|
|
|
|
2006.11.26 Vol.2
ぺトラ遺跡(第一日目午後編)
ヨルダン:ワディ・ムーサ |
|
午後の失敗は、エド・ディルから山を降りずに犠牲祭壇へ向かおうとした所から始まった。
ペトラ遺跡の案内でもらった地図には、そんな道は掲載されていないが、現地で入手した別の地図には細いながら線が引いてあり、行けそうな感じで書かれていた。
「苦労してここまで登って来たのに、再び同じ道を降りて犠牲祭壇の山を登らなきゃならないなんて、時間と労力の無駄だよね」と理路整然と述べる夫を「素敵!」と眺めながらも、一抹の不安がなかったわけではない。いや、不安は多いにあった。地図に書かれていない道を行くなんて・・・。
地図でいうと緑色の点々になっている部分である。その方向に向かって歩いてみると、何となく道になっているのが説得力があった。「時間はあるし、駄目だったら戻ってくればいい」と自分達を励ましながら先に進んだ。
しかし道は、斜面に作られた畑のようなのどかな平面を岩山伝いに左折した途端に、崖っぷちみたいになってしまった。
写真撮るよーって言われても、ちょっと腰が引けたポーズになってしまうくらいに、道幅は狭い。
崖の途中にわずかにできた窪みを道だといえば言えなくもない。
確かに途中にペットボトルなども見つかり、人があるいた足跡もある。だからもう少し行けるのではないかと進んでしまった。
なかなかハードな道のりだった。
岩に沿って横縞になった溝を見間違えると、途中から道がなくなるので、引き返して別の溝を歩く。
大きな岩の間を乗り越えて・・・。
いつしか私たちはどこが安全の基準かよくわからなくなっていたのかもしれない。行ける、行けるという思いが、もうここまで来たら行かなくっちゃという思いになっていき、何だか夢中で岩を乗り越え、溝を探して歩いていた。
谷あいの斜面を進んで行くと、山に沿ってぐるーっと周っていくことになる。やがて正面には午前中に登ったお墓の群れのある丘が見えた。おおお、筋はあっている。方角は正しい。しかーーーーーし。これ以上は道がなかった。もう限界でーす。
あーあ、残念でした。でもまぁ、この景色はなかなか見られないだろうから来た甲斐はあったが、それにしても正気を失ってひょいひょい来てしまった道を、正気で戻るのは辛かった。こんなに激しい斜面を下ったっけ?という所が何箇所もあり、それでも乗り越えないと帰れない。二人とも無言でモクモクと歩くしかなかった。
ということで迷走してモナストリーまで戻ってきたら1時間が経過していた。それにしても帰ってこられてよかった。
時刻は午後2時近く。気を取り直して、もと来た道をレストランまで引き返すことにした。
登ってくる時はあまり振り返る余裕もなかったが、こうして見るとずーっと先まで見渡せる素晴らしい景色。さっき私たちが回っていって挫折した岩山の左側を今歩いていることになる。
レストランまで戻って、今度はそこから右手に地図でいうと25番のある道をたどってみることにした。
先ほど挫折した時に、眼下にフェンスで囲まれた畑が見えていたのだが、その畑まではたどり着くことができた。
写真でいうと陽の当たっている岩山のどこかまで私たちはたどり着き、下の畑を見ていたはず。改めて下から見上げてみるが、やはり崖を降りるすべはなかった。
この先には遺跡があって、道があるはずなのだが、この道も途中から藪に囲まれて消えてしまっていた。翌日犠牲祭壇まで別のルートで上がった時に、上にいるローカルに聞いた所、やはりこの道はないということだった。
これだけ有名な遺跡なので、もう少し案内の看板などを立てて、トレッキングコースをわかりやすくしてくれてもよさそうなものなのになぁ。
私たちが道なき道に突き進んでいくのを、地元の子供が見ていたらしい。途中からロバを引き連れて追いかけてきた。私たちが引き返そうとすると、待っていましたとばかりに、「マダーム、ロバに乗ったら楽だよー」と声をかけてくるのが小憎らしい。「いらない、いらない」といい続け、あげくには「ファッキング!」と罵声を浴た後、子供たちは去っていった。
ああ、これが悪名高きブドゥール族かぁ。
ペトラ遺跡が観光地となる前、ここにはブドゥール族といわれる部族が暮らしていた。ここが観光地となるにあたり、彼らは政府からペトラ遺跡の外の丘に移住するように強制され、今は政府が建てた住宅に暮らし、ペトラ遺跡内での観光業をすることで生計を立てていると聞いた。このブドゥール族に関する悪評が多い。
さりげなく声をかけてきて、安い値段でロバやラクダに乗せると言っておきながら、いざ乗ると高い値段を支払うまで動物からおろしてくれないとか、若い女性旅行者は人気のない所で襲われそうになったとか、そして私が言われたように客引きに応じないと罵声を浴びせかけるとか。
トルコのイスタンブールからずっと、客引きに応じないと態度を豹変させる人には慣れてきているので、別にどーってことはないのだが、愉快な体験ではない。
この道からレストランに戻るのにも30分くらいのロス。体力のダメージから、今日はもうここで断念して、ゆるゆると帰ることにした。
お墓の群れが見えてきた。ここは明日もう一度ゆっくりと見ることにしよう。丁度ラクダに乗っている人が通りかかり、ペトラらしい風景だ。
午後4時近くにエル・ハズネ門通過。この時間くらいから戻る人が多い。
ペトラ遺跡は午後5時に閉門する。エル・ハズネ門から入り口まで1時間だと考える人が多いのだろう。
朝、この岩の隙間からエル・ハズネ門を初めて見た興奮を思い出しつつ、振り返り、振り返り、門を後にした。
そしてシーク。両側を切り立つ岩山に挟まれた不思議な道。
ここも陽の加減によって、岩の表面が朝とはまた違う表情になっていた。
1日の散策で疲れた人、短い時間で観光する裕福でお年寄りの白人団体観光客などを乗せた場所が、ガラガラと我々徒歩組みを追い越していく。これも夕方ならではの風景だろう。
入り口までもう少しという所の午後4時25分。山の向こうに太陽が落ちていった。
よく歩いた日はいつもそうなのだが、疲れとともに充足感が体中に広がる。いやー、楽しかった。
さて、明日は今日たどり着けなかった犠牲祭壇と、エル・ハズネ門を上から見下ろすポイントまでのトレッキング。明日も満足な1日になりそうだ。
|
|
|
|