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2006.10.16
旧東側の国、第二国目。最後の最後で・・・。
ブルガリア:ソフィア |
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そもそもウィーンからイスタンブールに行く途中の通過点としか考えていなかったソフィア。観光ガイドブックも持っておらず、日本人が多く宿泊している宿に行けば何とかなるだろうという、行き当たりばったりの滞在だった。
到着した13日はもう夜になっていたので、そのまま夕食の材料を購入して自炊。14日は、バスのチケット購入してから街中を少し観光することにした。
宿からライオン橋を超えて行くと、遠くからでも驚くほど近代的な国際バスターミナルのガラス張りの建物が見えてきた。
中には様々なバス会社の窓口が並んでいて、ブルガリア国内や他の中欧の行き先はキリル文字で書かれているので、一体どこ行きのバスなのかさっぱりわからない。
そんな中で唯一意味をなす行き先がイスタンブールだった。
よかった、イスタンブールだけはアルファベットで書いてある。
さっそく2つのバス会社の窓口で、出発時間と料金の確認。結局料金は高いが早い時間に出発する方のバス会社に決定した。イスタンブールまでの道のりは10時間。いったいどちらの国でお昼ご飯時間になるのか、お昼時間になった時点でどちらの国の通貨をもっているべきか、英語がさっぱりと通じないのでお手上げである。
それでも、弾丸のように英語で聞いていたら、最初は無愛想だったバス会社の受付の姉ちゃんも、しまいには「いやー、わからないって」と苦笑いを見せてくれて、ブルガリア人っていうのは、無愛想だけどいじると結構可愛いところもあるなぁ、なんて感触も得たりした。
次に、観光案内所に向かう。事前にウィーンで知り合いから見せてもらったソフィアの市が発行している観光案内の冊子には、観光スポットの分量よりもカジノとエスコートクラブのちらしが多く、一体どんな街なんでしょうか?と疑問符でいっぱいになった。
教えてもらった観光案内所にたどり着くと工事中。仮の案内所の場所はどこにも示されていなかった。内部はとても近代的に美しく仕上げられる予定らしく、もうちょっと工事が終わりそうではあったが、まだ内装工事のビニールなどが貼られていて人影はなかった。案内所の入り口の左にデジタル案内板があり、タッチパネルでホテルやレストランが検索できるようにはなっていたが、どのレストランを検索しても同じ写真がでてくるし、商業的な案内以外の観光スポットの情報はなかった。やれやれ。
こうなったら適当に歩くしかない。繁華街から左に折れる別の大通りに入ってみた。
変わった形の教会があったりして、それなりに観光スポットらしい感じではある。
政府の建物らしき所では、時間が丁度14時になり、衛兵の交代が行われていた。
おお、観光っぽい、観光っぽい。
その先に進んでいくと左手にまたもや教会。
朝、国際バスターミナルで見たキリル文字、英語が話せないお姉ちゃん、街中のキリル文字の表示、そしてこの教会。
どう見ても、この国はロシアの影響を強く受けている国なんだなぁということが、一歩足を進める度に強く感じられてくる。
この先までいくともう何もなさそうだったので、折り返して繁華街の通りを左折してみた。
週末ということもあって、人通りは少なくない。
しかし、この国の首都のメインストリートだと思うと、建物の寂れ方、店の地味さ、ショーウィンドーの鄙びた陳列の仕方など、ああ、ブルガリアに都会を期待してはいけないんだなぁとしみじみと感じさせられた。
人々が賞賛する美しいブルガリアのイメージはソフィアにはない。
寒々しい通りにしつらえられたベンチに座り1時間もボーっと待ち行く人を見ていたが、それにも飽きたので宿に戻ろうとぼちぼちと歩き始めた。
いつもと違う道を通ろうと、大通りから数ブロック左に入り込んだ道を歩き始めると、途中からいきなり賑やかな展開になった。
おお?そう、ここはソフィアの台所ともいうべきマーケットなのだった。今までの寂しい街の雰囲気が嘘のように、ここでは野菜、果物、肉、惣菜などが所狭しと並び、安い店には行列ができ、そうでない店には閑古鳥がなき、子供が走り回り、おばちゃんと店のおじちゃんは真剣に値段交渉している。やっと人の息が感じられるソフィアを見ることができたのだった。
ここで新鮮な野菜などを買って宿に戻り、宿の人にこのマーケットのことを話すと、ジプシーが多くいてひったくりなどの犯罪がよく起こるので、とても勧められない場所だといわれた。ふーん、そうだったのか。まぁ、マーケットで観光客がひったくりや詐欺に合うのは、何もここに限ったことではない。幸いにも何の被害もなかったし、やっと生きているソフィアに出会えたことで、私はかなり満足した。
15日は、他の日本人宿泊者とおしゃべりでもしようかと、宿の別館(シスターズ・ハウス)に遊びに行った。中欧・東欧を多く周っている旅行者達は、南米の旅行者とはまた一味違った旅行者だと感じた。
これはハンガリーのブダペストでも感じたことなのだが、中米・南米をまわっている旅行者はもっとおしゃべりだった印象がある。全員が、というわけではないが、旅先でおこった失敗談から、宿の情報、危険情報などとにかく皆ワイワイ・ガヤガヤとしていたイメージがある。それに比べると、ブダペストとここソフィアで出会った人は寡黙かあるいは真剣に情報がほしいという人が多かった。つまり、我々のように「どんな人がいるかなぁ?」みたいなノリでヨーロッパの情報を持ち合わせていない人間には、あまり用がないって雰囲気だったのだ。あらあら。
考えてみると中米・南米に住んでいる人は、おしゃべり、陽気だが、いい加減な情報、時間も遅れがち。それでも南米にくる旅行者ってのは、そういう気質が気にならないか、むしろ好きなのかもしれない。一方、私の少ない経験から言えば、東欧は真面目で恥ずかしがりやの人が多い。一度言葉を交わせば厚い人情が感じられるのかもしれないが、表面的には物静かなイメージで、ここに集まっている日本人旅行者とだぶる。へー、面白い。言葉は多く交わせなかったが、交わさなかったからこそ、こうした違いを発見できた。
こうして2泊3日の滞在を経て、16日の朝、いよいよイスタンブールに向かうことになった。下見の結果、私の意見で国際バスターミナルまでは、徒歩でなく路面電車で行くことにした。大きな荷物を持って歩くには距離もあるし、道も悪いしね。
ってわけで、最寄の路面電車の停留所近くのブースでチケットを購入。相変わらず英語が通じず、ブースのおばちゃんは1日券を紹介しようとしているらしく、色々なチケットが説明されているパンフレットをよこしてきた。いやいや、一回券でいいから。そう言って一回券を買ったものの、先ほどのパンフレットを無理やり渡してくる。もう、この街を去るのだから必要ないのになぁと思いつつ、半分に折ってポケットにつっこんだ。
ヨーロッパの路面電車はチケットを購入して乗り込んだら、その日の日付と時刻を刻印する小さな機械にチケットを通すのが通常だ。車内をぐるりと見渡すが、そういう機械が見つからない。周りの人にゼスチャーで「ほら、これ、ガチャンって刻印するのはどこにあるのかしら?」と言ってみても、みんな知らんぷり。そうか、この国には刻印がないのか。と思い込んだのがいけなかった。
2つ目の停留所を過ぎるころ、前の方からチケット検査のおじさんがチェックしながらこちらに進んでくる。外国人と思しき在住青年がチケットを持っていなかったらしく、おじさんにヤイノヤイノ言われているが、何とかいいわけしてそのまま出口から走り去った。ちょっとそれじゃ甘いんじゃないのー?
そして私たちの番。チケットを見せると「刻印がない」と言う。え?やっぱり刻印必要だったのね。でも、刻印する場所がわからなかったし、もう今日ソフィアを出るし・・・とか言っても全然通じない。そのうち、検査のオヤジのそばには意地悪顔のおばはんも寄ってきて、二人して大きな声で追加料金を支払えみたいなことを言っている。
そのうち、周りの乗客も集まってきて、「刻印がないから駄目だ」みたいなことを口々に叫び、検査の2人を含め、全員が我々を取り囲んで非難しているらしかった。
この事態になって、とうとう検査おやじとおばはんは次の停留所で「警察にいくわよ」と私のスーツケースを引きずり下ろし始めた。なにー?周りの乗客も私たちの体を車外に押し出そうとする。自分が物凄い犯罪者になった気分だった。
路面電車を降りると、おやじとおばはんは、さっきチケット売り場で無理やり渡されたパンフレットと同じものをつきつけ「ここを読め」と言っている。読んでみると「刻印がない場合は、罰金」「下記の大きさ以上の荷物を持っている場合はもう1枚のチケットが必要。持っていない場合は罰金」と英語で書かれてあり、罰金額は一人7レバ(=US$4.49、\525)だった。
もうソフィアを出ると思っていた私たちはブルガリア通貨をぎりぎりしか持っておらず、あとはユーロコインだった。バスに乗る前にサンドイッチでも買おうかと小銭を残していたが、それでも足りない。あとはユーロコインしかないからとユーロコインを見せると、おばはんはユーロコインをサッと引っつかんで取ってしまった。ユーロコインとブルガリアコインはとても似ているデザインで、価値はブルガリアが半分である。
「あ、それはユーロコインだから、違うから、返して」と夫がおばはんの手をつかもうとすると、おばはんはつかまれた腕を反対方向に高くあげ、コインをつかんだ手のひらをギューッとにぎって開かない。
もう、後から考えるとコメディーの一場面としか思えないのだが、物凄く真剣に戦った。とにかく罰金を払い終わると、罰金払いました券を渡された。しかし、このチケットで再び路面電車に乗って、またもやいちゃもんつけられても困る。国際バスターミナルまであと一駅。我々は無言でターミナルをめざして歩き出した。
食欲と感情が太い線でまっすぐにつながっている夫にとって、最後のサンドイッチを買う金を全て巻き上げられてしまったという事実は怒り意外の何事でもない。「ちっくしょー、共産主義者め、貧乏人め」と呪いの言葉を吐いている。
私としても怒り心頭である。だいたい、窓口で大きな荷物を持っていたら「もう一枚チケットが必要です」っていうでしょう、普通。あと、外国人で様子がわからないなら、他の乗客が教えてくれるでしょ、普通。それから前の違反は見逃しておいて、何で私たちをあそこまで犯罪者扱いするのよ、人種差別主義者か、お前は。といいたいこと山盛りである。同時に、集団で取り囲んで人を非難するパワーの恐ろしさをまじまじと感じた。それがたとえ理不尽な内容の非難であっても、あんなに大勢の人に言われると多数が正しいように見えてしまうのも集団の怖さ。うわー、怖い、怖い。
それぞれの怒りを抱えながらじーっと二人でベンチに座ってバスの出発を待った。しばらくして、夫が「それにしても・・・」とようやく口を開いた。「それにしても、私は歩いてバスターミナルに行こうと思っていたんだ。それなのに、そっちが荷物が重いだの、歩くと疲れるだの言うから路面電車にしたらこの有様だ」。
おおおおおーーーっとぉ。何と今度怒りの矛先を私に向けているではないか。それはない。それはヒドイ。さっきまで一緒に戦ってきた同士だと思っていたのに、これから起こるだろう空腹を予想しただけで、その怒りの矛先をこちらに向けてくるのかぁぁぁ。ええ、ええ、路面電車に乗ろうと言ったのは私ですよ、私が全て悪いんですよ、あそこでパンフレットをもらって真剣に読まなかったのも私が悪いんです。そうやって人を非難して生きていけばいいのだ。とムカムカとこみ上げる怒りを私もぶつけた。
しーん。再び沈黙がやってきた。この後もバスの中で口を開けば、この失敗に関する反省ばかりが出てくる。誠に胸糞の悪い出来事だった。
この怒りが本当に沈下したのは、イスタンブールの日本人宿に落ち着いた晩だった。まだくすぶりを続ける怒りを、せめて笑える失敗談にして消火しようと、他の宿泊客の前でこのエピソードを語ったところ、「私もやられた」「私も罰金を支払わされた」という人が続出。ブルガリアだけでなく、チェコでも同じようなことがあり、彼らは一人5000円だと言われ、あまりの理不尽さに本当に警察にかけこんだ所、警察は話を聞いてから「でも規則ですので、支払ってください」と言われたそうだ。そうしたチケット検査は特に旅行者ターゲットでやってくることが多いらしいという話もあった。「国家ぐるみの計画的軽犯罪に近いですよねー。」「あの案内のなさは確信犯ですよねー。」と自分と同じ気持ちの人がたくさんいて、ここに至って我々の怒りは本当に沈下したのだった。この宿の宿泊者に本当に感謝。
ある意味において、旧東の体制を体験できたと思えばいい。そう思えるようになって、ぐっすりと眠れる夜が来たのだった。
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