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2007.01.17
サッカーラへ階段ピラミッドを見に
エジプト:カイロ |
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サッカーラは階段状になったピラミッドのある所。ここも自力で行ってみることにした。
地下鉄でギザまで行き、改札を出たら左側に行って大通りへの階段を下りて道路を渡り、右方向に進むと、ミニバスが集積している所がある。そこからマオリテーヤ運河まで行くのだ。ミニバスの方向は今歩いてきた道を逆走する方向になる。
AL HALAM HOSPITALと書かれているのが
ピラミッド病院だそうだ。 |
右手にピラミッド病院が見えてきたら、そのすぐ先にある運河がマオリテーヤ運河だ。
運河の手前で降ろされるので、運河を渡ってから今まで走ってきた道路を左側に渡る。運河に並行して走る道路がサッカーラ街道だ。
サッカーラ街道沿いにはミニバスがたくさん停車しているので、サッカーラ村に行くミニバスを探して乗る。
・・・とここまでは、先日のメンフィスに行く道のりと全く同じなので問題はなかった。今日はサッカーラ村まで行かずに、手前のサッカーラピラミッド入り口で降りなければならない。
運転手に階段ピラミッドの写真を見せて確認したはずなのに、サッカーラ村に到着してしまった。この一つ手前の停留所で降りるべきだったのだ。そんな予感はしたのだが、言いそびれてしまったのだった。ああ、もう。こんな時に夫は必ず私をなじるのも腹が立つ。「何でちゃんと言わないんだ。近づいてきたら運転手に確認しなきゃ、だめだろう!」と。運転手に近い席に座っていたのは、そっちだっつーの。お前が聞けーーー!何様のつもりじゃーーーー!二人の仲は完全に亀裂が入っていた。
仕方がないので、逆方向のバスにもう一度乗る。今度は日本語が多少できるというエジプト人男性がいた。彼はカーペットスクールで教えているので日本語が出来るのだと言っていたが、この辺りでいうカーペットスクールとはカーペット屋のこと。つまり日本人のお客さんがいるから日本語ができるのだろう。
この男性がとても親切にどこに行きたいのかを尋ねてくれたので、サッカーラの階段ピラミッドの写真を見せて、説明すると運転手にアラビア語で説明してくれたようだった。男性はカーペットスクールと書かれた建物の前で途中下車。「モンダイ、アリマセン」と言って降りていった。
しかーし。先ほど見過ごした停留所を尚も通り過ぎようとするので、ストーップ、ストーップと声をかけたが時既に遅し。尚も先に行ってしまった。バスの中にいる青年は、だって君たちギザのピラミッドに行きたいんじゃないの?と言ってくる。かーーー、違うって、サッカーラだって。階段ピラミッドだって。というと、やっと納得して次の停留所で降ろしてくれた。日本語ができるとうだけで、中身はエジプト人であることは免れない。
ってことで、又もや逆向きのバスに乗る。もう夫は運転手の隣に座り込んで、つきっきりで階段ピラミッドの写真を見せている。
やっと、最初に見過ごした停留所で降りることができた。ここからサッカーラの入り口まで2kmの道のりは歩くしかない。
歩き始めてすぐに、「Egypt is the land of civilization」という看板が目に入った。
今日の朝からのやり取りで、全くシビライゼーションが感じられていない私たちは大爆笑した。二人の喧嘩もここで終了。
ピラミッドまでの道のりは大型バスも通れる舗装道路でまっすぐの一本道だから迷いようがない。
周囲はのんびりとした畑や民家や空き地で、すれ違うのは水牛とかロバとか牛とか。
いくつか、周りの風景とは全くそぐわない真新しい建物と西洋風に刈り込まれた庭園があるのは、カーペット屋さんだ。
ツアーなどに参加すると強制的にこういう所に連れてこられたりするものだ。私たちは素通り。
サッカーラ街道から歩き始めて30分でピラミッドのチケット売り場に到着した。
広々とした駐車場の奥にチケットブースがあり、その奥に博物館がある。チケットは博物館の入場と階段ピラミッドの敷地への入園ができるEGP50(=US$8.36、2007年1月15日の換算レートUS$1=EGP5.98を使用)のみ。最新のガイドブックには博物館のことは書かれておらず、ピラミッドへの入場料金はEGP20となっていたので、この博物館は最近作られてそのためにチケットが倍以上になってしまったのだろうと思われた。
チケットを購入するときに、「今日はバスで来たのか、車で来たのか、自転車で来たのか」と尋ねられた。これらの乗り物に乗って来た場合は、乗り物入場料金も支払わなくてはならないのだ。徒歩で来たというと、あまりそういう人がいないのだろう、「ほほー、徒歩かぁ、それはすごいね」と言われて入場チケットのみを販売してくれた。
別に博物館には興味はなかったが、せっかく予想よりも高いチケットを買わされたのだから入らなきゃ損だ。
博物館は展示点数こそあまり多くないものの、照明も考えられているし、展示物の配置も新しい感覚で、例えば有名なエジプト考古学博物館などと比べてずっと気持ちのいい博物館だった。特に色鮮やかなミイラ棺が美しく、足を止めてしげしげと眺めてしまった。写真撮影禁止がないのも良かったなぁ。
チケット売り場や博物館のある所から階段ピラミッドへは、丘を登って1.5km歩くことになっているらしい。車の場合は、丘を回り込んで行く舗装道路を通って行くのだが、私たちは徒歩なのでまっすぐに丘を登っていく道を歩いて行った。だから1.5kmもなかったんじゃないかと思う。15分も歩かずに到着した。
大型バスから観光客がどんどんと降りてきて、階段ピラミッドの手前に設置された入り口でチケットを見せて入場していく。
下の博物館にいる時は、こんなに大勢の人が見に来ているかけらも感じなかった。ツアーで来た場合は、博物館には寄らないのかもしれない。
階段ピラミッドに近づくには、堅牢な石の門をくぐって、列柱の並ぶ通路を歩いて行く。
宮殿に向かうようなこの作りに、死後も尊厳を維持したい王の権力への欲求というものを感じた。まぁピラミッドの意味というのは王の墓かどうかは議論があるところで、もしこれが王の墓だとすれば、という話である。
ギザのピラミッドは、突然ピラミッドが存在するような格好になっているのだが、恐らく、ここと同じくピラミッドに向かっての仰々しいアプローチがあったのではないだろうか。
こうして柱の間を歩いて行くと、階段ピラミッドを正面に見られる広場に出る。
ピラミッドまではボードウォークがつけられ、歩きやすく近づけるようになっていた。
ボードウォークを伝って、ピラミッドの右側から後ろに回りこむと、本当に間近にその姿を見ることができるのだった。
ピラミッドの裏手に斜めにくずれかけた祠のような物があり、石に穿った丸い穴から中を覗けるようになっている。
こういうスタイルで提供されると除いてみたくなるというのは、全世界共通の人間の性らしい。中国人もロシア人もドイツ人も、我も我もと競うようにこの穴を覗きあった。
結局、中には鼻のもげたファラオの彫刻があるのだった。
もし普通に見やすく展示されていたら、あまり足を止める人もいないのだろうが、「覗く」という仕掛が人々の興味を高めているのが面白かった。
ボードウォークを伝って正面からピラミッドを見られる位置に戻り、更にピラミッドを右手に先に進む。
コブラの彫刻を施した壁が立っているのが目に入った。ピラミッドとコブラ。この組合せはメキシコのユカタン半島のチチェン・イツァーと同じだ。アステカとエジプト古代文明。そしてインカ帝国でも蛇のモチーフは出てこなかっただろうか。うーむ、やっぱりこれらは同じ文明の人々の指導のもとに作られたのではないだろうかと思われるコブラだった。
ここを通り過ぎて、ピラミッドの左手まで来ると、後ろ側に作りかけのピラミッドがある。作りかけというか、日本の工事現場で土砂を積んだらすぐにこんな物ができると、その筋の仕事に就いていた夫が言った。
作りかけのピラミッドのずっと先に目をやると、おおお、あれはダフシュールの「クッピラ」と「アカピラ」じゃないだろうか。ダフシュールには途中から屈折率が変わっている屈折ピラミッドと、赤いピラミッドがある。ダフシュールはサッカーラ村から更にマイクロバスで先に行った所にあるから方角も間違ってはいないだろう。
ほほー、屈折ピラミッドのシルエットを見たねー。じゃぁ、これでダフシュールには行ったことにしようと、我々は即決。お昼ご飯を食べて、帰ることにした。
サッカーラ街道まで徒歩で戻って、そこからマオリテーヤ運河行きのバスに乗る。
今朝、嫌って言うほどこの路線に乗ったから、帰りは迷わずに帰れた。
あいかわらず呑気な風景のサッカーラ街道だったが、マオリテーヤ運河に近づくに従って、川岸がゴミ箱化しているのを見るのが悲しかった。
昔はゴミが有機物だったから自然に戻ったのだが、今のゴミはペットボトルやビニール袋など腐らないものばかりだ。なぜそこを認識しないで、昔と同じように投げ捨てるのかなぁ。観光で生きていこうと思うのなら、サッカーラ街道をきれいにしなくっちゃね。
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