夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.12.09
シナイ山ご来光ツアー

エジプト:ダハブ
 シナイ半島の真ん中よりもやや南よりにあるシナイ山は、いわずと知れたモーセが十戒を授かった場所である。

 日本からの短期旅行に参加したオプショナルツアーでは、カイロから1日かけてシナイ山にたどり着き、麓の宿で一泊して夜明け前から登頂してご来光を仰ぐというのが普通のパターンだろう。


赤丸で囲んだ山はカトリーナ山(2642m)。シナイ山(2285m)も
ほぼ同じ所に位置するので便宜的にカトリーナ山を丸で囲った。
ご来光を見るためにシナイ山に登頂する人が圧倒的に多い。
 しかし、シリア・ヨルダンを越えてきたバックパッカーにとっては、安い宿があるダハブに拠点を置いて、ダハブからのツアーでシナイ山に登頂するのが普通だ。ダハブからシナイ山までは車で2時間半の距離なのでシナイ山の麓に宿泊する必要がないのだ。

 各宿に宿泊を決めると、「で、シナイ山へのツアーはいつ行く?」と当然行くかのごとくに聞かれる。シナイ山までは公共の交通手段がないので、このツアーでないと行けない。宿にとっても宿泊以外の売れ筋商品なのである。

 シナイ山へのツアーは昼に行くのと夜に行くのと2種類。昼に行くほうが人気がないせいか、昼の方が高い。宿によっても手配料金が多少異なり、私たちの宿、ビシュビシでは夜のツアーの場合、往復の交通費、現地での道案内人付きで一人EGP60(約1200円)だった。その他にシナイ山への入山料金EGP35(約700円)がかかる。道案内人なしでEGP50でツアーを出している所もあるが、結局現地で案内人を雇わなきゃならなくなるということも聞いた。面倒なので、自分達の宿のツアーで行くことにした。

 出発は午後11時。2時近くにシナイ山の麓に到着し、そこから2時間半くらいかけて登頂、朝6時の日の出を見て下山し、麓の聖カトリーナ修道院を見て、昼頃にダハブに戻ってくるということだった。シナイ山の夜明け前は夏でも寒いらしく、ましてや12月の今はとても寒いだろう。私は、現地でマットレスや毛布をレンタル(各EGP10=約200円)しなくてもいいように、できるだけたくさんの衣類を持って行くことにした。途中で役人のチェックが入るので、パスポートは必携である。

 以下が、今回のツアーの持ち物リストである。
・洋服(着て行ったものももちろん含まれている)
 −上は、半そでTシャツ、長袖Tシャツ、フリース2枚、厚手のセーター、薄い中綿入りのロングコート
 −下は厚手のタイツ(いわゆるももひきです)、綿パンツ、中綿入りの長ズボン、靴下2枚重ね、
 −その他皮の手袋、毛糸の帽子
・上記の衣類が入るリュック
・パスポート(必携。コピーでもよいそうだが原本を持っていった)
・水とコーラ(現地ではとても高いので)
・下山してからの朝食としてパン
・小額のお金(トイレなどが有料の場合)

 さて、宿のアレックスというマネージャーに2、3日前から8日の夜出発でシナイ山ツアーに参加したいという希望を話していた。最初に話した時から料金はEGP60だからね、と言われていて、私たちにも彼にもEGP60という会話は何度もなされていた。

 8日当日の午前中、「じゃぁ、今日行くからお金払うよ」と言うと、アレックスはオッケーとツアー客用の帳簿を開いた。あらら、以前に行った人の名前の横にEGP80と書かれている。どうやら彼は値段を勘違いしていたのかもしれない。「あら?」という顔を一瞬したのだが、「じゃ、二人でEGP120ね!」と最初のままの金額で支払いが終わった。そういえば、この宿に到着したばかりの時、別のスタッフは一人EGP70だと言っていた。全く、この宿は、いやダハブが、いやこれを書いている今はカイロにいるのだが、エジプト全体において値段というのはあるようなないような感じである。人間関係と交渉術が入り混じったところでポンと値段は決まるのである。

 夜11時になると、宿のフロントの周りにわらわらと人が集まってきた。私たち2人と5人組のデンマーク人だった。デンマーク人たちはイスラエルでキリスト教の勉強会に参加した時に知り合ったそうで、その流れでここに来て一緒にシナイ山に行くことになったそうだ。男性も女性もいて、特に教会関係者というわけではなく普通に働いて暮らしているクリスチャンなのだが、休暇を使ってキリスト教への理解を深めたいと勉強会に参加した人たちなのだそうだ。

 デンマークという国とキリスト教。まぁデンマークはクリスチャンが多い国だろうなぁとは思うが、生まれた時から地元の教会に通って、大人になると自分の収入の中から一定割合でキリスト教税のようなものを支払うということが普通に行われていると聞いてとても意外だった。というのも、最近出会うドイツ人やフランス人の旅行者は、あまり教会に行かなかったり、どちらかというと仏教の方が好きだという人もいて、ヨーロッパ社会とはいえ、キリスト教がそんなに重視されていないような印象を持っていたからだ。へー、さすが。シナイ山となると、そんな人にも出会うことになるのねぇ。と一人シナイ山への感慨を深めていた。

 午後11時15分になって車が来たからというので、全員で車に乗り込んだ。すると宿のスタッフとドライバーが何か言い合い。値段のことでもめているのか?結局、違う車を使うことになり、一旦全員降りてロビーに戻った。11時半、別の車が来て出発。ここら辺もエジプトらしいっちゃらしい。

 深夜1時50分にシナイ山の麓の駐車場に到着。夜中の内陸はやはり寒い。皆、一斉にトイレにかけこんだ。公衆トイレの入り口には2人のエジプト人の男がいて、「はい、1ポンド、1ポンドね」と金を徴収していく。ところが、女子トイレに入るや、中からは見えない所に英語で「このトイレは無料だから金を払う必要はない」と書いてあるではないか。たかが20円ばかりのことなのだが、なぜトイレの中の外から見えない所に注意書きが書いてあるのか全く理解不能。モーセの十戒に「無料であるトイレで金を騙し取ってはいけない」という項目がないからいいのかぁぁぁ。やれやれ、先が思いやられる。

 トイレが終了すると、ドライバーは私たちに今夜の案内人を紹介。この人について1夜過ごしたら、朝10時までにこの駐車場に戻っているようにということだった。

 午前2時頃から登山開始。道はとても険しいが距離が短い登山道と、ラクダが通れる緩やかな坂で「ラクダ道」と呼ばれる登山道の2種類がある。案内人は私たちをラクダ道に連れて行っているようだった。

 8合目まではラクダに乗って行くことも可能で、デンマーク人達はラクダで行くことになった。私たちは途中からバスで合流した各国の人々と徒歩で行く。

 道はだらだらとなだらかな坂道で、登山というよりもやや登り道の散歩という感じ。幸いにも今夜は満月に近い晴天で、照明で照らさなくとも月明かりで十分に足元が見えた。行く先々でラクダがうずくまって、闇夜の中で目を光らせている。珍しく思って少しでも近づくと、闇の中から「ラクダはどうだい?マダーム」と声がしてくる。ラクダは休んでいるのではなく、待機しているのだった。

 途中には多くの売店とそれに付随した小屋があり、飲み物を購入すると小屋の中で休めるようになっていた。飲み物は500ml入りの水でもEGP5(約100円)する。通常はEGP1くらいの代物だ。上に行くほど、ちゃんと買い物をしていない人は小屋で休むことは許されなくなるのは、まぁ理にかなっている。

 いくら寒いとはいえ、いくら坂がきつくないとはいえ、こうしてずっと歩き続けているとだんだんと体が温まってくる。午前4時を過ぎる頃には半そでTシャツ1枚に綿パンといういでたちで歩き続けられるようになった。その頃から、今までは山中を歩いていたのに、山の尾根伝いに歩く道になってきた。遠く眼下にS字を描いて明かりが見えるのは、これから登ってくる人々の照明だ。あんなに下から登ってきたのだ。ぼんやりと見える遠くの山々が、明るくなってみたらさぞや素晴らしい景色だろうと予感させる黒い陰影を見せている。

 午前4時半、再びキオスクの前でガイドが言った。「あともう少しで8合目。8合目からはほんの30分で山頂だ。もう少しだから頑張ろう!」。これを合図に、私は脱いでいた服を着込んだ。あともう少しならば、上でがたがた震えながら着るよりも、体が温かい今のうちから着込んでおいた方がいいという判断だった。

 しかし、午前4時40分、8合目に到着して上を見上げると、今までのだらだら坂とは全く別の山なんじゃないかと思うほど、急な坂。急斜面に無理やり岩を置いて階段という体裁をとってみましたという斜面が目の前にそびえたっていた。あっちゃー。こりゃ大変だ。こんなの登ったら一発で熱くなる。というわけで、さっき着込んだ服を脱ぎ去り、再びTシャツと綿パンになって頂上を目指し始めた。

 さて8合目からは、本当にきつい。時間にして30分足らずだが、頂上まで登るころには体がかなり熱くなった。

 ちなみに頂上の直前には、ちょっとした広場を囲むようにカフェが並んでいて、ここだけは案内人とカフェで歩合制がなされているようだった。今までお茶や水をすすめなかった案内人だが、ここに至って急に「上は寒いから、毛布はここで借りていった方がいいぞ。お茶は飲まなくていいのか」とすすめ始めた。後続を待つ間、体が冷えてきたのでカフェの小屋に入って休もうとしたら「だめだめ。お茶を買ってからじゃないとここで休まないでくれ」と急に他人行儀な態度。ははーん、ここだけはガイドがリベートをもらっているんだなと思い、外で待つことにした。

 午前5時。日の出は6時から6時半と聞いていた。案内人によっては頂上に早く到着し過ぎて、上で凍える思いをさせられるのだが、私たちの案内人はまずまずのいい時間配分だったと思う。

 山頂にまだあまり人がいないので、色々と動き回って日の出見物にいいポジションを選ぶことができた。私たちが選んだのは、階段を登りきって、右手に行った所。本当は吹きっさらしが景色がいいが、折りしも風は東風。太陽の上がる側に壁がないと、本当に凍えてしまいそうな冷たい風だった。熱くなった体は一気に冷えていった。

 ここではマットレスと毛布のレンタル呼び込みが喧(やかま)しくやってくる。マットレス?と思ったが、座っているのも寄りかかるのも岩なので、風に当たる部分だけでなく、接地する部分がとにかく冷たい。そこでマットレスの登場。なるほどねー。辺りはだんだん明るくなり始めてきたが、そうなればなるほどに、身を切るような寒さになっていった。白人の一人がガサゴソとリュックから温度計を取り出して、「0度以下になっているー」と叫んでいた。ククー、寒いわけだ。後に元旦の朝をここで迎えたという日本人旅行者に話を聞いたら、頂上の岩場は一体に薄く氷が張っていて、髪の毛も凍ってきたということなので、初日の出をここで見たい人は覚悟すべし。

 とにかく手をこすったり顔をこすったり寒さと戦いながら1時間。東の空の雲の切れ間が赤々としてくるのを見て、頂上の人々の間にざわめきが起こった。どうやら今日は東の空が曇っているようだった。すっきりとしたご来光は見られないが、オレンジ色だった雲が端からそれは美しいピンクとも赤ともつかない色に染まっていく様をずっと見ていくことができた。


 午前6時を過ぎると辺りは白々とし始め、オレンジだった雲もずーっと全てが赤い色に変化した。こんなに乾燥していて、こんなにもまだ寒いのに目の前の山々から朝もやが立ち始めているのは不思議な光景に思えた。左手にも眼下にも人が大勢立ち上がって一つの方向を見つめ続けている。中には手をつないで賛美歌を歌っている人々もいた。



 今日は太陽の姿を見ることなく終了してしまうのかと思い、夜明け前からキープしていた場所を離れていると、日本語で「ほら、お父さん、ご来光よ!」という声が聞こえた。振り返って見てみると、雲と雲の間の細い隙間に線香花火の先っちょのように赤くジリジリと燃える太陽が見えていた。

 手前の墨のように黒い山々から始まって、先に行くほど朝もやに白く霞む山稜がのぞめ、それに溶け込むようにグレーの空が続いている。赤い太陽は幾重にも重なった黒のグラデーションを打ち破るように、そこだけ輝きを発していた。ここはシナイ山。旧約聖書の世界にいるにもかかわらず、一幅の日本画を見ているような感覚にとらわれた。

 6時半ともなると、目の前の山々の陰影も色もはっきりと見えるようになり、木一つ生えていない無骨な岩山に日本画の夢想も消え、シナイ山にいるのだと強く思い出されてくる。

 案内人との待ち合わせはカフェ広場に7時。そろそろ下山した方が良さそうだと6時半過ぎに下り始めた。

 しかし、そう思ったのは我々だけではなかったようだ。狭く急な階段は、大勢の観光客で埋まって遠く先まで続いている。

 先の殺伐とした山々と、世界中から集まってきた色とりどりの洋服の現代人の行列は、通常あり得ない組合せだ。南米の国立公園のトレッキングも大自然の風景の中にトレッカーがいるわけだが、こんなに大勢の人間が一堂に会しているわけではないので、あまり違和感はない。ここは手前の「動」と奥の山々の「静」がきわだって感じられた。

 待ち合わせ場所のキオスクが囲む広場の裏手の景色がこれまた朝日に照らされて素晴らしいことになっていた。この時間帯は、どこに目を移しても刻々と色合いが変化していくので、歩いていてもとても楽しい。太陽の光で寒さが徐々に和らいでいくのも、幸せな気分だった。


 午前7時までまだ時間があったので、ここで軽くパンを食べる。カフェで紅茶かネスカフェでも飲もうかと値段と聞くとEGP10(約200円)だと言われた。先進国から来た皆さんは、そんな程度ならと躊躇することもなくお茶を注文している。そりゃスタバーの紅茶もそんな値段だものねー。

 しかし、トルコから段々物価の安い地域に入ってきて、その物価感覚に慣れてしまっている私たちは、「10ポンといえば、今宿泊している宿の1人の1泊分の料金じゃないか。たかがティーバッグで入れたお茶や、コーヒーといっても顆粒のネスカフェを薄く溶かした飲み物に1泊分も払えるかー!」と購入を拒否。シナイ山の現場では、「こんな自分達のストイックさが好き」などと思っていたが、今思えば、比較する宿泊費が安すぎただけで、お茶くらい飲んでもよかったかもしれない。

 午前7時過ぎ、熱い思いを胸に秘めていたのか、ぎりぎりまで山頂にいたデンマーク人チームが降りてきて全員集合。ここから下山開始である。

 とりあえず8合目までは急な坂道を下りる。


ラクダ道と階段道の分かれる所にある標識。
階段道は左手に降りていくようになる。
 8合目からは、ラクダ道と階段道に分かれる。2つの道は山の麓の聖カトリーナ教会で合流するので、どちらの道に行ってもいいということになり、私たち2人だけは階段道を選択、他のメンバーはラクダ道で帰ることになった。



 最初は階段道とはいうものの坂道が続き、ラクダ道とあまり変わらないように思えた。

 ラクダ道は夜間に登ってきたので景色の比較ができないのだが、夜歩いていた感じでは、ラクダ道は尾根を歩いているようだったので、景色は開けて見えるだろう。

 一方の階段道は山と山の間にできた谷に沿って道が作られているので、景観としてはV字に切り取られた先に、恐竜の背中のような山々が見えてくる。道はS字を描きながら下っていくので、歩くに従って視点が変わり見える景色も変わる。

 途中、展望台のように大きな岩が突き出した所までは、そんなに急な階段もなく、石の門をくぐってみたり、天然に繰り抜かれた岩に入ってみたり、気楽に楽しみながら歩ける道だった。

 下り始めて20分ほどで、大きな岩が突き出した展望台ポイントに到着。

 時間に余裕のある人は、ここに座り込んで景色を楽しんだりしていたが、私たちは先を急ぐことにする。

 この展望台ポイントからの道は急に激しくなる。


 道の先が山の下に落ち込んで見えなくなっているのが、その急降下ぶりを示している。ここまでハイヒールなどでお気楽に下ってきたロシア人はげんなりした顔をしている。なんでハイヒールで来ているかなぁ。なんでガイドは何も言わなかったのかなぁ。

 2度目の石の門をくぐった先から、階段道はその名の通り、猛烈な急降下を始める。

 もはやちゃんと作られた階段などはなく、階段状に石を置いているだけである。これだけでも大変な作業だったとは思うが、大きさがまちまちの石が置かれているし、段差も場所によっては上の石に手を置いて降りなければいけないような所も何箇所かある。

 それでも杖をついたご老人も降りたりしているので、何とかいけないことはないが、ラクダ道に比べるとかなり難易度は高い。

 私たち外国人旅行者は、足を踏み外さないようにそろそろと降りて行くのだが、この時間になると頂上でのご来光客相手の物売りを終えた少年達が、これから学校にでも行くのか、商売道具を持ってさっさと階段を弾むように下っていった。速いぜ、少年。


 この急な階段を降りきって、平坦な細い道をやや右手に回り込むと、両側を崖に囲まれたこれまた急な階段。そしてその遠く先の眼下に、目的地の聖カトリーナ修道院と思しき建物が小さく見えた。

 聖カトリーナ修道院が見えてきてから、修道院にたどり着くまでに、40分かかっている。

 目の前に見えている坂道を下るのに40分もかかったということで、この距離が、目に見えて感じているよりもずっと長く壮大なものであることを知った。

 そんなに時間がかかるとは思っていなかったんだけどね。





 聖カトリーナ修道院前に午前9時に待ち合わせだった。ラクダ道よりも階段道の方が距離が短いと聞いていたが、ラクダ道を歩いて来た人は20分も前に到着しており、私たちはぎりぎりに到着したのだった。

 午前9時から修道院が開門するというので、門の前に黒山の人だかり。15分になってやっと門が開くと、人々は我先にと修道院の敷地内に入り込んだ。

 この修道院には、モーセが見たという「燃えているのに燃え尽きない柴」があったとされる場所があると聞いて、探してみた。

 この修道院の中は、あまり説明がちゃんとされていない。ガイドさんと来ている人たちはいいが、我々のように案内人は山の案内だけで修道院の中はさっぱりだぁという場合は、かなりわかりにくい。

 手持ちのガイドブックでいうと、私たちは中央塔から入ってきたと思われたので、左手の突き当たりに「燃える柴」跡地があるはず。行ってみると、それらしい銀のプレートがあったので、その前で記念撮影をしてみた。たぶん、ここでいいのだろう。今ひとつ自信がない。もしここだとすると、旧約聖書の中ではここが、神がモーセの前に姿を現した所ということになる。ふーむ。スゴイ場所なのだ。とはいえ宗教的な行為を行っている人もおらず、その意味合いの深さが私には正直よくわからなかったが。

 「燃える柴」の重要性にはピンと来ないが、ここで旅行者には重要な情報が1つある。修道院に入った入り口から左手に進むと、すぐ左手にとても小奇麗で、しかも「無料」のトイレがあるのだ。シナイ山の頂上から降りてきたカフェのある広場の裏手には、外から見えそうな小屋なのにEGP5(約100円)もする公衆トイレ、山から階段道を降りて麓にくるまではトイレなし、麓に下りてきて、修道院よりもずっと左手の駐車場にあるトイレは大行列ができているしEGP1という状況なのだ。

 修道院に入る前に私たちの案内人に「トイレはどこか?」と聞くと、修道院から遠い駐車場のトイレを教えられた。行ってみると有料な上、大行列で修道院の入場に間に合いそうにない。むむむ。そのまま戻って、案内人に「修道院の中にトイレはあるのか?」と聞くと、「実はある」という答え。なんで最初に言わないかなぁ。「実は」と彼が言ったことから、彼も言うべきだったけど、ちょっと言いそびれちゃったのよねんという言い訳めいたニュアンスだ。エジプト人特有のお客よりも仲間を優遇するってやつを、ここでも感じた。

 トイレに入って気分も刷新、修道院内部の教会堂に入ってみることにした。この教会堂内部はイコンだらけだった。後からデンマーク人に聞くと、彼らの信じるキリスト教とは別の系統なので彼らは中に入らなかったそうだ。確かに周囲にいる白人系の人々はロシア人が多かった。ロシア正教会はイコン崇教だからね。内部は入り口から左、中央、右と柵によって3箇所にわけられていた。右の柵の中では、人々は紙に願い事を書いている。七夕みたいだなぁ。左の柵の中に入ってみると、仏壇のようなものがあり、皆十字を切ってから先に進んでいる。十字の切り方もわからないので、そこはそーっと後ろを通り抜けて、様々なイコンなどを見物して外に出た。

 以上で修道院の見物は終了。時刻は午前9時40分を回ろうとしていた。駐車場での待ち合わせは午前10時だからね、これくらいにしておきましょう。

 それにしても夜中に起きて山登りをしたので、体が綿のように疲れている。時間通りに迎えに来たバスの中では、行きのはしゃぎぶりが嘘のように皆頭を垂れて眠りを貪った。12時前にダハブに到着。昼食を食べたら夕方までばったりと眠り込む二人であった。


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