夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.02.26 
リオのカーニバル〜カーニバル開始まで

ブラジル:リオ・デ・ジャネイロ

 以前住んでいた都内の町で、商店街主催のサンバ・カーニバルというのがあった。大通りに数時間も前から並んで席取りして、コンビニでビールと焼き鳥なんか買ってきて見るのだ。浅草のサンバカーニバルにも出場したグループも何組か登場する。華やかな羽飾りをつけて、ブリブリと腰を振る日本女性を見て、本場のリオじゃぁ一体どんなことになってしまっているのだろうと、想像をたくましくしていたのだった。

 これに味をしめて、この旅に出発する2年前からは、浅草のサンバカーニバルも見に行っていた。こちらは日本で最大規模のサンバカーニバル(まぁ、この響きも妙なのだが)だけあって、報道カメラマン、カメラ小僧、一般観光客が競ってカメラを構えて、押すな押すなの大混雑。ブラジルから来たというダンサーもいて、その踊りはやはり本場を思わせる激しい腰使い。群集でもみくちゃになりながら、「これは絶対に本場で見なくてはいけないのだ」と決意を堅くしていったのはこの時だった。

 そして旅に出た2005年の7月。ブラジルにも支店を持つ、南米専門の旅行代理店数件に「来年の2月のリオのカーニバルチケットを買いたい。」というメールを出してみた。半年以上前なので、まだ値段が決まっていないという代理店からの回答が多い中、ウニベル・ツールという旅行代理店が昨年の値段と今年の予想値段を載せて回答してきてくれた。この丁寧な対応と、その後、他の代理店からの値段を比べて、結局ウニベル・ツールにチケットの手配をお願いすることになったのだった。

 日本からツアーを組んで見に来るリオのカーニバルとは、その年の優勝グループを選考する審査パレードのことを指す。最終選考に残った14組が2日間に渡ってパレードを行うのを見るのだ。2006年は2月26日(日)と27日(月)にそれぞれ7組ずつが出場するということだった。

 ウニベル・ツールが提示してきた座席は2種類で、1つは2階以上の席でみるUS$250のものと、もう1つはフリーザと呼ばれる1階席でUS$616。この値段は1日の席料で2日間見たい場合は倍額かかるということだった。うーむむむ。うなる値段だった。ウィーンフィルハーモニーの日本公演のチケットよりも、世界3大テノールの日本公演チケットよりも高い。しかし、サッカーのワールドカップの優勝戦のチケットをダフ屋から買うよりは安い。どうしようか、どうしようか。

 悩んだ末、折角見に行って遠い所から見ても意味が無い。今回の南米旅行はガラパゴスもイースター島も南極も行かない。リオのカーニバル1本だ、と覚悟を決めて1人US$616のチケットを2枚購入することにした。

 さて、ホテルはどうなんだろう。通常はもっと安い宿に宿泊しているのだが、リオのカーニバルの時期は世界中から泥棒さんもやってくるという話を聞いており、もう少しましなホテルに宿泊しようと思っていた。7月の時点で、リオのホテル状況をネットで確認すると、US$70〜US$100くらいのレンジのホテルは何と全てソールドアウトになってしまうではないか。おおお、やばい。現地に行ってから宿がなかったらそれこそ最悪の事態だ。ということで、ついでにホテルもカーニバルの前後4泊分を手配もしてもらった。チケットとホテル代金、US$1900くらいをバーンと旅行代理店に送金したのは、かれこれ年末にかかっていた頃ではないかと思う。

 そしてカーニバル見物を2日後に控えた2月25日に、サン・パウロからリオ・デ・ジャネイロにバスで入った。バスターミナル付近には、カーニバルに出場すると思われる飾りのついた山車なども見え、それだけでも「おお、リオにやってきたのだ」と気持ちが高まるのだった。


左はO GLOBOという地元新聞を買ったら入ってい
たカーニバル特集記事。中央は町中のホテルな
どで手に入る無料のカーニバル雑誌。
右はMSANGUERIRAという人気チームが独自に
出している自分たちの紹介雑誌。
 部屋に案内されると、ベッドの上にはホテルのロゴが入った黄色のTシャツとレイと紙のテープが用意されていて、カーニバル雑誌もいくつか置いてあった。雑誌には出場グループごとに今までの成績と今年のテーマと見所が記載されている。英語とポルトガル語が併記されているので、とてもわかりやすかった。さすがに高いお金払っただけあるのねぇ。

 室内のテレビでは、今日出てきたサン・パウロでのカーニバルの様子を放映していた。

 そうかぁ。サン・パウロも実はカーニバルに入っていたのだった。こちらに来る前の晩、物凄い大音響の音楽が鳴り響き、群集のワーっという雄たけびが何回も聞こえていた。「明日出発だってのに、これじゃぁ寝られないねぇ、今日は何かイベントがあるのかねぇ」などと呑気に言っていたのだったが、実はカーニバルだったらしい。

 テレビでは、羽飾りをつけた姉さんにインタビューして今年の抱負と見所なんか聞いちゃってる風だった。それで、最後に一踊りしてもらってインタビューが終了。テレビとはいえ、生放送で普段ありえない超ど派手な映像がどんどん流されているのが凄い。

 ホテル内は、日本人観光客を含めて世界中からカーニバルを見に来た客で浮かれた雰囲気が漂っていた。

 しかし、一歩ホテルから出て近所の繁華街に行くと、案外日常的な風景で、誰も今から腰を振って踊っている人なんていないし、そんなに浮かれた雰囲気も漂っていない。気持ちが高まっているこっちとしては、もう町中が踊り狂っている様子を想像してしまうのだが、そんなことはないのだ。旅行代理店では、サンバカーニバル前の晩には、サンバショーが見られるレストランへのオプショナルツーアなどを組んで、お客様の気持ちを盛り下げないようにしているのはそのためだろう。

 26日は、朝一番でウニベル・ツールのリオ支店を訪ね、カーニバルのチケットを受け取った。首から下げるようになっているプラスチックのカードと、クレジットカード型の磁気付きのカードの2枚、それからウニベル・ツールのリオ支店長が作ったカーニバルの歴史や説明が書かれたパンフレットだった。首から下げるカードには、どの席かが明記されていて、ここで初めて自分たちの席が明らかにされた。


数字はセクター。薄い緑色が2階席、濃い緑色がフリーザ。ピンク色は団体席。

 カーニバルは左の紫四角から始まって右の紫半円で終了する。各席はセクターSectorと呼ばれる大きな区画で区切られていて、セクター1にはフリーザはなく、その他の奇数セクターとセクター4とセクター6は1階席のフリーザと2階席に大きくわけられている。1階席のフリーザは全て指定、2階席はセクター内は自由席となっているようだ。フリーザ内は6人が座れる升席になっており、前からA列、B列と4列まである。各列に升席は25個くらいだったか(ちょっと記憶があいまい)並んでいる。我々のチケットはセクター9のB列の17なので、フリーザの前から2列目である。このセクター9の目の前が審査員席になっており、パレードは全員ここで一旦停止して審査員に踊りをアピールすることになっている。またセクター9と11の間に楽隊が入って演奏を行うので臨場感が一番ある席だそうだ。ということで、セクター9が一番値段が高いということになっているそうだ。さすが日本の旅行代理店だ。とびっきりいい席を用意しておいてくれた。

 フリーザは6人1組で販売しているので、バラで買いたい場合は、旅行代理店が買った升席をばら売りしてもらうことになる。この後に訪ねたホステルやホテルでチケットの価格を聞いてみたが、カーニバル前日の今になると、どこで買おうとしても値段は我々が買ったよりも更にずっと高くなっており、訪ねたホステルではセクター9の2階席をUS$500で販売するという具合だった。因みにこんな直前でも一番安い席はUS$30くらいからある。セクター9がいかに高く販売されているかがよくわかったし、日本の旅行代理店がリーズナブルな価格で販売してくれたこともわかった。

 セクター2はちょっと特殊で25人分で100万円だそうだ。大抵は企業が買っているようで、ブースの中にはテレビや自動販売機を設置して、企業がお客様接待に使っているように見えた。個人が買えるかどうかはわからないが、25人集めてこの席を買ってみるというのに挑戦するのも面白そうだ。

 さて、チケットも受け取ったので、今日のタスクをこなすとしよう。今日は宿探しをしなくちゃならない。ホテルは28日までしか取っていないので、その先の宿泊所を探しに、この日は朝から夕方までコパカバーナとイパネマのキッチン付きのアパートホテルを10件以上訪ね歩いた。夕方6時頃になってやっと宿泊先が決定し、ホッとして帰ろうとした時、仮装行列のような格好で歩いているおばちゃん3人組を見たかけた。他にも色々な格好の人がうようよいる。「何かあるんすか?」とおばちゃんに声をかけると、今日は夕方からイパネマ海岸発の一般人参加パレードがあって、夜っぴてセントロ(中心街)まで町を練り歩くというので、自分たちも参加しようと思って来たのだということだった。今からパレードに向うからついていらっしゃいとお招きを受け、緑の羽飾りやスパンコールの仮面を付けたおばちゃんについてパレードを見に行くことにした。

 やがて音楽が聞こえ始め、人がだんだん多くなってきた。案内してくれたおばちゃんは、私たちを振り返り、ウインクしながら「ね!ここよ!じゃぁ、お互いに楽しみましょうね!」と群集に消えていった。

 大きな音は、左手奥のトラックから聞こえてきていた。トラックの上がステージになって、そこでギターやボーカルがいて、音楽をかき鳴らしながら、少しずつ前に進んでいる。群集はその周辺にむっちゃりいて、歌いながら両腕をあげて踊ったり、体をゆすったりしている。とにかく人がいっぱいで、パワー全開のエネルギーが押し寄せていた。

 リオの北部にあるバイーア州のサルバドールという町では、こういう民衆参加型パレードが有名だそうだが、きっとこんな感じだろう。サルバドールのパレードに参加するのなら、カメラもお金も持っていっちゃだめ。ポケットを探られまくって全部盗まれちゃうから。という話は何回も聞いていた。パレードに参加するつもりでなかった我々は、貴重品もたくさん持っていたので、早々に群集から引き上げようと来た道を振り返った。しかーし。我々の後にはすでに長い行列ができてしまっている。このまま後に抜けるよりは、より混んでいる前方に進んで、パレードの車を追い越す方が早く抜けられそうだった。ええい、ままよ、と大波に飛び込む気持ちで群衆に入っていく。中に入ると、車道の人は車についていく参加者で、沿道の人は見物人という流れになっているようだった。沿道の人を掻き分けながら進んでいくことにした。

 途中から背も高く横幅もある黒人のでかい兄ちゃんが後から追い越してきて、どんどん前に進むので、この人の背中についていけば間違いないとぴったりとついていくことにした。おお、速い、速い。どんどん前に進んでいく。途中から夫が私の肩に手をかけて、音楽に合わせながらゆすって踊ってくる。おお、乗ってきたねぇ。私も飛び跳ねながらどんどんと進んでいった。しばらくして、「乗ってきたねぇ」と振り返ると、おお、夫が黒人になっているではないか。夫だと思っていたのは、私の前にいる黒人の友達らしく、夫はその後にいた。いやー、びっくりした。しかし、彼らのお陰で、何とか群集を振り切ってパレードの先頭に出ることができた。握り締めていたショルダーバッグの紐は汗でべっとりしてしまったが、どうやら2人とも何も盗まれずに通過できた。よかった。

 夕焼けに染まるイパネマビーチは歩行者天国になっていて、先ほどの群集ほどでないにしても大勢の人と屋台の炭火の匂いで満ちていた。みんな思い思いの格好をして、顔や体にペイントしたりしている。

 昨日ホテルの周りで感じた不満足感は、ここで一気に解消された。ここでは誰もが浮かれて祭り気分を味わっていた。

 折りしも「久しぶりです、リオに来ていたんですね!」と1人の日本人が声をかけてきた。イグアスで同じ宿だった吉井さんだ。今日26日のパレードのチケットを宿で手配してもらって、夜から友達と見に行くということだった。チケットの価格を聞いたらUS$100くらい。こうして気軽にチケットを買って見に行くという方法もある。久しぶりに会って話もはずんで、宿泊している地域も同じあたりだったので、一緒にバスで帰ってきた。

 ホテルに戻ると、今日のカーニバルを見学に行く日本人観光客のご一行様がロビーにいた。見たところ50代以上のご夫婦が多い。もう皆楽しくって仕方ないという顔でうっきうき、旅行代理店のロゴの入ったおそろいのTシャツを着て、レイを首からかけて、記念撮影。こっちまで楽しくなってきた。「楽しんできてくださいねー」とお見送りして部屋に戻った。

 今日はいよいよリオのカーニバル審査パレード第一日目だ。もちろんテレビでは事前インタビュー、それから全パレードを生放送でばっちり見ることができる。臨場感はないが、どの席で見るよりも素晴らしい角度で楽しめる。明日は、後ろの群集と一緒にこの笑顔を生で見るのだと思うと、興奮してなかなか眠れなかった。

 さて、いよいよ27日、パレード当日だ。パレードは夜9時から開始され28日の朝8時頃に終了する。だから27日の午前中は歩き回って体力を使い、お昼をたっぷり食べて午後7時まで寝てからでかけようという作戦を立てた。リオのセントラルにはコロニアル調の教会やブラジルの有名建築家オスカー・ニーマイヤー設計の建物もあるので、セントラルを見学しようということになり、地下鉄でプレジデンチ・バルガス大通りまで出た。ここはパレード会場に近い一番大きな通りだ。地下から通りに上がると、今夜のパレードに出場する山車が既に通りに並べられて準備を始めている様子だった。
 まだ幌を被ったものも多いし、組み立てあがっていない山車もある。テクニカルチェックをしている人がいて、山車の一部をはがして配線を確認していたが、電気コードがぎっしりと詰まっていて、ハイテク山車になっているようだった。一体この一台にいくらかかるのだろうかと思ってしまう。今日のパレードでは、1グループあたりこの山車が8台出ることになっているので、全部で56台の山車を見る。ちょっと考えただけでも相当の豪華絢爛さが予想できた。

 ついでに、パレード会場を下見しようと近づいていくと、地下鉄のセントラルCentralあたりから露店がびっしりと並び始めて会場まで続いていた。地下鉄駅から会場まで歩いていけそうな距離だったので、どうやって行こうか、どこから行けるのか、そこら辺にいた警察官に聞いていたのだが、ポルトガル語なので埒が明かない。

 そこに日系移民のおばあちゃんが息子とブラジル人の嫁さんと孫を連れて登場。嫁さんの説明で会場までの道のりを詳しく教えてくれた。しかし、夜になるとこの辺りは物凄い混雑となり、危ないので、できれば会場まではタクシーで行くことを勧められた。確かにカメラやビデオを持ってここを通るのは危ないという雰囲気が昼間から感じられたので、夜はタクシーでここに来ることに決めた。それにしても、ブラジルの日系の人は何かと日本人に親切にしてくれて、本当にいい感じだ。お孫さんが可愛い衣装を身に着けていたので、写真を撮らせてもらってお礼を言って別れた。

 カンデラリア教会から11月15日広場へ向う裏通りが雰囲気があって面白いので歩いていたら、広場から仮装した人がどんどんやってくる。また民衆パレードが行われるようだ。リオに来たらこういうパレードに参加して、夜は見学するっていうのが定番のコースなのかもしれない。

 我々はこの後、市立劇場、教会を見学して、予定通りかなりくたくたでホテルに到着。近所の定食屋でご飯を食べてから夕方までぐっすりと睡眠を取った。

 さて、今夜はいよいよカーニバルだ。


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