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2006.12.22
アブシンベル神殿日帰りツアー
エジプト:アスワン |
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カイロのギザのピラミッドと考古学博物館、ルクソールのナイル川東西岸に広がる遺跡、そしてスーダン国境近くのアブシンベル神殿。エジプトではこれだけは見よう、という話を何回か聞いた。
21日にルクソールからアスワンにやってきたのも、アブシンベル神殿に行ってみようと思ったからだった。
数年前まではアブシンベル神殿へは空路でしか行くことができなかったために、大変に高価な観光地としてバックパッカーの手の届かなかった場所だと聞いていた。しかし、近年、陸路でも行けるようになったために、アスワンからマイクロバスで行く日帰りのツアーが多く出ている。アスワンの中級から安宿に宿泊すれば、必ず宿からツアーへの誘いがくるので探すまでもないと出会った旅行者から情報を得た。
21日にアスワンに到着してチェックインの手続きをするや否や、話どおりツアーの勧誘となった。ルクソールでは割高なツアーを勧められ、宿代金もふっかけられたためにかなり身構えていたが、マルワというこの宿は宿泊費も数年前のガイドブック通りだったし、ツアーの価格も最初からリーズナブル。超安宿にもかかわらず、正直ベースの対応が非常に嬉しかった。
アスワンに来た目的がアブシンベルなので、到着してチェックインしてすぐに翌日のアブシンベルツアーに申し込んだ。
朝3時半頃に迎えに来て、町を出るのが4時。一路アブシンベル神殿に向かって、到着は朝7時。1時間ほど滞在してから、アスワン・ハイ・ダム、イシス神殿、切りかけのオベリスクの3箇所を見学して、午後3時すぎにアスワンに戻ってくる。戻ってきたら、コシャリ(エジプトの代表的ファストフード)を出してくれるという内容だった。ツアーには交通費と朝ご飯用のサンドイッチとお菓子、帰ってきてからのコシャリ代金が含まれていて、一人EGP50(=US$8.36、2006年12月18日のレートUS$1=EGP5.98)。他には各見学場所での入場料金が別途かかってくる。
私たちはアブシンベル神殿の入場料金EGP80(=US$13.38)、イシス神殿への渡し舟の往復運賃EGP4(=US$0.67)、イシス神殿の入場料金EGP40(=US$6.69)を別途支払った。ダムと切りかけのオベリスクは参加者全員の意見で入らないことにしたのだった。ということで、ツアーと入場料金と船代でしめてEGP174(=US$29)。学割を使えば入場料金は半額近くなるはず。
「明日の朝3時半にモーニングコールしますから」と宿の人に言われ、室内にはもちろん電話もないのにどうやって?と思っていたら、まだまだ眠い朝3時半に扉を「ガンガンガンガン」とたたいて起こされた。確かにモーニングのコールだ。
当初3時半出発と聞いていたので、「何で3時半に起こしに来るのだ」と寝ぼけた頭で必死に身支度して1階のロビーに向かったが結局、迎えは4時近くにやってきた。
色々な宿を回って集客してくるようで、最初に迎えに来る場合は3時半ということらしいが、マルワの場合は大抵最後に迎えにくることになっているのだろう。ミニバスは思いの外込んでいて、最後に乗り込んだ私と夫は、補助椅子を広げて前後に座ることになった。
この時間にアブシンベルに向けて走る、同じようなミニバスが何台もアスワンの町を連なって走っていた。この塊の前後には警察の護衛の車がつく。そうなのだ。以前は陸路でいけなかったというのには、この近辺の政情不安という理由があったのだった。今でも完全に落ち着いたとはいえないこの地域では、こうして前後に警察の護衛がつくことを条件に陸路を走ることができる。護衛付きの移動手法をコンボイというらしい。ルクソールからアスワンへ向かう列車の前後にもこうした警察の車両が接続されていて、迷彩色に身を包んだ護衛の人が乗っていたのだった。
ガイドブックには、「ルクソールからカイロに北上する途中にある町へ行くのにはコンボイで行くか、あるいはナイル川上を水路で行くしかない」という記述があり、警察の護衛をつけてまで旅をしたいとは思っていなかったので、「コンボイだって。怖ろしいねぇ」なんて言っていた。ところが、あまりにもあっけなく、コンボイの旅になってしまっている。
誰かが襲撃してくるのか?ゲリラが来るのか?と最初のうちこそは身構えていたものの、朝4時という時間もありミニバスの中で爆睡。気がついたら夜も明けて、アブシンベルに到着していた。
「ええっと、今7時だから、1時間半後の8時半にここに戻ってきてください。はい、解散」と無常にも解放された安いツアーの一行は、駐車場から一歩でて右手に行けばいいのか、左手に行けばいいのかもわからずに右往左往しながらあちこちに散っていった。駐車場を出て、左手に行って右側の建物を周り込んだ道をまっすぐに行くとアブシンベル神殿の入場ゲートに行き着く。ここで各自入場券を買って、勝手に入場しろってわけだ。
向かう先には朝日を上げたばかりのナセル湖が湖面を輝かせている。
アスワン・ハイ・ダムによって出来た人口湖。アブシンベル神殿は、このナセル湖の底に沈んでしまう位置にあったために、現在の場所に移築されたのだった。
そうした事も感慨深いのだが、もう一つ、ナセル湖はエジプト南部からスーダンとの国境を突っ切ってスーダン北部まで続く湖で、陸路でスーダンに入る人は、船でナセル湖を南下するということも、今の私たちにとっても大きな関心事だ。というのもこの先、私たちの旅はアフリカへと続くからだ。
この朝日のずーっと右手の先にまだ見ぬアフリカが続いているのだと思うと、いよいよアフリカ大陸に入って来たのだという思いが朝日と共にぐぐぐーっと盛り上がっていった。
アブシンベルには大神殿と小神殿がある。通路に従って歩いていくと、まず左手に大神殿が見えてくる。
岩窟神殿であるアブシンベルは、正面のラメセス2世の4体の巨像がクローズアップされた写真ばかり見ていたが、その巨像の更に倍以上の高さの岩をくり貫いた神殿だというのは、来てみて初めて知ったことだった。こんな遠くから見てもかなり大きい。
朝7時10分。東に向いて座したラメセス2世が朝日に照らされて堂々たる姿を見せていた。この時間帯の大神殿が一番翳りなく立派に見えるから、朝早くからたたき起こされてここにやってきたんだなぁ。ツアーは安いがポイントは押さえていた。
巨像の間から神殿の内部に入ることができる。この足元の台座の壁面にレリーフがあるのだが、ここに描かれているのは今までルクソールで見た壁画などに見られる人々とは、やや面立ちが異なってアフリカっぽい顔立ちをしていた。というのも、この部分のレリーフは戦争捕虜のレリーフでアフリカの捕虜が描かれているからだそうだ。
今年の夏、オーストリアはウィーンの市庁舎前に設えられたスクリーンで「アイーダ」を鑑賞した。エジプトとエチオピアが戦争中の話。主人公のアイーダはエチオピアの王女でありながら、エジプトに捉えられてエジプト王女の専属奴隷になっているのだが、それと知らずにエジプトの若い将来有望な司令官のラダメスはアイーダと愛し合っている。という所から悲劇が始まる。
史実としては時代が違っているかもしれないが、アイーダの舞台に自分はいるという感じが沸き起こり、アイーダの悲痛な叫びのアリアが、リアルに耳の奥に蘇ってきた。
大神殿の中が写真撮影お断りなのはルクソールと同じだ。ルクソールでは、レリーフよりも壁画が主人公だったが、こちらはレリーフが多い。薄れたり傷ついたりしていない、今彫刻されたばかりのようなレリーフが壁を埋め尽くしている。壁画よりも重量感があって、「家の玄関に飾るなら断然レリーフよねぇ」と夫に言うと、「はいはいはい」といなされた。
大神殿を出て左手を見ると、小神殿がすぐに見える。
ラメセス2世が王妃ネフェルトアリのために建造した神殿で、正面には4体のラメセス2世と2体のネフェルトアリの計6体の巨像が並んでいる。
大神殿よりは規模が小さいが、こちらの内部も見ごたえがあった。王妃ネフェルトアリは、この地帯に今でも住んでいるヌビア人でもある。
そういう意味もあって、ここに神殿を建築したのだろうか。故郷に錦を飾ったネフェルトアリはヌビア人の誇りだったのだろうか。
巨像の王妃からはヌビア人の褐色の肌や縮れた頭髪や愛くるしい大きな丸い目という特徴は読み取れないが。
アスワンから3時間かけて見に来るだけのことはある?あるある。3時間の道のりを走ってこそ、エジプト北部のカイロから津々浦々スーダン国境近くに至るまで、こんなに巨大な建築物を作れたファラオのパワーを体感できるってものだ。眠い目をこすって、ここにたどり着いた時は、「え?これだけ?」という思いもちっとはあったが、振り返って思い出しても行って良かったと言える。
私たちはアスワンからミニバスという一番安い手段でここまで来たが、アスワンからナセル湖をクルーザーで渡ってくる、あるいはカイロからアスワンを経てクルージングしてくる、最速はカイロから飛行機で飛んでくるなどという交通手段もある。
帰り道の湖にはクルーザーが着岸していて、クルーザーで来たら楽なんだろーなーと思いながら、ぎしぎしに混んだミニバスに揺られる旅に戻った。
それからバスは3時間。周囲は砂というよりは土で固められた土漠の中をひた走りに走った。本当に何もない景色。
ナイル川から西岸にはこうした土漠が広がっており、所々にオアシスの町がある。こうしたオアシスを拠点に土漠を訪ねるツアーもエジプトの観光ポイントになっている。私たちも、後にこの土漠に向かって4WDを走らせることになるのだが、この時は自分がこの中に入って行く事になるとはあまり思っていなかった。
3時間も走るとほぼアスワンに戻ってきた格好になる。次の見所のアスワン・ハイ・ダムが近づきダムの人口湖が見えてくる頃、運転手の横に座っていたガイドというか付き添いのエジプト老人がやおら立ち上がった。
「諸君、アスワン・ハイ・ダムと言えば世界に冠する巨大ダムである。しかーし。見るものといったら、人工の湖と橋だけなのであーる。それに対して君たちはEGP20(=US$3.34)も払いたいかーーー?」と切り出した。
突然の演説に何を言っているのか理解できず、一同ポカンとおやじを見つめた。すると、俺の親心が何故わからないのだというように、エジプトおやじは「見るべきものはダムと橋だけだと言っておるのだ。そんなものに君たちの貴重な旅の費用を払いたいのか?え?払いたいのか?」と更にでかい声を張り上げた。それにつられるように、みんな「ノォーーー」とおやじに同意。かくして、貧乏旅行者はお金を節約できたし、運転スタッフは早く家に帰れるというウィンウィンの関係ができあがったのである。
後にバイクで世界旅行を行っている投資家のジム・ロジャースの旅行記を読んだ。彼もエジプトのブラジルのイタイプー・ダムやパナマ運河などを訪れている。ジム・ロジャースに言わせるとこうしたインフラは人間の叡智の塊ともいえる近現代の偉大な建造物であり、そうした意味においてはエジプトのピラミッドやアンコールワットなどの遺跡と同じ重みがある。この技術の塊、人間の努力の積み重ねを具現化したすばらしさを見ないでどうする・・・というようなことが書かれていた。
インテリジェンスのあるのとないのでは、かように旅の思い出が変わってくる。私たちを含め、インテリジェンスがないミニバスの集団は、かくして人類の叡智をさっくりと素通りしていくのだった。ああ、アホや。
12時15分。イシス神殿に到着。ナイル川に浮かぶフィエラ島にあったこの神殿もアスワン・ハイ・ダムができると水没してしまうことになったので、隣のアギルキア島に移築され、移動が完了したのが1980年だそうだ。
ミニバスは私たちを降ろして午後2時半にここに戻っているようにと言い残して、駐車場に去っていった。ここからは島に渡る小船に乗る。バスアシスタントのおやじは去り際に「船代金は一人EGP3.5くらいだ」という情報を残していった。どうせまた、微妙にふっかけてくるのだろう。それならバスアシスタントが船の値段交渉までしてくれればいいのだが、ここら辺は住み分けというか、仲間の仕事にクビは突っ込まないというエジプト人特有の、あるいは中東特有の商売方法が徹底しているので、やってくれないのだ。
入場チケットを購入して船着場に向かうと、数台の船が停泊していた。1台に値段を聞くと、案の定「一人EGP5だ」と言ってくる。一人30円の上増し。あー、もう面倒くさい。この霞のような金額のために交渉するのは本当に鬱陶しい。今回は他に6人くらい同じミニバスの仲間がいたので、交渉は任せた。どの船に聞いても申し合わせたようにEGP5という。なんだか嫌になってきて、そういうことなら皆で帰ってしまいましょう、ここの観光はやめてしまいましょうという雰囲気が漂い、皆が船に背を向けた瞬間に一人EGP4に値段が下がって、それで手を打った。
頼りないエンジンの音を響かせながら岸を離れた船の船頭は、岸を離れて3分とたたないうちにエンジンのパワーを落として私たちに言ってきた。「ところで、戻りの時間は何時だい?」。
渋面の船頭さんとおかまいなしに楽しげな夫の対比 |
一番近くにいた夫が、我々のミニバスは午後2時半に迎えにくると答えた。すると船頭は「ってことは、今12時半だから2時間っていうことになるな。いやー、2時間だったらもう少しもらわないと駄目だ。2時間は長すぎる。2時間だったらやっぱり一人EGP5だなぁ」と再び船代金のことを持ち出してきた。どうやら、どうしても悔しくて何とか船代金を上げられないかと考えての策だったらしい。
私たちの仲間にはアラビア語のできる中国人の男性がいて、話は彼と船頭さんの2人でアラビア語で交わされることになった。中国人でもこの人は商売人ではなくアカデミックな人だったので交渉能力はなく、「みなさん、船頭は2時間の待機時間は長いといっています。2時間待つのならもっとお金をよこせと言っています」と、そんなこたぁアラビア語で話すまでもなくわかっていることをもう一度言った。
スペイン人の鼻っ柱の強い女性が、「冗談じゃないわよ。待機時間は2時間、お金はそのまま。しかも今払っちゃだめ。帰りに岸に着いてからじゃないと渡しちゃだめよ。船頭に伝えて頂戴、そこの中国の人」と取り仕切ったように息巻いた。おおお、南米をのして歩いたスペインの精神が垣間見える。何という強気だ。
北欧から来たという男性は、「もう支払ってしまいましょうよ。なんでこんな少額で言い合わなきゃいけないんだ」と先進国の発言をした。
しかし。と私は考えていた。2時間待機ということで話が進んでいるが、うちの夫が言ったのはミニバスが迎えにくる時間だ。その時間までに戻っているということになると、島を出るのは30分前の午後2時になり、待機時間は1時間半ということになるのだが、この点には誰も触れていない。
わーわーと交渉しながらも、船は島に到着してしまった。船頭は最後通牒を渡すように、「2時間待機はだめだ。俺は午後2時に迎えに来るからな。それが限度だ。それ以上は待てないからな!!」と怒気を含んで言い放った。熱くなったスペイン女性が「なにー?待てないだとー?」と言いかけたが、彼女も「はて?2時でいいんじゃん」と思い当たったようだった。私たちは船頭が何やら勘違いしていることに気づいて目配せしあい、うぷぷぷと笑いをかみ殺して、眉間に皺を寄せながら「仕方ない、じゃぁ午後2時に迎えに来てください」と言ってさっさと船を降りた。船頭は客の譲歩を勝ち取って、五分五分だと交渉を打ち切った。
後から聞いた話では、船に乗る前のチケットを販売している所に「船の料金は8人までは1台EGP28、1人増えるごとにいくら増加です」と書かれているらしい。私たちと同じく値段をふっかけられたら、「チケット販売の入り口の案内を見た」というと簡単に正規料金に値段が下がるのだそうだ。やれやれ。
船は島を左手に見ながら走り南側に着岸する。
船から見えるのは、左手から第二塔門、前庭を囲む列柱、そして第一塔門。南に着岸して左手に並ぶイシス神殿の概観を左側面から眺めてきたことになる。
船を降りて左手に島の奥まで続くイシス神殿への道は、まず第一塔門の手前に両脇に並ぶ柱廊から始まる。
一部は崩れかけているものの、柱に掘り込まれたレリーフのかすれ具合といい、色合いといい、長い年月の風化が感じられる枯れた感じになっていた。
青々としたナイルの水に囲まれた島には緑も豊かに生い茂り、ルクソールの王家の谷のような砂と灼熱の太陽だけの殺伐とした雰囲気がない。瑞々しい中にある神殿は、神話の中でその発祥が語られているそうだが、本当にそんな神話があったかもしれないと素直に思わせてくれる、穏やかな雰囲気が漂っていた。
第一塔門から第二塔門への両脇にも柱廊が続くのだが、柱頭の飾りのその又上に女性の顔の彫り物が4面にしてあるのが変わっている。
神話ではこの島はオシリス神の島で、イシス神がホルス神を生んだ島なのだそうだ。っていうことは、イシス神の顔なのだろうか。
こうして第二塔門を過ぎると、いよいよイシス神殿の中に入る。
ここでは様々なレリーフがライトアップされていて、しかも撮影もしてよいらしい。照明によって柔らかな光に照らし出されたレリーフには、やはり心を捉えられる。稚拙なようで、余計な線を消し去った潔さがあり、デザインが面白く、古いのに新しい感じがするのだ。
レリーフの中で、男の子に乳を飲ませる女性という構図があり、これは神話によるものだろう。しかし笑える。こんな姿勢で乳は飲ませないし、男の子が成長しすぎているのではないか?
こうして十分にイシス神殿を楽しんでそのまま背後に抜けると、裏手には礼拝堂があるというのだが、これはよくわからなかった。島を反時計周りに回り込んで、船着場に戻ろうとする左手には、トラヤヌスのキオスクと呼ばれる遺跡があった。
ポーンと建てられたキオスクの用途や歴史はよくわからないが、すぐ後ろはナイル川が迫っていて、キオスクの後ろに抜けた開放口からそうした景色が見えるのが美しかった。
島にある全ての物を見尽くしても40分くらいで見学は終了する。ツアーではなくアスワンからタクシーをチャーターして来る場合、船の待機時間は1時間が基本らしい。確かに1時間で丁度いいくらいだろう。私たちは1時間半を勝ち取ったので、もう少しゆっくりと島の風景を楽しむことにした。小さな島なので、どこに目を向けても枯れた遺跡の背景には青い空か青いナイル川、そして樹木の緑が視覚に入ってきて、本当に気持ちのいい所だった。
約束の午後2時になると、バラバラに見学していたメンバーが集まってきた。船着場は暑いので、対岸にある大きな岩陰で休憩していた船頭さんがエンジンをかけて近寄ってこようとしている。しかし、なかなかエンジンがかからず、このまま皆で泳いで帰らなくっちゃいけなくなるのかと思った。
エンジンがかからなかった不安を払拭するかのように、船頭さんは打って変わってハイテンションでご機嫌な様子をしていた。瑞々しい島を後にして、ミニバスとの待ち合わせ場所に到着したのはきっかり午後2時半だった。
バスに乗ると大分人数が減っている。アブシンベル神殿のツアーにはロングとショートがある。ロングの場合は、私たちのようにアブシンベルの帰りにいくつかの見所を寄って帰るのだが、ショートの場合はアブシンベル神殿だけで帰ることになっている。私たちのツアーの半数近くはショートだったのだろう。イシス神殿に行っている間に帰ってしまったようだ。
最後の見所は「切りかけのオベリスク(EGP25=US$4.18)」。ミニバスが入り口の近くにくると、またもや運転助手のエジプト老人が立ち上がった。「ここから見えるように、切りかけのオベリスクってのは、作りかけの石を見るだけだ。こんな所に入っているのは、金持ちのツアー観光客ばかりだ。さぁ、皆どうする?」と問いかけると、皆は即座に「ゴー・ホーム!」と声を合わせた。ここは飛ばしてもいい所だ。
ということで、宿に戻ってきたのは午後3時頃だった。
2箇所の見学をすっとばしたのに予定通りの時間にツアー終了。ってことは、イシス神殿の時間を延長してくれたのかもしれない。なかなか良心的な計らいだ。
宿からは、約束通り、遅い昼飯としてのコシャリのサービス。アスワンは宿もいいし、この宿の手配するツアーも悪くない。ルクソールに比べるとアスワンの印象がグンと良くなった。
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