|
|
|
|
2006.01.14
パイネ行きの準備 |
チリ:プエルト・ナタレス |
|
今回のパイネ国立公園は1泊2日にすると決めてから出発まで、色々と準備することがあった。
いつ行くのか?何を持っていくのか、どこのツアーを使うのか、帰りのバスの手配はどうするのか?宿泊はどうするのか?食事は?
ということで、インターネット屋にまず天気予報を見に行った。
非常におおざっぱで申し訳ないが、上を北としてエル・カラファテとパイネとプエルト・ナタレスの位置関係はこんな感じである。
まずエル・カラファテの天気予報を見ると、16日(月)と17日(火)に晴れマークが出ている以外は、前後ずっと雨または曇りのマークだった。それで、現在の雲の様子を映した画像を見てみると、蟹の爪を逆さまにしたような雲が、この辺りよりも西側に存在していた。つまり、蟹のはさみの間にあたる雲の切れ間が16日(月)と17日(火)ということになる。これをパイネに適用して考えるならば、15日(日)と16日(月)が晴れるだろうと予想された。おおー、どうしてもこの蟹のはさみの間を狙わなければ!天気予報を見ていた日が13日だったので、2日後の15日に出発を決定した。
そうと決まったら、まず15日の日帰りツアーと16日にプエルト・ナタレスに帰ってくるバスの手配だ。プエルト・ナタレスの目抜き通りマニュエル・ブルネス通Manuel
Bulnesから一本南のエスメラルダ通EsmeraldaとA.Prat通の交差する辺りのA.Prat通沿いに数件旅行代理店が並んでいて、そこで日帰りツアーの値段を聞いてみることにした。一番エスメラルダ通りに近い店は、Teresaという旅行代理店で気さくな感じのおばちゃんがやっていることろだ。日帰りツアーはA$15000、帰りのバスはA$7000と言われた。ここではキャンプ用具のレンタルも行っていて、1日あたりのレンタル費用は2人用のテントA$2000(=US$3.82)、寝袋1つA$1500(=US$2.88)、マット1枚A$500(=US$0.96)だということだった。因みに、我々が行こうとしているチレーノ有料キャンプ場・レフヒオでは、キャンプ場を利用するのには1人A$3500(=US$6.69)必要で、レフヒオで宿泊するのは1人A$19000(=US$36.33)+寝袋を借りなければならないという話だった。ついでに、キャンプ場でキャンプ用具をレンタルしたらいくらかかるのか聞いてみると、ちゃんとその値段表のコピーも持っていて、
2人用のテントA$5500(=US$3.82)、寝袋1つA$3500(=US$2.88)、マット1枚A$1500(=US$0.96)だと答えてくれた。ここの人は情報も豊富、英語もそこそこしゃべれるし、親身な感じがしてとても好感が持てた。
その左の店では、暇そうにマニキュアをいじくりながらお姉ちゃんが日帰りツアーはA$18000と答えた時点で店を出た。その左の方にある店は、ビシッと内装もきれいなオフィスで英語もメイクもばっちりのお姉さんが対応してくれた。日帰りツアーはA$18000と聞いて帰ろうとすると、「でもあなただけにスペシャルプライスだ」とA$16500と紙に書いて見せてきた。微妙に値段が違うものだ。で、今度はエスメラルダ通に戻って左折すると、左手にPumatoursという旅行代理店があり、非常に若い女性2人が対応してくれた。ここはプロモーションということで日帰りツアーはA$13000。ここが一番安い。しかし、この2人の女性がどうも信用ならない。例えばグレイ氷河での滞在時間は、最初の説明では40分だと言っていたのに、「他の代理店は2時間だと言っていた」というと、2時間いても構わないとか言い出す。いや、君の一存で決められることじゃないでしょう。この分じゃ、ちゃんとお迎えに来るかどうかもわからないし、値段も何かからくりがあるかもしれない。安かろう、悪かろうじゃ困っちゃうし、ここにはできないなぁ。
こうして、色々と旅行代理店も周りながら、ついでにトレッキングシューズを貸してくれる所も探して周ったが、これが見つからない。困ったなぁ。
疲れてきたので、市場調査はこれくらいにして一旦宿に引き上げることにした。実はチェックインした日に、宿の御主人から、「パイネのツアーに行くのならA$15000で手配できる」と言われていたので、それも考慮しなければならなかった。宿に戻ると、御主人から「ツアーはどうする?」と折りよく声をかけられたので、「町でA$13000を見つけたので、それにしようかと思うんだけど」と相談すると、「じゃぁ、家の手配するツアーをA$13000にして、16日にプエルト・ナタレスに戻ってくるバスもA$6000にするから、それでどうか。キャンプ用具も貸し出せるものがあって一式A$4000で貸してあげよう」と言われた。
お!それなら文句ない。今まで聞いた中で一番の安値、しかも宿の人に頼んでもらえたら何かと便利だ。結局、この宿(Hospedaje
Estrellita del Sur)に全てをお願いすることになった。市場調査のお陰でツアー代金も割引してもらえたので、午前中の行動は無駄ではなかった。
早速、テント用具を見せてもらった。しかし、ここで問題が発生。問題というよりも、我々の認識不足なのだが、キャンプ用具というのはなかなか重いのだ。テントだけで2kgはあるだろう。寝袋とスリーピングマットで2kg。これだけの用具と食料と着替えを持って歩くのだ。あらためてキャンピング用具を背負って歩いているトレッカーに尊敬の念を抱くと同時に、「私たちには絶対無理」と判断した。レフヒオに宿泊するのは高すぎるが、キャンプサイトでキャンプ用具を借りるくらいの贅沢はしてもいいだろうということになり、キャンプ用具は現地調達することにした。これもあらかじめ現地調達の値段を聞いていたから判断できたことだ。
あとは食料とレンタルシューズだ。食料は翌日の14日に購入するとして、宿の主人にレンタルシューズの事を相談するとどこかに電話をしだした。そして「カレーラ・ピント通Carrera Pinto沿いにあるホステル・イミグラシオーンImmigracionで貸してくれるというので行ってみてくれ。」と紹介された。あんなに探したのに見つけられなかったが、御主人に言ったら一発で問題解決だ。早速行ってみることにした。我々の宿から行くと、ホステル・イミグラシオーンは、オイギンス通O'Higginsをまっすぐに行ってカレーラ・ピント通Carrera Pintoにぶつかった所で右折してから右手にあった。
若い女性が出てきて、既に話は通じていたので、後はサイズは合わせるだけ。靴は明日の夕方から借りて16日の夜に返すという約束で、1日のレンタル料金はA$3500(=US$6.69)。2人で2日扱いにしてくれるというので、A$3500×2×2でA$14000(=US$26.77)になるということだった。エル・チャルテンでは1日のレンタルシューズ料金がUS$3弱だったのでちょっと高いなという印象はしたが、こちらの靴の方がいい靴だったし、チリの方が物価が高め、それにパイネの方が有名、といろいろと要素があるのでこんな値段なんだろうと納得せざるを得なかった。何しろ、他ではどこで借りられるかわからない、というのが一番のポイントだった。「じゃぁ、そいういうことで、また明日」と若い女性は、本日の終わりの言葉を述べていたが、ちょっと待ったー。何の書類も交わしていないし、明日この女性がいなかったら、また話を最初から繰り返さなきゃならないかもしれない。ということで、「何か書類はもらえないのか?」と聞くとそんなものはない、と言われた。「でも、明日あなたがいないと話が通じないでしょ?」というと、何やらノートを持ち出してきて、靴のサイズや名前と今日の日付を書き込んでニッコリほほえんだ。何かゆったりしてなぁ。
これで行きと帰りの交通機関と現地での宿泊が決まった。翌日の14日は食料の準備だ。スーパーで大量にパンとチーズとハムとバターと卵とチョコやクッキーを購入した。サンドイッチにピーマンと玉ねぎを入れると非常にフレッシュに食べられるので、これらの野菜も購入。現地は気温が低いので2日くらいなら平気だ。食料だけでかなりの重さになった。
夕方シューズを取りに、ホステル・イミグラシオーンを訪れると、岩のようないかつい顔のおじいさんが出てきて、更に足の悪いお母さんを呼んで、「何の話をしているんだ?」という雰囲気になった。やっぱりねぇ。で、椅子の上に、昨日メモしたノートがあったので、それを広げて見せるてやっと話が通じた。こうして無事に靴も調達。靴の代金は前払いだがA$15000支払うとつり銭がないので、靴を返した時にA$1000渡すという。「つり銭の受け取りとか支払った領収書は?」と聞くと「うちはファミリーでやっているので、信用があるから大丈夫だ」と言い張られてしまったので、そのまま帰るしかなかった。そういえば、こちらの身分証明書なども一切見せていなかった。エル・チャルテンでは、パスポートを人質にとられてレンタルしたくらいなのに。
この準備の中で、エル・チャルテンとプエルト・ナタレスの違いを色々と感じることができた。町並みもそうなのだが、エル・チャルテンは何もかもが新しい。人とのやりとりもシステマチックで現代的だし、情報も行き渡って何かを探すのも楽だった。ツアーの価格も内容も、相手によって変わることなく明示されている。一方のプエルト・ナタレスは同じ町なのにレンタルシューズしている所を探そうとしても、インフォメーションも知らないというし、目抜き通りのレンタルテント用具屋も知らないという。結局、宿の主人のように生き字引的に情報を持っている人しかわからないということになっている。ツアーの価格も、いきなり値引きする旅行代理店があったりして、どいういうことになっているのか不安を覚える。プエルト・ナタレスの方が人情味のある昔ながらのやり方を踏襲しているという言い方もできるが、昔から黙っていても客がくる有名観光地ずれしている怠慢と受け取ることもできる。初めてここを訪れた私としては、エル・チャルテンの方がそういう意味においては快適だと思われた。
これで準備完了。プエルト・ナタレスの町もぐるぐると周れることができて、なかなか楽しかった。いよいよ明日、パイネに出発だ。
|
|
|
|
|