|
|
|
|
2006.01.15
パイネ国立公園第1日目 |
チリ:パイネ国立公園 |
|
ツアーの出発は通常7時半ということだったが、この日はチリの大統領選挙の投票日なので8時半に1時間繰り下げられると前日に宿の御主人に言われた。
意味が全くわからない、と思ったが仕方ない。定刻どおり8時半に迎えのバスが来た。どうやら我々が1番目のお客さんらしい。続いて2組目を迎えに行くも、若い男性3組は今起きた所ということで、先に3組目を迎えに行くことになった。こちらはお父さんと娘さんの2人連れ。スイスから来たということだが、お父さんはペルー人でスイスに移民してスイス人と結婚して定住しているということだった。娘さんもスペイン語はかなり話せるし、2人とも英語もいける。そこで、「今日のツアーはミロドンの洞窟に行くはずなのだが、我々はここに立ち寄る意味がないと思っている。もし同じ意見なら、もう一組と相談してここを抜かすという案はどうだろうか」と相談を持ちかけた。賢い娘さんは、「ミロドンの価値はよく知らないんだけど、もしそこがパイネ国立公園外ならば、今日はすでに1時間遅れているし、私は行かないのに賛成よ!」とはきはき答えた。戻ってきたドライバーにミロドンの洞窟がパイネ国立公園外にあることを確認して、我々の意見は決まった。後は、お父さんが寝ぼけマナコでバスに乗ってきた3人のブラジル人にスペイン語で了解を取り、全員の意見をまとめ、ドライバーに伝えた。「皆さんの合意なら、私は従うだけです」とドライバーは言い、これでミロドンの洞窟をパスすることが決定した。
これまでの数日よりは天気がいいとはいえ、まだ雲の多い空だった。ミロドンの洞窟に行かないなると、公園までは車で2時間のはずだった。天気はどうなるだろうか?
町を出て30分も走ると、道は未舗装になった。45分後、車は最初の休憩所兼土産物屋に立ち寄った。
この辺りの土産物はラピスラズリという石を加工した置物や装飾品、パタゴニアの風景の写真集、そしてアルパカやリャマのセーターなどらしかった。他のツアーの陽気な老白人たちは、今までこんな物は見たことないというくらいの勢いで、セーターやらTシャツやらを胸に当てて品定めをしていた。
土産物屋の外には、先住民の男女の木の模型像があった。マゼランが先住民を見てPata="足"、Gon="大きい"といったのがパタゴニアの語源と言う話を聞いたことがある。その通り、全体に対して、大きな足をした像だった。南パタゴニアは1年を通じて風の強い厳しい気候だ。裸足ですごしていたら、足が皆腫れてしまっていたのではないかという予想もできる。いずれにせよ、先住民の足が本当に大きかったのか、それは何故なのか、という話は聞いたことがないのでわからないが、土産物屋の像を見る限り、広く信じられている話なんだということは感じられた。
10時25分、まだ公園には入っていないが、遠めにパイネの山々がよく見える展望ポイントに到着。
右手に3本そびえているのがトーレス・デル・パイネだろうというのがわかった。この辺りまでくると雲は少なくなり、天気予報は当っていることを予感させた。
この辺りから公園内には、パタゴニア特有の野生動物が頻繁に見られるようになった。最初に現れたのはニャンドゥ。ダチョウみたいな大型の飛べない鳥だ。
バスがゆっくりと近づいても逃げる風もなく、長いくびを下げて地面の餌をついばみ、くびを上げてヒョッコリ一歩歩き、また首を下げてという運動をくり返しながら歩いていった。
次にみかけたのがきつね。小さくて耳が大きく、鼻先が黒っぽい茶色のきつねは、大人でも子狐に見えて、大変かわいらしかったが、こちらはバスを見るとすばやく逃げ去ってしまった。
そしてグアナコ。1頭だけでいたり、集団でいたり。公園内に入ってからは、それこそ大所帯で数十頭も群れて湖のそばでのんびりしている姿が見られた。
グアナコも全く逃げない。特に子グアナコは好奇心が強く、バスが近寄ると顔をあげてこちらを凝視している姿が可愛らしかった。
普通に道を走っているのにサファリパーク状態で、もう皆感激しきりだった。「あ、あそこで停めて。」「もう少し車をバックさせて」とリクエストが飛び交った。
11時15分、やはり2時間くらいでサルミエント湖公園入り口に到着。ここで公園入場チケットを購入して公園に入るので、全員一旦車を降りて、公園管理事務所に入った。プエルト・ナタレスの町中と比べると、大変に風が強くて、パタゴニアにいるなぁと強く感じた。管理事務所は、我々ツアーグループとドライバーの8人でいっぱいになるような小さな部屋だった。公園内の地図を渡され、一人ずつチケットを購入しようとしたら、何と今日は無料だという。大統領選挙の投票で係りの人も選挙に行ってしまったので、無料でお入りください、ということだった。何とラッキーな!アルゼンチンのバリローチェでは、クリスマスだったのでやはり国立公園の入場料が無料だったことがあったので、パタゴニアでは2回目のできごとだ。「ラッキーだねぇ」とみんな、尚更にこやかになってしまった。
ここで今日のルートの地図を出したい。
今日のコースは黄色い線だ。地図右側の真ん中辺、サルミエント湖の入り口から入って、左方向に進み、グレイ氷河まで行って同じ道を帰り、帰りはアマルガ湖公園入り口を通って帰るコース。
停車ポイントは
○Nordenskjold展望ポイント
○サルト・グランデ(滝)とクエルノCuerno展望ポイント
○Hotel Explora
○Hosteria Lago Greyで昼食
○徒歩でグレイ氷河Glaiares Greyの展望ポイントまで散策
だが、途中で停めてほしい所があったら、いつでも声をかけてほしいとドライバーが言ってくれた。
○Nordenskjold展望ポイント(11時40分)
何て読むのかNordenskjold湖は、写真真ん中辺の乳白色がかった緑色の湖である。手前の小さな湖とは全く違う色なのが面白い。この湖の向こう側に見えているのがパイネの山々になる。一番右手が恐らくアルミランテ・ニエトAlmirante
Nieto山、その右にちょこっとトーレス・デル・パイネの先っちょが見えて、右にパイネの角、一番左がパイネ・グランデだろう。こんなに一覧できるビューポイントは他にない。強風かつ晴天のもと、遠くにあるといってもかなりの迫力で勢ぞろいしたパイネの山々を見られるビューポイントだった。
○サルト・グランデ(滝)とクエルノCuerno展望ポイント(12時)
サルト・グランデはNordenskjoldから南側のペオエ湖への段差にできた滝だ。駐車場からは山越にパイネの角が見えており、そこから10分ほど散策路を歩くとまず滝に出る。そんなに大きな規模ではないのだが美しい滝だ。先ほど遠くに見た乳白色のグリーンの湖と同じ色の水が、どどどーっと滝になって白い水煙をあげており、周りの色あいとのコントラストが際立っている。水煙の所には、虹も見えた。
ここから更に先の道へ進んで10分ほど歩くと、パイネの角と言われる山々が右手に見えてくる。展望ポイントはもっと先の方になるのか、道は続いているのだが、滝で時間を使いすぎで時間切れ。ここで折り返すことにした。確かに角と言われるだけあって、雄雄しい角のような岩が空に突き出していて、普通の山では見られない光景だった。
我々のいる所からは、パイネの角が右手に、左手にパイネ・グランデが見え、パイネ・グランデの前に乳白緑色の湖が見えていて、この湖が左側手前に流れてサルト・グランデになっている。どこを見ても雄大な景色が広がり、なるほどねぇ、パイネがなぜ有名になったのか、ここから見ているだけで、その魅力を存分に感じさせてもらえた。
○Hotel Explora(12時50分)
サルト・グランデの駐車場からペオエ湖Lago Pehoe沿いに南下して、次に到着したのがHotel
Explora前の道路の路肩だった。正確には、ホテルへ向かう橋の始まりの道路の路肩だ。ホテルは湖に突き出した橋を渡って島になった所にある。ここで停車するのは、ペオエ湖とそこにかかる橋とホテル、その向こうに見えるパイネの山々という構図が美しいからに違いない。先ほど見た風景よりも少し引いて見ているのだが、湖を手前にした風景は、また別の趣で面白い。
○Hosteria Lago Greyで昼食(13時50分)
上の地点から45分くらい、公園内の未舗装道路をがたがたと走り続けて、本日最後の展望ポイントがあるグレイ氷河の近くまで来た。ここにはオステリア・ラゴ・グレイHosteria
Lago Greyという宿泊施設があり、それに併設のレストラン及びお弁当を広げられる屋外のテーブルと椅子があるので、ここで昼食となった。もちろん、我々はたっぷりとサンドイッチを持ってきているわけだが、全うな食事にありつけるのは、どうやらここが最後になるだろうと踏んで、お弁当は食べずにレストランで食事をすることにした。
オステリアという宿泊施設は、通常ホテルよりもランクがちょっと落ちるという感覚である。ここの客室棟を見てもロッジのような簡易の部屋がポンポンと並んでいるだけで、内装は見ていないが、外から見る限り、ああオステリアだもんね、という感じに見える。しかし、レストランに入る手前にあるホテル用フロントカウンターの後ろの価格表には、ダブルルーム一泊US$250と記されていた。ほよー、さすがに国立公園内の宿泊施設だけあって、お高いわーとビックリ。そこの併設のレストランが、国立公園内のレストランというより、ニューヨークに新しくオープンしたダイニングですといった方がお似合いな感じなのだ。「メニュー・デル・ディア(本日の定食)はありますか?」と聞いてみた。大抵、どこにいってもアラカルトよりはお得なメニュー・デル・ディアがあるものだ。「ございますとも」と言ってウェイターが指し示したメニューは、アラカルトよりも遥かに値の張るフルコースだった。やれやれ。ということで、ビーフサンドとコーラを注文した(詳しくは「本日の献立2006年1月15日昼」の写真をクリックしてください)。
レストランの食事と窓からの風景を堪能して昼食が終了。他のメンバーは持参のお弁当を広げておしゃべりをしながら食べていた。こっちに加わるのも悪くなかったなぁ。
○徒歩でグレイ氷河Glaiares Greyの展望ポイントまで散策(14時40分)
昼食休憩後、再び車に乗り5分ほど移動してすぐに下車。ここからグレイ氷河への展望ポイントまでは、徒歩で20分程度だ。駐車場からサインに従って遊歩道を歩くと、木のつり橋を渡る。ここから下り坂になってグレイ湖Lago
Greyの湖畔まで降りるていくのだ。下り坂になった途中から、砂浜のずっと先に水色の氷河が光るグレイ湖が見えた。
見えてはいるものの、グレイ湖湖畔はなかなか広く、風もとても強いので先に進まない。最初にたどりついた岸辺からは、手前に水色の氷河、そして背後にパイネの角とパイネ・グランデが見える風景だった。グレイ氷河から崩落した氷の塊は、ゆっくりとグレイ湖を岸辺に向かって流れ、ついには透明の氷の小さな塊となって湖畔に漂着する。そんな氷河の一生の最後の氷を湖畔で見つけた。
湖畔を右手に向かって歩き続けると、やがて浜辺の終わりまで来る。風向きもあるのだろうが、この日はこの辺りに氷河が集まっていて、グレイ湖のずっと奥にグレイ氷河が見えた。氷河までの距離は20kmくらい。これだけ離れると、さすがにちょっとしか見えない。
2005年年末から2006年の年始にかけて、サーキットWのコースを時計回りに歩き、Wの北側のコースを西から東へと歩ききって、つまりパイネを一周したという青年に出会った。私たちが今立っている所の左手奥にあるトレッキングコースからグレー氷河手前のキャンプ場まで道のりを、彼は12月31日頃1人でとぼとぼと歩いていたそうだ。疲れは最高潮に達して、夜も更けてきた。「俺、誰もいないし、気が狂いそうに疲れていて、一人でかなり大きな声で『ちっくしょー、俺、何でこんな所を1人で歩いてるんだ、バカじゃないの?』とか言いながら歩いたんですよねぇ、あん時は辛かったー」と言っていた。やっとたどり着いたキャンプ場で、倒れこむようにテントの中で眠っていると、周りから「スリー、ツー、ワン、ゼローーーー、ハッピー・ニューイヤー!」と明るく新年を祝う外国人の声が聞こえてきて、「あー、年が明けたんだなぁ、とぼんやりとわかったんですよ。」という年明けを迎えた。かなり寂しい思いをしていたに違いない。そして1月1日の朝、キャンプ場から北上して、朝日に照らされるグレイ氷河を見たとき、彼の疲れは全部吹き飛ぶくらい感動したということだった。その彼のお勧めポイントが、今見ているグレー氷河なのだ。しかし、距離がありすぎて、あの時聞いた話にはちっとも結びつかなくて残念なことだ。それに、こんなお気楽なバスツアーで道路から同じ光景を見たとしても、彼ほどの感激は得られないに違いない。年末の一人ぼっちの、くたくたのトレッキング。その翌朝ってシチュエーションが大切なのかも。いやー、私には無理ですがね。
こうして、本日全ての見所を見終わって、16時30分、グレイ湖から車で帰ることとなった。さぁ、実は、ここからが私たちの第2のイベントの始まりと言える。これから2時間のトレッキングが待っているのだ。
アマルガ湖公園入り口までの1時間は、誰が何といおうと、グアナコとニャンドゥが総出で現れても寝ることにしていた。幸いそんな事件も起こらず、ぐっすりと休養。17時にアマルガ湖公園入り口に到着した。ここから、オステリア・ラス・トーレスHosteria
Las Torresまではピストン輸送の有料バスが出ていると聞いていた。今日のツアードライバーが、オステリアのマークの付いたミニバスを見つけて、運転手に話をしてくれて、このバスに乗ることになった。もう1組、スーツケースで乗り込んだカップルはオステリアに宿泊する人たちらしい。歩くと1.5時間の距離だが、車だと15分ほどで到着する。オステリアの手間にはレフヒオというもっと簡単な宿泊施設があり、ミニバスのドライバーは「ここです」と私たちを降ろした。本当は1人A$1000(=US$1.91)かかると聞いていたのだが、何も請求されなかった。思うに、我々はレフヒオに宿泊する客だと思われたらしい。レフヒオかオステリアに宿泊する人は無料送迎が付くようなのだ。
私たちが今日、アマルガ湖公園入り口で降りてチレーノキャンプ場に行きたいという話は、最初宿の主人にした。宿の主人がツアーのドライバーに伝えてくれて、ツアーのドライバーがオステリアのミニバスドライバーと交渉してくれた。そのどこかで情報が間違っちゃったんだろうなぁ。それにしても無料で乗れたからよかったし、もしこれに乗れなかったらミニバスはもう無くて歩くはめになっていたかもしれない。いずれにせよ、宿にツアーを頼んだことで、ここまでスムーズに行けたことに感謝した。
チレーノキャンプ場は、レフヒオではなく、その先のオステリアから登山口があるので、オステリアまで歩くことになった。暮れ行く草原の山の向こうに、明日めざすトーレス・デル・パイネの先端が少し顔をのぞかせている。昼間見たときよりもかなり近くに見えていた。
オステリアで、どっちの方向に行くべきか道を尋ねた。ここのロビーは昼間訪れたオステリア・ラゴ・グレイよりも更にゴージャスだった。さっき、「私たちはオステリアに宿泊します」と嘘を付いたら、絶対に追い返されるか、疑われるただろうねぇというたたずまいの宿泊施設だった。
オステリアで聞いた道のりを15分歩くと、「キャンプチレーノまで2時間」という看板が立っている所に来た。ここから2時間かぁ。ミニバスを降りて30分ほどの徒歩で、既に体はかなり温まっている。
時刻は18時過ぎだった。さぁ、急がなくっちゃ。日が落ちるのが遅いのがせめてもの救いだが、明日のことを考えると、少しでも早く眠りたかった。
ここからは、笑ってしまうくらいずーーーーっと上り坂だった。途中で日本人の60代の定年退職されたというご夫婦に出会った。先ほど道を聞いたオステリアに宿泊しているそうだ。明日、我々が行こうと思っているトーレス・デル・パイネの展望ポイント、ベース・ラス・トーレスまで行って帰ってきた所だということだった。オステリアの人に聞いたら、「6時間で行けますよ」と言われたが、「実際には12時間かかって、もう限界かと思ったよ、いやー、無事に帰ってこられてよかった、よかった」と話されていた。この話には疑問がある。ここからチレーノ・キャンプ場まで2時間、チレーノからベース・ラス・トーレスまで2時間かかるはずで、行きと帰りだけでも8時間かかるはずである。向こうでの滞在時間を1時間として、年齢による加味を2時間としたら、それは12時間くらいかかるのは当然だろう。どこで情報が間違ってしまったのかわからないが、無事に帰ってこられて本当によかったなぁと思った。
登り始めて30分後、かなり上の方に来た。
暑くて仕方ない。着ているものはできるだけ脱いで全部腰に巻いていった。山用の保温性の優れた衣類を持っているわけではないので、Tシャツになるためには、セーター、薄手のフリース、厚めのフリース、ロングコートの4枚を腰に巻きつけなければならない。腰に巻いて巻いての姿は、お腹に足が生えて昆虫にでもなった気分だ。
こんな調子で、あと1時間半もかかるのかと思ったが、ここから40分後にはチレーノキャンプ場に到着した。かなり上った後は、下り坂、もうずっと下りかと思ったら、最後にちょっと上ってまた下っておしまいだった。
キャンプ用具も背負っていないので身軽だし、猛烈な勢いで歩いてきたので、標準時間よりもかなり早く到着できた。ここまでの道のりでは、大きな荷物を背負ったバックパッカーを何人もごぼう抜きしてきたのだった。
気持ちの良いせせらぎの川を渡って、キャンプ場に併設されているレフヒオの建物の中に入った。入り口正面がフロント、左手がレストランのダイニング、右手が客室になっていて、客室の方にあるシャワー・トイレはキャンパーも使っていいということだった。さて、ここで問題が発生。キャンプ用具をレンタルしたいというと、何と寝袋が全て出払ってしまってない、というのだ。衣類はたくさん持ってきているから、大丈夫だろうと、私たち本人は気軽な気分でいたが、レフヒオの兄さんと、後ろ話を聞いていたキャンパーのドイツ人の若いお姉ちゃんが、本人たち以上に心配していた。ま、寝袋のキャンセル待ちということで、とりあえずテントを見に行って、家作りをすることにした。
「2人ともキャンプなんて生まれて初めてで、どうやってテントを張るのかさえもわからないんですよね。」とキャンプ場に案内してくれた人に語りながら歩いていたが、レフヒオすぐ裏手のキャンプ場には、既に張られたテントがあり、ザーッとチャックを開いて見せて「ここが今夜のあなたたちの家です。どうぞ」と言われて終了。何もすることがなかった。
子供の頃、友達同士で家中のカサを持ち寄って、ガレージでキャンプごっこなんて言って遊んだものだったが、やっとこの年になって、本物のテントに寝ることになった。
「いらっしゃーい」とか言いながら、ひとしきりテントで遊んでから、シャワーを浴びることにした。そのころには、寝袋のキャンセルも出て、どうやら寒くない夜を過せることになった。このごたごたのせいか、本来なら支払うべきのキャンプ場利用料金を請求されなかったのだが、それはキャンプ用具一式を借りた人には請求しないことになっているのかもしれないと、ありがたく解釈した。レンタル料金は、プエルト・ナタレスの旅行代理店で聞いた通り、2人用テントC$5500、寝袋1個C$3500、マット1枚C$1500だった。町中でレンタルするのの倍以上かかるが、1泊2日で考えならば、町中でレンタルすると2日レンタルになるがここなら1日レンタルで澄む。そう考えると、こちらで借りても値段の差はわずかになる。少しの増額で持ち歩かなくていいと考えれば、こちらの方がお得だ。2泊以上するとなるとお得感は薄れてくるが。
レフヒオ内のシャワーは、熱いお湯、豊富な量でとても快適だった。風呂上りには、レフヒオ内のレストランで冷えたビールを飲みながら、初めてのサンドイッチをパクついた。
生まれて初めてのテントの夜。ゴーゴーとうなる風はテントの中までは入ってこないし、寝袋の威力はすばらしく、暑いくらいだった。快適、快適。こうして、明日に備えて早めの就寝。かなりスポイルされたアウトドア生活だと思われるかもしれないが、初めての私たちには丁度いい感じだった。
|
|
|
|
|