夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.03.20 
レシフェ旧市街観光

ブラジル:レシフェ

 リオのカーニバルで同じ席だった日本人女性は海外青年協力隊でサン・パウロに在住している人たちだった。私たちが、これからレシフェに行くというと、「気をつけてくださいねぇ」と心配そうに言った。

 レシフェは日本の外務省では危険地域という認識になっていて、海外青年協力隊員が行ってはいけない町に指定されているというのだ。そんなこともあって、レシフェの旧市街に宿泊するのはやめて、少し南部の新しい商業地域ボア・ビアジェンに腰をおちつけた。

 とはいえ、17世紀半ばにオランダの占領下におかれて、川に運河がかかるという街並みの旧市街を見たいではないか。

 そこで平日の日中にボア・ビアジェンからバスで旧市街散策に行ってみることにした。ボア・ビアジェンからは「Setibal / Boa Vista」というバスで行き来ができると聞いて乗ってみると、海岸沿いにまっすぐに旧市街に向かい、橋を渡ってレシフェ・アンティゴ地区という島に入ってから、再び別の橋を渡って旧市街の中心地を通ったところで下車した。


サンタ・イザベル劇場

プリンセザス宮殿

裁判所
 まずはサン・アントニオ地区の北側にあるヘプブリカ広場をめざす。公園内には清掃の人が何人かいて、鉄門が閉まっていてまだ開いていないような雰囲気だった。
 しかし、カメラを構える我々の姿を見た一人の清掃員が、「こちらからの方がもっとよく撮れますから、さぁ、入って入って」といいながら(たぶんそんな内容のポルトガル語だと思われた)門を開けて中に招き入れてくれた。

 小さな公園で中央の池から十字に通路が走って、それぞれに門扉があった。池の所に立つと、各通路の正面にサンタ・イザベル劇場、プリンセザス宮殿、裁判所があり、コロニアル調の建物と椰子の木の組み合わせが美しい所だった。

 プリンセザス宮殿の正面が開け放されていたので、もしかして内部見学でもできるのかと入ってみると、どうやら官庁系の建物として使われているようで、スーツ姿の男性や女性が出入りしていた。

 1階フロアだけは見学してもいいと言われたが、大理石の階段とその上の踊り場にあるステンドグラスを見たらもうおしまいというくらいの広さで、ヨーロッパの宮殿に比べたら宮殿というよりは大邸宅って感じだねぇ。


開発予定模型のガラスケースに、コロニアル調の
宮殿の天井から下がるシャンデリアの光が映る。
レシフェの新と旧、という言葉が頭をよぎる。
 1階フロアの真ん中には観光の見所、現在開発中の所、これから開発予定の所と色分けされたレシフェの街の模型が置かれている。それを何気なく見ていたら、近くに立っていた背広の紳士が「どちらからいらっしゃたんですか?」とポルトガル語で話しかけてきた。日本からというと、その男性は「そんな遠くから」と感嘆したような表情をして、模型を指差しながら、レシフェは今後このように発展していくのですというようなことを熱心に話し出した。宮殿でこのような丁重な対応を受けると、まるで賓客にでもなったかのような気分がする。Tシャツに短パンというベリィカジュアルな格好にもかかわらず、日本代表観光大臣のような顔で神妙にお話を承り、お礼を行って宮殿を後にした。

 ヘプブリカ広場のあるサン・アントニオ地区から、ドゥラーダ・ダ・オルデン礼拝堂の横を通ってサン・ジョゼ市場に向おうと歩いていると、路上生活一家がこちらを見ながら「日本人か?日本人か?」と聞いてくる。そうだと答えると、一同は「ウッヒョー」と嬉しそうに歓声を上げ、「日本人ならお金をめぐんでくれよー」と一斉に手を出してきた。宮殿での対応といい、ここでの対応といい、レシフェで日本の評判は悪くないようだ。

 ヘプブリカ広場のちょっと気取った雰囲気から数ブロックしか離れていないのに、サン・ジョゼ市場の付近はもう完全に下町だった。近代建築の古びたビルディングが立ち並び、その前の歩道では気楽なビーチパラソルの屋台が店開きしている。ああ、でも欲しいものはないなぁ。子供用のクレヨン、髪留め、ゴムひも・・・。ごちゃごちゃした日用品が多い。あぁ、時計の屋台も多いねぇと見ていて、そうだ、時計。夫の時計のバンドが切れてしまっていることを思い出した。時計を買いなおさなきゃね、と言っていたのだが、もしかしてここで修理してもらえるんじゃないかしら?

 夫に言うと「いや、このバンドのつける部分が複雑で、ここの人には難しいし、部品がないんじゃないかなぁ。」とちょっと渋り気味だった。

 しかし、そんな2人の会話の様子を目ざとく見つけた時計屋は、すでに近寄ってきて「どれどれ、見せてごらん」と軽く顎をクッとあげて合図を送ってきた。

 時計を見せると、手早く手持ちのバンドの中から「これはどうだい?」と選んで見せた。日本で買った安いデジタル腕時計とはいえ、バンドのプラスチックの質がやっぱり違うんだよねぇ。ちょっと自転車のタイヤのゴムみたいにバサバサしていて、日本のみたいにツルッと美しくない。試しにバンドを巻いてみると、留めが穴に通らなかったりする。「ねぇ、おじさん、これ通らないよ」と見せると、大丈夫だと各穴にねじ回しをつっこんで穴を大きめにして戻してきた。この素早い対応に職人気質も感じられたし、値段も良かったので、バンド修理をしてもらうことにした。心配していた本体との接続部分はアホのように簡単にはずれるしくみで、全世界共通になっているようだった。はいR$5(約US$2.5)で時計が復活。夫は「いやぁ、旧市街に来た甲斐があったよなぁ」と大喜びだった。

サン・ジョゼ市場の近くにあるサン・ペドロ・ドス・クレーリゴス大聖堂のあたりは、少し観光地っぽく化粧されていた。教会の敷地内から振り返ると、色とりどりにペイントされた壁の家が並び、ここがオリンダと共に砂糖貿易で栄えたという予備知識もあって、砂糖菓子で作られた家のように見えた。
 
 この一角から音楽が聞こえてくる建物がある。先日ビーチで購入したフレボという伝統音楽で名を馳せた売れっ子歌手の個人博物館のようだった。3つくらいのスタンドが立っていて、彼の往年のヒット曲が聞けるようになっている。良く見るとスタンドにはその曲の歌詞も書かれていて、なんだったら一緒に歌えるようになっていた。


 音楽はあいかわらず運動会みたいなちょっとコミカルな調子で、昔の音楽はレコードに傷がついた時のようなプツプツと途切れる所も入っていてなかなか面白かったが、係員と我々以外に観光客は2〜3人いる程度だった。宮殿で聞いた開発の熱い思いが具現化して、観光客がここに大挙するようになるのには、まだまだ時間がかかりそうだなぁ。

 ここから先は市場と周辺の卸店が並ぶ。市場の中は生鮮食料品と土産物屋が多く、その周りの店には穀物やスパイスの店が多い。スパイスの店は種類別になった大きなケースに入ったスパイスを袋に入れて量り売りしてくれる。18世紀くらいにタイムスリップしたような気分になる所だ。

 路上では蟹売りとアセロラ売りにあった。うじゃーっと蟹のツリーを作って売るのが一般的らしい。こうすると水気が落ちるからいいのかなぁ。やる気全くなしっていう売り方が南国らしくていいねぇ。アセロラは縦長の袋にいっぱい詰めてもUS$0.5くらい。半分の値段で量は4分の1でいいからとおじさんに言ったけど、結局袋の半分強詰めて渡してくれた。生のアセロラなんて初めて食べる。うう、酸っぱくてビタミンCがいっぱいな味だ。

 こうしてアセロラを食べながら、街をぶらぶらしていると、薬のような瓶をたくさん置いている店を発見。

 薬局?と思ったら、何と香水の店だった。様々な香りをブレンドして、自分のオリジナル香水を作る所らしい。店内では、女性が香りの小瓶を並べて、どの香りをどのくらいブレンドするか熱心に話し合っていた。とっても日常的な店構えなんだけど、やってることは洒落てるんだよね。今まで見てきた街並みや市場の様子からは想像がつかないレシフェの一面だった。

 こうして半日くらいで観光して宿に戻ってきたわけだけど、旧市街、確かに危ない雰囲気はある。建物はきちゃないし、路上生活者もいるし。でも。そこここで出会った人々は、気さくで素朴でとってもいい感じの人が多かった。この街はツアーの観光バスで見所を周るだけじゃつまらない。街をぶらついて、店の人と話してるとほのぼのとして楽しくなってくる所だろうね。


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