|
|
|
|
2006.11.02 Vol.2
グリーンツアーGreen Tourに参加!
トルコ:ギョレメ |
|
11月2日の朝、パムッカレからの夜行バスでカッパドキアの観光の拠点となるギョレメ村に到着した私たちは、これからの天気が心配だった。
季節は冬にさしかかり、天気の崩れやすい時期にも入っていた。今日はどうみても晴天。眠い、疲れたといって今日という晴天の日を逃したら、後悔することになるかもしれない。
幸いにもバスの中で割合よく眠れたので、このままツアーにでかけても大丈夫そうな二人だった。到着してチェックイン早々に、宿の主人であるアレックスにグリーンツアーの手配をお願いした。ツアー手配してくれる会社はアンドロメダ・ツアーANDROMEDA
Tourという会社で、宿の名前と同じアンドロメダなので、何かつながりがあるのかとアレックスに聞いた所、ビジネスパートナーだという答えだった。でも別に割引があるってわけじゃない。客には別に特典のないつながりのようだった。
カッパドキアの見所研究でも書いたように、グリーンツアーはカッパドキア一体の中心の町であるネヴシェヒルから見て南西の地域を巡るツアーの総称だ。ツアー手配をお願いして1時間とたたない9時に出発することになった。ここに来る途中で囲いこまれそうになったRock
Townというツアー会社の催行するグリーンツアーとの内容比較をしてみたかったのだが、急な出発となりそれもままならず。まぁ、ギョレメに来た誰もがこのツアーに参加しているのだから、悪いことにはならないだろうという読みで参加することにした。価格はここに来る前に、既に訪れていた旅行者から得ていた情報どおりのTRY50(=US$33.78)。
ミニバスで客を拾って最初に向かったのは、ピジョンバレーという渓谷が見下ろせるビューポイント。左手にはウチヒサル城も見えている。
カッパドキアに到着して1時間くらいで、こんな景色を見せられて私たちの寝不足気味の頭は一気にアドレナリンが吹き出た。
ここら辺一帯は活火山によって全てを埋め尽くす高地となったのだが、長年の洪水と風化により、柔らかい砂岩が取り除かれて、硬い部分だけが残り、このような地形になったのだそうだ。
うぉー、カッパドキアが目の前にある。ソフトクリームのように滑らかな波を打ちながらも、硬そうな岩がクネクネとしながら朝日を一杯に浴びて、「ウェルカム、ウェルカム」と私たちを迎えてくれているように見えた。いやー、来ちゃいましたねー、カッパドキア。
ここからもうお土産の露天などが出ていたのだが、初めての見るカッパドキアの土産物屋で、ミニチュアカッパドキアがあるのが、かなり面白かった。
こーんなの買う奴いるー?何ていいながら見ていたが、後でツアーで一緒になった人の知り合いが、お土産に買ってきてほしいとリクエストしていると聞き、何が人の心を打つのか全くわからないねぇと再び感心してしまったグッズ。
ここで先ほどのRock Townからもらった地図を取り出し、ガイドさんに本日訪れる先を教えてもらうことにした。
@ピジョンバレーPigeonValleyとウチヒサル城の見えるビューポイント
AデリンクユDerinkuyu(地下都市見学)
Bイヒララ渓谷Ihlara Valleyを1時間トレッキング後、昼食
C映画スターウォーズで使われたかもしれない場所とセリメ教会Selime
DカラバンサライCaravanserai(かつての隊商宿泊所)
EアヴァノスAvanos(陶器が有名な村)で陶器作成実演と販売
FパシャヴァPasabag(英語でチムニーと呼ばれる煙突型の巨大岩)
Rock TownのグリーンツアーではEとFには行かない。こちらの方が同じ価格で2箇所多く周るので、今回のツアー選びはくしくも成功だったと言える。
さーて、お次はAデリンクユDerinkuyu(地下都市見学)だ。カッパドキアには200を超える地下都市が見つかっているのだが、中には危険のため入れないものも多く、入れるのは10%に過ぎないそうだ。その中で一番深い地下都市がこのデリンクユのものなのだそうだ。
古くは1万年前から人が住んでいたと言われる地下都市だが、その後ヒッタイトが住んだ形跡が残っており、最後に住んでいたのはギリシャ正教徒達だったそうだ。時代が進むにつれて、地下都市は上に下にと堀広げられ、デリンクユのものは25000平方キロあり1万人が住めるという説明だった。
入り口で入場料金はTRY10(=US$6.76)と書かれていたが、ツアーで入ると団体割引になるらしく(入場料金はツアー代金に含まれている)、受け取ったチケットにはTRY5と書かれていた。
階段を何段も下りて、どんどんと地下に入っていくと、途中から道がどんどんと分岐して、まるでアリの巣の中に迷い込んだように感じる。
ガイドさんなしで、ここに迷い込んでしまったら、果たして無事に帰ってこられるのだろうかと不安になるほど、道はあちこちに分岐して、途中に矢印などの帰り道がわかるヒントは少なかった。
後日、ツアーではなく個人的に地下都市に行ってきたという日本人旅行者に話を聞いた所、地下都市のある部屋に座ってじーっとしていたら、誰も他にお客さんはこないし、係員も見に来ないし、今夜はこのままここで宿泊できてしまうかもしれない、と本気で思ったそうだ。そのくらい、ちょっとほったらかしの所がカッパドキアの観光スポットには多い。ワイルドっちゅうか、危険の責任は個人100%っちゅうか。
内部には広間のようになった所や、教会のような作りなのでおそらくここで聖書についての勉強会が開かれていたのだろうと予測される部屋や、ワイン製作所と考えられている部屋もあった。確かに温度が一定な地下都市ではワイン作りに適しているだろう。ワイン製作所があるという部分は多いに納得した。
ほんの数十分の見学だったが、地上に出てまぶしい太陽の光を浴びた時、誰もが安堵の表情を浮かべた。地下都市というのは、自然の寒さから身を守るため、敵から身を守るため、密かに布教活動するためと、歴史の流れによって様々な目的で利用されてきたが、やっぱりあんまり人間の住むところではないなぁというのが、体験した感想だ。
だんだん晴れ間が多くなってきた青空の下、次の見所Bイヒララ渓谷Ihlara
Valleyに向かう。
道中はなだらかな畑が多く、いわゆるカッパドキア的な景色は見えなかった。はやりそうした風景の多くはギョレメ周辺にあるようだ。
イヒララ渓谷Ihlara Valleyは全長14kmに及ぶトレッキングコースを備えた渓谷だそうだが、このツアーで我々が歩くのは、その中の4kmだけ。
それを聞いてホッとしたのは夜行で到着した私たち。14km全部歩かないのかと非常にがっかりしていたのはフランス人カップルだった。フランス人というのは本当にトレッキング好きだ。
車は渓谷の上に到着するので、まず上から渓谷の風景を楽しんだ。
ここの侵食は、朝見たピジョンバレーとは又異なり、アコーディオンのように上から下まで割りと均一に削られているタイプの渓谷だった。
ここから階段で一気に40m下まで降りて、川沿いの散策路を1時間歩くのだそうだ。
下まで降りきって、これから進む道は左手に行くのだが、その前にちょっと右手にフレスコ画の残っている教会があるというので見学に行く。
フレスコ画は下地の漆喰が乾かないうちに上絵を手早く描いて、漆喰の乾燥と共に色が定着する画法。
フレスコはイタリア語のフレッシュの意で、下地の漆喰がフレッシュなうちに描くからこの名がつけられた、という夫の説明。きゃー、かっこいいわぁー。高校時代に美術部だった夫はこんな所で博学だった。
急いで描かなきゃいけなかったからというわけではなかろうが、描かれている人物は素人の私が見てもとても稚拙な絵で、ちょっとましな小学生なら、もっと上手く描けるだろうという、やや漫画チックな絵だった。でもま、トルコのこんな山奥に、フレスコ画が残っているのは確かに面白いことだ。
この教会を後に、私たちは渓谷を北へ北へと進むことになった。
先ほど上から見ていたアコーディオン岩には、くり貫いて住居や教会にした後があったり、足元には、落下したと思われる巨大な岩が転がっていたりで、上から見ていたのとは違って迫力のある風景が楽しめた。
散策路は始終、川沿いの道。降り注ぐ太陽の光を浴びて、川面が光り、木漏れ日がちらちらとする向こうにアコーディオン岩が見えたりする。
夜行で縮こまっていた体には、こうした適度な運動が丁度気持ちよかった。
1時間ほど歩くと、レストランのある所に到達。
ここでツアーに含まれているランチタイムとなった。メニューはサラダ、スープ、メイン、デザート。メインは鶏、牛、魚からのチョイスができる料理だった。
牛と言われた肉はラム、魚は白身のマス。鉄でできた厚い皿に肉か魚と野菜を入れて、イタリアのピザを焼くような釜に入れて一気に焼き上げる料理で、なかなかおいしかった。(詳しくは「本日の献立2006年11月2日昼」を参照)
散策してお昼ご飯も食べた後は、車で15分ほど離れたC映画スターウォーズで使われたかもしれない場所とセリメ教会Selimeの見学。
スターウォーズでスカイウォーカーとジャバが戦うシーンに、左の写真の山が使われたという話があるそうだが、ガイドさんは「私はスターウォーズを見たことがないので真偽のほどはわかりません」と逃げ、ツアーに参加した客たちは、そうだ、そうじゃないと口々に自分達の感想を述べ合っていた。
この山の手前にあるのがセリメ教会Selime。
大きな岩山をくり貫いて作った教会で、危険なため中に入ることはできないが、外からの形が面白い教会だった。
この教会、道路を挟んで目の前が小学校になっていた。お昼ごはんを食べたということもあり、ひとしきりスターウォーズの話で盛り上がり、教会も見てしまうと、皆の目は校庭でサッカーをする少年達にそそがれた。にわかに外国からのギャラリーを得て、少年達はいつも以上に張り切っているように見える姿が可愛らしかった。
「みなさーん、観光はこちらの教会ですから、こちらもしっかり見てくださいねー」とガイドさんにからかわれるほど、皆少年達に見入ってしまった。朝から大昔の建物や自然の造形ばかり見続けてきたので、現代を生きている人間に興味がいったということろだろうか。
次にここから車で20分、DカラバンサライCaravanserai(かつての隊商宿泊所)に到着。
トルコから以降、門や部屋の四つ角の上の方には、こうした三角形にくり貫いた装飾が特徴的で面白い。
カラバンサライはこの門をくぐると、回廊式の建物になっていて、真ん中にモスクを擁する形式になっていた。この後の国でもカラバンサライを見たが、やはり回廊式で真ん中にモスクのある形式。これが一つの様式になっているようだ。
この中央のモスクには階段がついていて中に入れる。建物の中には更に屋上に登れる階段もついていて、一番上まであがれるようになっていたので、上がってみた。このモスクや向かいの建物の上には、長年に渡って少しずつ運ばれた土が体積していて、そこにススキのような茶色い草がヒョロヒョロと生えて風になびいていた。一体こうなるまでに何年かかったのだろうか。その草を見て、急にこの建物の歴史を強く感じた一瞬だった。
入り口から入って、右手はオープンな廊下になっているのだが、左手は天井の高い屋内になっている。
アラブのシーンを描き出した映画などで、こうしたカラバンサライにアラビアンナイトのような格好をした男性がラクダに乗って登場する、というシーンを思い出させるような光景だった。
カラバンサライの見学を終えると、時刻は午後3時を回っていた。ここから陶器の村アヴァノスAvanosまでは車で40分かかるということで、朝から動き回りのツアー客は、ここで一斉に静かに昼寝状態になった。
EアヴァノスAvanos(陶器が有名な村)では、まっすぐに陶器実演と販売の店に連れて行かれた。ガイドさんに事前に「買う義務はないですから」と言われていたが、こんな所まで自由旅行で来てこのツアーに参加しているような人は、そんなことは先刻承知の輔だった。
実演が終了して、販売の部屋に連れて行かれると、日本人には日本語のできる店員が、チリ人にはスペイン語のできる店員が、と各国語が話せる店員を取り揃えているという徹底振りに驚いた。もしかしたら、アヴァノスの語学レベルはトルコのどこよりも高いんじゃぁないかと思えるほどだった。
私たちについてくれた大学生のアルバイト店員は、陶器はこの辺りで出土する粘土を使った土物なのだが、日本の有田焼などと比べると高い温度で焼いているので、軽くて丈夫なのだという説明をとても流暢な日本語で話してくれた。「へー、図柄もかなり枯れていていいですねぇ」というと、「枯れている、とはどういう意味ですか?」ってことから、枯れているという言葉の説明大会が始まってしまった。お陰で、商品を売りつけられることなく、ずーっと「枯れている」の説明で時間を終了。「じゃ、日本語の勉強頑張ってね」「ありがとうございます」という気持ちの良い別れ方をすることができた。
アヴァノス村から来るまですぐの所にあるパシャバPasabaが今日の最後の見所。ここは夕方訪れるのが定番になっているらしい。午後4時40分。夕闇はどんどんと迫っている中、大急ぎでパシャバの観光。
ここは円錐形に残った大きな岩の上に、硬い岩が帽子のようにのっかっている岩が有名な所で、このチムニー(煙突)岩が寄せ集まった所をくり貫いて教会になっていて入れる場所もある。
また、3本のチムニーが並んでいる岩は、よく絵葉書やポスターにも使われているそうで、カッパドキアの代表的なイメージの一つともいえる岩だそうだ。
こうして、ここで今日のツアーは終了。ここからギョレメまで車で30分もかからないだろう。カッパドキアというと、最初に見たピジョンバレーや最後に見たチムニー岩ばかりを想像していたのだが、今日のグリーンツアーでは、その他の色々な見所を含んでいて、満遍なく楽しめる内容になっていた。
どうしても自分の足で周りたいというなら別だが、これだけ広範囲の見所を周って、昼食とガイドも付いているのでグリーンツアーのコストパフォーマンスは悪くない。つい2週間前まで均一TRY35(=US$23.64)だったということを聞いてしまっていたものの、この値段はトルコの他のツアー価格と比較してコストパフォーマンスのいい内容だと思う。
|
|
|
|