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2006.11.24
ついに死海に浮かぶ
ヨルダン:アンマン |
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アンマンといえば死海。死海ですよ、死海。あの何もしなくてもプカプカと浮かぶ湖の写真を見てから一度は行ってみたいと誰しもが思う死海。
日本から短期の旅行をしていた頃は、数ヶ月前から旅を計画して、旅行会社に予約して、ガイドブックを読んで、それはそれは楽しみにしてから現地に訪れるのが常だった。
ところがこの旅行と来たら、次に行く場所の手配とか、着いたら着いたで宿の手配とか、現地人との細かい戦いとか、とにかくやることがいっぱい。で、気がついたら、「そうだ、私は死海の近くに来てるんだっけ」ってな具合で、行く直前から興奮が始まるのが常となっている。
今回の死海行きも、突然だった。アンマンにいる限りは死海に行くだろうなぁ。さてどうやって行くのかなぁなんてのんびりと考えていたら、ここに来る前に一緒の宿にいたことのある日本人旅行者数人が宿に現れ、あっという間に「それじゃぁ、明日行きましょう」っていう話になって、簡単に行けることになってしまった。急に死海が目の前に迫ってきたのである。
アンマンから死海へ公共の交通機関を使って行こうとすると、途中までしかいけない。その後はタクシーを使うかヒッチハイクすることになるだろう。ところが人数が集まれば、7〜8人乗れるミニバスを貸しきって、運転手さんに現地で3〜4時間待機してもらって帰ってくるという個人ツアーを組むことができる。
しかも、私たちが宿泊しているクリフ・ホテルには日本人日本人旅行者の間でかなり有名なスタッフのサーメル君がいて、こういう希望者に対して知り合いのドライバーを一人5JD(=US$7.04)でアレンジしてくれるのだ。それ故、アレンジをお願いしに他の宿に宿泊している旅行者もここを訪れるのだった。
偶然にも見知った顔の日本人がアレンジに来たのに遭遇して、私たちもそれに混ぜてもらえることになったというわけである。
通常のツアーでは現地滞在は約2時間。午後2時に出て3時に到着し、夕日を見て午後5時に現地を出る。ところが今は冬。午後3時からでは寒くて死海に入れないんじゃないか、しかし夕日は見たいし。
ということで12時に現地に到着して、泳いで夕日を見て帰ってくるという長い滞在に変更できないか聞いてもらった。ちょっとサーメル君と認識の違いがあって、12時出発で夕日を見て帰ってくる、料金は変更なしの一人5JDということで話がまとまった。私たちが増えて総勢9人になったというのもあるだろう。
さて、翌日12時に約束通りにミニバスが迎えに来てくれた。最初の予定通り日本人7人、韓国人2人に加えて、フランス人男性1人も入って来たバスはぎゅうぎゅうである。大丈夫か?
アンマン市街地から一度丘を越えると、車はどんどんと坂道を下っていった。海抜マイナス300メートル以下まで下がる。坂を下るに従って、気温は上昇していっているようだった。
快適な旅に思えたのだが、途中で検閲を行っている警官に車を停められ、人数オーバーの乗車が見つかってしまった。
ドライバーは罰金10JD(約US$ 14)を支払うように言われたのだが手持ちの金がないと、私たちに10JDの前払いを要求してきた。これに対して、「絶対に信用できない。人数オーバーしたのはお前の責任なのだから、お前が何とかしろ」という強硬派が猛烈に反対。それは正しい理論だ。
しかし、ドライバーは本当に金がないらしく、財布を見せて懇願している。その様子を見た韓国人男性が、他の日本人が「払ったらいかん」という中、「俺の責任で払うから。問題があったら俺が持つから、それでいいだろっ!」と半ばけんか腰になりながら10JDを支払った。
この乗客同士の喧嘩状態があったせいか、罰金はドライバー持ちとなり、10JDを立て替えた韓国人は後で乗車料金を請求されることはなかった。
この場面、韓国人が圧倒的にカッコいい。大人的判断だ。しかし、最初からすんなりと支払わずに猛烈に反対する人たちがいたからこそ、ドライバーは罰金を私たちに支払わせる気持ちを失ったのだろう。まぁ、罰金を支払ってもいつもより多くの人を乗せているので、ドライバーに実質的な損失はない。
さてこんな小さな事件もあったので、死海に到着したのは午後1時40分をまわっていた。
入り口で各々入場券JD5(=US$7.04)を支払ってビーチに入った。
教科書に掲載されていた死海の写真といったら、水にぷっかり浮かぶ人間の姿だけ。
その水の青さ、塩分が多いという説明からだけで、私は死海ってのは青い水が満々と漂っていて、ビーチは白い塩の浜になっているに違いない。そこには、世界各国から死海を訪ねてきた観光客が集い、ワインやビールを傾けられる洒落たカフェもあるに違いない、と勝手に想像を膨らませていた。
ところが、実際の死海のビーチは、そんな洒落た所というよりは、千葉県九十九里浜のビーチ、しかも鄙びてあまり人も来ないくらいのビーチに近い。死海の泥や塩で作られた石鹸やパックの製品を売る店や、ちょっとした飲み物を売る売店などはあるが、洒落たカフェなんてのはない。もちろんイスラム圏なのだから酒は置いていない。
所々に、やしの葉でできたパラソルが立っているのは、ヨルダンとしてはよく出来ていると褒められる点ではあるが、場違いな感じで遠くに小さな観覧車があり、砂浜は赤っぽい。
そして、水は、水は・・・・。青くない。
しかも、泥パックが「売り」なくらいだから、岸辺は灰色の泥になっていて、そこには泥を塗りたくってご満悦のアラブ人のおっさんが大量に座っていた。
ヨルダンの例に漏れず、ビーチのあちこちにはお菓子の袋なんかが散乱していて、それらは水際の泥の中にも見られた。
あーあー。がっかり。私の小学生の時からの死海のイメージは完全に間違っていたのだった。いや、あるいはあの写真はイスラエル側のビーチで撮影したのかもしれない。いずれにせよ、ヨルダン側の死海ビーチはもっと鄙びていて、ローカルな雰囲気だった。
想像と違う雰囲気には一時がっかりしたが、死海の目玉は別に雰囲気じゃない。浮かぶかどうかの問題だ。
我々は早速岸辺近くに陣取り、ビニールシートを広げ、荷物を置いて着替え始めた。
問題は、今日は金曜日だってことだった。アラブ社会の週末なのである。平日にここを訪れた旅行者からアラブ系の人はいなかった、外国人ばかりだったと聞いて、ビキニで死海に入ることを想定してきた私たちは、このアラブ人だらけのビーチを見て、一体どうしたものかと悩んでしまった。むむむ。着替えている時から、すでに突き刺さるような視線を四方から感じる。
ということで、急遽パレオを巻いてパレオのまま水に入るしかないと判断した。
パレオ姿になって近寄ってきたのは、またもや全身真っ黒の女性。身振り手振りでどうやら私と写真を撮りたいと言っているらしかった。
先方から言ってきてくれるんなら、こっちも願ったりだ。私も一緒に写真を撮らせてもらった。
パルミラ遺跡で出会った女性もそうだったが、この手の真っ黒尽くしの人を見ると近寄り難いのだが、言葉を交わしてみるといたって普通の女性。「じゃぁ、旦那さんと楽しんでねー」と手を振ると、彼女も「バイバーイ」と真っ黒なまま手を振って去っていった。こんなのは、ここじゃなきゃできない。これは小学生の私には想像できなかった、楽しい死海の体験だった。
さ、いよいよ死海に入る。
ほっほほー。浮かぶ、浮かぶ。物凄い浮力だ。メンバーに気の利く人がいて、雑誌を持ってきてくれていたので、「死海で雑誌を読む」っていうやらせ写真を撮ることができた。
岸から数メートル離れると、足がつかない程深くなっている。絶対に沈まないとわかると、足がつかなくても平気、平気。どんどん岸から離れることができるのだ。
ただし、浮力が強すぎるので普通のうつぶせで泳ごうとすると転覆して仰向けになりそうになる。仰向けのままバタフライのように足で蹴って、手をオールにして後ろに進むのが一番効果的だった。
因みに、転覆しそうになった時に、うっかりと死海の水を口に含んでしまった。しょっぱいというよりは、苦味が口に広がった。死海には大量の塩分以外に鉱物が含まれているらしい。ここに魚を放つと5分と生きていられない。それ故に死海と呼ばれているのだそうだ。生きられない原因は塩分というよりは、この鉱物のせいじゃないかなぁ。
で、シリアに入ってからずーっと下痢気味だった私は、この死海でちょっと水を飲んじゃってから下痢が納まってしまった。お、おそるべし死海のパワー。たくさん飲んだら私自身までやられちゃう所だったろう。
こうして沖に出ると、水は岸辺よりも透明度が増し、水が厚くなった分エメラルドグリーンに美しく見えるようになってきた。
そーっと足を下ろしてみると、立った状態でも肩が出る。
この肩が出た状態で、普通に歩いてみると、水の中を歩いて進めるのだった。「おおおー、水中歩いているよー」。この発見に私たちは大騒ぎ。「歩ける、歩ける、歩いてここまま対岸のイスラエルまで行けちゃう〜」。
本当にそんな感じだった。しかし実際には、あまり沖に行くと岸辺をパトロールしている警察官に笛を吹かれて戻される。ここはリゾートであり国境なのだ。
こうして死海で漂っているうちに、今朝無駄毛の処理をしたスネがヒリヒリと痛み始めた。そのうち、腕やら腹もヒリヒリ。おお、もう限界だ。水からあがって、シャワーに駆け込み真水で洗い流すとヒリヒリは納まった。死海に入る場合、傷口があるとかなり沁みると聞いていたが無駄毛の処理も皮膚に傷を作っているってことをすっかり忘れてた。女性の皆さん、死海に入る時の無駄毛の処理は数日前に済ませておきましょう。
ビキニの上からパレオを巻いていたが、今は水に濡れて下のビキニが透けて見える状態。これが、アラブ人男性の好色な興奮を誘ってしまったらしい。「すみません、ちょっと一緒に写真を撮ってもらえますか?」と一人のアラブ人が近寄ってきた。
「いや、私には夫がありますから」と向こうにいる夫に手を振ると、夫も愛想良く手を振り替えしてきた。いや、そうじゃなくて、ここは一つ「うちの女房に何するんだー」と、ノーと言ってくれないと・・・。
お陰で旦那から許可が出たと思ったアラブ人は、私にメガネをはずしてくれだの、もうちょっと右を向けだの言いたい放題だ。そうこうするうちに、私も、私も、とアラブ人のおっさんが近寄ってきて5人くらいと写真を撮る羽目になった。我々の社会でいったら、裸に布を巻きつけている金髪の女性くらいのインパクトになるのだろうか。「多少年はとってぶさいくでも、金髪で裸だし」みたいな。とにかく、人生の中で一番モテモテの瞬間を味わうことになった。これも小学生の時には想像しなかった出来事だった。
体がすっかり乾いた頃に、再び死海に潜入。20分くらいずつ2回入ったが、それ以上は肌が受け付けない気がして、水浴は終了した。
ビーチの岸から離れた所には大きな滑り台や公園遊具もあり、のんびりとしたイスラム社会の休日を観察することができた。
泥パック親子。 |
子供にかこつけて滑り台を楽しむお父さんも多かった。 |
今日のメンバーで記念撮影をしてしまうと、あとは夕日を待つばかりとなった。そういや、このフランス人の兄ちゃん。彼女を作ると、結婚したいとか子供が欲しいとか面倒くさいので彼女はいない、とか言っちゃって独特の価値観の持ち主で話も面白かったなぁ。こうして見ると学生時代のヒトコマみたいだ。いくつになっても青春体験ってのはできるもんなのね。因みに私は撮影しているので写真にはおりません。
午後4時頃から太陽はその光線をオレンジ色に変えていった。きらめく死海の海面には、太陽までの光の道が見える。雲があって完璧な日没ではないが、その分雲に当たる夕日が美しい、そんな夕刻の風景だった。
刻々と変わる死海と空と太陽の風景を、みんな無言で見つめながら今日一日を反芻していた。やがてドライバーとの約束の時間。待ち合わせ場所でドライバーと落ち合い、5時に出発してアンマンの戻ったのが6時ちょっと前だった。一人ずつ乗車料金を支払ってツアーは終了。冬のこの時期でも、今日は風がなかったので水泳を楽しめた。ヨルダン側の死海は満喫。次回はイスラエル側にも行ってみたい。そこには私が小学生の時に見た写真が・・・(まだ諦められない)。
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