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2005.12.15
プジェウエ温泉ツアー |
チリ:プエルト・モン |
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プエルト・モン発の温泉ツアーがあると聞いて、耳がピクッとならない日本人が一体何人いるだろうか?いわんや、湯船につかっていない長期旅行者においてをや。
まずは内容と値段が釣り合うかどうかという問題があるので、旅行代理店で内容を確認した。
今日のコースは、
・プエルト・バラス近郊のフィリッピの丘
・ドイツ人移民が多く、ドイツの趣きがある町フルティジャール
・のどかな田園風景の広がるプエルト・オクタイの展望台
・オソルノを経由してプジェウエ湖近くのデ・エントレラゴスDe Entrelagosで昼食
・プジェウエ国立公園にあるプジェウエ温泉で3時間滞在
という内容だった。昨日、間近に見たオソルノ山も、今度はジャンキウエ湖越しに見られるようだ。
費用の方は、
・ツアー参加費一人C$9000(=US$17.51)
・オプションの昼食C$5000(=US$9.23) 程度- 弁当持参も可能
・入浴料金C$1500(=US$2.92)
合計US$29.66。昼食代金は、旅行代理店に2002年の情報として日本語の説明があって、C$3500かかると書かれてあり、2005年現在、我々はC$5000くらいかかった。
風光明媚な所を周って、豪華な昼食を楽しみ、最後に温泉。これで30ドルなら、悪くない。行っちゃう、行っちゃう!Go、Go!ということで、申し込んだ。
宿に戻って、同じ宿に滞在している海外青年協力隊のひろみさんにこの話をすると、「えー?だってあれ、温泉というより温水プールじゃないですか。温泉じゃないですよ。」とやや批判的だった。なるほど、旅行代理店で見せてもらった写真も確かに大きなプールだった。でもま、温泉だというのだから良いではないか。問題は温度だった。海外での温泉というと、温い場合が多いから、どうなんだろうか。
今日はちょっと遠出ということもあり、ピックアップの時間は8時45分だったが実際にお迎えが来たのは9時15分頃だった。南米ではこの程度は遅れているとはいわない。
○プエルト・バラス近郊のフィリッピの丘
昨日も訪れたプエルト・バラスでもう一人の客を拾ったら、今日のメンバーは15人となった。車の中はギュウギュウである。プエルト・バラスから、車はどんどんと坂を登って10時過ぎにフィリッピの丘Philippi
de Puerto Varasという小高い所で停車。ここからは、プエルト・バラスの町を一望できる。相変わらず午前中は曇りがちだが、今日は所々に青空も見えていて、昨日ほど寒くもなかった。昨日のツアーで一緒だったチリ人夫妻と早速記念撮影。
ここにはキャノピーもあった。写真の中央を右から左にケーブルが走っているのが見えるだろうか。キャノピーは、この丘から、まずちょっと左手の木の上の停留所に留まって、そこからジャンキウエ湖を越えてプエルト・バラスまでシューッと滑っていけるようだった。
キャノピーを御存じない方のために、ここにあったキャノピーの看板から「キャノピーをする女性の図」を抜粋しておく。この看板には子供やお年寄りも登場していて、どんな年齢の方も楽しめます!というメッセージを醸し出していたが、怖いものが大嫌いなチリ人のジョアンナは、看板を見ただけで「まぁ、危ない」と眉をひそめていた。「コスタリカではキャノピーで400mも滑るっていうのがあるんですよ」と言うと、ジョアンナの眉毛はますます上がった。ここで10分ほど過して、再び車は走り始めた。
○・ドイツ人移民が多く、ドイツの趣きがある町フルティジャール
1時間後の11時15分ごろ到着したフルティジャールは、湖畔に大きなト音記号のオブジェがあった。音楽好きのドイツ人の血を引く住民が住んでいるという意味だろうか?湖畔の砂浜は黒い細かい砂で、青々としたジャンキウエ湖の向こうにこんもりと濃淡の樹木に覆われた岬が見えて、とてものどかな所だった。
ここは、手織りの布や手編みのセーターやポンチョ、木彫りの人形など、ちょっとドイツの田舎を思わせる民芸品が多いのが特徴のようだ。とある土産物屋に入ると、奥に機織器がしつらえてあって、おばあちゃんが布を織っていた。こうして実演されると、何だかちょっと欲しくなるものである。
しかし、いつものことながら土産物を持ち歩く荷物の余裕がないので、ひやかし程度に見てから、ドイツ・コロニアル博物館があるというので行ってみた。
入り口から覗くと、敷地内に昔風の家が2つあって、内部が見学できるようだった。しかし、それだけみたい。入場料金は忘れたが、2つの古い家の内部見学にしてはちょっと高いなぁと、外から写真を撮るだけにして中には入らなかった。
目的を失ってしまったので、とりあえず町中を散策。町といっても、プエルト・バラスよりもお店は少なく、海岸にそって10分歩いたら、店もないような住宅街になっていった。その割には、湖の方を向いて宿が多い。
どれもいわゆるドイツ風の屋根の傾斜度が高い可愛らしい作りで、庭もよく手入れされている。ドイツの流れを組むというのであれば、さぞや内部もピカピカに掃除されていることだろう。庭の手入れをしていた女性に一泊の宿泊費を聞いたら一人一泊C$7500(=US$14.59)朝食付きだということだった。
周りにレストランはいくつかあるが、おそらく、頼めば宿でも夕食は出してくれるだろう。スーパーや食料品店が見当たらないので、ここで自炊して長期に滞在するという感じではないし、ここまでツアーのピックアップも来てくれなさそうなので、ここを拠点にプエルト・モン周辺の観光をするのもちょっと考え物だが、ジャンキウエ湖沿いの町を転々としながら移動するなら、ここで1泊するのも悪くないと思った。
時刻は11時半、そろそろ空も晴れてきて、ジャンキウエ湖越しにオソルノ山もうっすらと見えてきた。今日のオソルノ山は下の方に雲を従えており、中に浮いているように見えた。
11時45分の集合時間ぎりぎりまで、他のメンバーはショッピングに忙しかったらしい。戦利品を手に手に車に集まってきて、袋から買ったものを広げては、買い物自慢をしている。買ったものを身につけ、お互いを指差し「Que
Linda(まぁ、なんて可愛らしい)」と言い合っている。今日のメンバーは我々以外は全員チリ人だそうだ。日本の、例えばさくらんぼ狩りの日帰り観光とかに紛れ込んだ外国人も、きっとこんな気分だろう。観光も面白いが、その国の人の行動も面白い。
○のどかな田園風景の広がるプエルト・オクタイの展望台
フルティジャールからジャンキウエ湖沿いに車を走らせてプエルト・オクタイに向かった。30分ほどもすると、沿道には緑の草原が広がり、草を食む羊や、やぎや、アルパカが見えた。草原の向こうはジャンキウエ湖、その向こうにオソルノ山が見える。この絶好の撮影ポイントを何度も通り過ぎるのに、皆は我慢がならなくなった。数回目にアルパカの姿が見えた時に、「ちょ、ちょ、ちょっと停まって、停まって」と誰かがリクエストして、車を停めてもらった。この先、何度かこうしたリクエストで車は停められた。
12時半、プエルト・オクタイに到着。ここに到着するまでの間に、プエルト・オクタイの地名の由来の説明があったが、我々はそのスペイン語がさっぱり理解できず、夫は「オクタイ、オクトと言えば8に由来するから、そこら辺が関係するんじゃないかな」としたり顔で言っていた。後で、チリ人夫妻に英語で聞いたところ、昔、ここにオクトという人が住んでいて、そこに由来するということだった。スペイン語では「持っている」という意味の動詞の3人称単数形に「hai(アイと発音する)」というのがある。昔ここに住んでいた商人のオクトさんの所は品揃えが良いため、ここに何か買いにきた人が、地元の住民に「あれは、どこで買えるかなぁ?」と聞くと、必ず「オクトさんが持ってるよ(オクト・アイ Oct
hai.)」という答えが返ってくる。地元のなまりだと、オクタイになるそうだ。あまりに頻繁にそういうやりとりがされて、この地名がオクタイになりましたとさ。ということだった。8とは何の関係もなかったのじゃ。
そんなプエルト・オクタイの展望台からは、緑豊かなのどかな風景と青いジャンキウエ湖、そして、遠方左手にオソルノ山、右手にカルブッコ山が見えるという風景だった。
この風景は皆の心を捉えたようで、またもや全員での記念撮影大会をして、各家族で思い思いに写真をとりまくり、車に戻った。でも、もう1組、我々と昨日から一緒のジョアンナとロバートの夫妻が、まだ撮影大会をしている。ロバートたちはオーストラリア在住20年で、今回は久しぶりの里帰りだ。カメラ3台にビデオ1台を持っていて、何もかも撮り尽くす勢いである。「おおーい、出発しますよー」とガイドさんに声をかけられて、初めて周りに人がいないことに気付いたようにジョアンナはポーズをとるのをやめた。
○プジェウエ湖近くのデ・エントレラゴスDe Entrelagosで昼食
プエルト・オクタイを過ぎてから、車はジャンキウエ湖を離れてオソルノに向かった。オソルノから東に進むと、再び左手に湖が見えてきた。プジェウエ湖である。午後2時に道沿いのレストランで昼食。
アルゼンチンの牛肉と比べるとチリの牛肉はおいしくないと聞いていたが、このレストランにおいてはそんなことはなかった。柔らかく味もいい。何よりも、このレストランのおやじのオリジナルなのか、鉄の円盤に乗せた豪快な盛り方もよかった(詳しくは「本日の献立2005年12月15日昼」の写真をクリックしてください)。チリのツアー、アルゼンチンのツアーでは一般的なのだが、午後2時から始まった昼食は2時間くらい続く。日本だと、もうツアーも終盤という午後4時に至って、まだメインの温泉には足の親指さえもつけていない状態である。それでも、人によってはワインも入り、満腹で誰もが上機嫌の一行であった。
○プジェウエ国立公園にあるプジェウエ温泉で3時間滞在
昼食を摂った所からすぐに国立公園内(でも入場料は払ってなかったなぁ)に入ったらしく、あたりは森となった。15分ほどで高級ホテル&スパのプジェウエホテルを通過。高いツアーでは、このホテル内にある室内温泉プールを利用することになるらしい。我々はその5分程先にある、もっと庶民的な所に行った。
その温泉は、駐車場から見える所に屋内温泉プールがあり、その左にカフェ、その左にはバンガローの宿泊施設とレストランがあった。
屋内温泉プールの正面右手(写真を写している立ち位置の右手)の林にある階段を下りると、屋外温泉プールがあった。屋内温泉プールの使用料金C$6000だそうで、我々グループは迷うまでもなくC$1500の屋外温泉プールを選択。初めに屋内プール左手のオフィスでチケットを購入してから、下の屋外プールに行くようになっていた。このオフィスの右手は男性用と女性用の更衣室になっていて、鍵付きのロッカーも見えたが、屋外プール利用者が使っていいものかどうか、質問したが意味が通じなかったので、回答が得られなかった。結局、荷物はプールサイドの椅子の上に置いてプールに入った。貴重品は乗ってきたバスに置いてきたので、タオルと着替えくらいである。監視員も見て周っていて、別に何も盗られることはなかった。
屋外プールは写真で見ていた通りに、学校のプールみたいだった。
あいにく、この時間のこの辺りは雲が出てしまい、あまり美しく見えないが、プールのすぐ脇にはきれいな小川が流れていて、小川の向こう岸ではBBQを楽しんでいるお年寄りの姿も見られた。宿泊施設もあるので、ここに来てBBQや温泉や釣りなどを楽しんだら、夏休み気分満喫できるだろうなぁ。
上から見ると、プールの手前に源泉をくみ上げる所があり、ここの温度は75度あると書かれてあった。
ここのお湯を適温にして、プール手前の右手のパイプからドーッとお湯を流している。
さ、入ろう、入ろう。水着に着替えてプールに入った。熱くはないが、温くもなかった。先ほど上から見ていた、パイプからお湯がドーッと出ている真下に行くと、丁度打たせ湯のようになる。この辺りは、あちちというくらいの温度だった。我々が打たせ湯をして楽しんでいると、「熱い?熱い?」と人懐っこいチリ人が集まって、変わり番こに熱い湯の下に入っては、「ひえー、熱い、熱い」と大騒ぎで楽しみだした。
そんなこんなで、熱い湯にあたっていたらのぼせてきた。プールの出入り口にはお湯と水のシャワーがある。少々冷たいが、水のシャワーを浴びてはお湯につかった。それでも、のぼせがとれなくなってきたので、今度は、じゃぶじゃぶと川の中に入ってみた。しかし、こちらはさすがに冷たく、ふくらはぎまで浸かったところで、もう足先がしびれてくるようで、とてもその先にまでは入れなかった。
3時間あります、といわれても、お湯にはいっていられたのは、せいぜい1時間が限度。あとはプールサイドの椅子に座ってじっくりと涼んだ。あと1時間という時、あがって風呂上りのビールでも楽しもうと着替えてカフェに向かった。
ところが、カフェにアルコールは置いていないという。レストランなら置いているというので、レストランにいくと、シエスタで夜まで開かないという。何と言うことだ!風呂に入ったらビールでしょう。というのは日本人だけの考え方らしい。仕方がないので、プジェウエの名水と書かれた水で我慢した。
こんなことなら、もっと浸かっていればよかった。それを知ってか知らずか、他のチリ人は時間ぎりぎりまで温泉を楽しんでから、車に戻ってきた。それにしても、皆長時間浸かるなぁ。チリ人はのぼせない、のだろうか?
時刻は19時。今日もよく遊んだ。再び公園を通り、田園風景の中を通り、ジャンキウエ湖の横を通る頃には夜の9時となった。そろそろ夕刻である。ここで、夕焼けに赤く染まるオソルノ山が遠目に見えた。ここから夕焼けのオソルノ山とカルブッコ山が交互に見えた。最後まで風景を楽しめるツアーだった。
プエルト・モン着は夜10時過ぎ。あー、温泉はいいですねぇ。
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