夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2006.12.30
カイロスナップ、犠牲祭そして年末へ

エジプト:カイロ

 年末に向かっているカイロは、曇りの日が多く、朝晩の気温が低く、町は常に排気ガスのスモッグで覆われていた。天気が良くて温かく、素朴だったアスワンから来た私たちにとっては、カイロは不機嫌で気難しい都会に思えた。

タフリール広場を友人が泊まっていたホテルから見下ろした所。

 しかし2〜3日歩き回るうちに、その憂鬱な天気に負けないカイロの活気、混沌が見えてきた。

 宿泊したスルタンホテルは日本人バックパッカーが集まることで有名なホテルだが、他にもサファリホテルやベニスホテルが入っている雑居ビルにある。

 ビルから一歩出たタウフィキーヤTawfiquyyaという通りは、車の部品を扱う店に立ち混じって小さな商店や食堂が軒を連ね、通りには露天の野菜や果物を売る店が並ぶ賑やかな下町の風景だ。

 2階にあるスルタンホテルと6階にあるサファリホテルには多くの日本人が宿泊している。特にサファリホテルでは宿泊者から一定の安い料金を徴収して食事を作ってくれる人がいるので、私たちも年末・年始はそこにお邪魔して食事を頂いたりしたために、両方のホテルに宿泊している人とは顔なじみになり、先に出て行くバイクの旅行者を皆で見送ったりして、数日のうちにすっかり住人顔になってきた。

 露天で出している野菜や果物は、店舗を構えている八百屋よりも割高。数ある小さな商店の中でも日本人を見ても値段を偽らない「正直屋」はどこの店。エビやイカや魚の天婦羅とご飯が食べられる食堂、猫がたくさんい安いる食堂、人気のファラフェル(茹でたソラマメをつぶしてコロッケ風に揚げたもの)屋など、これらの宿に宿泊すれば周囲の細かい貴重な情報をノートに残してくれた旅人の記録を見ることができ、快適な生活までの最短距離を用意してくれるている。


小さな豚肉店では、気に入った肉の塊から
好きな分量を切り取って売ってもらう。
肉には豚の剛毛が残っている場合もある。
 特にタウフィキーヤ通りではコプト教といわれる原始キリスト教信者のための豚肉店があるという情報などは、トルコ・シリア・ヨルダンと豚肉のない生活を続けてきた私たちには、とても魅力的な情報だった。

 世界中にはこうした日本人が集まる宿が数多くあるが、私たちが滞在したスルタンホテルや上の階のサファリホテルは世界の日本人宿の中でもその知名度極まれりとも言われているだけあって、情報の充実度は素晴らしいものがあった。もちろん、自分も滞在中に得た貴重な情報を書き込むことで、次の旅行者のために新たな情報を残すことも暗黙の義務となっていることは言うまでもない。

 これらの情報を見ながら、到着初日はダウンタウンにある古着屋街を見てまわることにした。宿から出て7月26日通りをひたすらナイル川の方角に歩いて15分も行くと、古着、新中古着を扱っている店が道路沿いに並んでいる。この一角だけでも100店舗はくだらないと思われる。

 中古品のセーターは質があまりよくなさそうだが、ジーンズ、ジャージは豊富に揃っていて、デザインも普通だし値段も安かった。私たちは夫のパンツを物色していた。綿パンはいくつかあり値段も500円〜600円と手頃だった。後日、本気で探してみた所、最初に見つけたのは通行人の歩きタバコで焼け焦げができており、次に見つけたのは露天のため鳩の糞の爆雷をうけていた。だめだ。アイテムにもよるが本気で探そうとすると、なかなか見つからない。だからこそ見つけた時の喜びが大きいという人もいるだろうが、私たちは縫製レベルが高く、清潔で安い製品が早く見つかる所が好きだ。

 それにしても、こんな洋服外なのに突如として、牛がつながれていたり、洋服ラックの前で羊が鈴なりになって餌を食んでいたりする。エジプトってのは首都にしてこの有様だ。不思議な所だと思っていたら、これは数日後に行われるイスラム教の犠牲祭に向けての準備だったのだった。

 今年の犠牲祭は12月30日。年末と相まっていつもよりも忙しい雰囲気が高まっていると、同じ宿に宿泊している在カイロ8年の丸山氏が語った。

 30日の朝、丸山さんが「丁度私の部屋の窓の下で、牛の解体作業が行われているから見に来ませんか?」と誘ってくれたので、早速見に行くと、目の下の道路の上に広げられた牛と血が一面に広がっていた。

 犠牲祭では町内で金を出し合って、あるいはある程度裕福な人が金を出して、犠牲祭に使う牛や羊やヤギを買う。犠牲祭当日は、こうした人々に頼まれた肉屋が店先で、1日中いろんな動物をさばいていく。解体された肉の3分の1はお金を出した人に、3分の1は親戚に、残りの3分の1は近所の貧しい人々に施されるのだそうだ。

 よく見ると、解体されている牛の周りには黒いビニール袋を手に持った人々が、施される瞬間を今か今かと待っているのだった。

 長く旅行をしている人が多いスルタンの宿泊者たちは、昨年の犠牲祭はどの町にいたなどという話で盛り上がっていた。国によって多少は異なるが、大抵同じような様子らしかった。

 明日は大晦日という日、サファリホテルに食事に行くとサファリホテルに長く滞在している人々の主催で、年末のパーティーが開かれるというではないか。昨年はアルゼンチンのパタゴニア地方、エル・カラファテという氷河の見える町の宿で、他に日本人どころか全く宿泊客に合わず二人でいつものように早々と床に入るという静かすぎる年末年始だった。今年は賑やかになりそうで、それもいいなぁと参加することにした。

 サファリホテル側の力の入れようはすごく、手作りの紙の室内飾りで年末らしい雰囲気を出し、門松も紙で丁寧に作られていた。

 年末のご馳走は7、8種類にも及び、日本にいるよりもスゴイんじゃないかというくらい。

 おしゃべり、ゲームと楽しい宴は続いていった。何だか、こういうのって久しぶりだった。

 日本にいると、12月に入るとクリスマスだ、年末だと世の中が浮き足立ち、自分もそわそわとしたものだったが、こうして日本を離れて浮遊していると国によっては西暦の年末が意味を持たなかったり、意味があるにしても単なる区切りで騒ぎ立てるほどのこともない短い休みで終わってしまったりする。一年の締めくくりとはいうものの、通常と同じく朝が明け、夜が暮れる一日に過ぎない年末年始は、何も思いをこめずに過ごせてしまうというのが昨年は不思議だったが、今年は既に特別な思いを持ってすごそうとしている日本人を不思議な気分で見つめている自分に気づいた。


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