夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.12.17 Vol.2
ルクソール東岸の観光〜ルクソール神殿

エジプト:ルクソール

 カルナック神殿からミニバスで戻ってくると、確かにルクソール神殿の近くで降ろしてくれる。しかし、ルクソール神殿の入り口は、反対側のナイル川に面した側なので、そこからぐるっと神殿の周囲を歩いて周らなければならなかった。それで、神殿の周囲を半周することになったのだが、案外狭い。これだけ?みたいな広さの所である。

 ナイル川沿いから入り口までの短い距離を歩き始めると、途端にフルーカ(帆船)の船長と称するしょぼいエジプト人が群がってきて「フルーカに乗らないか、安くしとくよ、気持ちいいよ」と客引きが始まる。どいつもこいつもチンピラ風情で、フルーカにまつわる料金トラブルの話をいくつも聞いていた私たちは、ルクソールではフルーカに乗るまいと決意したのがこの瞬間だった。

 入場料金は一人EGP40(=US$6.69、2006.12.18レートでUS$1=EGP5.98)。これはカルナック神殿のEGP50と比べると広さの割りには高い。

 とはいえ、ルクソール神殿の入ってすぐの所にあるオベリスク。これは2本1対のオベリスクのうちの1本。もう1本はパリのコンコルド広場に立っているのだそうだが、パリのコンコルド広場でオベリスクを見てきた記憶が新しい私たちとしては、やはりここで元の位置にあるオベリスクを見逃すわけにはいかない。そういう意味において、カルナック神殿の見学は欠かすことができなかった。

 入り口入って左手には、カルナック神殿でも見かけたスフィンクスの参道がある。

 カルナック神殿のスフィンクスの参道はずーっとここルクソール神殿まで続いていたというのだから、これは驚きだ。特に今日ミニバスでたどってきた、結構長い道のり(3kmくらいのはず)、その道ぜーーーんぶにこうしてスフィンクスが並んでいたのかと思うと、それはびっくりするし、当時の平民クラスなら王の威力を否が応でも感じざるを得ない。

 この参道に続く門にオベリスクが立っている。

 遠めから見て、おやと思うのはパリのコンコルド広場で見たよりも小さく見えることだ。

 コンコルド広場はパリでよく見かけるサークルになっていて、広場の周囲を車がグルグルと回っている。そんな風景の中心にオベリスクが立っていて、同じ視界に車がたくさん入ってくるので、うわー、大きなオベリスクだなぁという印象が強いのである。

 ここでは、オベリスクの後ろに高さは及ばないが幅の広い門が左右に広がっている上に、ラメセス2世の坐像がこれまた巨大で、これらが一つのグループになっているので、遠めからはそんなに大きいとは感じられないのだ。

 しかし、近寄って見ると実は大きい。オベリスクの台座に人が座っているので、この大きさがわかるかと思うが、実はとてつもなく大きな建造物なのだ。

 あらためてまぁ、よくこんなに大きな物をパリまで持って行ったものだと感心した。


 オベリスクの裏のラメセス2世の坐像の間を抜けると、開けた中庭になっていて、ここがラメセス2世の中庭と呼ばれている所だそうだ。





 この中庭にはガーマがある。ガーマとはイスラム教の礼拝所。つまり、後からエジプトに入ってきたイスラム教が古代エジプトの神殿を一部切り崩して礼拝所を作ったのが残されているのだ。

 もとあった文化を破壊して新しい文化が何かを作るということでは、南米のインカ帝国の遺跡をぶっつぶして、その上に教会を建てたキリスト教を思い出す。限定された記憶の対比でしかないが、何もかも破壊して跡形もなくしてから教会を建てたキリスト教と、中心部だけ壊して礼拝所を建てたイスラム教かぁ。その意味においてはイスラム教の方が温情主義を感じるのだった。

 この中庭には立像が何体も置いてあり、その中にラメセス2世像もある。

 見た目は特に識別できない立像なのだが、足元に彫刻されたカルトゥーシュがヒントになってラメセス2世を探し出すことができるんじゃないかと、ラメセス2世探しゲームを行った。


左から2つが下記のガイドブックに符合し
右から2つは対称になっている。

地球の歩き方より
 カルトゥーシュは印鑑みたいなもので、王によって決められたマークがあり、同じ王でも幼少期、青年期と長じるに従ってマークが変わってくるそうだ。

 ガイドブックを片手にカルトゥーシュを見ていくと、ある立像で合致する物を発見。おお、ラメセス2世みーっつけた!

 古代エジプトのカルトゥーシュ探しゲームって、なかなか贅沢な遊びだと思いませんか?




 ラメセス2世の中庭の先には再び巨大な列柱が並んでいるが、午前中に見たカルナック神殿と比べると、迫力には欠ける。これだけ見たら凄いんだろうけどねぇ。

 列柱の奥にも中庭があり、そのまた奥には今度は何とキリスト教の元教とも言われているらしいコプト教の教会やら、エジプトの礼拝所が至聖所がこちゃこちゃと並んでいる。


 エジプトの礼拝所の部分には、エジプトの神々を彫刻した見事なレリーフが残っている。顔が鳥で頭に丸い物を乗せている神様や、頭に大きな牛乳瓶を乗っけている神様。一体どういう発想なのかわからないが、デザインとしてはかなり奇抜である。午前中はカルナック神で柱に刻まれたレリーフを見たが、平面のレリーフが大きく残されているのはこちらだろう。

 またもやバクシーシ(喜捨=富める者が貧しい者に分け与えること)狙いのジイサンが手招きしているので、無視して通り過ぎた所がある。

 時を見計らって戻ってみるとジイサンは別の所に行ってしまっていない。チャンスだと見てみると、そこはコプト教会の跡だった。ジイサン、ポイント抑えてるなぁ。

 壁にはコプト教の宗教画が色彩も豊かに残されている。イスラム教のガーマがあり、エジプトの神々のレリーフがあり、コプト教の宗教画が残っている。そういう意味では、時代によって様々な宗教が入ってきた経緯で時代を感じることのできる遺跡だった。


 眺めているとジイサンが、やや大変だ、客を取り逃がす所だったと小走りに戻ってくるではないか。やばい、と私たちもその場を小走りで逃げ出した。

 広さの割には入場料金が高いなぁ、見所はオベリスクだけかと思っていたのだが、カルトゥーシュ探しや色々な宗教が張り込んだ形跡を見るなど、思いがけず楽しめた。

 ルクソール神殿は街中にあるので、ここから宿までは徒歩で帰れる。

 帰り道、大声で喧嘩するおやじ2名をエジプト人が取り巻くという光景を見物。

 エジプト人は何かっつーとすぐに大きな声を出して言い合うが、周囲の人が「ハラス、ハラス(終わり、終わり)」と止めに入るのも早い。

 しかし、この時ばかりは物凄い剣幕で「ハラス」係(そんな係は別にないのだが)も言い出しかねる状況だったらしい。「何が原因なの?何が原因なの?」と少し離れて取り巻く人に聞いても、「いやー、ちょっとわからんなぁ」と言われた。つまり喧嘩で言い合っている内容からは原因がわからない程、支離滅裂な事を言い合っているのだろうか。今だけは、今だけは、ちょっとだけアラビア語がわかったら楽しいだろーなーと無責任に思う私であった。

 こんなに言い合っていても手は出さないんだなぁ、エジプトの喧嘩は。やがて「ハラス、ハラス」の呼び声があがり、取り巻きも帰り始めたので私たちも見学を終了。

 あんなに素晴らしい彫刻やら神殿やらを作ったのもエジプト人、巷で喧嘩しているのもエジプト人。そんなこんなでエジプト三昧の一日が終了。


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