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2006.11.27
ぺトラ遺跡(第二日目)
ヨルダン:ワディ・ムーサ |
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今日はペトラ遺跡の二日目。
入場料金が1日券21JDに対して、2日券は26JD(=US$36.62)。差額5JD(=US$7.04)なのだ。
今度いつくるかわからない、いやもう一生来ないかもしれないペトラ遺跡。この際、徹底的に見ておきましょうということで、2日券を購入したのだ。
昨日は緑色の線を歩いた。今日の目標は黄色の線。入り口からエル・ハズネ門までは同じなのだが、その先、右手のお墓の群れを左方向に回り込んで丘をあがり、エル・ハズネ門を上から見る。
お墓の群れに戻ってきたあとは、向かい側のローマ劇場のあたりから、今度は犠牲祭壇のある丘に登る。
今日も6時半頃に起床。宿が出してくれる朝7時の送迎車サービスでペトラにご機嫌に到着したのが、午前7時10分くらい。
ここからシークを楽しみながらエル・ハズネ門に到着したのが7時45分だった。昨日は1時間もかかったのに、今日はさくさくと歩いてきたら30分くらいで到着してしまった。そうか、そんな距離だったのか。昨日は随分と時間をかけてここまでやってきたものだ。
エル・ハズネ門から右手の道を進むと右にお墓の群れが並ぶ丘になる。
今日はまずここから。8時前はブドゥール族のお土産物屋のおばちゃんも出勤していなくて、とても静かなお墓の群れ。
エル・ハズネ門やエド・ディルに比べると損壊したり(地震があった時に崩れたのか?)、年月による崩壊があるのだが、マンションのように墓が並んでいるのは見ごたえがある。
この墓の群れを左に向かって歩いていくと、墓が途切れた所に右へと上がる階段がある。
日本人宿で見つけた情報ノートによると、
・「ガイドを連れて登ってください」という看板から階段が始まっている
・階段を登っている途中に壊れた門がある
・ひたすら階段をクネクネと登って峠の頂上まで出る。
・あとは谷沿いに下っていき、エル・ハズネ門の前まで出る。(勘を頼りに)
と、書かれていた。勘を頼りにってところがやや不安だったが、とにかく「ここから先はガイドをつけないとやや危険。何があってもしりませんぞ」という看板は発見した。
ここだここだ。
階段の始まりには、壊れかけた門があった。思ったよりもずっと大きな石の門で、この石が両脇を固める短い廊下は鳴き龍になっている。廊下の中央付近でパチンを両手を合わせると、うわわわわーんという反響が楽しめるのだ。
鳴き龍ポイントを過ぎると、階段は岩山を回り込むようにして、どんどん、どんどんと登っていった。
とうとうお墓の群れの真裏に来てからも、更に更に階段は上へと続いていった。
昨日もかなり歩いたが、今日もハードになりそうな予感。一体、この階段はどこまで続くのだろうか?
それでも10分も階段を登り続けると、やがてグルリと岩山を一周してお墓の群れの丁度真上の部分に出てくる。たった10分登っただけだが、ぐんと視点が上がった風景が楽しい。ここから更に10分。階段が始まって25分くらいで峠の頂上に到着した。思ったよりも早い。
左手にローマ劇場、右手手前から奥に向けては、モナストリーへの道が続く。ここまで階段を上がってくると、岩山を抜けてくる風が心地よく額にあたる。ふー、まずは第一峠の登頂に成功。
しかし目的地は、ここから更に峠をやや下った所にある。しかも、ここからは勘を頼りにしなければいけない。
上から見たローマ劇場の位置から考えると、エル・ハズネ門は写真の景色に向かって左斜め後ろになる。
左斜め後ろには、岩山と岩山に挟まれた谷のような道が続いていた。
おそらくこれだろう。
今まで眼下の景色を見下ろしながら、遠い所から吹いてくる強い風にあおられながらここまで登ってきた。
しかし、谷間の道に入ると、岩山が強い風をブロックして驚くほど穏やかな空気に変わる。
頭の中に「風の谷のナウシカ」が浮かぶ。
強い風を避けて、岩山の谷間に暮らす人々(この谷には人は暮らしていないがイメージ的に)。岩山の外側では強すぎる風も、この谷では穏やかになり、水の少ない環境ながら可憐な花が花弁を穏やかに揺らしている。
「ほほほ、風の谷のナウシカよー!」と谷を駆け下る私をあきれたように夫が後からついてきていた。しかし、気分はいい。
この谷を降りきった先が、再び上り坂になってしまっていた。むむむ。ここまでいい調子で来ていたのに、再び誤った道に来てしまったのだろうか?と思う瞬間、エル・ハズネの片鱗が右手の崖の下にちらと見えた。
見つけた!更に良く見える位置がもう少し先にあった。谷の坂を降りきると、大きな岩が右手に並んでいるのだが、その岩をちょい乗り越えた所からみるとばっちりだ。あまり前に進むと、ガガガガガーと岩が崩れでもしそうな雰囲気もあるので、慎重に慎重に。
時刻は、期待通り昨日下で見たのと同じ時間の9時15分。丁度エル・ハズネの朝日が当たり、この岩の特徴であるローズ色を美しく照らす時間だ。
下には小さなゴマ粒のようなラクダや人が動き回っていて、当然ながら誰もこちらを見上げている人はいない。
おおい、と下に呼びかけたい気持ちと、誰にも知られずに高みから見物している快感とが入り混じる。一人きりでここに来ていたら逆に孤独感が増してしまうかもしれない風景だった。
それにしてもエル・ハズネ。下から見ている時は、そんなに大きな岩にくり貫かれいるとは思わなかったが、こうして上から見ると、あの大きな門さえも岩山の下から3分の1にすぎないことがわかる。あの大きな霊廟の建物を下で感じ、それよりも自然の岩山が更に大きいことを上で知る。「自然にゃぁ勝てないねぇ」とそんな気持ちが沸き起こってくるのだった。
ここで朝食。
この先は更に少し下るがすぐに崖っぷちになって行き止まり。
上から見るエル・ハズネを堪能して、次の峠登頂を目指して、ひとまずここは下ることにした。
といっても、ひとまず谷底から淵に這い上がらなければならないんですがね。
降りてくる時には気づかなかったが、我々が降りてきた道は途中でもう一本の下り坂と合流していたのだ。
合流点で右手の坂道を登っていくのが正解。最初誤って左に登っていってしまった。これは途中で道がなくなる。ったくペトラってのは、いちいち引っ掛け問題があるから面白い。とぶつぶつ自分を慰める。
登りに比べて下りは何と清々しいのだろうか。下山家の本領発揮である。岩山に沿う階段を下っていくと、やがて目の前に向かいの岩山が迫る所に差し掛かる。
もしかして?と思って大声で叫んでみると、これがまた素敵なエコーで響くじゃないか。辺りには私たち意外には誰もいない。これはチャンスだ。ウィーンで聞きまくっていた「魔笛」の夜の女王の怒りの歌(1オクターブ、あるいは2オクターブ落として)なんかをめちゃくちゃに岩に向かって叫んで歌う気持ちよさ。
朝一番のこのコースは本当に誰一人にも会わずに行って帰ってきたので、思う存分オンステージが楽しめた。喉に自信があろうとなかろうと気分爽快になる。
こうしてお墓の群れの下まで降りてきた。さて2つめの峠は一体どこから登るのであろうか。
ローマ劇場の右側に上に登る階段が見える。
上り口には、今朝上った階段手前にあったのと同じ注意書きがある。これが逆に目印になって、ここから上に行けることが明白になった。ペトラ遺跡では、このお印がない場合は、途中で道が終わっている可能性がある、ということがこの2日目にしてようやくわかってきたのだった。
このコースは、今朝のコースよりもメジャーかつ時間も遅くなってきたので他にも観光客を見かけた。
階段は狭くて急な部分もあり、朝のコースよりもちょっと疲れる。今の時期だから、ちょっと汗ばむ程度でスイスイ登れるが、これが夏場だったら、灼熱の太陽に熱せられた空気に取り巻かれ、とてもではないがこんなにスイスイと登れないだろう。
ペトラ遺跡の観光だけ取り上げて考えるなら、確かに夜の冷え込みはきついが、夏の日中の観光の苦痛を考えるなら今の時期に来るのがベストなんじゃないだろうか。
このコースは、両側を切り立った岩山に挟まれながらも同じ方向に上って行き、徐々に岩山の向こうの景色が浮かび上がるように見えてくる過程が楽しい。
景色が浮かび上がると同時に、岩山と岩山の間の落ち込みが深く深くなってくる。自分が仕事をした分の成果が、とてもわかりやすく景色に繁栄されるので、登り甲斐のあるコースとも言える。
ふと足元を見ると海草の化石かと思える模様を発見した。
夫は物凄くゆっくりとしたスピードで液体が岩に浸食した跡が残っているのではないかと想像。私は物凄く高温の液体がむりやり岩を侵食したのではないかという想像。
いずれにしても、「物凄い何か」が働いてこうした模様になったという点で2人の意見は一致。そんな力強さを感じる模様だった。こんなのも面白い発見。
道はやがて岩山の渓谷を離れて、一つの峠の頂上を目指す方向に向かっていく。峠の頂上に崩れかけた建物跡のような物が見えてきて、それが犠牲祭壇らしかった。
昨日出会ったヴィクトールの話じゃぁ、犠牲祭壇自体はどうってことない。というか遺跡としての面白みもあまりない。しかし、ここからの眺めが素晴らしいってことだった。
確かに到着してみてヴィクトールの言うことは正しいことがわかった。崩れかけた建物や大きくもないオベリスクが2本。峠の上にある物はたいしたことがない。景色の方がよっぽどもよかった。といっても写真では臨場感が出ないなぁ。右側の岩山の下の方がお墓の群れ。今朝登った岩山が群れの上の方なのだ。
今立っている岩山、そして右手のお墓の群れがある岩山、左手遠くに見えているモナストリーのある岩山。どれもそれほど高い山ってわけではないのだが、3つとも登ってみると、ペトラ遺跡全体がどういう構造になっているのかがよくわかる。
「そうそう、あそこの道をこうやって登って、ああ、あそこまで登ったんだなぁ」という具合に自分がどんな道を歩いたのか、どうなっているのかが上から見て確認作業ができるのが犠牲祭壇の岩山。で、自己満足感が満ちていくのを楽しめる。
ここでお昼ご飯。良い景色を眺めながら食べようと思ったのだが、山頂は風が強くて寒く、とてもではないが座って何かを食べる気にならない。仕方がないので、岩陰の風がこない所でお昼ご飯を食べ、時々立ち上がって景色を楽しむことにした。
私たちがお昼ご飯を食べているとブドゥール族の少女が近づいてきた。
昨日のこともあるので、やや警戒しながら話をする。少女は驚くほど英語が堪能だった。遠くに見える山の斜面を指差し、自分達はあそこから通っていること、英語は学校で習って休みの日にはこうしてペトラでアクセサリーを売りながらお客さんと話をして勉強していることなんかを話してくれた。
ここでアクセサリーを売るよりも下で売った方が売れるんじゃない?と聞くと、縄張り争いがあって下では売れないのだと語った。12歳にして厳しい商売の競争を経験している彼女は少し大人びている。「アクセサリー売っているんじゃ、あまり儲からないんだよね。大きくなったらガイドとしてやっていこうと思うんだ、だから英語ももっとうまくならないといけないんだ」と言っていた。なかなか賢そうな少女だった。
時々「アクセサリー見る?」という売り込みが入るが、「ごめんね、お土産は買わないことにしているから」ときっぱりと断った(それでも、時々アクセサリーは?と勧めてくるが)。
そんな話をしていると、彼女の母親がお茶を沸かしたいんだけどマッチがなくなってしまったという。ライターを貸してあげて、火をおこす所を見学させてもらった。
強い風を避けるように石を積んだ影で、母親はあっという間に火をおこしてしまった。上手いものである。ガスで沸かしたお湯と違って、焚き火で沸かしたお湯はまろやかでおいしい。「お母さんのお茶飲んでいく?」と少女が誘ってきたが、貴重な水を使ったお茶を無料で頂くわけにはいかない。もちろん無料なわけがない。せっかく少女と面白い話ができたのに、ここでややこしい話になっても哀しいので、丁重にお断りして山を降りることにした。
この岩山を下るには2つのルートがある。1つは私たちが登ってきたルート。もう一つは登ってきたのとは反対方向に下って、昨日見た列柱の所に出るルートだそうだ。上から観察してみると、反対側に下るルートはそれ程面白そうにも見えない。
観察した結果、私たちは来た道を戻ることにした。
昨日は時間ギリギリまで色々と歩き回っていたが、今日は午後1時にはエル・ハズネまで戻ってきてしまった。ここで、エル・ハズネの真正面の岩の窪み(地上から数十メートル上)に立っている人影を発見。むむむ。あのポイントにはどうやっていくのだろうか?
そのポイントに向かう道には看板が立っていて、「登るは禁止」。危険とか自己責任だったら登るけど、禁止って書かれているとなぁ。
やがて、先ほど上にいたと思われるアラブ人系の男達が隣のベンチに座っているのを見て、どうやってあのポイントに行ったのかを聞いてみた。すると、やはり禁止の立て札の所から上に上がったのだそうだ。禁止されているほどだから、過去に墜落事故あるいは岩が崩れた事故などがあったのだろうと予想される。男たちは「大丈夫だったよー」と行っているが、どうにも行く気がしなかった。魅力的な場所なんだけどね。
昨日もよく歩いたし、今日も二つの峠を登った。ペトラ遺跡の2日券を十分に楽しんだと判断し、午後3時に遺跡を跡にした。私たちが行ったコースを1日に行ってしまったという日本人旅行者に出会った。因みに彼は自転車で旅をするチャリダーといわれる人で脚力は並ではない。普通の脚力、運動能力の人ならばやはり2日かけるのがよいと思う。
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