|
|
|
|
2006.07.01
ウィーンでの宿探し、そしてインターネット設定
オーストリア:ウィーン |
|
今回のウィーンでの滞在は2ヶ月。パリにいる5月くらいから情報収集していたのだが、あまり手がかりがなく、結局ウィーン入りの日を迎えてしまった。
これまでに得た情報では、「ウィーンの森の散歩道」という掲示板がネット上にあること、もう一つは日本食材を扱っている「日本屋」の店内に掲示板があることの2つだけだった。
参考:
ウィーンの森の散歩道(http://wien-jp.com/cgibin/wwww.cgi)
「日本屋」 (住所:Faulmanngasse 5, 1040)はKarls-platz駅からRechite WienzelleをKetten-Bruckengasse駅方向に歩いて行くと、左手にFaulmanngasseという道があるので、そこを左折して右手にある。
○到着2日目
ウィーンに到着してしまってから、宿のインターネットで「ウィーンの森の掲示板」を見てみると、今までには出ていなかった物件情報が2軒見つかった。どちらも、私たちが狙っていた通り、日本人が借りている家で、住んでいる人が夏休みのために部屋を空けるために、住みたい人を探しているというもの。
早速、そのうちの1軒に電話をしてアポイントをとりつけた。
「日本屋」に言ってみると、掲示板には朝インターネットで見つけたのと同じ2軒が掲示メモを出しているだけで、他には収穫なし。
近くのナッシュマルクトという主に観光客向けの市場を散策して楽しんだ後、夕方頃、2軒目と連絡が取れて、こちらもアポイントを取ることができた。
○到着3日目
午前中に1軒、夕方に1軒を見せていただいた。
1軒は音楽を勉強している二人の学生さんの所。造りは古いがしっかりとした天井の高い部屋。バイオリンの音がどのくらい響くか、彼女の部屋で演奏してもらったが、さすがに壁が厚いためか、思ったよりも全然気にならない音量だった。キッチンの開け放った窓から、夏を迎えた花々が日差しに照らされて美しく、涼しいそよ風が入ってきて気持ちいい。ウィーンに来て、音楽を勉強する学生さんと一緒に夏を過ごす。私たちは、この展開にワクワクした。2人いる学生さんは、息も合って話も面白い。音大の学生さんというと、ちょっと我がままお嬢様なイメージがあるかもしれないが、日本を離れて苦労しながら勉強している彼女達は、同年齢のOLさん達よりも謙虚で、つつましく、そして経験豊かで話が面白い。部屋を見せてもらってから、キッチンでおしゃべりして2時間も過ごしてしまった。何ていうのか、私たちは彼女達がすっかり好きになってしまったのだ。
しかし、問題が1つ。インターネットだ。私たちはこの町でインターネットを使ってFXの勉強の続きをしようとやってきたわけだ。この家のインターネット環境は、接続が1台分。みんなで交互に使うしかないねぇということになった(後でルーターを使えば分岐できると学生さんからメールしていただいたのだが、スピードが心配だった)。
この家を出てから、うーむ、うーむと悩む。悩んでも仕方ない。夕方にもう1軒を見て決めるしかないのだ。
そして午後4時。2軒目のお宅拝見。ここは外国人の家主のもと、日本人女性とまた別の外国人男子学生と時々大家さんの息子が利用しているという物件だった。外国人男子学生が夏休みで国に帰るために、ここも7月から3ヶ月空くという状況だった。こちらは築10年のアパート。1軒目と比べると面白みは少ないが、設備は新しかった。
ただし、ここのイレギュラーな点は、借りるのが2LDKのL、つまりキッチンのある広いリビング。キッチンがあるということは、他の部屋の住人が我々の空間に出入りするということになる。「といっても、私は仕事をしていて夜ちょっと使うだけだし、大家さんの息子さんは自室の電子レンジしか使わないから。もしお嫌なら、私は岡田さんがいる間、キッチンは使いません」とまで日本人女性は言う。そこまで必死に言ってくれるのなら、まずまずプライバシーは確保できるんじゃないかと思い始めた。
さて、インターネットは?と聞くと、各自使えるようになっているという話だった。
我々は持ってきた自分のPCをつないでみるが使えない。PCの持つ番号をプロバイダーに伝えないと使えないようになっているそうなので、本格的な試験はできなかった。代わりに、外国人男子学生のPCがつながっていることを確認して、そのスピードも見せてもらった。
○到着4日目
なかなか悩ましい選択肢だったが、一番の目的はインターネット。これを優先するしかないと、2軒目に見たお宅に決めさせてもらい、もう1軒をお断りした。こうして、ウィーン到着4日目に引越し。幸運だったこともあるが、時期も良かった。ウィーンの7月8月は音楽はオフシーズンだが、気候は良い。9月にかかればオペラも始まる。この時期を狙ってウィーンに滞在するのは悪くない選択肢だと思う。
さて、引っ越してきた家だが、フタを開けてみたら、ここもインターネットはPC1台しか接続できない契約だった。ただし、当初大家の息子さん(A君)は週に1回くらいしか現れない予定だったので、我々がほぼ占有できるため、貸してくれる外国人学生は「各自インターネットはある」という言い方をしていたと思われる。もっと突っ込んで聞くべきだった。
結局、このままだとA君と我々と交互に使うようになる。これじゃぁ、断った家と同じ状況じゃないか。
翌日現れたA君と話をする。A君は20歳。PCを自分で組み立てたことを自慢げに話し、「僕も毎日色んなデータをダウンロードしたいから、交互に使うというのじゃ困るんだよね」とのたまう。イライラしてきた。「じゃぁ、どーすんのよ。私たちはインターネットがあるって条件で入っているんだけど」と詰め寄ると、即座に「無線ラン機能があるルーターを買おうと外国人男子学生と話していたんだ」と言う。
へー、本当。それはいい。それなら話は早い。じゃぁ早速買いに行こうと、入居した翌日に大家の息子さんを引き連れてルーターを購入。ハードに強いことをさんざん自慢していた彼は、自室にこもってルーターのセットアップを始めた。1時間しても、2時間しても出てこない。しびれを切らして、夫が彼の部屋をノックすると「今、やってるから」といらだたしげに答えた。結局セッティングはできず、翌朝になった。7時半には出て行ってしまう彼を捕まえて、「私たちがやってみるから、ルーターとモデム、全部貸して!」というと、「ドイツ語だし、これは専門知識がいるから難しいと思うんだよなー」と言う。いいから、いいから、おじさんとおばさんに貸してみなさいと、一式を受け取って彼を送り出した。
さー、こうなったら日本人の威信にかけて、意地でもつないでやる。プロバイダーとルーターの会社に何度か電話して、ルーターの解説書をドイツ語の辞書片手に読み、午後2時、やっと設定ができた。全くもう。久しぶりにこっち方面の頭を使ったから、滅法疲れたわ。
夕方、帰ってきたA君に「つなげたからねー」と言って、彼のマシンの設定に必要な情報を渡してあげた。ところが、彼のマシンがうまくつながらない。面倒を見てくれというので、彼の部屋に行ってマシンの設定を行っていたら、やっぱりつながらない。横で「設定がおかしいんじゃないかなぁ。普通はこうなるはずなのに、ああなるはずなのに。」という。あっそう、じゃ自分でやれば、と放っておいた。すると、しばらくしてこちらに来て、「君達ばっかりインターネットが使えるようになって、僕が使えないのは不公平だと思うんだ」って、冗談じゃない。ここで完全にぶちきれた私は、「ルーターまでつなげるようにしたったのは、誰だっていうの。自分のマシンの設定くらいは自分でしなさいよ、あんたPCに詳しいんでしょ。大体、この家にはインターネット接続があるっていうから入ったんじゃない。それも私たちが設定して、何であんたの面倒までみなきゃいけないのよ。」と言った。彼は「でも、不公平だと思うんだよね」と繰り返す。しょーがないから、3人で頭を寄せ合って、もう一度設定。彼のマシンに入っているワイヤレスを認知するソフトを全部消して、再インストールしたら、やっと認識するようになった。やれやれ。
こうして快適なインターネット環境もできあがり、何とか我々の新生活もスタートした。最初から大家の息子の印象を悪くしてしまったのが、ちょっと気になるが、日本人女性がいつもうまく間に立ってくれている。この日、彼女の提案で一緒に夕食を摂る事になった。日本人同士なら、あそこまで言い合うと気まずいものが流れそうなもんだが、「油揚げ、食べてみたいなぁ、う、あんまりおいしくないや」と、屈託なく笑う彼に確執の後はなく、可愛らしくさえある。夫は夫で「ただ飯食っといて、文句言うな」と日本語で文句言ってる。はー、このタフな外国人と夫の間で、私は異常に疲れたのであった。しかし一方で、夫のタフさは国際水準だと、私は尊敬もしている。異文化の人と交流する場合、特にネガティブな交渉においては、非常に大切な資質なのだ。
今週の金曜日、大家さんが訪問してくる。最初に言っていた家賃からEUR30値上げした値段だったと日本人女性に言ってきているらしい。また、誰がルーターのお金を出すのか。設定にかかった電話代金は誰が払うのか?波乱の予感がするのである。
○問題の金曜日 7月7日
朝7時半過ぎに大家さんがやってきた。音楽大学で講義をしているという女性で、英語もバリバリにしゃべれるなかなか魅力的な人だった。
息子さんが支払うというルーター代金については、聞いていないので勝手に購入されたら困るという意見から始まった。まぁ、そう来るだろうと思っていた。「20歳の子供の言うことを真に受けて、勝手に購入されたら困る。お金に関しては必ず私を通してほしい」。仰るとおりです。しかし、日本では20歳は大人の始まりとしてみなされる。大人として彼が言ったことを信用したまでだ。現に彼も一緒に購入に来ているではないか。という論戦で、結局大家さんが半分、もとからここに住んでいる外国人学生が半分を持つことになった。以上でこの件は終了。後は外国人学生に支払うようにメールしておいた。彼が支払いを渋るかどうかは彼らの問題。我々の手から問題は離れたので、これでやっと安心してここでの生活を続けられそうだ。大家さんのメールアドレスももらい、これで直接話もできるようになったし、今後はこのような混乱した状況にはならないようにしようということで、円満に合意して話し合いを終えた。
パリの住居では、大家さんからスージーさんという女性が家を借り受け、それを我々に又貸しする形態だったので、問題は彼女の所で解決していた。ここは、日本人女性が好意から日本語の掲示板を出していたが、大家さんと我々は直接交渉するようになっている。その辺りが前回との違い。そしてそれを最初にあまり理解していなかったのが、混乱の始まりだった。それにしても、ホテルに滞在するのとは違って、一歩つっこんで現地に暮らす人と交じり合うことができる。愉快な思いをするかどうかは別としても、今回の家探しも貴重な体験になった。
|
|
|
|