夫婦2人で世界一周の旅に出発!現地から海外長期滞在の旅の様子をお伝えします。
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2007.01.01
オールドカイロとウィーンフィル

エジプト:カイロ

 元旦というのは、旅行者には動きづらい場合が多い。予期しない所でつっかえる可能性を含んでいるからだ。

 こういう時は日本人宿に山と詰まれた日本語の書籍や漫画を読んでぬくぬくするのが危険がないなぁと思いつつも、年明けにやってやっと青空が広がるカイロ市内で屋内にいるのももったいなかった。

 ガイドブックを読んでいて、オールドカイロに行こうと思った。「カイロ発祥の地で、エジプトの歴史を肌で感じるような雰囲気の街」(「地球の歩き方」より」)。魅力的な博物館や美術館を目指して元旦に閉館されていたらがっかりだが、町並みは変わることない。ここだ、オールドカイロを目指そう。

 地下鉄のマル・ギルギスMar Girgis駅で降り立つと、ホームから既に聖ジョージ修道院の丸いドームが見えていた。

 目の前には遺跡のように深く掘り下げられた中に塔が建っていて、これはバビロンの塔だと思われる。

 その裏手はコプト博物館、博物館の右がムアッラカ教会と続いているはずだった。

 コプト博物館の中には興味ないが、博物館のある辺りや教会の辺りを散策でもして戻ろうと思ったら、何とバビロンの塔の左の門から通路はガッチリと門で閉じられて、入場料金を支払った人だけが敷地内に入れるようになっているではないか。

 バビロンの塔の前の道路には観光客を乗せてきたミニバンが幾台も停められていた。これらのミニバンに乗って来た人々はどこに行ったのだろうか。しばらく観察していると、ミニバンの観光客はバビロンの塔の目の前で説明を受けると、中には入らずに左手の聖ジョージ修道院に向かっている。

 ということは、メジャーの観光業が入らないレベルの博物館なのね。ということで、あっさりと入らないことに決定し、私たちも聖ジョージ修道院に向かった。

 聖ジョージ教会は観光客を飲み込んでいっていたので、後について入ってみると、こちらは入場無料。

 こちらはギリシア正教会ということでコプト教ではないのだが、大きな十字架が至る所に飾られており、イコンが飾られており、ギリシア正教とコプト教の明確な違いを認識していない私にとってはあまり違いなく見える。

 ほの暗い教会の内部は、数人の観光客が訪れているくらいで、礼拝などに訪れる地元の人は誰もいなかった。正月の初詣で賑わう寺を期待していたわけではなかったが、あまりの人に少なさに逆に日本の初詣を思い出してしまう程だった。




 オールドカイロというのはこの一角のことだけを指すのだろうか。だとすれば、コプト博物館への入場を行わないと、これで終了ということになってしまう。折角来たのにそれも寂しい話なので、ガイドブックに書かれていたフスタートを目指す。

 フスターはかつて商業の一大中心地として繁栄した都でもあったが、1168年にエルサレム王国のあるマナック国宝がエジプト進撃に際してカイロに迫った時、この地が占領、要塞化されることを恐れたファーティマ朝は、自らの手でフスタートを焼き払った、以降800年、廃墟をさらしているのが、今の姿である。とガイドブック(「地球の歩き方」)に書いてある。

 何故そんなに長い間廃墟であり続けたのか。あり続け得たのか。通常、都市であればアメーバ的に廃墟も何も飲み尽くして発展していくのではないだろうか。

 フスタートは到着してみると、本当に限りなく荒れ果てた所だった。

 遠くに都市の波が押し寄せてきているが、フスタートは文化財として保護されているというので、都市化もされないだろう。

 それにしても。例えば水がない為に木々がまるで生えなく荒れ果てた荒野になっているとか、かつては城だったのに今では樹木に沈まんばかりの廃墟になっているとか、そういう「荒れ果てた」様子とは違う所だった。人間の手がかかった生々しさが未だに残っているような、無残な感じのする、汚らしい感じのする、そういう場所だった。

 やれやれ。オールドカイロも十分ではない、フスタートは陰惨で、残す所の魅力的な見所は水道橋くらいなものだろうか。ガイドブックを見ると、「14〜15世紀にローマが建造した水道を壊して造られた」・・・。えええ?壊しちゃったの?世界各地にはローマが建造した水道橋や円形劇場や浴場などが遺跡として残っているが、「壊して造られた」ってどーゆーこっちゃ?

 地図外にある水道橋は、どこにあるのか正確にはわからないのでとにかく歩いて進んだ。街は観光地とは全く別の庶民の世界が広がっている。

 元旦のためか、仮設の移動式遊園地が来ている場所では頼りなげな傘型に吊り下げられた回転椅子がぐるぐると回っていて、別の意味で恐怖心を楽しめる場所になっていた。

 道路ではロバが草を山積みにしたリヤカーを引いているのにすれ違ったり、近所のおばちゃんたちが黒尽くめのイスラム教の衣装を着て、かしましく世間話をしていたり、全くもってカイロの日常生活が繰り広げられていた。

 日常とは少しかけ離れた風景といえば、先ほどの移動式遊園地と先日の犠牲祭で町中で解体された羊の毛皮が山積みに集められている風景くらいだろう。

 異臭を放つ毛皮の下には、古く黒ずんだ血がたまっていたが、男達は正月などに関係なく、皮を洗浄してまとめている。臭いや風景とは裏腹に男達の様子は快活でむしろ楽しそうだった。年に1度の犠牲祭で、毛皮の洗浄の仕事が入って懐が豊かになったせいかもしれない。犠牲祭では、豊かなる者は肉だけでなく、こういう仕事も与えることになるのか。現代の犠牲祭は、経済活性化に一役買っている行事にもなっているのだろう。

 さて、水道橋は見つかるのだろうか。もうこの辺りで引き返そうかと話始めた途端、今までと何ら変わることのない日常の町並みを寸断するように前方を左右に走る水道橋が見えた。

 水道橋の前はちょっとした空き地になっていて、カイロの空き地の例に漏れずペットボトルや黒いビニール袋などが散乱してゴミだらけになっていた。その後ろに壊れかけた水道橋が経っていた。ローマ人が作ったままの水道橋だったら壊れなかったのでは?そんな皮肉も言いたくなる光景を、ロバの糞の転がる道に立ってながめていた。

 ロンリープラネットlonely planetというガイドブックのエジプトの項目には、カイロのハイライトは「ピラミッド、考古学博物館、文化、そしてカオス」とある。今日の水道橋への道のりはカオス見学だったとも言え、その意味では正しいカイロ観光だった。

 昼食を済ませて宿に戻ると午後1時半。エジプト時間の午後1時からウィーンの楽友会館では恒例のニューイヤーコンサートが始まっているはずだ。日本では生放送をNHKで見ることができるが、今年は無理だなぁと思いながらテレビのチャンネルをいじっていたら、おおおお、MTBというロシアの番組がニューイヤーコンサートの生放送を行っていた。偉い、MTB!偉い、スルタンホテル!衛星放送が入っているのだ。

 元旦の昼過ぎのバックパッカー宿は幸いにも誰もいなくて、ニューイヤーコンサートをとっくりと楽しむことができた。

 いや、正確にはお掃除のおばちゃんがいた。本来ならこの時間帯は彼女の好きなエジプト音楽やソープオペラを見られるはずなのに、客の要求には屈するしかない。

 興味のわかないクラシック音楽を前に、クッションのカバーを直してみたり、時計を見たり、大声で他のスタッフに話しかけて夫に静かにしろと怒られたり、元旦から落ち着かない午後を過ごさせてしまった。

 今年の指揮者はズビン・メーターだった。

 昨年の夏に訪れた楽友会館。その建物の構造も記憶に新しい。ウィーンで生で見てきたオーボエ演奏者が、バイオリン演奏者が華やかな舞台で新春の喜びを奏でていた。

 いつも以上に親しみのわくコンサートをカイロで楽しんだ。カオス見学の後にニューイヤーコンサート。このギャップがスゴイ。この両方を楽しめるのもカイロにいてこそだ。


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