夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.03.21 
世界遺産の街、オリンダを観光

ブラジル:レシフェ

 レシフェの北にあるオリンダは、ユネスコの世界遺産にも登録されている町で、かつてはこの州の中心地として砂糖貿易で栄えていたが、今はその地位をレシフェに譲り、昔ながらのたたずまいを残して静かに観光客を迎えている。

 スペイン語圏でツアーに参加すると、一緒に来ているおばちゃん達が、観光名所に行くたびに「何てきれいなんでしょう!」という言葉を連発する。この「きれい」に相当するスペイン語が「リンダLinda」。オリンダの地名は、オリンダの初代知事が小高い丘から見た街並みを見て「おお、何と美しい!Oh! Linda.」と言ったのからきているという話を聞くたびに、おばちゃんたちの「あら、むちゃくちゃきれい!Mui Linda!」と言っている顔を思い出し、フッと笑えてくるのだ。

 そんな「オー、リンダ」がどのくらいリンダなのかを確かめるべく、オリンダへのバスに乗った。

 我々が宿泊しているボア・ビアジェン地区からは、一旦旧市街へ向い、旧市街を迂回するように走ってオリンダに向う。

 旧市街に近づくと運河を渡る。オランダ人は、運河を造ることで遠い故郷を思ったのだろう。運河が造れるような土地を選んだに違いない。南米を旅してドイツ人移民、スイス人移民が多く住む地域に行くと、やはり自国の風景や気候に似た所を選んでいて、今に至っても、当時の住民の募る望郷の思いを知ることができる。

 バスは、40分ほどでオリンダと思われる所に到着。乗ってきたバスはその先にも行ってしまうので、運転手に確かめてからバスを降りた。

 バスを降りて目の前に広がる海は、護岸工事によるコンクリートの防波堤の向こうにあり、防波堤の向こうを覗くと狭いビーチ、そしてもっと向こうにある大きな防波堤で塞がれて流動しないために濁った水のビーチが見えた。あらら、どこがリンダなんじゃろうか。

 折りしも空は雨模様。今にも降りそうな重い空の下で早くも「今日はちょっと失敗かもしれないなぁ」なんてことが頭をよぎる。

 手持ちのガイドブックにはオリンダの簡単な地図があるものの、その中の一体どこに自分が位置しているのかもわからない状態だった。ガイドブックをのぞき込んでいると、来た来た。オリンダ名物、「自称公認ガイド」の登場だ。

 胸からさげた顔写真付きIDを指差しながら、「オリンダの町を私が案内しましょう。」という。「でもポルトガル語じゃわかんないし」というと「大丈夫、大丈夫、No problem. I can speak English.」と英語で言い始めた。ふーん、本当かね。で、自由にしゃべらせておいたら、地図を広げて「今、私たちはここにいますね。ここからこういう風に歩いて周り、見所のこことこことここを周ります」と説明し始めた。しかし、途中からポルトガル語になってしまい、その先は「Very Beautifulね」とか「Gooooodね」みたいな所だけ英語である。因みにポルトガル語では、語尾に「ね」をつける場合をよく耳にし、何だか日本語みたいだなぁと思っていた。しかし、こりゃだめだ。というか、もとよりこの自称公式ガイドは、すごい早足で町を周り、高額の案内料を請求してくるとガイドブックの体験コーナーに書いてあったので、断るつもりだった。

 さんざん話をさせて、地図を広げさせて、現在位置と観光案内所の確認ができたので、「ノン、オブリガード」と言ってお断りした。こういう利用の仕方をされ続けると、日本人には話しかけてこなくなるかもしれない。自称公認観光案内人は不満そうに立ち去った。

 観光案内所は、バスを降りて進行方向左手の坂道を上がって2ブロックほど先の右手にある。観光案内所では、地図に「このように周るといいです」とお勧め散策コースと見所をペンでマーキングして渡してくれた。わかりやすい。

 早速、地図に従って散策を開始した。急に坂をどんどんと上がっていくコースで、いわゆるコロニアル調の邸宅が並ぶ住宅街のような道だった。

 登り坂が一段落した右手に修道院があり、そこが1番目の見所となっていた。

 こじんまりとした修道院で、内部は古い装飾品と古い宗教ががかかっていた。全体的に薄暗くて、昔の匂いがする建物なのは、ヨーロッパなどで、あるいは中南米を通してよく見る光景なのだが、窓から入ってくるブラジルの強いひざしが、その静寂を突き破るような明るさで入っているのが、オリンダらしいと言える。

 もう一つオリンダらしいのは、修道院の屋上テラスからの眺めだ。町の名称になった「オー、リンダ」という丘の中腹にあるため、ここからも海が見えて、リゾート地のような眺めである。

 修道院を出てからも、道は丘の頂上に向ってらせん状に大きく弧を描きながら上がっていく。頂上までたどり着くと、さっき訪ねた修道院が目の下に見えた。

 頂上にはセー教会があり、辺りには土産物を売る店や屋台がたくさんあり、今まで見たオリンダの中で一番賑わっているように見えた。

 土産物屋の前には、オリンダのカーニバル装束を着た客引きの女の子がいた。踊るのかと聞くと、踊らないという。人目を引いてお店に入ってもらうのが目的なんだそうだ。

 小さな傘を持って踊るオリンダのパレードもなかなかの人気だそうで、リオと同じく2月末頃に行われる。いつか見てみたいものだ。それにしても、レシフェやオリンダまで来ると、褐色の肌の人がぐっと増えた。国内の移動といっても、おとずれる地域でガラッと人種や文化が違って見えるのがブラジルだ。

 土産物は、細かいレースの織物や、素朴なタッチの油絵など。店をひやかしながらセー教会に到着。

 教会はさっぱりとした作りで、南国の青い空に映える。

 
 そして、この教会からの眺めが「オー、リンダ」だということだった。

確かに。初代知事が見た風景とは変わってしまっただろうけど、青々とした緑にレンガ色の屋根が並び、そのかなたに湾曲する海岸線と青い海。全部を覆いつくすような大きな空にあまり違いはないだろう。「オー、リンダ、オー、リンダ」。

 オリンダの魅力はセー教会からの眺めを見た所から始まるとも言える。この後、観光案内所の人がつけてくれたコースは下り坂になっていくが、両脇にはカラフルな家が立ち並び、とても楽しい街並みだ。
 土産物屋だったり、レストランだったり、小学校だったり、ギャラリーだったり。気が向いたら店をのぞいて、疲れたらカフェでお茶してぶらぶらと坂を下りていくと、出発地点の観光案内所の辺りに戻るようになっている。

 途中にはコロニアル調の教会がいくつもあり、これらも見所。それにしても、こんなに小さな町中に何故こんなに多くの教会があるのかが不思議だった。教会の過当競争、教会の乱立。コンビニじゃないから、たくさんあっても潰れるってことはないんだろう。今日はあっちの教会、明日はこっちの教会と庶民の楽しみが教会巡りだったのだろうか。

 散策も終了に近づいた所で昼食。ここのデザートが驚くほどおいしかったのが、またオリンダの印象を高めた。(詳細は本日の献立「2006年3月21日昼」の写真をクリックしてください。)

 「オー、リンダ」っていわれてもねぇ、どんなものだか?と懐疑的でもあったのだが、来てみたら、ひなび方がいい感じの町だった。景色もリンダだし、街並みが可愛らしい。あら、意外に楽しい。そんな所だった。これでいいビーチがあったら、ここにずっといてもいい。



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