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2006.12.17 Vol.1
ルクソール東岸の観光〜カルナック神殿
エジプト:ルクソール |
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昨日は移動でヘトヘトだった。悪質な宿の客引きの魔の手を逃れ、やっと宿にたどり着いたと思ったら、今度は宿の主人のルクソール観光ツアーの売り込み。長々と話を聞いた末に断ると倍額の宿代を請求。ルクソールは、本当に一筋縄ではいかない町だ。
とはいえ、ここに来た目的は古代エジプト人が残した数々の遺跡を巡るため。現代エジプト人のいけずにくじけて宿でシーツの端っこをかんでいる場合ではない。
ルクソールの観光はナイル川を隔てて東側の観光と西側の観光にわけて考えるとやりやすい。東側はホテルや商店もある側で、観光スポットとしてはカルナック神殿とルクソール神殿の2つが目玉。一方の西側はナイル川から少し奥まった広大な地域に王家や貴族の墓が点在する。所要時間は東側に半日、西側に丸1日見ておけば大丈夫だろう。
昨日の移動で疲れてもいた私たちは今日はとりあえず東側をゆるゆると周り、明日、西側を自転車で巡ろうと計画した。
東側の見所のうち、カルナック神殿は市街地から3km離れた所に位置している。直前に出会った元気な韓国人カップルは「歩いて行ってきたけど、平気、平気。案外いける」と言っていたが、冬とはいえ3kmはさすがに歩く気がしない。ということで、どうやって行ったらいいのか、ナイル川の近くにある観光案内所に尋ねることにした。行き方は簡単だった。列車のルクソール駅前に立ち、右手方向に走るトヨタハイエースのミニバスで「カルナック・テンプル」と連呼しているバスに乗ればいいということだった。料金は一人EGP0.5(約10円)。細かい話だが、こうしたミニバスの料金などを事前に知っておくことがとても大切なのだ。
ミニバスは容易にみつかって乗り込んだのはいいが、ミニバスは細かい道をウロウロと入ったり出たりするので、地図とにらめっこしていても自分の位置がよくわからなくなってしまった。
そろそろ到着なはずなのだが、よくわからないなぁと思った時、バスの中でキチンとお化粧した女性がとてもきれいな英語で話しかけてきてくれた。彼女はカルナック神殿で研究をしている考古学者だということで、今日もこれから職場のカルナック神殿に向かうので一緒に降りて行きましょうと行ってくれたのだった。
入り口のチケット売り場まで案内してくれた彼女は、古代文明について見学中にわからないことがあったら、いつでも自分を呼んでくれと名前を告げて去っていった。自国の文化を世界中から人々が見に来てくれる、その仕事に就いていることが嬉しくてたまらないという誇りと清々しさに満ちた女性で、昨日から埃っぽい町や強引な客引きに早くもルクソール入りを後悔しそうになっていた中で、やっと心が表れる出会いだった。
入場料金はEGP50(=US$8.38)。ぞくぞくと訪れる団体観光客用にエジプト人業者がチケットをまとめ買いしていくのに混じって2枚を購入した。料金の1つ1つに真新しい紙が張られて、新しい料金になっている。値上げしてからまだ間もないのだろうか。ついついはがして見たくなるなぁ。
入り口には遺跡に不似合いな金属探知機の枠が設置されて、観光客はすべからくこの枠をくぐることになっている。
そうそう、ルクソールではテロ事件が起こり、西側で観光客が狙撃されて日本人観光客が殺害されたことがあったのだった。あれから何年も経っているはずなのだが、警戒態勢はいまだに解かれていないようだった。陽気に見えるエジプトだが、この枠が影に隠れている政情の不安定さを物語っていた。
入り口から入ると羊顔のスフィンクスが両脇にずらりと並ぶ参道が続く。スフィンクスとスフィンクスの間には、石に彫り物が施されたレリーフが置いてある。私のエジプトのイメージは日本で子供のころ訪れた博物館の「大エジプト展」。これが一番強烈なイメージだ。12月の初めにエジプトに入ったとはいえ、ビーチ沿いのダハブやハルガダにいたため、この半月あまりイメージの中のエジプトに巡り会う機会がなかった。それが、ここに来て「おおお、エジプトではないか!」というイメージぴったりの物オンパレードになった。私は阿呆のように「いやー、エジプトに来たんだねぇ。ここにも、そしてあそこにもエジプト。エジプト満載だねぇ」と繰り返してしまった。カルナック神殿は私に初めて自分がエジプトにいることを胸の奥から感じさせてくれる所だった。
スフィンクス参道の後の第一塔門を越えると、ちょっとした広場になっている。ここにはいくつかの王の神殿があり、第二塔門への入り口には大きな彫象が左右1対ずつ立っているのが圧巻だ。
右側の巨像がラメセス2世。名前は有名だが彫刻としては左側のピヌジェムの方が保存がよくて印象深かった。
子供の大きさが親に比べるとえらく小さいし、子供といえど親と同じ頭と体のバランスが同じで、写実的でないとも思えるが、一方でこんなに巨大ながらも、すっきりと美しく彫られた巨像を見ると、古代エジプト人の美術センスの良さを感じた。
この巨像の手前、右手にラメセス3世神殿があるので入ってみると、大きな彫刻の前に、噂のバクシーシおやじが待機しているのが目に入った。
事前の情報で、エジプト各地の有名観光地には勝手についてきて、勝手に説明した後、多額のバクシーシ(喜捨)を請求する男たちがいるという話を聞いてきた。噂にたがわず、おやじたちは私たちが入ると、スーッと背後から近寄ってきたのだった。逃げろ、逃げろ。
神殿の奥には、列柱が並ぶ所やその奥に壁画に色が残っている所がある。場所によっては修復中で綱が張られて近づけないようになっている所もあるのだが、バクシーシおやじはまるで自分の権限下にあるように、綱を持ち上げて「ささ、こちらに」と観光客を招く。見ていると、まんまと手にひっかかった白人旅行者などが「はい、今の説明で3ドルちょーだい!」などと言われて、おののいたり、怒りまくったりしているのだった。
先進国から来れば3ドルなんてはした金かもしれないが、3ドルといえば18エジプシャン・ポンドくらいに相当する。昼ごはんの定食15エジプシャン・ポンドを出すのも惜しんでいるくらいの私たちが、そう易々と3ドル出すわけないもんねー。
おやじが近づいてくると、間近までじっと動かずに何かをしゃべり始めたらすっと動き出す。こっち、こっちと手招きされたら途中までついていく振りをして突然別の方向に歩き出すなどを繰り返していたら、逆にムッとされて私たちにはちょっかいを出さなくなった。これが世に言うバクシーシ返しの術だ。(嘘) とまぁラメセス3世神殿ではバクシーシおやじとのゲームが楽しめた。
いよいよ第二塔門を超えて、大列柱が狭い間隔で立ち並ぶ区域に入る。カルナック神殿の中でもハイライト的な場所だ。
どんなにガイドブックに圧巻、圧倒と書かれても、その空間に身を置いてみない限り本当のことはわからない。
ここは何か笑いがこみ上げてくる、そういう空間だった。何で笑えてくるのか。私は、無意識のうちに柱というのは細い場合には密集して立っていて、太い場合には間隔があいているものと思って暮らしていたのだと感じた。つまり、ここの柱は異常にユーモラスにぶっとい。それなのに、前後左右にみっしりと狭い間隔で立っている。通常の建物ではありえないのだ。「なんでー?」「なんじゃこりゃー?」という意味で笑いがおこってくるのだった。
それぞれの柱には上から下までレリーフが掘り込まれ、見上げると柱と柱に渡って大きな梁が置いてある。柱に強度が足りないから、こんなに太い柱を近い間隔で立てたのかもしれないし、諸説科学的な説明はございましょうが、21世紀に暮らしている人間から見ると、ユーモラスに思える所だった。
この大列柱の間を通り抜けると、至聖所や神殿や祝祭殿が続く。
一番奥にあるトトメス3世の祝祭殿は建物の形跡が一番残っているのではないだろうか。
他はオベリスクやら大きな像や柱が、部分的に欠けていたりしているのが雑然と並んでいる遺跡群で、たくさん残ってはいるものの、そもそもどういう形の建物だったのかを想像するのは難しい。
しかし、こうしたモノ達が何千年という時をここで過ごしていたことには、やはり感動を覚える。いや、モノが残っている事に感動するというよりは、そんな昔に我々と同じ人間がこうしたモノを造りだしていたという事実に対して、そうした人々にも夫があり妻があり子供があり家族として笑ったり泣いたりした生活があったのだと想像すると、その気の遠くなるような昔から脈々と続いているその延長線上に、自分という人間が立っているのだと思う、その連なりに感動を覚えるのだ。
こうして一番奥まで行ってから戻ってくる途中、左手に池のようなものがあり、その手前である像の周りを人が取り囲んで歩いている風景に出くわした。
囲われた柱の上に鎮座ましましているのはスカラベ。糞ころがしだ。エジプトではアクセサリーのモチーフにもなっているスカラベだが、カルナック神殿のこのスカラベは、この周りを3周すると独身者ならば良いパートナーに出会え、既婚者はより幸せになれるという、言い伝えがあるそうだ。ってなわけで、世界各国の皆さんと一緒に、私もくるくると歩いてきた。
こうして再び、あの大列柱の間でハーッと天を突く巨大な柱を見上げて、ゆっくり入り口まで戻ってきた。そうそう、入り口から見て左手にモンツ大神殿ってのがあるんだが、どうやって行くのだろうとフラフラと左手に進むと、高い壁になっていてアムン神殿から一度外に出ないといけないような感じだった。なーんだ、だめか。
と諦めようとした時、アムン神殿の外壁の近くに祠のように区切られた場所があり、白人観光客が10人ほど集まっている。ガイドブックにはこんな見所は書かれていなかったなぁ。説明はないが地図には小さくブタハ神殿と書かれている所だったかもしれない。
門柱から中に入ると、何やらただならぬ雰囲気が漂っていた。ある人は手に持った水晶の石を胸にあて、もう一方の手で彫刻に触れて瞑想している。ある人たちは祠の中の小さな部屋で各々壁に向かってジーッと虚空を見つめている。ある人たちは別の小さな部屋に入る順番待ちをしているらしい。夫がその静寂を破るように「うへー、なんじゃ、この雰囲気は?何々?なんか皆おかしくない?」とデカイ声で話しかけてくる。
すると一人の白人女性が、「すみません、お静かに願います。今、小部屋に一人ずつ入って祈りを捧げている所です。あなたも順番が来たらお祈りすることができますから、ここでお待ちください」と囁いた。
どうやら私たちはピラミッドパワーやら古代エジプトファラオのパワーなどを信望する集団に出くわしてしまったらしい。少年雑誌の巻末通信販売で「君もピラミッドパワーで幸せを手に入れよう!」なんてキャッチコピーでミニミニピラミッドのアクセサリーを宣伝しているのを見たことがあるだろうか?そうした形でしかピラミッドパワーに触れてきていない私たち世代の一般的な日本人から見ると、この集団はとても奇異に映る。同じ英語を話す白人のおじさんとおばさんだが、さっき一緒にスカラベの周りを歩いた人たちとは、全く別人種のように見えた。何がこの人たちをここに導いてしまったのか。激しい絶望なのか、不治の病なのか。カルナック神殿の中で陽気に観光する多くの観光客とは離れて、ひっそりと祈りを捧げている人々。陰につけ、陽につけ、カルナック神殿は人々を弾きつける力を持っているのだなぁと、図らずも感じさせられる場面だった。
こうして、あちこちゆっくりと見て周って3時間。丁度昼時の12時半になったので、入り口近くのレストハウスで昼食を摂った。やる気のない割りには結構な値段を取る店で、ここはお勧めできない。
来る時にミニバスを降りた反対側で、ルクソールの街中に戻るミニバスを待つ。来た来た、タクシーの客引き、馬車の客引きが立て続けに来て、「今日はバスは来ない」だの「帰りのバスはここを通らない」だの次々に嘘をつきまくる。はいはい、いーから、いーからと適当にあしらっているうちにミニバスが到着。お次の目的地のルクソール神殿付近で降ろしてもらえることができた。
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