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2006.11.23
徒歩で周れるアンマンの市内観光
ヨルダン:アンマン |
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シリアの首都ダマスカスからヨルダンの首都アンマンにやってきた。
シリアのパルミラ遺跡で出会ったヨルダン人の女性は黒尽くめの衣装のシリア人の友人と比べると、華やかな色のスカーフをしている女性と、全く先進国と同じレベルのファッションをしている女性だった。この印象から、ヨルダンはシリアよりも発達しているイスラム社会なのだろうかと、その違いが興味深かった。
町の建物は相変わらずモノトーンで、女性はモスリムの黒装束ないしはスカーフをまとっている人が多い。歩道と車道の段差は相変わらず大きく、信号があるのかないのか、車の隙間を縫って道路を渡らなきゃならない。立ち並ぶ商店がシリアよりも若干近代的になっているかなぁというくらいの違いしかない。
しかし、ここはダマスカスと比べると人種構成が違う。これはヨルダンというよりもアンマンに特異な現象だと思うが、ヨルダン人の他にイラク人、パレスチナ人が多いのだ。特にパレスチナ人は40年代後半から60年代後半のイスラエルとの戦争中に多くアンマンに逃れてきて、今ではアンマンの住民の7割近くがパレスチナ人だとガイドブックに書かれていた。
確かに到着してすぐに拾ったタクシーの運転手も、訪ねた宿で働くサーメル君という日本人バックパッカーに大人気の男性もパレスチナ人であった。日本人バックパッカーに人気の安い食堂はイラク料理を出す店で当然イラク人だらけであった。私たちが接する所にこうした人種が多いということは、こういう人たちはこの社会の底辺で抑圧されているということも言える。あー、つまりお金使っていない旅行しているからね、私たち。どこの国にいってもその国の中級以下の人たちとお付き合いする機会が多いってわけ。
今日1日アンマンの観光スポットと言われる場所を歩き周ったけれど、こういう現実っていうのは観光スポットからは全く見えてこない。旅というのは観光スポットを周っただけじゃ感じないことが多いってことが実感できるという意味ではアンマンの市内観光はする意味はあったと言える。
観光スポット?一応行ったけど印象にあまり残らない。折角行ったので、駆け足で写真を紹介しますけどね。
見所はほとんどダウンタウンにある。まず、宿から徒歩10分もしない所にはキング・フセイン・モスク。
シリアではどんな人でも入ることはできたのに、ヨルダンのモスクはモスリムの人しか入ることができないので外側からの写真だけ。
この周囲には貴金属の商店や土産物屋や安宿や食堂などが並んでいて、にぎやかな所ではあるが下町っぽいやや古めかしい所だった。
キング・フセイン・モスクからローマ劇場に向かう途中に、ニンファエウムという噴水跡がある。
入場は無料なのだが、裏側はがっちりと塀で囲っていて、入り口には係員みたいなおじさんがいる。
中は修復の途中らしく、足場が組まれている部分もある。いずれ修復が終了したら料金が発生しそうな予感がした。見学していたら、小屋の中のおじさんが立ち上がってこちらに向かってこようとしているではないか。まさか、入場料金を請求されるのではないか?にわかに恐怖に襲われた私たちは、そそくさとこの噴水跡を立ち去ったのだった。
ローマ劇場も入場無料。両脇にあるヨルダン伝統文化博物館とヨルダン・フォルクローレ博物館は有料。とガイドブックに書かれていた。フォルクローレは面白そうなので、劇場とフォルクローレにはお金を払って入ろうと思っていた。
ところが、ローマ劇場の入り口におっさんが立っていて「チケットを買って来い」と劇場入り口の向かいの小屋を指差す。おっかしーなー。入場料が発生するようになったのだろうか?
チケットは一人1JD(=US$1.41)。このチケットを劇場入り口のおっさんに差し出すと、よしよしというようにうなずき、「このチケットでローマ劇場と左右の博物館を見てよし」と説明してくれた。
つまり劇場と2つの博物館は全部で1JDというチケットになっているようだった。まぁ金額もたいしたことがないし、ローマ劇場の後に博物館の両方見ることにした。
思った通り、フォルクローレ博物館ではヨルダン周辺の女性の民族衣装が豊富に飾られていて、これは面白かった。ヨーロッパではあまり見かけない、黒を部分的に効かせ色として使っているのがベドウィン的というか中東的な特徴で、着物のように巻きつけるスタイルや、下がバルーンになっているスタイル、刺繍、色彩などパターンも様々で楽しめた。
博物館の係員はとても愛想が良く、気が向くと何か説明してくれたが、大概は入り口でお茶を飲みながら同僚とのおしゃべりに夢中。存分に写真を撮らせてもらうことができた。いい博物館だ。
ローマ劇場、2つの博物館を見てしまうと、残りの見所は丘の上のアンマン城を残すだけとなる。私たちはローマ劇場を背にして左前方に続く坂道を探しては上っていったが、それではアンマン城の入り口とは逆方向に行ってしまう。結局アンマン城の周りをグルッと反時計周りに周ってやっと入り口にたどり着いた。
そうではなく、ローマ劇場からアンマン城に行くには、ローマ劇場を背にして真正面の斜面に立っている建物と建物の間の狭い階段を登っていくのが一番の近道なのだ。私道のようで、このままどこかのお宅に入ってしまうのではないか、と思うような道を歩くのが実は正解。
アンマン城は丘の上のだだっ広い遺跡だった。
さっき丘の下の博物館では、ベドウィン(羊などを飼うために草原を移動しながら暮らす放牧の民)の衣装を見たり、妖しげなアラビアンナイトというイメージの頭飾りを楽しんだり、中東的な雰囲気がまだ頭の中に残っているにもかかわらず、遺跡となるとローマ劇場やこの要塞に残っているローマ時代的な柱や柱頭飾りになる。
アンマン城からはアンマンの市街地がよく見える。7つの丘にびっしりと
家屋が立ち並ぶといわれるアンマンはずーっと奥まで町が続いていた。 |
例えば日本ならば、博物館では浮世絵やら着物やらを見て、建築物というと神社仏閣や城を見るというように、時代の流れはあるものの連なる流れの中で文化や歴史に触れることになるだろう。
しかし、ここは一度時代の為政者が変わると、ガラッと異なる文化が前の文化を塗りつぶしていくのだ。全くテイストの異なる文化が博物館として遺跡として共存している。整理しながら見ていないと頭の中がゴチャゴチャになってくるのだ。これがヨルダンなのだ。地理的に色々な為政者に蹂躙されまくった歴史。これが垣間見えるアンマンの観光スポットだった。
パッと見ただけでは印象に残っていないと思っていたが、つなぎ合わせて思い返してみると、このゴチャゴチャぶりがアンマンっていうことになるんだろうなぁ。
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