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2007.01.24 Vol.1
砂漠の一夜は明けて、更なる見所へ
エジプト:バハレイヤ |
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お、重い。
周囲が起きだして騒がしくなった朝6時45分。重いブランケットを持ち上げるようにむっくりと起き上がると、もう両脇とも誰もいなくて、私は遅い方に目覚めたようだった。
辺りはかなり明るくなっていて、もう夜が明けたのかと思うくらいだったが、ぎりぎり夜明けに間に合う時間だった。
起き上がってブランケットから出ると、途端に朝の気温の低さにブルッときた。相当冷え込んでいたようだ。
持ってきた洋服をロングコートまで全て着込み、ニットキャップを被った上からコートのフードもかぶって、しかもブランケットは5枚。寒さを感じることなくぐっすりと眠ることができたのは本当に幸いだった。
午前7時かっきりに、昨日の夕日に勝るとも劣らない真っオレンジの朝日が白砂漠の彼方の地平線からあがってきた。
それまでに既に周囲は明るくなっていて、昨晩到着時には真っ暗で色のない世界だった白砂漠は、その名の示す通り、所々が雪景色のように白く覆われ、巨石がにょきにょきと生えているのが見えていた。
徐々に登る太陽に照らされて、これらの白い石が淡い茜色に染まっていくのを、朝の寒さの中で見つめていたら雪を見ているような錯覚に陥った。
昨日の焚き火にもう一度、火を入れて湯を沸かしてエジプト風トーストを作り、(詳しくは「本日の献立2007年1月24日(朝)」の写真をクリックしてご覧ください」)8時少し前から朝食が始まった。
午前8時45分、撤去作業開始。恐らく午前9時出発の予定だったのだろう。
ここでちょっとしたアクシデントが発生。昨晩車のバッテリーから照明用のパワーを取っていたからだろうか、1台の車のエンジンがかからなくなってしまったのだった。
スタッフはかなり真剣な面持ちで、時折、モハメッドさんの怒号も飛びながら必死に車を走らせようとしていた。
ツアーは正午くらいに終了する予定で、その後、カイロに帰る人のバスは午後3時発なので3時間の余裕がある。私たちを含め、他には村でもう1泊かそれ以上宿泊する人もいる。
というわけで、観光客は比較的余裕の構えで、そういう事情ならこの白砂漠を楽しもうと、広い砂漠に散って散策を楽しんでいた。
旅先では予期せぬアクシデントが起こるものである。スタッフは真剣に対応しているし、幸いにも皆時間に余裕があるということを冷静に認識できている集団だったので、誰からも何もクレームが出なかった。一番ホッとしているのは主催者のモハメッドさんだったろう。
今回のツアー参加者は、全員バハレイヤ村までは自力で来て、予約も自分で電話するなり私たちのように客引きを当たって探してきた人ばかりである。その事が、おのずと集団の性格を作り出していると思った。アクシデントは起こるもの、深刻な問題が発生しない限り騒がない。集団になると、誰か一人くらいは怒鳴ったりわめいたりするものなのに、今回はそういう人が誰もいなかったのは幸いだった。
他の車からバッテリーをチャージしてもらい、9時40分過ぎに車は動きだした。さぁ、出発だ。
最初の停車場所は、キャンプ地から5分と離れていない昨日も訪れたブロッコリーと鶏の岩だった。
停車時間は5分ほど。
昨日、鶏の上に乗る時間のなかったスーフォンちゃんは、今日は真っ先に乗っかってブロッコリーを高々と指差すポーズで写真を撮ってもらっている。なんじゃ、そのポーズは。
次にたどり着いたのは、フラワーストーンのある場所。フラワーストーンのある場所として有名なのは、昨日も訪れたアクバットAkkbatの裏手なのだそうだが、そこはあまりに多くの観光客が訪れてフラワーストーンを拾って帰ったので、今ではフラワーストーンがあまり見つからなくなってしまっているのだそうだ。その点、モハメッドさんが連れて行ってくれたのは、モハメッドさんと奥さんのヨンさんがドライブしていて偶然に見つけた場所なので、まだ人に知られていない場所だということだった。
で、フラワーストーンってなーに?と車を降りてから尋ねると、モハメッドさんは爆裂して花が咲いたようになっている小さな石を探して見せてくれた。
中に鉄と思しき鉱物が入っていて、それが火山噴火の爆発時に熱を受けて様々な形に変化しながら砂漠に散らばって降り注いだ、その一つが花の形になったフラワーストーンのようだ。
見ると、他にも変わった形の小さな石がバラバラと転がっていて、みんな夢中でお気に入りの石を見つけようと無言になった。
ストーン探しも面白かっただが、私とインシュンさんはおばはん代表として、やはりここは聞いておかなくてはいけないことがあった。「さっき、奥さんとデートしてって仰ってましたけど、それは結婚する前のこと?それとも後のこと?」
んなことどーだっていーじゃないですか、とは言わない。だってモハメッドさんは新婚だから。
逆にもう目を細めて嬉しそうに、「ここに来たのは結婚するずっと前の事です。ここは、僕らが付き合うようになって、初めてデートで来た時に発見した所なんです」と話してくれた。インシュンさんがそれをまた韓国語に翻訳して、皆に話す。「うわー、思い出の場所なんですね。そんな大切な所に連れてきてありがとうございます」なんて言われて、ますます嬉しそうになってしまうモハメッドさんだった。
車からの風景はまるで地球ではない場所に走ってきてしまったかの
ようだった。 |
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10時15分、ストーンフラワーを出発。10分も走ると旧白砂漠のエリアに入ってきた。もう一度車を停めて写真を撮影したいかと聞かれたので、停めてもらうことにした。時間がないので、ここは手短に3分と約束したが、4台の車が次々に停車しているとあっという間に5分は過ぎてしまった。
昨日の夕焼けに染まるキノコ岩も美しかったが、輝くばかりの強い日中の日差しの下のキノコ岩もまた青い空をバックにとても美しかった。海からは全く離れているにも関わらず、海の中にいるような、そんな気分になる所だった。
キャンプ地からここまでの道のりと、ここから舗装された幹線道路に出るまでの間は、ニュー白砂漠と白砂漠の巨石の間にできた車の轍を伝いながらのオフロードドライブだ。
4WDに乗っている醍醐味をたっぷりと楽しめるドライブでもある。
幹線道路に戻ってから程なく、この道沿いにあるクリスタル・マウンテンに到着。午前11時だった。
マウンテンというよりは、小さな丘と呼ぶにふさわしい場所で、前後は砂に囲まれた砂漠の中にある石の丘だった。しかし、ちゃんと立て札が立っていて、「クリスタルを持ち帰ってはいけません」などと書いてある。
この小さな丘のどこにクリスタルがあるのだろうと近づいてみると、上に登ろうとしてちょっと手をかけた、その岩が、おおクリスタルではないか。とか、足元に地味ーにえぐれている内側を見てみると、おお、ここにもクリスタルではないか。
という具合に、この小さな丘の様々な所にクリスタルが含まれているのだった。ただし、薄いベージュの地味な色のものばかりだった。
よく中国土産物屋に行くと、一体誰がこんなの買うのー?って思うような紫水晶の結晶の塊みたいな一抱えもある置物があるでしょ、あんな色のは一つもなかった。韓国人と日本人はそういう物を水晶だと思っているせいか、さっきのフラワーストーン程の感激は起こらなかったのだが、クリスタル・マウンテンの魅力は、水晶というよりもここからの眺望にある。
高い丘ではないが、ずーっと先まで砂漠が続いているので遠くまでよく見えるのだ。見渡す限りの砂、砂。今自分が砂漠の中にいると実感がわく景色なのだった。
クリスタル・マウンテンから幹線道路をバハレイヤ方面に20分戻ると、左手に見事な砂丘が見えてきた。「モハメッドさん、あそこに立ち寄ることはできますか?」と聞くと、「立ち寄る予定になっていますよ!」と期待を裏切らない答え。11時40分に幹線道路をはずれて、またもやオフロードで一直線に砂丘に向かい、今度は砂丘をそのまま登り始めた。
こんなキレイな形に作られた砂山を、4WDで登っていったらズブズブと沈んでいってしまうんじゃないかと思われたのだが、意外にも砂丘は固く車が沈んでいくこともなく、降り立ってみると以外にしっかりとしていることに驚いた。車は4台とも無事に頂上に到着。
砂漠ツアーと言われて、まっさきにイメージするものが目の前にある。皆、そんな喜びに満ちた。「そうそう、これが見たかったのよのー」、「これが砂漠よねー」って感じに、砂丘というのは砂漠期待感を満足させてくれるものがあった。
砂丘の斜面を滑り降りたり、砂に大の字になって寝てみたり、砂丘の楽しみ方は人それぞれだった。スタッフは車の陰に横になって休んでいる。朝、あんなに寒かったのに、今は半そでTシャツ一枚でも大丈夫なくらいに気温が上がっていた。朝と昼の気温さが激しいのは本当だ。
ここで12時まで遊び、最後の見所であるベドウィン村に温泉見学に行くことにした。ベドウィン村は、バハレイヤ村のすぐ近郊にある。ここから幹線道路に戻って30分弱は舗装道路のドライブになった。
もう少しで旅も終わるという頃になって、モハメッドさんが今回の旅はなかなか大変だったともらした。車が4台になってしまったので、いつもは行動を共にしない別の仲間2台にヘルプを頼んだのだが、夜は早々と寝てしまうし、朝はいつまでも寝ているし、バッテリーはあげてしまうし、私よりも先に走らないルールなのに、先に行こうとする。バッテリーがあがったせいで1時間近く遅れが出てしまったので、ツアーもこうして延長して行っているにもかかわらず、彼らは予定よりも拘束時間が長くなることを嫌って、フラワーストーンでも砂丘でも早く出発しようとずっと急かされていたのだそうだ。
自分は独り立ちする前に、人に雇われている時でも一番遅くまで仕事をして、一番早く起きていた。そしてどうやったらお客さんに感謝してもらえるか一生懸命に考えてきた。それなのに、今回頼んだヘルパーときたら・・・。と、真面目なモハメッドさんの嘆きは続いた。
その話の中で、モハメッドさんが以前働いていたのは、日本人がよく利用する、私たちもそこに行こうと思っていたエージェントだった。社長はモハメッドさんのおじさんだそうだ。一生懸命なモハメッドさんを気に入っていた社長は、自分の娘と結婚させて後を継がせようとしていたのに、異国の韓国人と結婚してしまったためにおじさんとの仲が悪くなり、独立の道を選んだのだそうだ。以来、おじさん一派からの嫌がらせや中傷が絶えないというのも彼の悩みの一つだった。
韓国人がこう一気に押し寄せて羽振りの良い所が知れたら、そりゃぁネタミも出てくるだろうと思われた。
旅行者の立場から言えば、純粋にサービスを考えているモハメッドさんが、客を取りたいが故に8人乗りの車で安いツアーを行っているおじさんの元を離れて、少し料金は高いが質の良いツアーで差別化を計っていてくれる方がありがたい。色々と確執はあるだろうけれど、私たちはモハメッドさんのツアーに非常に満足しているので、このまま続けていって欲しいと言うと、「サンキュウ」と運転しながら正面を見たまま嬉しそうに笑った。
12時22分、最後の観光スポットの温泉に到着。
露天も露天、鍵型に作られた湯船にドードーと太いパイプからお湯が出ているだけの素朴な所だった。この後も1泊しようと思っている私たちは、後で温泉に行けるので見学だけにしたが、このままカイロに帰る人たちは、ここが最後のチャンスとばかりに、靴と靴下を脱いで足を洗い、顔を洗い、頭を洗っている人までいた。まぁ、昨日の夜はお風呂に入っていないからねぇ。
10分程で撤収。ここからバハレイヤ村はすぐで、モハメッドさんの家に戻ってきたのが12時53分だった。
で、本来ならここでお別れってはずなんだけど、ヨンさんのサービスは続く。実はキャンプ地のニュー白砂漠では携帯電話が使える。ヨンさんからモハメッドさんに指令が飛んできて、「ツアーが終わった後に家で昼食を出すことができる。メニューはスパゲッティーミートソースEGP10(=US$0.31)なのだが、食べたい人の注文を取って欲しい」ということだった。
それでもって、またまたインシュンさんが、スパゲッティーじゃなくって白いご飯にカクテキが食べたいとリクエスト。白い砂漠の巨石の上で、電波の調子が悪くて「ノー、ノー、ノースパゲッティー、ライス、ライス」と大声を張り上げている様子がとてもおかしかった。帰ると、ちゃんと白いご飯とカクテキとプルコギが用意されており、日本人を含め感謝、感謝のお昼ご飯を頂いたのだった。この時、一人の韓国人男性が「こんなに我がままをきいてもらったのでEGP10じゃなくてEGP12+チップでEGP0.5を支払うってのでどうでしょうか?」と粋な提案。ヨンさんのランチに感動した皆は全員一致でその金額を支払ったのだった。(詳しい食事の内容は「本日の献立2007年1月24日(昼)」の写真をクリックしてご覧ください」)
韓国の人というのは、文句や注文はきっちりつけるけれど、ちゃんとそれに対する対価は支払うんだなぁと妙に感心した。
ゆっくりとお昼ご飯を食べていたら、午後3時発のバスに乗る人の出発時間が迫ってきてしまった。日本人の他の2人とスーフォンちゃんとはここでお別れ。彼らは今日中にカイロまで一気に戻るのだった。
で残った私と夫は、あらためてヨンさんとモハメッドさんに記念撮影をお願いした。プラス、なぜか近所の子供3人。
今晩一泊する宿の手配もお願いして、そこまで車で送ってもらうサービスも込みでツアーが終了。
なかなか中身の濃い1泊2日のツアーだった。
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