶民なら新巻鮭が安いならアメ横だって行くしねぇ。そう思えば、人の評価ってのは、鵜呑みにもできないのだけど。
そんなことを思いながらシウダー入り。橋を渡って町が始まるすぐ手前にイミグレがあるとガイドブックに書いてあった。我々は、この先アスンシオンなどにも行かないので、バスターミナルに行く必要がない。だからこの辺りで下車することにした。イグアスで同じ宿に宿泊していた森君と澤村夫妻も同じバスに乗っていたのだが、シウダーに今夜宿泊する森君も下車。これからアスンシオンに向う夫妻だけがバスに残ることになった。と思ったのだが、夫妻も下車。というのは、ここでパラグアイのイミグレに入って入国手続きをしておかないと、どこで入国手続きをすればいいのかわからなかったからだ。
ということで、結局5人でパラグアイのイミグレに行って入国手続きを取ることになった。ところが、我々が「日帰りでシウダーに来ました。今日のうちにアルゼンチンに戻る予定です」というと、係員は「あ、そんなら入国しなくっていいや」と通してくれた。パスポートの余白を浪費しないで済んだので良かったと思う反面、今日の帰りにいちゃもんつけられたら困るなぁという思いもあったが、結局入国しなかった。アルゼンチンは出てしまったし、今の私たちはどこの国にもいない、という状況になった。不思議な気分だ。こうして全員が手続きを終えて、それぞれの方向にお別れすることになった。ここにもう1人、イグアスのバスターミナルからブラジル行きのバスに乗っていったヨシさんという人と、プエルト・イグアスはなかなか楽しいメンバーで、もう少し長くいられたらなぁと名残惜しい気持ちだった。
さて、皆と別れて2人でメモリーカードを探すことになった。イミグレのある大通りの右手には、ビルが立ち並んでいる。その中に、プエルト・イグアスの宿にある日本語情報ノートに掲載されていた「アメリカン・プラザ」だったか「アメリカン・マーケット」だったか、「アメリカン」と名の付く大きめなビルが見つかった。ここは電化製品の雑居ビルだった。1階、2階、3階とエスカレーターで上がれるようになっている。数件の店にSDカード512Mの値段を聞いて周ると、店によってまちまちだった。
お金は、シウダーではアルゼンチンペソ、ブラジルヘアル(レアル)、米ドルの3種類が使えるので、何の問題もなかった。さすがに免税の町だ。ただし、店によって換算レートがまちまちなので、商品の値段、値引き後の値段、換算レートを確認する必要があった。
上の階に行くほど値段が高くなるのが解せなかったが、結局、値引き幅も大きくて、アルゼンチンペソへの換算レートも良かった1階の店で購入。
A$137(=US$42.68、US$1=A$3.21の計算)は、昨年メキシコのグアダラハラで購入したN$760(=US$69.09、2005年5月9日のレートUS$1=N$11の計算)と比べると随分安かった。会社は違うが、両方とも台湾メーカーの台湾製で同じ容量だ。その場で開封して、ちゃんと撮れるか試してみた。店の兄ちゃんもポーズを取って協力してくれた。なかなか感じがいい。メモリーカードはその後も問題なく使えている。
時刻は11時24分。もう用事が終わってしまった。あとは町を散策。それにしても、本当に雑多な所だ。家電製品の看板を掲げたり洋品店の入った雑居ビルが立ち並ぶ前の道路は、もっと価格の安そうな製品を置いた露店が並ぶ。一足進むごとに、様々な呼びかけやちらし配りがやってくる。
路地を覗くと、ゴミ収集車待ちなのか、至るところにゴミの山が放置されている所もあった。
お世辞にもお上品と言える所ではなかった。しかし、大通りから左側の町中に入って仔細に店を見ていくと、ナイキやアディダスの小奇麗な専門店も見つかった。
中華料理店を探して歩いていたら、とてもきれいなカバン専門店を発見。バックパックなんだけど、コロコロバッグのように持ち手を引き出せてスーツケースのように転がせるカバンが気に入った。US$60で容量は30kgくらい入りそうだった。これはいい。
お目当ての中華料理店で昼食。思ったほどおいしくなかったのが残念だが、よしとしよう。
「友情の橋」を背にして立った所。
右手の道は両通。青い門のような所の
右側にイミグレがある。
左が橋に向ってくる一通の道。バスが見えている
辺りでプエルト・イグアスに帰るバスを待つ。 |
午後2時半になっていたので、もう帰ろうと思ったのだが、どこでバスが捕まるのかがわからなくて大変だった。シウダーからプエルト・イグアスへ帰るバスは、友情の橋を背にして考えた場合、左側に折れていく道沿いで待つことになる。我々がシウダーに入った時は、橋を渡ってまっすぐに行った。右手にイミグレがある道だ。その道ではなく、左に折れている道だ。その道路は橋に向ってくるのみの一通の道である。
シウダーから橋に向う道はイミグレ方面からと、この左からの2方面から入ってくる。道が合流する地点に警官が立っていて、1方向ずつ変わりばんこに行かせるように交通整理しているのだが、これが長い。
約20分間は同じ方向からのみ車が流れるようにしているのである。方向が入れ替わる時には、当然合流点では重なり合った2方向からの車が、押し寄せてきて車の喧嘩状態。窓から顔を出したドライバーの怒号が飛び交っている。
それに加えて、この辺りはバイクタクシーが盛んなので、バイクが車の隙を縫って走り抜ける。いやいや、見ているだけで冷や冷やしてくる光景だった。こんな中で1時間くらい、ずーっとバスを待っていた。本当に来るのかかなり不安だったが、途中からアルゼンチン人の夫婦も合流してきて、ここで間違いないと太鼓判を押してくれて安心して待つことができた。
待っている所には、次から次へとバイクタクシーが勧誘をかけてくる。見ているとバイクタクシーの運転手は若い男性が多い。で、おばちゃんを狙う場合が多いのだ。遠目で会話は聞こえないが、運「ねぇ、乗っていかない?」おばちゃん「いいわよ、歩くから」運「奥さんきれいだから、安くしとくよ」おばちゃん「まーた、うまいこと言っちゃって」・・・という感じに見える。運転手は、ちょっと上目遣いで甘えるように誘いをかけ、まんざらでもないおばちゃんを後部座席に乗せて走り去っていくという場面が何度かみられた。交通手段としてタクシーが存在している+ちょっぴりアバンチュールな要素もあって、ラテンならではの商売が成り立ってるんじゃぁないかと思われた。
こんな見物もあって、やっとバスが到着。パラグアイのイミグレは既に通過している地点なので、問題なくパラグアイを抜けた。ブラジルのイミグレでは、一度全員下車。買い物をしていると思われる人だけが、手続きをするため、別の部屋へ行くことになっているようだった。我々は買い物なしと判断されて、同じバスでブラジルも通過できた。アルゼンチン側のイミグレにも寄って、またまた90日の滞在許可をもらって、プエルト・イグアスに戻ってきた。
シウダー・デル・エステは、漠然と歩いていると汚さが目に付くのだけの町だが、買いたい物が明確に決まっている人には、魅力的に見えてくる。あのスーツケース、良かったなぁ。
|
|
|
|
|